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【セツ】の求婚
しおりを挟むあの拉致事件から一月が過ぎたある日。
紅はみ空の部屋へと足を向けていた。
すると紅の足元に一輪の野の花が落ちてきた。
「セツか?」
歩みを止めた紅が小さめの声色で呟くと、コンッと天井裏から一つ物音がした。
一つのノック音はyes、二つのノック音はnoを表していた。
「例のことか?」
コンッとまた一つ。
「(下手人が)見つかったのか?」
コンッ。
「何人だ」
コンッ。コンッ。時間差で二度物音がした。
(二人か)紅が声に出さずに推察した。
「生きたまま捕らえたか?」
コンッ、コンッと二つ物音がした。
「わかった」
それだけ言うと、紅は止めていた歩みを再開した。
セツがみ空を拉致した下手人を探している事を紅は知っていた。そのため、セツには全面的に協力すると紅は持ちかけていたのだった。
せっかく下手人らしき人物を二人探し当てたにも拘らず、その男達がすでに死んでいた。
その事実は背後に大きな黒幕がいることを示していた。
(あいつならどこまでも、たとえ地の果てであろうとも追うだろう)紅は思った。
あの事件の日、み空を助けてこのよろず屋に運んだのはセツであった。
紅は偶然にセツの存在に気づいた。
み空が店に出入りするときに何となく違和感を感じた紅は、み空に事あるごとに用事を頼んでは使いに出し、戻る頃合を見計らって大きな障子窓の部屋から姿を消して外を伺っていた。
気のせいであったかと思われた矢先、店の向かいの柳の木の上からみ空を見るセツの姿を見つけたのだった。当初は不審人物かと警戒をしたが、つかず離れず護衛のように忍ぶその姿に、もしやと紅が思い当たったのだった。
セツがみ空に並々ならぬ恋心を抱いているのは間違いなかった。
そんな時にあの事件に巻き込まれたのだった。
み空を守りきれなかった後悔と懺悔の念が、紅には痛いほどに伝わっていた。
「み空、入るぞ」
襖を開けた紅に、穏やかな笑顔で出迎えてくれた。同時に、それはあの『悪趣味』のお陰であることも紅は知っていた。
「どうだ、調子は?」
み空の頭に手を置き、いつもの様にみ空の目を見つめた。
「もうすっかり。階段も上れるようになりましたし。
食欲もあって食べ過ぎちゃうくらいです。
セツはもうちょっと太れって言うんですけど、あっ」
み空がとっさに口に手を当てて、下を向いた。紅がセツの話題にが極力触れないようにしているのを失念していたのだった。
軽いため息の後。
「おい、悪趣味。
お前、俺にそろそろ話があるんじゃないのか?」
すぐにセツが天井裏から物音一つ立てずに下りてきた。
いつもの覆面をした格好をしておらず、洒落た余所行きの服装で現れた。
「セツ…かっこいい」
ため息のように漏れたことにみ空は気づいてはいないようだった。
セツが神妙な面持ちで紅の前で正座をした。
「今日はお願いがあって参りました。み空を、み空を俺の嫁に」
言いかけたセツの言葉を、紅は無理やり遮った。
「嫁には出さんと言った筈だが」
苦虫をかみ締めるセツが諦めずに紅に食い下がった。
「み空を幸せにする自身はある。
み空は俺が必ず守る、この命に代えても。
ずっと一緒にいたいんだ。
俺の、俺の横でいつも笑ってて欲しいんだよ。
み空が傍にいないと俺が、ダメなんだ。
だから…。
だからみ空を、み空を俺の嫁に、ください。
お願い、しま、す」
頭を下げ、搾り出したようなセツの声は涙声だった。
「幸せにする自身があるだと?
み空が襲われたこと、忘れちゃいないだろ?
み空をどうやって守るつもりだ、え?
四六時中傍にいるのか?
それとも、お前の長屋にでも閉じ込めるのか?
誰にも知られないところに隠すのか?
ああ?
それでみ空はお前の隣で笑っていられるのか?
ええ?
命に代えてもだ?
み空の代わりにもしお前が死んだら、み空はお前の後を追うぞ、確実に。
それのどこがみ空の幸せなんだ?
反論があるなら言ってみろ、セツ」
セツの襟を掴み、恐ろしい剣幕で紅がたたみ掛ける。
張り詰めた空気がビリビリとみ空の体に纏わりついた。
セツが言い返すことができぬまま両手のこぶしを握り締めていた。
何一つ、紅に言い返すことが出来ず、奥歯をかみ締めたまま両のこぶしを震わせている。
その姿がみ空を奮い立たせた。
み空の体は、いつの間にか震えていた。
目の前の男二人が対峙するこの空気に、何よりも激高した紅にみ空の体が震えていた。
震えながらもみ空が顔を上げてしっかりと紅に向き合い、ゆっくりと話し始めた。
「紅、さま。
僕もセツと同じ、気持ちです。
あんなことがあった後、僕がまた笑えるようになったのはセツのお陰、なんです。
セツがいなかったら、僕は、僕の心はきっと死んでいました。
セツはいつも僕を笑わせてくれて、嬉しくさせてくれて、幸せにしてくれるんです。
僕はセツが、好き。
大好き、なんです。
ずっと、一緒にいたい。
僕は、セツがいてくれるだけで、それだけで幸せなんです
だから…。
だから…」
み空の瞳からは大粒の涙がいくつも零れ落ちる。
「泣くな、み空」
み空を抱きしめようとした紅よりも素早く、セツがみ空を抱きしめて涙を拭った。
紅はチッ、と舌打ちをすると、目の前で抱き合っている二人にこういった。
「もう少しセツを苛めたかったが、残念だ。
だが、セツを苛めてみ空に泣かれるのは正直敵わん。
俺はセツを苛めたいだけであって、み空を泣かせたいわけではないからな」
紅は大袈裟なほど大きなため息をついた。
「それに俺は嫁には出さないとは言ったが、嫁にやらん、とは言っていないぞ」
「えっ」
セツが豆鉄砲を食らったように紅を見た。
「ばか者、まだわからんか。
み空が出られないのなら、お前が来ればいいだけの話しだろうが。
お前が婿に来い。この『萬屋の婿殿』に迎えてやる。特別にな。
新居はここの離れを用意してやる」
驚きのあまり涙も引っ込んでしまったみ空が、セツと同じような間抜けな表情で紅に視線を向けた。
「そこの離れはもともと俺の私室であったから、風呂も簡易的な炊事場もついている。しかも、俺しか出入りできない仕組みに鍵を作ってある。
人目を気にするお前にはうってつけの新居だと思うが、どうだ?」
セツの元にゆっくりと近づきしゃがみこんでセツに目線を合わせると、紅はセツに向かってまっすぐに問いかけた。
「ったく、恨まれ役も楽じゃねえな」
み空の部屋を出た紅は嬉しそうな、少し不本意そうな顔をした。
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