無自覚オメガとオメガ嫌いの上司

蒼井梨音

文字の大きさ
23 / 53
第二部

しおりを挟む
夜。
玄関を開けると、いつものように迅さんがソファで書類を片付けていた。
俺は手提げから丁寧に弁当箱を取り出して差し出す。

「今日もごちそうさまでした。卵焼き、すっごくおいしかったです」
「そうか。……ちゃんと食べたか?」
「はいっ。舟形先輩が、“白鷹家の飯は安定してうまそうだ”って言ってました」
「舟形も苦労してんな……」
「え?」
「お前と組まされて、変にドキドキしてんじゃねえのかと思ってな」

冗談めかした声に、
俺は「そ、そんなことないです!」と慌てて否定。
けれど、昼間を思い出したような俺の顔には薄い朱が差している。

迅さんは笑って、俺の頭を軽く撫でた。
「……まあ、がんばれ。俺の分まで、仕事してこい」
「はい。でも……」
「ん?」
「明日もお弁当、食べたいから、お願いします」
「……ったく、甘えん坊だな」

そう言いながらも、迅さんの表情はどこか誇らしげで優しかった。


また別の夜。
最近はプロジェクトが佳境に入ったらから、舟形先輩と残業することが多い。

玄関の灯りがついていて、遅い時間にドアを開ける。
「……ただいま戻りました……」

靴を脱ぐのもどこかふらふらで、俺は少し眠そうな声。
リビングのソファに腰掛けていた迅さんが、穏やかに顔を上げる。

「おかえり。今日、遅かったな。なんかあったか?」

「あ……すみません。ちょっと、データの詰め作業してて。舟形先輩が手伝ってくれたんです」

「舟形か。相変わらず、仲良くやってんだな」

「はい。なんか……白鷹課長の教育の賜物だって言われました」

「……ふうん」

迅さんは短く息をついたあと、立ち上がってキッチンに向かう。
その背中を見て、俺は慌てて後を追った。

「課長、怒ってます?」
「怒ってない。心配しただけだ」
「ほんとに?」
「……お前があんまり無防備だから、ちょっと不安になっただけ」

振り向いた迅さんの手が、俺の頬に触れた。
まだ外の冷気が少し残る肌に触れる指先があったかくて、僕は目を細めて笑う。

「大丈夫ですよ。僕、ちゃんと仕事してるだけですから」
「そういうことじゃない。……“可愛い”って言われても気づかないだろ、お前」

「えっ? そんなこと……ないですよ」

言いながら、俺は耳まで赤く染まっていくのがわかる。
迅さんは苦笑しながら、そっと額を合わせた。

「ほら、そういうとこ。反則なんだって」
「……えへへ、でも、なんか、うれしいです」
「ほら、早く風呂入ってこい。飯、温め直すから」

「はーい……」

とろけるような笑顔で頷いて、俺は浴室に向かった。
その背中を見送りながら、迅さんはひとり、ふっと微笑みながら、ぼそっと……
「……ほんと、反則だよな」

静かな夜に、湯気のような愛しさが広がっていった。


風呂上がりの髪をタオルで拭きながら、リビングに戻ってくる。
部屋の灯りは少し落とされて、柔らかい間接照明が二人を包んでいる。

ソファに腰掛けていた迅さんの隣に、遠慮もなくぽすんと腰を下ろす。
そのまま、体を預けるように寄りかかってきた。

「……迅さん、あったかいですね」
「……だから、お前はタオルドライが雑なんだ。風邪ひくぞ」

迅さんが苦笑しながらタオルを奪い取って、俺の髪を優しく拭う。
俺は気持ちよさそうに目を細めて、猫みたいに喉を鳴らした。

「ん~……気持ちいい……」
「……お前な、ほんとに自覚ある?」
「え? 何がですか?」

きょとんと見上げてしまうと、その顔が、灯りのせいでやけに柔らかく見えた。
迅さんは視線を逸らすようにため息をつく。

「そういうところ。甘える天才かよ」
「え、そんなことないですよ。僕、もう社会人ですし」
「社会人でも、俺の膝に寄りかかっていいとは言ってない」

「……あれ、ダメでした?」

困ったように笑う俺に、迅さんはもう抗うのをやめたようだ。
「……いいよ。もう今さらだし」
そう言って肩を抱き寄せる。

俺はすぐに安心したように息を吐いて、胸のあたりに頬を押し当てた。
「こうしてると、落ち着くんですよね」
「俺も」
「……じゃあ、いいじゃないですか」

子どもみたいな笑顔で言って、俺はそのまま目を閉じた。
迅さんの手が自然にその背を撫でる。
静かな時間の中で、湯上がりの香りと、温かな体温が溶け合っていく。

「早く食っちゃえ」
俺は迅さんが温めてくれた夜食を食べる。
おいしい。
また表情がゆるんでるかも……。

「なあ、直樹」
「んー?」
「……好きだよ」
「ん……僕もです……」

俺は、食べ終わって、半分夢の中のような声でそう答えると、うつらうつらしていた。
迅さんは小さく笑って、髪を撫でながら囁く。
「まったく……ほんと、反則だよ」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

【完結済】どんな姿でも、あなたを愛している。

キノア9g
BL
かつて世界を救った英雄は、なぜその輝きを失ったのか。そして、ただ一人、彼を探し続けた王子の、ひたむきな愛が、その閉ざされた心に光を灯す。 声は届かず、触れることもできない。意識だけが深い闇に囚われ、絶望に沈む英雄の前に現れたのは、かつて彼が命を救った幼い王子だった。成長した王子は、すべてを捨て、十五年もの歳月をかけて英雄を探し続けていたのだ。 「あなたを死なせないことしか、できなかった……非力な私を……許してください……」 ひたすらに寄り添い続ける王子の深い愛情が、英雄の心を少しずつ、しかし確かに温めていく。それは、常識では測れない、静かで確かな繋がりだった。 失われた時間、そして失われた光。これは、英雄が再びこの世界で、愛する人と共に未来を紡ぐ物語。 全8話

恋が始まる日

一ノ瀬麻紀
BL
幼い頃から決められていた結婚だから仕方がないけど、夫は僕のことを好きなのだろうか……。 だから僕は夫に「僕のどんな所が好き?」って聞いてみたくなったんだ。 オメガバースです。 アルファ×オメガの歳の差夫夫のお話。 ツイノベで書いたお話を少し直して載せました。

すみっこぼっちとお日さま後輩のベタ褒め愛

虎ノ威きよひ
BL
「満点とっても、どうせ誰も褒めてくれない」 高校2年生の杉菜幸哉《すぎなゆきや》は、いつも一人で黙々と勉強している。 友だちゼロのすみっこぼっちだ。 どうせ自分なんて、と諦めて、鬱々とした日々を送っていた。 そんなある日、イケメンの後輩・椿海斗《つばきかいと》がいきなり声をかけてくる。 「幸哉先輩、いつも満点ですごいです!」 「努力してる幸哉先輩、かっこいいです!」 「俺、頑張りました! 褒めてください!」 笑顔で名前を呼ばれ、思いっきり抱きつかれ、褒められ、褒めさせられ。 最初は「何だこいつ……」としか思ってなかった幸哉だったが。 「頑張ってるね」「えらいね」と真正面から言われるたびに、心の奥がじんわり熱くなっていく。 ――椿は、太陽みたいなやつだ。 お日さま後輩×すみっこぼっち先輩 褒め合いながら、恋をしていくお話です。

伯爵家次男は女遊びの激しい(?)幼なじみ王子のことがずっと好き

メグエム
BL
 伯爵家次男のユリウス・ツェプラリトは、ずっと恋焦がれている人がいる。その相手は、幼なじみであり、王位継承権第三位の王子のレオン・ヴィルバードである。貴族と王族であるため、家や国が決めた相手と結婚しなければならない。しかも、レオンは女関係での噂が絶えず、女好きで有名だ。男の自分の想いなんて、叶うわけがない。この想いは、心の奥底にしまって、諦めるしかない。そう思っていた。

蒼と向日葵

立樹
BL
梅雨に入ったある日。新井田千昌は雨が降る中、仕事から帰ってくると、玄関に酔っぱらって寝てしまった人がいる。その人は、高校の卒業式が終わった後、好きだという内容の文章をメッセージを送って告白した人物だった。けれど、その返信は六年経った今も返ってきていない。その人物が泥酔して玄関前にいた。その理由は……。

何度でも君と

星川過世
BL
同窓会で再会した初恋の人。雰囲気の変わった彼は当時は興味を示さなかった俺に絡んできて......。 あの頃が忘れられない二人の物語。 完結保証。他サイト様にも掲載。

処理中です...