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第一章
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カーテンの間からさす日の光が目に入り、ルーシェは眩しそうに目を覚ます。
まだ夢見心地で、ウトウトしていて、ルーシェは昨夜のことを思い出す。
――部屋に入ってきたサイラス様は、ちょっと乱暴に感じちゃったけど、僕は初めてだから、そう感じたのかな。
すぐにヒートになってしまったから、あまり記憶がないし。
――本当に結婚したんだ、嬉しくもあり、少し不安もあるな。
それは、隣にサイラス様がいないから?
初夜って、そういうものなの?
ルーシェは、そんなことを考えてたけど、身体はまだ熱い。
サイラスを求めるかのようにうずうずしている。
まだヒートは続いてるんだ……。
そう思っていると、扉がガチャリと開いてサイラスが入ってきた。
サイラスは、一歩中に入ると、扉は開けたまま鼻と口を押さえてルーシェに告げた。
「勘違いするな。昨夜のことに、意味はない。
私は君を愛することはない。
これ以上、夫婦として関わる気もない」
――ガチャンと扉が閉まる音がした。
サイラス様が出て行った……。
部屋に残されたルーシェは、いつ閉まったのかもわからない扉のほうを、呆然と眺めていた。
僕は何か、失敗しちゃった?
きっと何か誤解があるの?
僕が努力すれば、いつか——
でもすぐに、現実に引き戻される。
身体が熱い、ヒートの熱だ。
お腹の奥がじんじんして、苦しい。
いつもより、ヒートが重い。
理由は――、
一度覚えてしまったサイラス様を、身体が探してしまっているから……。
――サイラス様……。
ルーシェはいつ過ぎ去るかわからない、その熱をただただ慰めながら、逃がしていった。
それから、ルーシェが動けるようになったのは1週間後だった。
食事や衣服、リネン類は、ヒートの間もずっと部屋の前に用意されていた。
ルーシェは身支度を整えた。
部屋の外に出ると、使用人たちが忙しなく動いていた。
「あ、あのぅ、これはどうしたらいいでしょうか」
洗濯物を持って部屋を出る。
「邪魔しないで、今、忙しいから」
と、侍女に言われる。
しばらく立ち尽くしていると、別の侍女が近づいてきた。
「ほら、よこしな」
そう言うと、洗濯物を奪い取るように受け取り去っていった。
つい先日の湯浴みのときとは全然違った。
こういうものなの?
僕も手伝わないとダメなのかな……
どうしていいか、わからずいた、そのとき――。
「……ルーシェ様!」
その声に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
ノアは、いつも僕のことをそう呼んでくれる。
♢
伯爵家の離れ。
冷えきった小さな部屋で、本を抱えて膝を縮めていると、
ノアは決まって、湯気の立たないお茶を運んできた。
本当は温かかったはずなのに、
僕のところへ届く頃には、少し冷めてしまっている。
それでも——僕にとって、それは温かいお茶だった。
「ルーシェ様、今日は雪が降るかもしれないです」
そう言って使い古された毛布を用意してくれる。
「……ありがとう、ノア。でも、穴があいてるよ」
僕が受け取ると穴に指が通る。
指を差し込むと、毛布の端から風が抜けて、二人で小さく笑った。
ルーシェは伯爵家の息子だった。
けれど、正妻の子ではなかった。
だから、与えられたのはこの離れだけ。
そして、そばにいてくれたのは、ノアだけだった。
♢
「……ルーシェ様!」
立ち尽くすルーシェの前に、息を切らした青年が立っていた。
ルーシェはその声に、はっと顔を上げる。
ノアは一瞬、言葉を失った。
公爵家の奥様として迎えられたはずの姿ではない。
髪は整えられておらず、服も質素で、
何より、その表情が——あまりにも、独りだった。
——やはり、遅かったか。
それでもノアは、跪くように頭を下げる。
「遅くなりました。
これからは、私がそばにおります」
廊下に立ち尽くしていたルーシェは、自分の居室になる部屋へと案内される。
相変わらず屋敷の使用人たちはルーシェたちに目もくれず、忙しそうに動いていた。
扉の前で、ノアは一度だけ息を整えた。
「……こちらです、ルーシェ様」
重厚な扉が開かれる。
室内には、陽の入る窓と、きちんと整えられた寝台。
床には厚手の絨毯が敷かれ、壁際には箪笥と小さな机、椅子が置かれていた。
決して豪奢ではないが、清潔で、静かな部屋だった。
ルーシェは、思わず足を止める。
「……すごい……」
声が、自然とこぼれた。
伯爵家の離れ。
雨風を防ぐだけの壁、隙間風の入る寝台、冬は息が白くなる部屋。
それを思えば、この部屋は、まるで別世界だった。
「ここが……僕の部屋なんだ……」
そっと寝台に触れ、窓辺に立ち、カーテンを撫でる。
どれも、壊れていない。
どれも、きちんと“使うためのもの”だった。
「サイラス様が……用意してくださったんですね」
ルーシェは、心からそう思っていた。
言葉は少なかったけれど。
冷たかったけれど。
それでも――
公爵夫人として、きちんと部屋を与えてくれた。
それだけで、十分すぎるほどだ。
「……ありがとうございます」
誰に向けた言葉かもわからないまま、ルーシェは微笑んだ。
さらに視線が、部屋の隅の家具に向く。
使い慣れた意匠。
伯爵家の紋が、目立たない場所に彫られている。
「……父上が、送ってくれたんですね」
胸が、きゅっと温かくなる。
「……ありがとう」
伯爵家で過ごした日々の記憶は、決して優しくはなかった。
それでも、この家具を見て、ルーシェは自分が「捨てられていたわけではない」と思ってしまい、顔が綻んだ。
⸻ノアは、その様子を黙って見ていた。
(……違う)
この部屋は、最低限だ。
公爵家の正妻としては、驚くほど簡素だ。
本来なら、調度品は公爵家のものに揃えられるわけだし、専任の侍女が常駐するだろうし、部屋には花が活けられ、季節ごとに替えられるべきだ。
――そういう部屋であるべきなのに。
(それでも……ルーシェ様は、喜んでしまう)
この人は、与えられなかった時間が長すぎたのだ。
だから、こんな「最低限」を「十分以上」だと思ってしまう。
ノアは、胸の奥で歯を噛みしめた。
(……もっと早く、来るべきだった)
「ノア」
振り返るルーシェの表情は、穏やかだった。
「僕、がんばるね」
「え……?」
「サイラス様に……気に入ってもらえるように」
それは、決意というより、祈りに近い声だった。
「こんなに、ちゃんとした部屋も用意してもらえたし、父上も、家具を送ってくれたよ。
……僕、幸せになれる気がするんだ」
ノアは、何も言えなかった。
否定できなかった。
止めることも、できなかった。
ただ一つ、はっきりと思った。
(――この人は、ここでも“耐えるつもり”だ)
だからこそ、
自分が支えなければならない。
たとえ、それが――。
まだ夢見心地で、ウトウトしていて、ルーシェは昨夜のことを思い出す。
――部屋に入ってきたサイラス様は、ちょっと乱暴に感じちゃったけど、僕は初めてだから、そう感じたのかな。
すぐにヒートになってしまったから、あまり記憶がないし。
――本当に結婚したんだ、嬉しくもあり、少し不安もあるな。
それは、隣にサイラス様がいないから?
初夜って、そういうものなの?
ルーシェは、そんなことを考えてたけど、身体はまだ熱い。
サイラスを求めるかのようにうずうずしている。
まだヒートは続いてるんだ……。
そう思っていると、扉がガチャリと開いてサイラスが入ってきた。
サイラスは、一歩中に入ると、扉は開けたまま鼻と口を押さえてルーシェに告げた。
「勘違いするな。昨夜のことに、意味はない。
私は君を愛することはない。
これ以上、夫婦として関わる気もない」
――ガチャンと扉が閉まる音がした。
サイラス様が出て行った……。
部屋に残されたルーシェは、いつ閉まったのかもわからない扉のほうを、呆然と眺めていた。
僕は何か、失敗しちゃった?
きっと何か誤解があるの?
僕が努力すれば、いつか——
でもすぐに、現実に引き戻される。
身体が熱い、ヒートの熱だ。
お腹の奥がじんじんして、苦しい。
いつもより、ヒートが重い。
理由は――、
一度覚えてしまったサイラス様を、身体が探してしまっているから……。
――サイラス様……。
ルーシェはいつ過ぎ去るかわからない、その熱をただただ慰めながら、逃がしていった。
それから、ルーシェが動けるようになったのは1週間後だった。
食事や衣服、リネン類は、ヒートの間もずっと部屋の前に用意されていた。
ルーシェは身支度を整えた。
部屋の外に出ると、使用人たちが忙しなく動いていた。
「あ、あのぅ、これはどうしたらいいでしょうか」
洗濯物を持って部屋を出る。
「邪魔しないで、今、忙しいから」
と、侍女に言われる。
しばらく立ち尽くしていると、別の侍女が近づいてきた。
「ほら、よこしな」
そう言うと、洗濯物を奪い取るように受け取り去っていった。
つい先日の湯浴みのときとは全然違った。
こういうものなの?
僕も手伝わないとダメなのかな……
どうしていいか、わからずいた、そのとき――。
「……ルーシェ様!」
その声に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
ノアは、いつも僕のことをそう呼んでくれる。
♢
伯爵家の離れ。
冷えきった小さな部屋で、本を抱えて膝を縮めていると、
ノアは決まって、湯気の立たないお茶を運んできた。
本当は温かかったはずなのに、
僕のところへ届く頃には、少し冷めてしまっている。
それでも——僕にとって、それは温かいお茶だった。
「ルーシェ様、今日は雪が降るかもしれないです」
そう言って使い古された毛布を用意してくれる。
「……ありがとう、ノア。でも、穴があいてるよ」
僕が受け取ると穴に指が通る。
指を差し込むと、毛布の端から風が抜けて、二人で小さく笑った。
ルーシェは伯爵家の息子だった。
けれど、正妻の子ではなかった。
だから、与えられたのはこの離れだけ。
そして、そばにいてくれたのは、ノアだけだった。
♢
「……ルーシェ様!」
立ち尽くすルーシェの前に、息を切らした青年が立っていた。
ルーシェはその声に、はっと顔を上げる。
ノアは一瞬、言葉を失った。
公爵家の奥様として迎えられたはずの姿ではない。
髪は整えられておらず、服も質素で、
何より、その表情が——あまりにも、独りだった。
——やはり、遅かったか。
それでもノアは、跪くように頭を下げる。
「遅くなりました。
これからは、私がそばにおります」
廊下に立ち尽くしていたルーシェは、自分の居室になる部屋へと案内される。
相変わらず屋敷の使用人たちはルーシェたちに目もくれず、忙しそうに動いていた。
扉の前で、ノアは一度だけ息を整えた。
「……こちらです、ルーシェ様」
重厚な扉が開かれる。
室内には、陽の入る窓と、きちんと整えられた寝台。
床には厚手の絨毯が敷かれ、壁際には箪笥と小さな机、椅子が置かれていた。
決して豪奢ではないが、清潔で、静かな部屋だった。
ルーシェは、思わず足を止める。
「……すごい……」
声が、自然とこぼれた。
伯爵家の離れ。
雨風を防ぐだけの壁、隙間風の入る寝台、冬は息が白くなる部屋。
それを思えば、この部屋は、まるで別世界だった。
「ここが……僕の部屋なんだ……」
そっと寝台に触れ、窓辺に立ち、カーテンを撫でる。
どれも、壊れていない。
どれも、きちんと“使うためのもの”だった。
「サイラス様が……用意してくださったんですね」
ルーシェは、心からそう思っていた。
言葉は少なかったけれど。
冷たかったけれど。
それでも――
公爵夫人として、きちんと部屋を与えてくれた。
それだけで、十分すぎるほどだ。
「……ありがとうございます」
誰に向けた言葉かもわからないまま、ルーシェは微笑んだ。
さらに視線が、部屋の隅の家具に向く。
使い慣れた意匠。
伯爵家の紋が、目立たない場所に彫られている。
「……父上が、送ってくれたんですね」
胸が、きゅっと温かくなる。
「……ありがとう」
伯爵家で過ごした日々の記憶は、決して優しくはなかった。
それでも、この家具を見て、ルーシェは自分が「捨てられていたわけではない」と思ってしまい、顔が綻んだ。
⸻ノアは、その様子を黙って見ていた。
(……違う)
この部屋は、最低限だ。
公爵家の正妻としては、驚くほど簡素だ。
本来なら、調度品は公爵家のものに揃えられるわけだし、専任の侍女が常駐するだろうし、部屋には花が活けられ、季節ごとに替えられるべきだ。
――そういう部屋であるべきなのに。
(それでも……ルーシェ様は、喜んでしまう)
この人は、与えられなかった時間が長すぎたのだ。
だから、こんな「最低限」を「十分以上」だと思ってしまう。
ノアは、胸の奥で歯を噛みしめた。
(……もっと早く、来るべきだった)
「ノア」
振り返るルーシェの表情は、穏やかだった。
「僕、がんばるね」
「え……?」
「サイラス様に……気に入ってもらえるように」
それは、決意というより、祈りに近い声だった。
「こんなに、ちゃんとした部屋も用意してもらえたし、父上も、家具を送ってくれたよ。
……僕、幸せになれる気がするんだ」
ノアは、何も言えなかった。
否定できなかった。
止めることも、できなかった。
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