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第一章
第7話 気まずいに決まってる
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「おはようございます。よく眠れましたか?」
「はい…」
寝起きでめちゃくちゃな嘘をついてしまった。マチルダは上手くいったと思ったようで、ほっとしたような表情を浮かべている。
すっかり忘れていたけれど、ノワール殿下にキスされたような気がする。いや、された。
酔っていたとはいえ、確実に私の名前を呼んでから行為に及んだ。
自分のことは棚に上げといてだけれど、殿下も変なことをしないでもらいたい。そのことできっと文句を言ってやると思いながら、いざ殿下を目の前にすると恥ずかしさと罪悪感でいっぱいになってしまった。
動く馬車の中、もう直ぐ学校についてしまう、というところで深呼吸して話を切り出す。
「殿下。昨日の夜も言ったんですが、ごめんなさい。記事のこと…」
「……覚えていますよ。誤解なんでしょう?」
「はい。…え? 覚えて……」
私が目を見開くと、彼は手袋をしたまま髪を整えるふりをした。たぶん、顔を隠した殿下と私の顔は同じ表情をしていたと思う。隠しきれない耳が真っ赤だったから。
レオナルドがこの場にいなくてよかった。
しばらくすると、気を取り直して、と殿下は咳払いする。
「オルハンとは記事を見た後すぐに話しました。『友人になった』などと言っていましたが」
「ええ。私がお願いしたんです」
「…まあ、話しかけたのはオルハンからだと聞いています。あいつは特に気にしていないようでしたよ」
「そうですか。……よかった。直接謝りたいんですが、…多分ダメですよね?」
殿下は頷いた。私が彼と接触すると、さらに事態は悪化するだろう。私はともかく、オルハンや殿下にこれ以上迷惑はかけたくない。
殿下が話の通じる人でよかった、と思う反面、本当になぜわたしに婚約破棄の宣告をしてきたのかがわからない。理由なら後付けでどうにかなるんだし、黙って実行すればいいものを。
「フリージア」
馬車を降りる前に呼び止められた。彼は窓の外を向いている。
「昨日の…夜の、ことなんですが」
「ああ。私は気にしていないので大丈夫ですよ。むしろ貴重な経験をさせてもらったなって思ってますし」
気まずさから早口になってしまった。
「……」
「それ以外に、何かありましたか?」
なかなか降りてこない私たちを、御者は不思議に思ったのか体を傾けて覗き込んだ。
「いいえ」
彼は先に馬車を降りて、私に手を差し出した。
◇◆◇◆◇
「フリージア様! おはようございます!」
「正面突破で来る? 普通…」
「?」
ニッコニコの笑顔を浮かべて教室で待ち構えていたのは、オルハンだった。朝とは思えない声量と、悪く言えばはしたなく、よく言えば大胆な着こなしで案の定注目を集めているが、彼は全くそんなことを気にしていない様子だった。
反対にサラは私に駆け寄り、オルハンとの間に立つ。
「ジャンヴィエ公爵令嬢。ご機嫌いかがかな」
「いい気分よ。おかげさまで」
「おお! いつもならこの後お茶会を申し出るところですが……今日はその後ろにいる方とお話があるのです」
オルハンはウインクする。サラは自分の皮肉が通じなかったせいか、顔が引き攣ってしまった。
「なんの御用かしら? フリージアは今大事な期間なの」
「ええ、ええ。もちろん私も存じておりますよ。それに今日は、ある作戦をお伝えに来たのです」
「作戦?」
ざわざわと人の声が多くて聞き取りづらい。まわりに人が集まりすぎたな。オルハンはそのまま続ける。
「私とフリージア様の仲が噂されていますが、まあ私がフリージア様を慕っていることは事実として」
周りから「やっぱり…」とか「え…?」とか、とにかくいろんな声が聞こえる。
「広報部に行きましょう! 話はそれからです」
「え、え…」
サラが引きとめるのも聞かずに、私の腕をぐいぐい引っ張る。心配そうな彼女に大丈夫、と言いかけたがその前にクラスの扉がぴしゃりと閉まった。
◇◆◇◆◇
授業が始まる前だし、今行っても誰もいないんじゃと思ったが、そうではなかったらしい。
「ご機嫌よう!」
耳がキーンとするほど大きな声でオルハンは挨拶をして、扉をバーンと開けた。そこにはびくりと肩を震わせた男子生徒が2名。ゆっくり振り返るのがアニメみたいで面白かった。
「お、オルハン…その人って」
「フリージア様だ」
「フリージア様!?」
2人はあわてふためいた様子で急いで部屋を片付けはじめる。それにしても……。
「狭くて汚い部室ですが、どうぞ!」
「いえ、狭くて汚いなんて一言も」
「目が仰ってますよ」
オルハンが余計なことを言う。私は彼をひと睨みしたあと会釈して、オルハンと一緒に部屋に入った。狭いと言っても中学や高校のような部室とは違う。いろんな機械やら書類(おそらくバックナンバーだろう)があって狭く感じるが、一教室分くらいの広さはあった。
私たちは2人の目の前に腰掛ける。オルハンがにこにこ椅子を引いてくれて、ありがとうと微笑んだ。メガネをかけた長身のほうがターナー、そばかすがあってくりっとした目がかわいらしいのがジェニと名乗った。私は一番気になっていたことを聞く。
「あの。授業は?」
「広報部はascaの期間授業が免除されているんです」
「正しくは午前授業、ですね。午前中と授業が終わってからの午後、彼らはascaに関する記事を書いて、それを中庭の掲示板に貼るのです」
聞けば、今は2人でいるものの、数年前までは10何人かは部員がいたらしい。2週に一度ニュースを探しては記事を書き、発行する。そしてこのascaの記事を書いて号外を配るのも、彼らの仕事だったようで。
「……新聞部ができてから、僕たちの仕事はほとんどなくなってしまって…今はもう、ほとんど広報部の記事なんか読んでくれません」
「伝統があるのはこっちなのに!」
ジェニが机をドンと叩く。乱暴な仕草にちょっとびっくりした。
一年前、ゴシップをメインに扱う新聞部ができて以来、広報部は完全に過去のものとなってしまったと(ジェニ談)。
「それで、オルハンはなぜ私をここに連れてきたの?」
「私たちの記事が嘘であると、記事を書いてもらおうと思って」
「はあ」
私がしょうもないという顔をオルハンに向けたら、2人は慌ててフォローに入った。
「ぼ、僕たちが言ったんです! もしフリージア様がインタビューに答えてくれるなら、書いてもいいって…」
「インタビュー?」
「はい。…隠れてではなくて、あくまで正式に取材を申し込むべきだと思ったんです。…お話いただけるとは思っていませんでしたが、まさか部室に来ていただけるなんて」
「だから言っただろう? ポラト家にできないことはないって」
「あなた家の尊厳まで賭けてたの?」
「危険な男がお好みかと思いまして。…違いましたか?」
椅子ごとぐいぐい近づいてきたオルハンのことは無視して、でも、と続けた。
「どうやって読ませるの?」
「配ればいいでしょう。ちょうどお嬢様が手に持っていた私のフライヤーのように」
ターナーが首を横に振った。
「でも、この新聞をみんなの机に置いたって……。読まれるどころか、ゴミとして溢れかえるだけだよ」
「ゴミってなんだよ!」
「本当のことだろ!」
「ま、まあまあ落ち着いて」
たった二人しかいない部員同士で喧嘩をするのはやめてほしい。
「取材は受けますから、別の方法を考えましょう」
「「いいんですか!?」」
「はい。その代わり」
「その代わり?」
「私も広報部に入れてくれませんか?」
「……え?」
「あとオルハンも」
「……………………え?」
◇◆◇◆◇
放課後。私たちはまた部室に集まっていた。
「売り場に確認しました。この週末なら問題ありません」
「ありがとう。頼りになるわ」
「………フリージア様…」
「はい、退いてね。綺麗なお顔も彫刻刀でさらに芸術的にしましょうか?」
オルハンは油断するとすぐに甘い雰囲気にしようとしてくる。だから写真を撮られたんだけど。
「カラーインクの準備ができました! おそらくこの色が1番少ないかと……」
「ありがとう」
私は一生懸命彫っていた芋(菜園同好会にオルハンが交渉して秒でくれた)をインクにつけ、ぽんっと裏紙に押した。
「………花?」
「猫です!」
「猫…!?」
オルハンとジェニが困惑しているけど、そんなの知らない。予告紙を貼り出しに行ったターナーが帰ってきた。机の上を見て呟く。
「…ネコ」
「!」
「すごい…わかるのか……」
ジェニの書いた私のインタビュー記事、オルハンの記事。そんなに良いことは言ってないんだけど、まあ話題性がある2人だからたぶん大丈夫。
それに、とっておきの策があるから。
「よし、あとはこの芋判を全部に押せば──」
「も~っ! やーっと見つけた! 探しましたよ! フリージア様!」
開いたままの扉から、レオナルドが入ってきた。心なしかちょっとだけ怒ってる感じがする。
広報部の2人はびっくりして身をすくめている。私は判子を机に置いて手を拭きながら答える。
「あれ。今日は遅くなるって伝えたはずだけど…」
「いけません。殿下もお待ちになっていますよ」
「でもね、この広報部の…」
「フリージア」
レオナルドの後ろから殿下が出てきた。広報部の2人は震えていて、もう気絶しそうだ。
「午前中も授業にいないと聞いていましたが……なぜ広報部に」
と言いかけて、珍しく黙っていたオルハンに視線が止まる。というか私を盾にして隠れてたな、この人。
「オルハン。お前のせいか」
「あーあ。バレてしまいましたか」
「フリージアを巻き込まないでくれ」
「フリージア様が1番乗り気でいらっしゃるようですよ?」
オルハンに促され、私は笑顔で試し押しした紙を見せる。
「私、好きでやってますから。大丈夫ですよ!」
「ほらね?」
「……」
めちゃくちゃ気まずくなってしまった。
しんと部室が静まり返って、遠慮がちにジェニが手をあげる。
「ふ、フリージア様。あとは僕たちでやりますから」
「そうですよ! フリージア様が作ってくださった、このい、いもはん?がありますから!」
そう言ってターナーはお芋を紋所のように胸の前に掲げた。レオナルドが目を細めてじっと見る。
「クラゲ?」
「猫です! クラゲ!?」
「とにかく、ほら。行きますよ」
レオナルドは呆れたように部屋を出ていった。その場を動かない殿下の視線にも耐えられなくて、私はみんなにめちゃくちゃ謝ってその場を後にする。
あとから聞いた話だと、オルハンもきっちり残って作業してくれたらしい。律儀な人だなあ。
◇◆◇◆◇
「……これは?」
風呂上がり、部屋に戻るとベッドのそばのサイドテーブルに小包が置いてあった。マチルダに聞くと、殿下からこれを渡すよう頼まれたらしい。
淡い黄色の包みを開けると、その中には緑色の石が嵌められたイヤリングがあった。
「わあ…! かわいい!」
「昨日は異国の皇族ともお会いしていましたから。おそらくそのお土産かと」
「へええ…」
箱から取り出す。モチーフがゆらゆら揺れてかわいい。
「今度殿下とお出かけするときにつけてはどうですか」
「うん。そうしますね」
お出かけなんてしたことないけど。直接渡してくれてもいいのに、と思ったが、恥ずかしくて渡せなかったんだろうか。可愛いことするなあ。
でもお礼くらいは言おうかしらと思って、試しにイヤリングをつけたまま、自室を抜け出す。
レオナルドに捕まりかけたが、お手洗いに行くからとふりきった。
……。
…………。
………………………。
「殿下……の部屋…どこ…」
部屋、多い。廊下、長い!
私はやたらと広い城内で迷っていた。
それに、一度も彼の部屋に行ったことがないかもしれない。今更だけど。
周りに人気がないのも怖いし、おとなしくみんなの言うことを聞くべきだった。
とは言いつつも、しばらく歩いているとぎょっとした顔のメイドたちが、一人でうろついている私を見つけて駆け寄ってきてくれた。
「フリージア様…! 危ないですから、せめて二人で…」
「ごめんなさい……」
「お部屋に向かわれますか?」
「寒くありませんか?」
3人にかわるがわる声をかけられる。私は首を横に振る。ふと、耳に髪をかけた。メイドたちはその耳元に気付いて、まあ、と声を漏らす。
「素敵です。緑色の石……もしかして…」
「あ。……」
図らずも、見せびらかしてる人になった。観念して白状する。
「で、殿下のお部屋に行こうと思って…」
3人はきゃあっと小さく悲鳴をあげて、慌てて口を塞いだ。キラキラした目で私を見ている。ここのメイドたちは恋愛話が大好きらしい。実際は浮気されてるけどね。
「殿下のお部屋はこちらです」
それではと3人は早足で去っていってしまった。
廊下に一人でぽつんと残される。
考えてみたけど、アポ無しの突撃って大丈夫だろうか?
こういうとき浮気中とかっていうのはよくある話だけど……。
最悪の事態を避けるべく、とりあえずドアに耳をくっつけてみる。うーん、特に何も聞こえない。というか、絨毯のせいか足音自体があんまり聞こえないんだよな。
うんうん唸っていると、いきなり扉が部屋の内側に開いた。バランスを崩した私は、そのまま部屋の中へと倒れ込む。
「……っと! 危ない。大丈夫ですか?」
「殿下…!!」
抱き止められる…まではいかなかったけど、すんでのところで腕に支えられている。ん? これも抱き止められてるに入るかな?
「フリージア。どうかしたのですか?」
私を抱き?起こしながら、殿下はいつも通りの微笑みを見せた。私は首を傾ける。もらったイヤリングが揺れてるはず、だけど。
「?」
全く気づいてないみたいだ。
耳に髪をかけてみる。
「フリージア?」
くっ。この鈍感王子め。やっぱり気づいてない……。
無言のアピールも虚しく、廊下は冷えるから中にと通されてしまった。
「一人で部屋に来たんですか?」
「いえ。途中で案内してもらって…」
あまりジロジロ見るものじゃないけど、殿下の部屋は当たり前に広かった。広さは私の部屋より少し広いくらいで、あとは中庭が見下ろせるバルコニーがついている。それにいつものいい香りが部屋の中に充満してて、この世界のイケメンって匂いを発するのかしらと思ったぐらいだ。
私がきょろきょろしているのに気づいたのか、彼はふっと微かに笑った…気がした。
「広報部の活動は、今日から?」
「は、はい」
「そうですか」
バルコニーを気になったのがわかったらしく、窓を開ける。心地よい風が通り抜けた。ちょっぴり肌寒いけど、閉め切った室内で気まずいよりかはマシかも。
彼の後ろについて、室内から出た。
「で、殿下に黙って始めたのは、申し訳ありませんでした」
「構いませんよ。ただ、オルハンの誘いでというのは気になりますが」
彼は自分の羽織っていたストールを私の肩にかけた。ぺこりと頭を下げてポーズだけでお礼をする。この世界でも星が綺麗だ。ぼうっと眺めていると、殿下は口を開いた。
「この機会に話をしてもいいかもしれません。オルハンは平民ですが、近い将来爵位を与えてもいいでしょう」
「オルハンに?」
「ええ。ポラト家にはお世話になっていますし、…貴女を任せるにはそれなりの位がないと」
「あ、ああ。そういうことですか、……」
頬を撫でる冷たい風とは反対に、わたしはかっと顔が熱くなるのを感じた。
この生活が終わったあと、彼は私をオルハンに預けたいのか。確かにオルハンは平民だけれど、そんなの関係ないぐらいに明るい人だ。一緒にいたらすごく楽しいだろう。
だけど。
いつからか、殿下は私のことが、フリージアのことが割と好きなんじゃないかって思い込んでいたのだ。
「(イヤリングなんかウキウキでつけるんじゃなかった…!!)」
これをつけたところを見せて、喜ぶ顔まで想像してしまっていたんだ。いかんいかん。これじゃ、フリージアだって浮かばれないよ。
確かにキスをされたけど、それは酔ってからの話だ。この世界でもお酒はいい加減なものなんだろう。いつまでもそのことを気にしている自分が恥ずかしく思える。
お土産をくれても、キスされても、結局はその場で流されただけ。私はまんまと騙された、いや、騙してすらないか。彼は私に婚約者のような扱いをしてくれただけで、はじめから殿下はフリージアが好きじゃなかったんだもの。
「フリージア?」
黙っている私を不思議に思って、殿下が私の顔を覗き込む。外から差し込む月の光で、瞳のハイライトが少女漫画みたいにうるうる光っていてずるいと思った。
「そういえば、私に用があって来たのでは?」
「…ええ。今日は殿下とあまりお話しできていなかったから…」
「そうですか…?」
「は、はい!」
来た理由を誤魔化すべく、私はこれでもかというくらい大きく頷く。かしゃりと何かが落ちる音がした。
「ですが、もう遅いので控えるべきでした。……」
言いながら殿下の視線の先を追って地面のタイルを見つめると、緑色の耳飾りがひとつ転がっていた。
「あ…」
私が動く前に彼はしゃがんで、右耳から落ちたイヤリングを拾った。
「すみませ…」
「フリージア」
彼は立ち上がって、わたしの右耳の髪をかけた。そのまま左耳のほうに手を伸ばして、そこには同じものがつけてあると確認したようだった。
「見せに来たんですか?」
せっかくおさまったのに、再びぐわっと顔に熱が集まる。この人は私をなんとも思っていないのに、と惨めで泣きそうになった。
勝手に期待して、勝手に浮かれて。
「…フリージア?」
「は、はい! そうですよ。悪いですか?」
「? 悪くはありませんが…」
「あ、……いえ。えっと…」
恥ずかしさで逆ギレするところだった。危ない。お礼を言いに来た、という本来の目的を忘れてはいけない。
「……こ、これ。ありがとうございます。お土産って聞いたので」
「ええ。よく似合ってます」
卑屈な自分と反対に、眩しい笑顔で返されて余計気まずい。彼からイヤリングを受け取って、右耳につける。
「本当は昨日、いえ、今朝、馬車で直接渡したかったんですが、照れくさくてマチルダに頼んでしまいました」
「……」
「見せに来てくれてありがとう。フリージア」
「……」
「フリージア?」
「お礼を言いに来ただけなので、じゃあ、…えっと、おやすみなさい。殿下」
私も私でおかしくなっている。
きっとそうだ。フリージアの身体にいすぎたせいで、殿下を身近に感じすぎているんだ。
どうせ、シナリオ通りに殿下は──。
「フリージア」
彼が呼び止めているのにハッと気付いて振り返る。無視するところだった。危ない危ない。ストールも返さなきゃいけないし、と彼が立っているバルコニーに向かって2、3歩戻る。
「す、すみません。ぼーっとして」
「いいえ」
彼は部屋の中に入ってきて、私の手をとり、冷えてしまいましたねと言った。
「これ、お返しします」
「明日で構いませんよ」
離してくれない右手がだんだんあたたまっていく。まるで、…いや、変なことを考えそうになった。
殿下も殿下でなにか考えているらしく、目線を床に落として黙っている。
「……」
「……」
「…………」
このドキドキは、どういう感情から来るのかがわからなかった。
だって、だって。殿下の手がじわじわ汗をかいてきているんだもの。まるで緊張しているみたいに。
でも、さすがにこれ以上は忍びなかった。
「殿下。遅くまで失礼しました。それでは!」
「はい…」
寝起きでめちゃくちゃな嘘をついてしまった。マチルダは上手くいったと思ったようで、ほっとしたような表情を浮かべている。
すっかり忘れていたけれど、ノワール殿下にキスされたような気がする。いや、された。
酔っていたとはいえ、確実に私の名前を呼んでから行為に及んだ。
自分のことは棚に上げといてだけれど、殿下も変なことをしないでもらいたい。そのことできっと文句を言ってやると思いながら、いざ殿下を目の前にすると恥ずかしさと罪悪感でいっぱいになってしまった。
動く馬車の中、もう直ぐ学校についてしまう、というところで深呼吸して話を切り出す。
「殿下。昨日の夜も言ったんですが、ごめんなさい。記事のこと…」
「……覚えていますよ。誤解なんでしょう?」
「はい。…え? 覚えて……」
私が目を見開くと、彼は手袋をしたまま髪を整えるふりをした。たぶん、顔を隠した殿下と私の顔は同じ表情をしていたと思う。隠しきれない耳が真っ赤だったから。
レオナルドがこの場にいなくてよかった。
しばらくすると、気を取り直して、と殿下は咳払いする。
「オルハンとは記事を見た後すぐに話しました。『友人になった』などと言っていましたが」
「ええ。私がお願いしたんです」
「…まあ、話しかけたのはオルハンからだと聞いています。あいつは特に気にしていないようでしたよ」
「そうですか。……よかった。直接謝りたいんですが、…多分ダメですよね?」
殿下は頷いた。私が彼と接触すると、さらに事態は悪化するだろう。私はともかく、オルハンや殿下にこれ以上迷惑はかけたくない。
殿下が話の通じる人でよかった、と思う反面、本当になぜわたしに婚約破棄の宣告をしてきたのかがわからない。理由なら後付けでどうにかなるんだし、黙って実行すればいいものを。
「フリージア」
馬車を降りる前に呼び止められた。彼は窓の外を向いている。
「昨日の…夜の、ことなんですが」
「ああ。私は気にしていないので大丈夫ですよ。むしろ貴重な経験をさせてもらったなって思ってますし」
気まずさから早口になってしまった。
「……」
「それ以外に、何かありましたか?」
なかなか降りてこない私たちを、御者は不思議に思ったのか体を傾けて覗き込んだ。
「いいえ」
彼は先に馬車を降りて、私に手を差し出した。
◇◆◇◆◇
「フリージア様! おはようございます!」
「正面突破で来る? 普通…」
「?」
ニッコニコの笑顔を浮かべて教室で待ち構えていたのは、オルハンだった。朝とは思えない声量と、悪く言えばはしたなく、よく言えば大胆な着こなしで案の定注目を集めているが、彼は全くそんなことを気にしていない様子だった。
反対にサラは私に駆け寄り、オルハンとの間に立つ。
「ジャンヴィエ公爵令嬢。ご機嫌いかがかな」
「いい気分よ。おかげさまで」
「おお! いつもならこの後お茶会を申し出るところですが……今日はその後ろにいる方とお話があるのです」
オルハンはウインクする。サラは自分の皮肉が通じなかったせいか、顔が引き攣ってしまった。
「なんの御用かしら? フリージアは今大事な期間なの」
「ええ、ええ。もちろん私も存じておりますよ。それに今日は、ある作戦をお伝えに来たのです」
「作戦?」
ざわざわと人の声が多くて聞き取りづらい。まわりに人が集まりすぎたな。オルハンはそのまま続ける。
「私とフリージア様の仲が噂されていますが、まあ私がフリージア様を慕っていることは事実として」
周りから「やっぱり…」とか「え…?」とか、とにかくいろんな声が聞こえる。
「広報部に行きましょう! 話はそれからです」
「え、え…」
サラが引きとめるのも聞かずに、私の腕をぐいぐい引っ張る。心配そうな彼女に大丈夫、と言いかけたがその前にクラスの扉がぴしゃりと閉まった。
◇◆◇◆◇
授業が始まる前だし、今行っても誰もいないんじゃと思ったが、そうではなかったらしい。
「ご機嫌よう!」
耳がキーンとするほど大きな声でオルハンは挨拶をして、扉をバーンと開けた。そこにはびくりと肩を震わせた男子生徒が2名。ゆっくり振り返るのがアニメみたいで面白かった。
「お、オルハン…その人って」
「フリージア様だ」
「フリージア様!?」
2人はあわてふためいた様子で急いで部屋を片付けはじめる。それにしても……。
「狭くて汚い部室ですが、どうぞ!」
「いえ、狭くて汚いなんて一言も」
「目が仰ってますよ」
オルハンが余計なことを言う。私は彼をひと睨みしたあと会釈して、オルハンと一緒に部屋に入った。狭いと言っても中学や高校のような部室とは違う。いろんな機械やら書類(おそらくバックナンバーだろう)があって狭く感じるが、一教室分くらいの広さはあった。
私たちは2人の目の前に腰掛ける。オルハンがにこにこ椅子を引いてくれて、ありがとうと微笑んだ。メガネをかけた長身のほうがターナー、そばかすがあってくりっとした目がかわいらしいのがジェニと名乗った。私は一番気になっていたことを聞く。
「あの。授業は?」
「広報部はascaの期間授業が免除されているんです」
「正しくは午前授業、ですね。午前中と授業が終わってからの午後、彼らはascaに関する記事を書いて、それを中庭の掲示板に貼るのです」
聞けば、今は2人でいるものの、数年前までは10何人かは部員がいたらしい。2週に一度ニュースを探しては記事を書き、発行する。そしてこのascaの記事を書いて号外を配るのも、彼らの仕事だったようで。
「……新聞部ができてから、僕たちの仕事はほとんどなくなってしまって…今はもう、ほとんど広報部の記事なんか読んでくれません」
「伝統があるのはこっちなのに!」
ジェニが机をドンと叩く。乱暴な仕草にちょっとびっくりした。
一年前、ゴシップをメインに扱う新聞部ができて以来、広報部は完全に過去のものとなってしまったと(ジェニ談)。
「それで、オルハンはなぜ私をここに連れてきたの?」
「私たちの記事が嘘であると、記事を書いてもらおうと思って」
「はあ」
私がしょうもないという顔をオルハンに向けたら、2人は慌ててフォローに入った。
「ぼ、僕たちが言ったんです! もしフリージア様がインタビューに答えてくれるなら、書いてもいいって…」
「インタビュー?」
「はい。…隠れてではなくて、あくまで正式に取材を申し込むべきだと思ったんです。…お話いただけるとは思っていませんでしたが、まさか部室に来ていただけるなんて」
「だから言っただろう? ポラト家にできないことはないって」
「あなた家の尊厳まで賭けてたの?」
「危険な男がお好みかと思いまして。…違いましたか?」
椅子ごとぐいぐい近づいてきたオルハンのことは無視して、でも、と続けた。
「どうやって読ませるの?」
「配ればいいでしょう。ちょうどお嬢様が手に持っていた私のフライヤーのように」
ターナーが首を横に振った。
「でも、この新聞をみんなの机に置いたって……。読まれるどころか、ゴミとして溢れかえるだけだよ」
「ゴミってなんだよ!」
「本当のことだろ!」
「ま、まあまあ落ち着いて」
たった二人しかいない部員同士で喧嘩をするのはやめてほしい。
「取材は受けますから、別の方法を考えましょう」
「「いいんですか!?」」
「はい。その代わり」
「その代わり?」
「私も広報部に入れてくれませんか?」
「……え?」
「あとオルハンも」
「……………………え?」
◇◆◇◆◇
放課後。私たちはまた部室に集まっていた。
「売り場に確認しました。この週末なら問題ありません」
「ありがとう。頼りになるわ」
「………フリージア様…」
「はい、退いてね。綺麗なお顔も彫刻刀でさらに芸術的にしましょうか?」
オルハンは油断するとすぐに甘い雰囲気にしようとしてくる。だから写真を撮られたんだけど。
「カラーインクの準備ができました! おそらくこの色が1番少ないかと……」
「ありがとう」
私は一生懸命彫っていた芋(菜園同好会にオルハンが交渉して秒でくれた)をインクにつけ、ぽんっと裏紙に押した。
「………花?」
「猫です!」
「猫…!?」
オルハンとジェニが困惑しているけど、そんなの知らない。予告紙を貼り出しに行ったターナーが帰ってきた。机の上を見て呟く。
「…ネコ」
「!」
「すごい…わかるのか……」
ジェニの書いた私のインタビュー記事、オルハンの記事。そんなに良いことは言ってないんだけど、まあ話題性がある2人だからたぶん大丈夫。
それに、とっておきの策があるから。
「よし、あとはこの芋判を全部に押せば──」
「も~っ! やーっと見つけた! 探しましたよ! フリージア様!」
開いたままの扉から、レオナルドが入ってきた。心なしかちょっとだけ怒ってる感じがする。
広報部の2人はびっくりして身をすくめている。私は判子を机に置いて手を拭きながら答える。
「あれ。今日は遅くなるって伝えたはずだけど…」
「いけません。殿下もお待ちになっていますよ」
「でもね、この広報部の…」
「フリージア」
レオナルドの後ろから殿下が出てきた。広報部の2人は震えていて、もう気絶しそうだ。
「午前中も授業にいないと聞いていましたが……なぜ広報部に」
と言いかけて、珍しく黙っていたオルハンに視線が止まる。というか私を盾にして隠れてたな、この人。
「オルハン。お前のせいか」
「あーあ。バレてしまいましたか」
「フリージアを巻き込まないでくれ」
「フリージア様が1番乗り気でいらっしゃるようですよ?」
オルハンに促され、私は笑顔で試し押しした紙を見せる。
「私、好きでやってますから。大丈夫ですよ!」
「ほらね?」
「……」
めちゃくちゃ気まずくなってしまった。
しんと部室が静まり返って、遠慮がちにジェニが手をあげる。
「ふ、フリージア様。あとは僕たちでやりますから」
「そうですよ! フリージア様が作ってくださった、このい、いもはん?がありますから!」
そう言ってターナーはお芋を紋所のように胸の前に掲げた。レオナルドが目を細めてじっと見る。
「クラゲ?」
「猫です! クラゲ!?」
「とにかく、ほら。行きますよ」
レオナルドは呆れたように部屋を出ていった。その場を動かない殿下の視線にも耐えられなくて、私はみんなにめちゃくちゃ謝ってその場を後にする。
あとから聞いた話だと、オルハンもきっちり残って作業してくれたらしい。律儀な人だなあ。
◇◆◇◆◇
「……これは?」
風呂上がり、部屋に戻るとベッドのそばのサイドテーブルに小包が置いてあった。マチルダに聞くと、殿下からこれを渡すよう頼まれたらしい。
淡い黄色の包みを開けると、その中には緑色の石が嵌められたイヤリングがあった。
「わあ…! かわいい!」
「昨日は異国の皇族ともお会いしていましたから。おそらくそのお土産かと」
「へええ…」
箱から取り出す。モチーフがゆらゆら揺れてかわいい。
「今度殿下とお出かけするときにつけてはどうですか」
「うん。そうしますね」
お出かけなんてしたことないけど。直接渡してくれてもいいのに、と思ったが、恥ずかしくて渡せなかったんだろうか。可愛いことするなあ。
でもお礼くらいは言おうかしらと思って、試しにイヤリングをつけたまま、自室を抜け出す。
レオナルドに捕まりかけたが、お手洗いに行くからとふりきった。
……。
…………。
………………………。
「殿下……の部屋…どこ…」
部屋、多い。廊下、長い!
私はやたらと広い城内で迷っていた。
それに、一度も彼の部屋に行ったことがないかもしれない。今更だけど。
周りに人気がないのも怖いし、おとなしくみんなの言うことを聞くべきだった。
とは言いつつも、しばらく歩いているとぎょっとした顔のメイドたちが、一人でうろついている私を見つけて駆け寄ってきてくれた。
「フリージア様…! 危ないですから、せめて二人で…」
「ごめんなさい……」
「お部屋に向かわれますか?」
「寒くありませんか?」
3人にかわるがわる声をかけられる。私は首を横に振る。ふと、耳に髪をかけた。メイドたちはその耳元に気付いて、まあ、と声を漏らす。
「素敵です。緑色の石……もしかして…」
「あ。……」
図らずも、見せびらかしてる人になった。観念して白状する。
「で、殿下のお部屋に行こうと思って…」
3人はきゃあっと小さく悲鳴をあげて、慌てて口を塞いだ。キラキラした目で私を見ている。ここのメイドたちは恋愛話が大好きらしい。実際は浮気されてるけどね。
「殿下のお部屋はこちらです」
それではと3人は早足で去っていってしまった。
廊下に一人でぽつんと残される。
考えてみたけど、アポ無しの突撃って大丈夫だろうか?
こういうとき浮気中とかっていうのはよくある話だけど……。
最悪の事態を避けるべく、とりあえずドアに耳をくっつけてみる。うーん、特に何も聞こえない。というか、絨毯のせいか足音自体があんまり聞こえないんだよな。
うんうん唸っていると、いきなり扉が部屋の内側に開いた。バランスを崩した私は、そのまま部屋の中へと倒れ込む。
「……っと! 危ない。大丈夫ですか?」
「殿下…!!」
抱き止められる…まではいかなかったけど、すんでのところで腕に支えられている。ん? これも抱き止められてるに入るかな?
「フリージア。どうかしたのですか?」
私を抱き?起こしながら、殿下はいつも通りの微笑みを見せた。私は首を傾ける。もらったイヤリングが揺れてるはず、だけど。
「?」
全く気づいてないみたいだ。
耳に髪をかけてみる。
「フリージア?」
くっ。この鈍感王子め。やっぱり気づいてない……。
無言のアピールも虚しく、廊下は冷えるから中にと通されてしまった。
「一人で部屋に来たんですか?」
「いえ。途中で案内してもらって…」
あまりジロジロ見るものじゃないけど、殿下の部屋は当たり前に広かった。広さは私の部屋より少し広いくらいで、あとは中庭が見下ろせるバルコニーがついている。それにいつものいい香りが部屋の中に充満してて、この世界のイケメンって匂いを発するのかしらと思ったぐらいだ。
私がきょろきょろしているのに気づいたのか、彼はふっと微かに笑った…気がした。
「広報部の活動は、今日から?」
「は、はい」
「そうですか」
バルコニーを気になったのがわかったらしく、窓を開ける。心地よい風が通り抜けた。ちょっぴり肌寒いけど、閉め切った室内で気まずいよりかはマシかも。
彼の後ろについて、室内から出た。
「で、殿下に黙って始めたのは、申し訳ありませんでした」
「構いませんよ。ただ、オルハンの誘いでというのは気になりますが」
彼は自分の羽織っていたストールを私の肩にかけた。ぺこりと頭を下げてポーズだけでお礼をする。この世界でも星が綺麗だ。ぼうっと眺めていると、殿下は口を開いた。
「この機会に話をしてもいいかもしれません。オルハンは平民ですが、近い将来爵位を与えてもいいでしょう」
「オルハンに?」
「ええ。ポラト家にはお世話になっていますし、…貴女を任せるにはそれなりの位がないと」
「あ、ああ。そういうことですか、……」
頬を撫でる冷たい風とは反対に、わたしはかっと顔が熱くなるのを感じた。
この生活が終わったあと、彼は私をオルハンに預けたいのか。確かにオルハンは平民だけれど、そんなの関係ないぐらいに明るい人だ。一緒にいたらすごく楽しいだろう。
だけど。
いつからか、殿下は私のことが、フリージアのことが割と好きなんじゃないかって思い込んでいたのだ。
「(イヤリングなんかウキウキでつけるんじゃなかった…!!)」
これをつけたところを見せて、喜ぶ顔まで想像してしまっていたんだ。いかんいかん。これじゃ、フリージアだって浮かばれないよ。
確かにキスをされたけど、それは酔ってからの話だ。この世界でもお酒はいい加減なものなんだろう。いつまでもそのことを気にしている自分が恥ずかしく思える。
お土産をくれても、キスされても、結局はその場で流されただけ。私はまんまと騙された、いや、騙してすらないか。彼は私に婚約者のような扱いをしてくれただけで、はじめから殿下はフリージアが好きじゃなかったんだもの。
「フリージア?」
黙っている私を不思議に思って、殿下が私の顔を覗き込む。外から差し込む月の光で、瞳のハイライトが少女漫画みたいにうるうる光っていてずるいと思った。
「そういえば、私に用があって来たのでは?」
「…ええ。今日は殿下とあまりお話しできていなかったから…」
「そうですか…?」
「は、はい!」
来た理由を誤魔化すべく、私はこれでもかというくらい大きく頷く。かしゃりと何かが落ちる音がした。
「ですが、もう遅いので控えるべきでした。……」
言いながら殿下の視線の先を追って地面のタイルを見つめると、緑色の耳飾りがひとつ転がっていた。
「あ…」
私が動く前に彼はしゃがんで、右耳から落ちたイヤリングを拾った。
「すみませ…」
「フリージア」
彼は立ち上がって、わたしの右耳の髪をかけた。そのまま左耳のほうに手を伸ばして、そこには同じものがつけてあると確認したようだった。
「見せに来たんですか?」
せっかくおさまったのに、再びぐわっと顔に熱が集まる。この人は私をなんとも思っていないのに、と惨めで泣きそうになった。
勝手に期待して、勝手に浮かれて。
「…フリージア?」
「は、はい! そうですよ。悪いですか?」
「? 悪くはありませんが…」
「あ、……いえ。えっと…」
恥ずかしさで逆ギレするところだった。危ない。お礼を言いに来た、という本来の目的を忘れてはいけない。
「……こ、これ。ありがとうございます。お土産って聞いたので」
「ええ。よく似合ってます」
卑屈な自分と反対に、眩しい笑顔で返されて余計気まずい。彼からイヤリングを受け取って、右耳につける。
「本当は昨日、いえ、今朝、馬車で直接渡したかったんですが、照れくさくてマチルダに頼んでしまいました」
「……」
「見せに来てくれてありがとう。フリージア」
「……」
「フリージア?」
「お礼を言いに来ただけなので、じゃあ、…えっと、おやすみなさい。殿下」
私も私でおかしくなっている。
きっとそうだ。フリージアの身体にいすぎたせいで、殿下を身近に感じすぎているんだ。
どうせ、シナリオ通りに殿下は──。
「フリージア」
彼が呼び止めているのにハッと気付いて振り返る。無視するところだった。危ない危ない。ストールも返さなきゃいけないし、と彼が立っているバルコニーに向かって2、3歩戻る。
「す、すみません。ぼーっとして」
「いいえ」
彼は部屋の中に入ってきて、私の手をとり、冷えてしまいましたねと言った。
「これ、お返しします」
「明日で構いませんよ」
離してくれない右手がだんだんあたたまっていく。まるで、…いや、変なことを考えそうになった。
殿下も殿下でなにか考えているらしく、目線を床に落として黙っている。
「……」
「……」
「…………」
このドキドキは、どういう感情から来るのかがわからなかった。
だって、だって。殿下の手がじわじわ汗をかいてきているんだもの。まるで緊張しているみたいに。
でも、さすがにこれ以上は忍びなかった。
「殿下。遅くまで失礼しました。それでは!」
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