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第一章
第8話 コンクール当日
しおりを挟む翌朝、学校に到着するなり、いや、正しくは馬車を降りた殿下と別れるなり、たくさんの生徒に囲まれた。
そのどれもが見たことない顔で、わたしはオルハンたちが頑張ってくれたことを悟る。
「わたしは最初からフリージア様派なんです。きっと嘘だって信じていましたわ」
「ええ、ええ! あのゴシップ紙になんて踊らされて、まったく貴族階級の方々は情けないですわね」
「フリージア」
手のひら返しに戸惑っていると、サラの姿が見え、その瞬間、わたしを囲んでいた女生徒はみんな蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
「大丈夫? あの子たち、平民クラスの子よね」
「ええ。広報紙を配ったの。きっとそれのおかげね」
「…?」
サラが知らないのも無理はない。広報部が今回ターゲットにしたのは、平民クラスの生徒たちだけだから。
──名付けて、ポラトフライヤー、今ならクーポンでさらにお得!作戦よ!
昨日この作戦を口にした時のみんなの訝しげな表情がフラッシュバックする。我ながら名付けのセンスはないと思っている。仕方ないよ、急なことだったから。
広報誌を読んでもらうためにやったこと。もうお分かりかと思うが、オルハンの家が経営しているデパートのクーポンをつけたことだ。
貴族たちにはそんなに意味がないかと思ったからとりあえずは平民クラスに。それぞれ私の作った判子がないと無効ということにしてある。
それで読まれるかどうかはわからないけど、何もやらないよりはマシでしょう。
ただ、心配だったことが一つ。
「平民に媚を売ったんですって」
「やっぱりオルハンと、…」
「………」
貴族からの反応はやっぱり悪いみたい。投票結果の勝率は半々と言ったところか。
昨日、オルハンの話を聞く限りでは、彼は特にこのコンクールでの勝利を目標とはしていないようだった。知名度の向上と、あとは私やヴィオレッタと仲良くなりたかっただなんて書いているし。
放課後、部室を訪れたら広報部の二人は、それはもう嬉しそうだった。私たちについての記事の評判がよかったらしく、教師陣からもコンクールの総評を期待していると声がかけられたらしい。
「フリージア様のおかげです!」
「そんなことはないわ。二人にも協力してもらったもの! それにオルハンもよ。ね!」
ぼーっとしているオルハンに話しかける。そういえば今日会うのはいまが初めてだ。得意げに記事を自慢しに来るかと思ったが、そうじゃなかったな。
「昨日、無理させてしまったのかも。大丈夫?」
「ええ。……フリージア様」
「うん?」
彼は立ち上がる。目線でそれを追っていると、おもむろに私を抱きしめた。
「え!?」
「オルハン!」
「何してんだよ!」
二人が慌ててオルハンを引き剥がしにかかる。私も精一杯抵抗して、彼を突き飛ばした。
「どうしたの? 貴女らしくないわ」
「……」
「友達になろうって言ったじゃない」
「……でも」
「でもも何もないわ。……どうしてこんなことをするの。この場面を誰かに撮られたら今度こそ、殿下は──」
私は言葉を止めた。
オルハンの表情が、あまりにも悲しそうだったからだ。
きっと、彼は知ってしまったのだ。
私が殿下に愛されてなんかいないことを。
優しいオルハンは、きっとそのことで私が傷ついていると思ったんだろう。
「……今日は帰ります。二人とも、昨日はありがとう。…オルハンも。どうか体に気をつけてね」
「あ、……はい」
◇◆◇◆◇
部室を出て、廊下の窓から中庭を見下ろすと、候補者の写真と、それに投票する人たちで賑わっていた。その中に、見覚えのある美人が一人。
「あ、こっちを見た」
ヴィオレッタに手を振ると、気付いたのか気付いていないのか、すぐに顔を背けた。少し寂しい気持ちになったが、仕方ない。
そういえば殿下の目もあってか、彼女とほとんど話せていない。誘った身でもあるから申し訳ないけれど、彼女も私に巻き込まれて変な噂が立つよりはいいだろう。目を離したせいか、中庭にヴィオレッタらしき人はいなくなっていた。
1番棟への渡り廊下のあたりで、誰かが走ってくる音がする。急いでいるのかしらと道の端に寄って振り返ると、
「フリージア様ーーーーーーー!」
見たことないほど慌てた様子のヴィオレッタが走ってきて、私の目の前で止まった。
はあ、はあと肩で息をして、大丈夫?と背中をさすろうとした手を、ガッと勢いよく掴まれる。
「フリージア!様!私に!手を振りましたか!」
「あ、ええ。…そうだけど…」
すごい剣幕におののいた。何かまずかったのかしら。私が知らないだけで、コンクール期間の取り決めにあるのかもしれない。……ないか。さすがに。
「嬉しくて……」
私の手を握ったまま、唇をぎゅっと噛んだ。その目には涙が滲んでいるようにも見える。
「ここ数日、全然お会いできてなかったし、お会いしてもすぐにどこか行っちゃうから。私のこと嫌いになったのかって思って」
「そんなことないわよ」
「……それに、この前私が無視しちゃって、そのこと、謝りたかったんですけど、…ずっと……でも、フリージア様は手を振ってくれて…」
私が手を振ったことが嬉しくて、3階分の階段を駆け上ってきたのか。
ちょっとだけ汗ばむ額に、ほんのり赤く染まった頬。風で乱れたロングヘアーも、等身大の青春を感じる。
結局は、私もこういうふうになりたかった。
今、思い出した。
「…かわい…」
やっぱり、この素直さが主人公だよな。私も気付いたら、彼女のことが大好きになっている。ぼそっと私が発した言葉に、ヴィオレッタは目を見開いた。
「大丈夫よ。…殿下の目があるからあまり話せてなかったの。ごめんね」
「フリージア様が謝ることないです! 勝手に思い込んでいたのは私のほうなので」
クールで落ち着いた見た目なのに、中身はこの竹を割ったような性格。そりゃ人気出るわけだ。
「そ、それに、ふ、フリージア様のほうが、かかか、か、……かわ」
「フリージア様!!!!!」
今日は走って追いかけられる日らしい。廊下の奥から、もう一人走ってくる姿が。
「オルハン?」
再放送、っていうかあんたがヒロイン枠かよ、っていうくらいにヴィオレッタと同じ行動をしている。膝に手をついて、はあはあと肩を上下に揺らす。
「探しましたよ…!」
「え? 何が?」
「さっきはすみません。突然あんなことをして…」
「……フリージア様、何かされたんですか?」
ややこしくなりそうだったので、ヴィオレッタには言わないでおく。私はヴィオレッタに右手を握られたまま、左手をひらひらさせて気にしないでと微笑んだ。
「そうはいきません!」
空いていると言わんばかりに、その左手を掴んだのはオルハンだった。なんなんだ、この図。
「フリージア様が困惑しておられるではありませんか。離してください」
「そちらこそ。俺は昨日のこともあってフリージア様とは仲のいい間柄なんですよ」
「私はフリージア様をお守りするって決めたんです。ノワール殿下がちゃんとフリージア様を愛していないなら」
「あっ」
「あ…」
気まずい沈黙が流れる。
二人が油断したところで、両手をスッと引き抜いた。
「じゃあ、殿下が待ってるから。……ごきげんよう」
◇◆◇◆◇
あっさり発表するが、結果はというと。
「ヴィオレッタが57%…つまり、」
「結果は殿下と、ヴィオレッタね」
「…………」
サラは一人お通夜状態だ。
仕方ない。貴族たちへの対策を何もやっていなかったんだし。
投票内訳も貼り出されたけど、私を支持するほとんどが平民の人たちだった。反対に貴族のほとんどはヴィオレッタを支持していたわけで。これはこれで結構くるものがある。
「婚約者なのに落ちるだなんて、あり得ない」
「自業自得よ」
サラが立ち上がると、こちらを見ていた生徒たちがそっぽを向く。ふん、と鼻を鳴らしてまた私の目の前に座った。
「サラ、サラまで変な噂が流れちゃうよ」
「関係ないよ。うちはどうせ汚職がどうだって最初っから言われてるの」
「……」
「それより、…フリージア、あなたは大丈夫なの? 私もてっきり殿下とあなたが優勝すると思っていたから」
「オルハンとの記事が出た時点で諦めたわ。殿下には申し訳ないけれど」
まあこれできっと、ヴィオレッタと彼は結ばれることになるだろう。言い伝えもあるけれど、実際ことあるごとにあのペアで引っ張り出されるのだから。
それに、祭壇だってある。願い事は口に出さないらしいし、殿下はそこでヴィオレッタとの仲を願ったっていいのだ。
放課後、部室に行こうかと思ったが今日はやめておいた。部員の二人もきっと気まずいだろうし、明日また仲間に入れてとふざけながら行くのもありだ。
この投票結果を示す広報紙は、あくまでも事実を並べ、総評も双方を決して貶すことなく伝えている。これが彼らのプライドなのだろう。
今日はオルハンに会う気分でも、ヴィオレッタに会う気分でもない。むしろ迷惑をかけるかもしれないし。
廊下を一人で歩くと、視線だけでみんなの声が聞こえてくる様な気がした。
負けヒロインの気持ちってこういうことなのかもな。
自分は納得している答えだとしても、周りはそうは思ってくれないから。
周りの人の意見を変えようとは思わないけれど、フリージアのためにできることがあったのではないかと思ってしまう。
逆にこういう対外的なイベントこそ、私は頑張るべきだったのかもしれない。
だんだんわからなくなってきて、帰りの馬車では学校が始まって以来、初めて眠ってしまった。
◇◆◇◆◇
「う~ん…」
マチルダに結果を言ったら、すごくショックを受けていた。申し訳ないな。それに、自分の家の人たちへの評判もさがるのだな、と今初めて思い至った。
いくらヴィオレッタとくっついて欲しいとはいえ、自分の行動の全てが間違っていたんだわと反省している。
映画や漫画がない分、料理や編み物で気を紛らわせたいけれど、ここでそんなことはさせてもらえない。夕食後、眠れないまま何度目かの寝返りを打った。
「はあ…」
きっと殿下も、私に呆れているに違いない。
いくら私を愛していないとはいえ、さすがにこうなることまでは予想できなかったはずだ。
学校の中で誰になんと思われてもいいけれど、殿下や、国王陛下、実家のことを思うと辛くなった。もしかしたら一年経たずに追い出されるなんてこともあるかもしれない。
──カチャリ。
しんとした寝室の鍵が回る音がした。私のほかに、鍵を持っているのはマチルダか、殿下だけだ。
そして今回はその後者だったらしい(マチルダがそもそも私に許可なく入ってくることはあってはならない)。カーテンが完全に閉まっていなかったおかげでそれがわかったけれど、私の表情は逆光で見えていないらしく、彼は私が眠っていると思ったようだ。
それでも目を閉じて、眠ったふりをした。
万が一気づかれても、コンクールのことをどう話題に出すか困るからだ。
「……」
彼は私のベッドに腰掛けた。左の腰あたり、ベッドの端が少し沈んで、彼がふうっとため息をつくのがわかる。服装はよく見えなかったが、シャツのボタンを外して首元を少し緩めているだろう音が聞こえる。
「!」
そのまま、どさっと彼は横向きにベッドに倒れ込んだ。
体調が悪いのか、はたまたこの前の様に酔っているのか。
なんにしても、私が迷惑をかけたことでそうなっているのかも、と思ったら、寝たふりを続けるしかなかった。
フリージアを振った殿下のことなんかどうだっていいのに。それでも、自分に親切にしてくれているし、その分の恩義は返すべきだったのかもしれない。
目の前の背中にごめんなさい、と心の中で唱える。
朝起きたら言おう。きっと言おう。
しばらくすると、彼の寝息が聞こえた。私は起き上がって、シーツを彼に被せてあげる。その隣にふたたび寝転がった。
「ん……?」
眠りに落ちる寸前だったらしく、彼は起き上がった。せっかくかけたシーツがはらりと落ちる。
「フリージア…起きているのですか?」
「……」
「それとも、起こしてしまいましたか?」
「あー……いえ」
私も観念して起き上がる。手櫛で髪を整えた。
「すみません。……寝たふりをしてました」
「そうでしたか」
殿下がこの部屋に来る理由がわからなかったが、とにかく謝らなきゃという気持ちの方が強い。それでも、ごめんなさい、と言うのを怖がっている自分もいる。
「…こ、コンクールのこと。おめでとうございます」
まずは話題にあげることにした。殿下はオルハンに余裕で勝っていた。スキャンダルがあったとはいえ、元々1割も取れるかどうかという話だったから、3割の票を得たオルハンは大したものだろう。
「私はフリージアが勝つと思っていました」
ずくん、と胸を刺されたように言葉が重く響く。
「……申し訳ありません」
「貴女を責めているわけではありません。オルハンとの記事が出ていたとはいえ、元々僕と彼女の話もありましたから」
ここで言う彼女は、きっとヴィオレッタのことだろう。実際、コンクールへの出場、そしてあの記事で裏付けをしてしまった様なものだ。
そして殿下はその噂を知っているのに、否定してくれない。それが無駄だからとわかってるからなのだろうか。
「人々はおとぎ話を好みます。平民と王族の純愛なんてその典型例でしょう」
「…はは…」
まるで私を励ましているかのように言っているが、彼がやっていることはまさにそうだ。愛想笑いしかできない。
喉がやけに渇く。
早くこの瞬間が終わって彼が部屋を出ていけばいいのにと思った。
「……」
「フリージア? 大丈夫ですか?」
こんなふうに寝室を訪ねてきて、私をケアするそぶりを見せる。贈り物だって欠かさないし、それを着けたら褒めてくれる。
──私のことなんか好きじゃないくせに。
「フリージア?」
「……っ…」
堪えていた涙がぽろっと落ちて、殿下が息を呑む。
オルハンぐらい衝動的で、陽気な男だったならきっと、迷わず抱きしめるだろう。
そんな考えが起こる自分も浅ましい。
「フリージア。大丈夫ですか? どこが痛いですか?」
いろんな人に悪口を言われた。
フリージアの立場だってきっとこれ以上に悪くなる。
私は何をやっているんだろう。
フリージアのために、彼女を幸せにするために動いていたはずなのに。
「馬鹿だ……っ、わたしは…」
どうして余計なことばっかりしちゃうんだろう。
誰かに相談したい。
私がどうすべきか。誰かに決めて欲しかった。
「…エミリーに会いたい」
たった数日だけそばにいて、でも私に「大丈夫」の魔法をかけてくれる人。
色々あったけれど、いまは初心に戻ることが必要な気がした。
気づいたら殿下は私の左手を握っていて、もう片方の手は涙を拭ってくれていた。
「行きましょう」
「え?」
「エミリーというのは…ええと、一緒に会いにきた使用人でしょう。幸いにも、貴女の家はここから遠くない。馬車を走らせればすぐです」
「え、え…でも…」
殿下の言葉に戸惑って、うまく言葉が返せない。
「反対にエミリーをここに呼びましょうか? 今からだと…使いを走らせて30分ほどでしょうが」
「そんな。それなら私が行きます。…でも、…いいんですか?」
「私も行きますが、それでもいいなら」
「…殿下も、一緒だと嬉しいです」
彼は頷いて、握った手にさらに力を込めた。
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