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本編 一章 本館×仲直り期
母、お前もな!と思った
その日の夕食後。
リリーが眠った後、アーノルドは久しぶりにゆっくりとエリーと過ごしていた。
十四日ぶりに帰宅できたのだ。
…本当ならもっと早く帰れる予定だった。
だが、アイツら…!
余計なことしやがって。
アーノルドは迷惑の元凶を思い出し、毎日必ず舌を噛み、最終的に口内炎だらけになれば良いと思った。
そして色々な事が落ち着き、ようやく帰って来られたと思えば、娘は歩いていた。
…正直、まだ少し立ち直れていない。
「そんなに落ち込むこと?」
向かい側に座るエリーが苦笑する。
エリーは脳内で、コイツめんどくさいなと少し思った。
「落ち込む…こんな筈じゃなかったんだ…」
「そうなのね、お疲れ様」
「かなり落ち込む…俺のせいじゃないのに俺に多大な不利益が生じた」
「そう、それは納得出来ないわよね」
エリーは笑った。
めんどくさいけど、リリーへの愛がちゃんと育っているのだと嬉しくなったから。
アーノルドは深いため息を吐く。
すると部屋の扉が叩かれた。
「旦那様」
入ってきたのは侍女長のマルカだったが、その表情はどこか硬い。
アーノルドは不思議そうにマルカを見る。
エリーは顔を青ざめさせた。
どうか余計な事は言わないでくれ、と。
「どうした?」
アーノルドの疑問にマルカが答える。
「…お話がございます」
その声にアーノルドは眉を寄せた。
何か途轍もない事件があったのだと、そう直感した。
マルカはチラリとエリー、リリーと視線を滑らせた後、一度目を瞑った。
そして大きく深呼吸をした後、アーノルドの目をしっかり見ながらゆっくりと語り始めた。
王都へ奥様とリリー様が来た初日のこと。
それからの使用人達の態度。
奥様が使用している客間の状態。
使用人からの細かな嫌がらせ。
そして…あの、倉庫の件。
全てを話し終えるまでアーノルドは一度も口を挟まなかった。
途中、目を見開いたり、エリー様に勢いよく振り返ったり、リリー様を見て泣きそうな顔になったりと、忙しくはしていたが、最後まで何も言わなかった。
マルカが話をしている時、奥様は切なそうな顔をして俯いていた。
旦那様が奥様を見た時、その視線に気がついた奥様は申し訳なさそうに微笑んでいただけだった。
マルカは罪悪感で胸が押しつぶされそうだった。
少し時間を空けてここへ報告しにきた理由は、奥様が旦那様へ報告をするだろうと見越したからだった。
それがどうだ?
反応を見る限り、旦那様はこの事を知らなかった様だ。
つまり、奥様はあれだけの事を使用人にされておきながら、旦那様には一言も話していなかったのだ。
そんな人に…私はなんて事を…。
マルカはこの時ほど過去に戻りたいと思った事は無かった。
その時のエリーは、余計なこと言いやがってと脳内ヤンキーと共にメンチを切っていた。
この話は報告するにしても、めんどくさくならない言い方で伝えようと思っていたのだから。
忘れていたわけではない。
断じて無い。
マルカは黙ったままのアーノルドを見ながら、更に続けた。
倉庫へ閉じ込められたこと。
その時リリーも一緒だったこと。
使用人達の陰口。
その後の発熱。
話が進むほどアーノルドの表情は消えていった。
エリーの表情も消えていった。
だが、二人の内心は両極端なものだった。
そして全てを聞き終えた時。
「誰だ…使用人とはどの使用人だ?どこの担当だ?なんでそんな事をした?」
静かな声だった。
だからこそ怖かった。
「旦那様」
マルカが思わず身構える。
これは鞭打ちされ、紹介状無しで追い出される案件だからだ。
頭で理解する前に脳が身体をこわばらせた。
「誰がやったんだ…?」
アーノルドはゆらりと立ち上がった。
エリーの目は死んでいる。
怒っている、それもかなり。
「俺の、妻と、娘を、誰が、誰が、倉庫へ、閉じ込めたのか?」
とてつもなく低い声が震えている。
旦那様の拳も震えている。
エリーも震えている。
今大声を出されたらリリーが起きてしまう、よく眠っている時に大声で起こされたらきっとパニックになってなかなか泣き止まなくなってしまう。
エリーは震え続ける。
それにこのままだとリリーに怒鳴る旦那様を見せてしまう事になる。
それは絶対に良く無い、幼少期のトラウマになってしまう。
マルカも震えている。
ここまで怒っている旦那様を見るのは初めてだからである。
部屋の空気が他方向へと張り詰める。
「リリーに何かあったらどうするつもりだった」
「旦那様」
「何故報告しなかった」
「旦那様」
アーノルドはエリーの声が聞こえていないのか、少しずつ声が大きくなっている。
エリーは悩んだ。
暴走機関車の様になってしまうアーノルドを乗りこなすには何かが必要だと。
マルカは言葉に詰まった。
誰かと言われれば答える事はできる。
出来るけれど、恐怖で頭の中は占められているのだ。
どんな言い方をすれば良いのか、何を言えば良いのか、全くわからない。
頭が真っ白になってしまっていた。
「も…申し訳ございません」
「申し訳ないで済む話ではない!」
アーノルドは珍しく感情を露わにしていた。
エリーは勢いよくリリーをみた、寝ている。
ほっとした。
自分のことよりも、リリーのことを怒っている。
それが分かって嬉しい反面、お前ふざけんなと思った。
「旦那様」
エリーが呼ぶ。
聞こえていない。
「旦那様」
もう一度呼ぶ。
聞こえていない。
…少し考えて、口にした。
「アーノルド様」
聞こえていない。
いや、なんか反応した気がする。
エリーはもうひと押しだと思った。
「…ルド?」
「なんだ」
即答だった。
「リリーが起きてしまうので、シーですよ」
エリーは少し恥ずかしさから混乱していた。
シーはリリーだ。
お静かにがアーノルドだ。
脳内ヤンキーは床に這いつくばって笑っている。
ふざけんな。
アーノルドは少し動揺した後、静かに座り、話を続けた。
「俺は何も知らなかったんだぞ」
「そうね」
「リリーまで巻き込まれていたのに…」
「そうね」
「閉じ込められていたなんて…」
「そうね」
エリーは頷く。
とりあえず共感だ、共感は全てを救う。
そしてある程度共感した後に、少し困ったように笑って言ってやった。
「でも、ルドも悪いのよ?」
「…俺が?」
「そうよ?悪いわ、思い出してみて?」
アーノルドはエリーの言葉に固まった。
一体何を思い出せと言うのか?
「だって何も言ってないじゃない?」
「何をだ?何を言うべきだったんだ?」
「私のことよ?」
その瞬間。
アーノルドの顔色が変わった。
疑問と少しの不信感から驚き、疑問からの亜然。
もう、カメレオンである。
更にエリーは続けた。
「使用人達からしたら、私の事なんて噂しか知らないのよ?そこへ急に私が来たの。」
「…」
「あなたは忙しかったのでしょうけど…何も説明されてない人達からしたら、怖かったんじゃないかしら?私だったら怖いわ?」
アーノルドは言葉を失った。
確かにそうだ。
思い出してみれば、自分は使用人達へ紹介しただけだった。
今のエリーがどんな人物なのか何も伝えていなかった。
だから使用人達は噂だけを信じた。
…それが当然だった。
「俺が全部悪かったのか…」
「全部ではないわ」
エリーは否定する。
コイツめんどくさいなと再度思った。
「でも、少しはあると思うの。だから今回の事、凄く酷い結果にしてほしく無いの。だって、結果次第ではリリーの教育にも影響がでるわ?」
アーノルドは目を閉じた。
思い返せば最近ずっとそうだ。
エリーのことを理解したつもりでいた。
…だが実際には何もできていなかった。
守るとも言った、向き合うとも言った。
なのにまた仕事を理由に任せきりにしていた。
俺はただ浮かれるだけで、妻のフォローが何も出来ていなかった。
「…情けないな」
小さく呟く。
するとエリーは笑った。
わかれば良いのよと。
「反省してるならいいじゃない?」
「良くない、君が俺に甘すぎるんだ」
「そうかしら?」
「そうだ」
アーノルドは即答だった。
エリーは少しだけ吹き出した。
そのやり取りを見ていたマルカは胸が痛くなった。
何故ならアーノルドが知らなかったように、使用人達も知らなかったからだ。
皆の心には最近ずっと罪悪感があった。
熱を出したリリーを抱き締める姿、毎日娘を愛していると言う姿、使用人達へ感謝を伝える姿。
見れば見るほど噂と違った。
だからこそ苦しかった。
…自分達は何を見ていたのだろうと。
「旦那様」
マルカは静かに口を開く。
「使用人達も…最近は気付いております。奥様は噂のような方ではないと」
沈黙。
「皆、後悔しております。だからこそ、誰も言い出せなかったのです」
認めたくなかった。
自分達が間違っていたことを。
噂だけで人を判断したことを。
だから余計に苦しかった。
旦那様が困っていると思っていた。
大変な思いをさせられていると思っていた。
旦那様が可哀想だと思っていた。
何かしてあげれる事はないかと思っていた。
その結果がこれだ…。
皆が自分達の行いを振り返って絶望していたのだ。
「馬鹿だな」
アーノルドがぽつりと言った。
「本当に馬鹿だ…」
マルカは自分のことを言われたと思っていた。
だが次の言葉は違った。
「俺が、だ。」
マルカは勢いよく顔を上げる。
そこには今にも泣き出しそうな顔をしたアーノルドがいた。
視線は落とされ、小さく眼球が揺れている。
「俺も初めは噂だけで妻を見ていた…だから人のことは言えん。
その時にエリーへ言った言葉はお前達よりも酷い事を言った自覚もある。」
その言葉にマルカは目を見開いた。
そしてエリーは。
「じゃあもう、この話はここで一旦終わり!」
そう言ってお茶を飲んだ。
どこからだしたんだそのお茶は?
二人はそう思った。
勿論スカートの中に忍ばせてある収納袋からだ。
「ん?」
アーノルドが挙動不審になる。
「マルカが自発的に話にきた、ルドはそれを聞いて怒った、私は誤解が解け始めてる、二人も皆も反省しつつある…そうでしょう?
なら、そんな事が二度と起こらないようにこれからは報告、連絡、相談はきちんとしましょう!」
そう言って笑う奥様。
「あ、使用人達へ怒鳴り散らすとか鞭で打つとかはやめてね?私はそんな事を見たくない、リリーにも絶対見せたくない。
寧ろこの話をここでするのも、正直嫌だわ?
寝ていても聞いてる可能性がゼロじゃないもの。」
アーノルドとマルカは驚きに目を見開く。
そして気まずそうに互いが視線を彷徨かせた。
「だから、どういった風にこれらを処理していくのかは任せるけど、それは後で話してもらっても良いかしら?
せっかくルドが帰ってきたのよ?
皆で嬉しい、楽しい、幸せってなりたくない?」
その笑顔を見て、マルカは初めて、本当に少しだけ。
胸のつかえが軽くなった気がした。
「じゃあ、二人とも…部屋から出ていって貰えるかしら?」
エリーの笑顔がとても怖かった。
マルカは思った。
奥様が一番怒ったら怖いひとなんだと。
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