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恋は蜜だと誰がいった
しおりを挟む「気に入りましたか?」
「……これは、ミツが?」
「ええ、手慰みなんですけど……案外うまいもんでしょう?」
温かみのある木でできた店内は、様々な糸やボタンの取っ手が付いた引き出しで壁を彩っている。布地独特の香りはどこか懐かしくて、ホッとする。
ロクが見下ろす視線の先には、ミツがいた。ロクの脇の下にすっぽりと納まるくらいの小柄な体を転がして、ミツは狭い店内を我が城として実によく動き回る。
分け隔てない優しさは、ロクへも平等だ。渡したいものがある。そう言われて、会う約束をして今日が来た。
まさかこんな大柄な男が、この日を心待ちにしていたと言ったら笑うだろうか。
「……食べるのがもったいないな」
「そんな! 食べてもらわないと痛むだけです!」
「わかってる、ありがとう。持ち帰って、紅茶といっしょに頂くよ」
「え! い、いま食べないんですか!」
丸く大きなお目々をさらに見開いて、ミツは驚いた。珍しく食い下がるミツに、ロクは不思議そうに首を傾げる。
きっと、己を見上げるだけで随分と首を痛めるだろうに。ミツはほっぺを赤くしておろおろとしている。
榛色に閉じ込められている。見上げられているから当たり前なのに、ロクは少しだけそわりとした。
「……疲れた時に食べようとおもったんだが、何かあるのか?」
「あ、や、その……や、やっぱりやめておきましょう!! なにごとも焼きたてが一番ですからね!! さあロクさん! 作り直しますから寄越してください!!」
「わざわざ?」
「あ、あーー!! 駄目です懐にしまわないでっ!! ぼ、僕が届かないじゃないですかあ!!」
花の形に作られたクッキーを懐にしまえば、ミツはわかりやすく青褪めた顔で両手を伸ばす。ロクの周りをぴょんぴょんと跳ねる動きまでもが可愛らしい。思わず堪えるように眉間を抑える。
顔が緩んでしまわないようにするのも、ミツの前では随分な苦労だった。
「ミツ」
「ひゃい……」
「何を隠してる?」
「あわ、あわわ……」
わかりやすく狼狽える。そんな小柄な青年を、ロクはまっすぐに見つめた。
きゅ、と口を噤む。ミツが何かを隠している時の表情だ。丸い額からじわじわと汗が滲み始める様子が、可哀想で可愛い。
ロクが懐から、再びクッキーを取り出そうとしたときだった。
「やっほーーミツ!! 惚れ薬入りクッキーは目当ての雄に渡せたのかよーー!!」
「ぎゃあぁああ!!」
猫獣人のマチが店の扉を開け放つなり、ミツは随分と大きな声で悲鳴をあげた。
それは普段大人しいミツらしくないものだった。ロクはというと、そんな絶叫を前に懐からクッキーを取り出しかけた体勢のまま、動きを止めていた。
小さな手のひらで口を抑えたミツと、しまったと言わんばかりに絶句するマチの間。ロクは珍しくその顔にすこしの驚きを滲ませてミツを見下ろしている。聞き逃していなければ、何かとんでもないことを言っていた。コランダムの瞳がミツに向けられると、小柄な青年は今にも泣きそうな顔でロクを見上げた。
「き、きこえましたか」
「聞こえていない」
「嘘だ絶対に!! だって鬼族耳もいいじゃんんん!!」
「マチ、お前は余計なことをいうな」
「聞こえてるんじゃないですかぁ!!」
思わず食い気味に返した嘘の返事も、マチによって水の泡と帰した。
ミツの小さな手が、ぺちんとロクのお腹を叩く。こんなことをするのはミツくらいである。
鬼族で、カエレスの腹心であるロクを怖がるものは多いのだ。おそらくぶっきらぼうに思える受け答えと、種族がらの立派な体躯が原因だ。しかし店を経営しているミツは違った。誰にでも分け隔てない。接客業だからだろうが、その気軽さがロクは嬉しかったのだ。
それからというもの、ミツが気になって足繁く通ううちに仲良くなった。友達止まりよりも、もう一歩進んだ関係に行きたいと思っていたロクからすれば、マチのうっかり発言は渡りに船であった。しかし。
「そ、それただの味見ですからぁあーー!!」
顔を真っ赤にしたミツが、わあっと叫んだ。その瞬間、口にしようとしていた言葉も忘れるほどの衝撃が、ロクの背後に走った。
強いて言えば、落雷が背後に落ちたような具合である。
静まり返った室内。同じ空間を共有する中で、マチだけがわかりやすく顔を青ざめさせていた。肩で息をしているミツが、勢いのままに口にしたのかも知れない。きっと、普段冷静なロクならそんなことも思ったことだろう。
「ミツ! ミツこのばかっ!」
「う、え! あ、あえ、あれぇ!?」
ミツは、黙りこくるロクの目の前で、小さく跳ねるようにして狼狽えた。窘めるように振り下ろされたマチの手のひらを、ミツが頭で受け止める。
ロクはというと、懐から取り出したクッキーをそっとミツの手のひらの上に落とした。体温が映って、まだほのかに暖かい。ロクが受け取った時は小さいと思ったのに、ミツが持つとちょうどいい大きさだ。
菓子ひとつで、改めて種族の違いを示される。
「ろ、ろろ、ロクさん」
「すまない」
「えっ」
「また近々ここにくる。じゃあな」
そう言って、ロクはミツの頭をぽんと手をおいた。静かになってしまった店内をあとにすれば、ドアベルの可愛らしい音がカロンと鳴る。
扉の隙間から聞こえてきたのは、か細いミツの声であった。
(妙な期待をしてしまった。想い人に渡す贈り物の、味見だったとは)
ロクは心底己の表情筋肉が仕事をしないことに感謝をした。
自惚れていたわけじゃない。勝手にミツへ期待を抱いたのは、ロクの方なのだ。支えていたティティアがカエレスと正式に番いとなり、むつまじく暮らしている姿を日々目の当たりにして、羨ましいなと思ったのだ。
いつか、己の手で守れる存在ができればいい。そんな憧れの先にミツがいた。初めて抱いた感情に苦労しながら、少しずつ距離を縮めた。特別な存在とまでは行かなくても、名前を呼び合える仲になりたい。その夢が蜜によって叶えられたから、ロクは距離を見誤ったのだ。
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