狼王の贄神子様

だいきち

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 見たくもない光景というのはあるのだなと思った。モラリアの支配する空間は、蒸し暑い外界の気温を無視するかのようであった。平原が、まるで雪山に迷い込んだかのように灰色の世界だ。
 さわさわと青波が揺れていた美しい光景は、氷が地べたを突き刺すようにして荒れていた。
 ウメノの二対の瞳には、白銀のモノリスを前に立ちすくむかのような氷の彫像が立っていた。見事なまでに美しい造形はルスフスの形をしており、その顔は勇ましく吠えるかのようにして凍っている。
 
「あのこは、死んだの?」
 
 その体に腕を回すようにして、死鬼の女は言った。
 
「悪いね、素材として探してたんだよ。本当は、もっと弱いはずなのに。結構手強かった」
「そうなの……私の可愛い子が……」
「でも、ひとつ学びを得た。理性的な死鬼なら、魔物を隷属できるんだなって」
 
 モラリアは、ルスフスの攻撃で左の目を落としていた。しかし、その顔は氷と一体化するように美しく、半透明だ。
 厄介だな、とウメノは思った。ザントマンの魔力を体に受け入れたモラリアは、今はもう死鬼という枠には当てはまらない。死鬼はただでさえ、倒す手立てが狭まる厄介な魔物だというのに。
 
「ハイエルフの体を使うておるな。光属性魔法は効かぬだろう」
「それでいて、闇属性も死鬼が元なら耐性で御の字。属性を吸収されたら、僕の魔力が糧となる。下手こけないなあ、全く」
 
 ルスフスの毒霧が有効だとしたら、弱点は毒魔法しかないだろう。火炎も有効だろうが、氷とぶつけたときに水蒸気で視界が奪われれば大きな隙になる。雷もまたダメだ。純粋な氷は電気を通さない。このままでは陽が落ちれば魔素も充満するだろう。
 
「土属性、風属性でどこまでやれるかな。ザントマン」
「ワシの力を引き出すのなら、お前が主人になれウメノ。今のままでは詰みぞ」
「わかってるよ、だけど契約する時間はくれなさそうだ」

 モラリアは、ウメノへと見せつけるようにルスフスの体に腕を回した。白く、半透明な素肌に生える黒い唇が歪さを極めている。背中に添えた手は、微かに漏れ出るルスフスの魔力を吸収しているようだった。
 
「何ができるのかしら、坊やに。それとも私のお友達になってくれるというの」
「おいで、どまんじゅう」
 
 ウメノの声に反応を示すように、モラリアの足元は大きく動いた。ぐらついたルスフスの体が柔らかな土に受け止められたかと思うと、モラリアの背後から津波のように大量の土砂が姿を現した。それは意思を持つように瞬く間にモラリアの体を包み込むと、巨大な土の塊となって地べたに落ち着いた。
 
「なんじゃそれは!」
「土属性の妖精を活性化させるスペル」
「ウメノは妖精言語も得意じゃからのう」

 あっけにとられたユドの横で、ウメノだけは厳しい顔をしていた。どまんじゅうは、土属性の妖精が行う悪戯のようなものだ。御伽話にも出てくる一節を操ったのは、すぐに頭の中のイメージを伝えることができるから。読みためたウメノの知識のみで成り立つ術は有用だが、しかし持続性があるとは言えないのだ。
 
「今のうちに、ルスフス回収して。モラリアが皮膚接触で魔力を得るくらいだから、きっと生きてるはず」
「心得た」
 
 ウメノの言葉に、ユドとアモンが大慌てでルスフスの体を回収する。著名な作家が丹精込めて作り上げた彫像にも見える、変わりはてたルスフスを背後に回すと、ウメノは急かされるように結界を二重に張った。
 
「お戻りなさい」
「っ……反魂までしちゃうのかよ」
 
 モラリアの声が響いた瞬間、先ほど倒したはずのグランドマタンゴがどまんじゅうを突き破る。あの時ウメノが開けた風穴をそのままに、苦しげな声をあげて傘を振るわせる。討伐部位はもう、ウメノが回収している。となれば、どまんじゅうの土を肉に変換したゴーレムだろう。あのわずかな時間で、作り上げたというのか。
 光の波紋が、半円状に展開した結界を揺るがすように何度も広がる。生きていた時よりもよほど凶暴だ。ウメノは敵に押されるように足で地べたを削る。きっと、まだ死んでいないとお思っているけれど。ルスフスをこんなにした相手を前にしてやる手加減もないだろう。
 
「っ……アモン」
「なんだ」
「僕の魔力半分あげたらどれだけ動ける」
「三分間」
「ああ……その間になんとかする」
 
 ウメノの言葉に、アモンはネメスの向こう側で笑みを浮かべた。燃ゆる炎の髪が、薄青に変わる。褐色の肌がみるみるうちに白くなり、輝いていく。放熱は、ウメノの力を半分奪う形で突然はじまった。木菟を模したネメスが燃え落ちると、その顔が顕になる。
 炎の魔人であるアモンが、本来の姿である炎の悪魔アマルジンへと転化する。黒い瞳に赤い瞳孔を表す異形の悪魔は、獅子にも見える下肢を伸ばすようにして飛び立った。
 
「骨の髄まで溶かしてやろう」
「上位悪魔⁉︎」
 
 アモンはグランドマタンゴの傀儡を指の一戦だけで溶かすと、フクロウの翼を大きく羽ばたかせた。途端に、幾つもの陣がモラリアの目の前へと展開される。それらは怪しげな白い光を滲ませると、高熱の光線となって放たれた。
 モラリアの手が、再びどまんじゅうへと触れた。その瞬間、土から生まれたのは一体の亡者であった
 
「お行きなさい」
「ならば迎え火である」
 
 恐慌の状態異常を放ち、現れた亡者は狼に跨り、魔導士の衣装を纏っていた。なるほど、どうやらモラリアが縛る魂のかけらを宿したらしい。振り上げられたロッドの先から、勢いよく放たれた水魔法。しかし、アモンはギザ歯を見せつけるように悪魔じみた笑みを向けると、翼をはためかせて魔導士へと肉薄した。
 腐った肉を纏う魔導士は、汚れた外套の袖を翻すように手を突き出した。展開された聖属性結界。アモンは炎を遊ばせながら猛禽の頭へと顔を変えると、鋭い嘴を広げて結界に噛みついた。
 鉤爪が、陣へと爪を立てる。嘴を無茶苦茶に動かすようにしてバリバリと結界を喰らう姿は、悪魔以外の何者でもない。獅子の前足が、ぎりぎりと結界へと爪を立てる。侵入を阻止しようと力を込める魔導士の亡者の頭蓋に、びしりと罅が入った。
 
「殺せ‼︎」
「遊戯の邪魔をするな」
 
 背後から襲い掛かろうとしたのは、ミノタウロスの傀儡であった。振り上げられた斧を前に、アモンの尾が蛇のように姿を変えて喰らいつく。敵の体はアモンよりも大きいというのに、炎の前では無意味であった。
 
「愛い、愛いなあ‼︎ やはり弱きものは地べたへとふせっているのが似合っておる……っ‼︎」
「きなさい‼︎」
「良いぞ。好きなだけ相手をしてしんぜよう」
 
 蛇の尾が食いちぎったミノタウロスの首を勢いよく投げる。避けるためだろう。魔道士は狼の巨躯を操るように頭を飛び越えた。
 
「かかったな‼︎」
 
 アモンの背後では、ウメノが目を輝かせて待ち構えていた。手にしていたのは、薄水色の魔石にも似た何かだった。
 それを、勢いよく上空へと投げつけた。アモンをこえ、スローモーションでモラリアの頭上へと向かっていく。
 
「こい‼︎ ルスフス‼︎」
「あいつはあたしが……‼︎ っえ、」
 
 モラリアの目の前に飛び込んできたのは、魔石にも見える一つの目玉であった。水色のそれが鋭い光を放つ。噴き上げるようにどす黒い魔力が溢れ出ると、巨大な魔物が姿を現した。
 
「あぁああ⁉︎」
 
 それは、黒紫の鱗をあやしく輝かせる大蛇であった。龍のように長い肢体を踊らせながら、モラリアの体へと地面ごと噛みついた。鋭く湾曲した牙が、細い体を貫く。返しのついた歯に穿たれている。焼けるような熱がモラリアの核を脅かすと、ルスフスと呼ばれた大蛇は融解毒をモラリアへと浴びせた。



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