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御嶽山入り口にて

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「修学旅行?」
「…はい、」
「そう言ってお金が欲しいだけじゃないの。」
「中二であるんだよ母さん。俺も時もそうだっただろ。受験に集中できるようにってさ。」
「あらそうだったかしら。」
 
 義理兄の充希がフォローを入れてくれたのが救いだった。天嘉は、学校から配布されたプリントをかおりに差し出して、リビングの絨毯の上に正座していた。顔を上げるなと言われたため、自分の膝しか見ていない。頭上の親子のやりとりに耳を傾けながら、ただ行けたらいいなと淡い期待だけを抱いていた。
 
「出さないわよ、図々しい。自分のことは自分の金でどうにかしなさい。」
「天嘉はまだ中学だから、金は稼げないよ母さん。」
「売りでもすればいいでしょう。最近精通したじゃない。」
 
 クスクスと笑われて、顔から火が出そうだった。制服を握りしめる手に汗が滲む。口答えはしてはいけない。ここを追い出されたら、学校にも行けないのだ。
 天嘉は紙が投げられた音を聞きながら、やっぱりだめだよなと、なんとなく想定していたことをどこか冷静に受け止めていた。
 
「天嘉、」
 
 プリントを握りしめて、部屋に戻ろうとしたときだった。
 
「あとで部屋に来い。俺がなんとかしてやる。」
「え、」
 
 充希が、かおりが席を外した隙に声をかけてきたのだ。
 いつも口数が少ない義理兄がそんなことを言うものだから、天嘉は驚いた。なんでかと聞きたくても、かおりが戻って来る気配がして真意は聞けなかった。
 ドキドキした。みんなと一緒に行けるのかもしれないと言う小さな光明が、見えた気がしたからだ。
 
 寝る支度を済ませ、部屋に居なくてはいけない一時間前にメールで呼び出された。
 天嘉はそろそろと部屋から出て義理兄の部屋に向かうと、小さくノックをする。
 
「きたか、入りな。」
「うん。」
 
 かさりと音がして、赤いくるみ紙に包まれたチョコレートを渡された。こうしてもらえるお菓子は、少しずつ貯めてお腹が空いた時の足しにしている。天嘉は嬉しそうにそれを受け取ると、突然その細い腕を掴まれてベットへと投げられた。
 
「っ、へ」
「聞いた。精通したんだってなあ。おめでとう。あ、大きな声は出すなよ、母さんに見られたらことだからなあ。」
「っ…ん、に…」

 天嘉は訳が分からなかった。突然天井を見上げたかと思うと、大きな体が覆い被さってきたのだ。
 義理兄の充希は天嘉の目の前に金の入った茶封筒を見せつけると、まるで睦言を囁くかのように言う。
 
「ここに五万円入っている。これを天嘉にやる。だけど金を得るには対価が必要だ、そうだろう?」
「や、やだ」
「やだじゃない、これは正式な取引だよ。簡単なことだ。天嘉はただ、大人しくしていればいい。」
「ひ、や、やだぁ…」
 
 怖かった。訳が分からないまま着ている服に手をかけられる。襟元が緩いカットソーは充希から与えられたものであった。ゆるりと弄られるように手を弄り入れられれば、その異常さに天嘉の口から引き攣ったような声が漏れた。
 
 充希の手のひらはただ、優しく撫でてくるだけだった。それなのに素肌を他人の体温で撫でられると言うのはひどく気持ちの悪いものだった。
 汗ばんだ手が、布越しに性器を握りしめる。腰が引けて、そして何より急所を握りしめられることに恐怖を感じ、押し返そうとしたときだった。
ガタリと物音がして、充希は慌てて天嘉から身を離した。
 
「何をやっている!」
「父さん!」
「ひ、っく…」
 
 ほっとした。血相を変えた武臣が慌てて充希を引き剥がす。天嘉は武臣によって身なりを整えられると、腕を掴まれて部屋から引き摺り出されるようにして救出された。ドアの向こうで、充希が違うんだ!と叫んでいたが、もはやどうでもよかった。天嘉の手によって皺くちゃにされた茶封筒をそっと手から外させると、その中身を見て顔をこわばらせた。

 俯いて、嗚咽を堪えていた天嘉にはその表情は見えず、肩を抱くようにし連れてこられた自室で、武臣は振りかぶるようにして天嘉の頬を強かに打ちつけた。
 
「ひ…!!」
「何が不満だ!なんで…こんな金を…!」
「ち、ちが…」
「違わない、何も違わないだろう⁉︎」
「違うよぉ!あぁ…ッ!」
 
 胸ぐらを掴まれ、思い切り叩かれる。目の前の武臣が怒りに顔を染め上げる、その鬼のような表情が恐ろしく、天嘉は頬の引き攣るような痛みから自分を守るために顔を手で庇う。
なんで、怒っているの。そう聞きたくても口は開けない。また、殴られ口の中を切ってしまったら余計に惨めになるような気がしたのだ。
 ぐい、と言う遠心力が加わったかと思うと。まるで投げられるようにして床に転がされた。
 肩を打ち付け、身を丸めながら頭を手で隠すように縮こまると、その腰に跨るようにして武臣が乗り上げてくる。
 無理矢理顔の横で押さえつけられた手は小さく震え、その琥珀色の瞳に涙を溢れさせながら天嘉は見上げた。
 
 もう、嫌だった。こんなことになるのなら、修学旅行の話などしなければよかった。後悔してももう遅い。歯を食いしばるように睨みつけると、唾を撒き散らすようにして怒鳴られた。
 
「さすが売女の子供だなあ!金をせびるのに体を使うだなんて!かおりから聞いているぞ、天嘉。お前は俺の庇護下にいるのに、自立をしようとしているらしいなあ!誰のおかげでまともな飯が食えると思っている、俺が稼いでくるからだろうが!」
 
 喚き、手を振り上げ、恫喝するようにして武臣は己をぶつける。愛した姉の面影を宿す天嘉は、武臣にとっては自身の征服欲を満たすためだけの子であった。
 勝手に孕み、出て行った姉。自分の元で幸せになることを拒み、見知らぬ男の種を腹に宿したひどい女。
 
 武臣が見下ろす天嘉に、姉の面影が重なる。天嘉は恐ろしくて、その身を小刻みに震わせながら、その大きな手のひらが首を撫でるのに怯えた。
 嫌だ、死にたくない。
 
「天嘉、俺はお前を愛している。わかるな、これからは父さんを頼りなさい。男が欲しいなら、父さんが教えてやろう。かわいい天嘉、天嘉…ああ…」
 
 声が出なかった。遊ぶように首を撫でられ、寝巻きをむしるように脱がされる。微かに開いた扉から、充希が覗いていた。先ほどされたことよりも、もっと露骨なことを自身の父親が行なっていると言うのに、面白そうに口元に笑みを讃えながら見つめてくるのだ。
 天嘉は声を出さないまま、ただ怯えたまま唇が胸の頂を愛撫する気持ち悪さに耐えていた。
 ああ、居場所なんてない。帰りたい、帰りたいなあ。
 熱い舌が体を這い回る感触に吐き気を感じながら、天嘉はおとなしくしていた。おとなしくしたほうが、もう痛い思いはしなくていいと理解したからだ。
 
 
 
 
「っ、…」
 
 どれくらい眠っていたのだろう。ガタンと車体が大きく揺れて、バスが停車した。どうやら目的地についたようで、天嘉は狭い座席で無理に寝ていたせいか、寝違えてしまったような不快感を首に感じながら窓の外を見た。
 
 空は曇天が覆っており、雲の切れ間がない。このまま一雨来そうな具合に、ついてないなと小さくため息を吐いた。
なんだか嫌な汗をかいている。昔の夢だった。天嘉が高校卒業をして直ぐ、耐えきれなくなって逃げ出した。大学の進学費用を出してやると言われて叔父の執拗な執着に身をやつしてきたが、本当に不意に思い立って家を飛び出した、衝動といってもいい。もう全部馬鹿馬鹿しく感じてしまったのだ。
進学のためにバイトを始めて、少しずつ貯めていた貯金だけを持って逃げのだ。
若いってすばらしい。過去のことを振り返れる余裕ができるまで、自分は普通に戻ることができたのだ。
 
 バスを降りて、運転手に礼を言ってから歩き出す。あたり一面畑や田んぼが目立つ農村地帯だ。都会のように高い建物は見当たらず、電波塔のようなものが山に突き刺さるようにしてはえている。それが電波塔であっているのかは分からないが、少なくとも天嘉にはそう見えた。
 夢見が悪かったせいか、なんだかあまり気分がよろしくない。ボディバックを弄り取り出したスマートフォンを見ると、時刻は早朝といってもいい。そんな時間帯だった。田んぼの間の道を、スーツケースを転がしながら進む。朝早くから農業に勤しむ住民に道を聞きながら辿り着いたのは、山のホテルに続く入り口だった。
 
 黒緑と言っていいのだろうか、朝方だと言うのに、そんな色をした茂る木々が伸びやかに道に沿うように連なる。田舎育ちではあるが、御嶽山というらしい、この山の入り口は酷く薄暗く、そして両脇を深い森で挟まれるようにして伸びる道路は、先が細くて終わりが見えない。この奥にあるという住み込みバイトの募集先を前にして、天嘉は早くも心が折れそうになっていた。
 
 
 
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