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第二章 波乱の七日間
三日前⑭
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「待ちなさい!!」
カトリーナの叫び声が荒野に響いた。
当然、アンシェラにも聞こえているはずだが、止まる気配はない。
カトリーナは意地でも追いついてやるとばかりにスカートをたくし上げて走る。
すると、だんだんとアンシェラとの距離が縮まり、あと一歩で追いつくところまで迫った。
「でやっ!!」
なりふり構わず飛び掛かったカトリーナは、アンシェラ共々地面に転がり、土埃と泥にまみれた。
それでも逃げようとするアンシェラに覆いかぶさると、カトリーナは白い頬めがけて右手をおもいっきり振りきった。
乾いた音が響く。
みるみるうちに頬が赤くそまったアンシェラは、その痛みをもろもとせずカトリーナを睨みつけた。
「何するのよ!」
「それはこっちの台詞でしょ!? どういうつもりなのよ! サーフェをたきつけて暗殺を企てたり、エリオットを使ってラフォン家を陥れようとしたり、それで今度は戦争ですって!? 一体何がしたいのよ、アンシェラ!」
カトリーナが叫び終わるのと同時にアンシェラがカトリーナを蹴り上げた。
倒れ込んだカトリーナに、今度はアンシェラが馬乗りになる。
そして、カトリーナの胸倉をつかんで力いっぱい締め上げた。
「どういうつもりですって? そんなの決まってるじゃない……さっき言ったこと聞いてなかったの? あんたが憎いの。全部あんたが悪いの。だから、あんたが不幸になれば全部解決するじゃない。全部かぶって、それで死ねばいい。そしたら、私だって全部やめるわ。好きで戦争なんて起こしたくないもの」
「ぐぅ……うっ――」
「なんなのよ……こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのよ! だから、もう死んで、カトリーナ。私のために、死んでよ」
アンシェラはそのままカトリーナに体重をかけていく。
首元が締まり、息が苦しくなるカトリーナの脳裏に過ったのは、過去の自分とアンシェラの姿。
二人は、仲睦まじく笑いあう。そんな幼い時の記憶が蘇ってきた。
あの時は楽しかった。
自分もアンシェラも穏やかな家庭にいて、のびのびと遊ぶことができた。
それなのに。
今はどうしてこうなってしまったのか。
自分が間違ってしまったのか。
それともこれが運命なのか。答えがでないまま、カトリーナの瞳からは涙が溢れた。
けれど、彼女は後悔はしない。
いつだってカトリーナは目の前の困難に向き合ってきた。妥協することもあったけれど、嫌なことや変えたいことは自分が動かないと誰もどうにかしてはくれないのだ。
だから。
今も、カトリーナは必死で抗っていた。
すべてをバルトに任せることもできた。
しかし、それだけではだめなこともあると思ったのだ。
今だって、本当は怖くて逃げだしたい。男達に囲まれた恐怖は拭えていない。
けれど、ここでアンシェラを逃したら多くの人の命が犠牲になるかもしれない。それは、きっと彼女が好きなバルトも望んでいないだろう。
言いがかりとはいえ、自分が原因で引き起こされた事件を、人任せにするのも癪だった。
今、彼女は意地とバルトへの想いに突き動かされていたのだ。
恐怖さえも押しのけて。
けれど、カトリーナの首元はアンシェラに締め上げられていた。
息もか細く、どんどんと意識が遠くなっていく。
(……バルト様)
愛する人を呼んでもここにはいない。
けれど、やはり最後に縋りたくなるのは婚約者である彼だ。
「……バ……ルト」
かろうじて漏れ出た音で彼の名を呼ぶ。
薄れていく視界では、アンシェラが鬼の形相をしていた。
(ああ、もう、ダメかな)
そんな言葉が脳裏に過る。
そして、抗う力を抜こうとしたその瞬間――。
「カトリーナ!!」
聞こえるはずのない声が耳に響いた。
それが誰か確かめる術がないカトリーナだったが、確信をもてる。
何度も聞いた彼の声を、彼女が間違えるはずがなかった。
――来てくれた。
それを自覚できた時、カトリーナに力が戻る。
黒獅子である彼に不甲斐ない姿は見せられない。彼の隣に立つ女として、寄りかかるだけではない、自分の足で立つことができる女でいなければ。
そんなことを考えたのかは定かではないが、カトリーナは取り戻した力でアンシェラを足蹴にし、その拘束から逃れた。
急速に入り込んでくる空気にむせ込みながら、咄嗟に近くに落としてしまっていた棒を掴んだ。
「カトリーナ! 待っていろ! すぐに行く!!」
声のほうを一瞥すると、まだバルトは大分小さく見えた。
カトリーナは、すぐにアンシェラに視線を戻し憎悪を込めて睨みつけた。アンシェラは、棒という武器を持っているカトリーナから距離を取ろうと後退っていた。
「アンシェラ……あなたの苦しみはわかったわ……一人きりになって心細くて、どうしていいかわからなかったのよね。私だってきっと一人になってしまったらそうなると思う。けどね……そんな気持ちも思いも、あなたの行動も全部、すべて、何もかも――」
――くだらない。
カトリーナのその言葉に、アンシェラは何か言おうと口を開くが、それを彼女は許さなかった。
「あんたのその気持ち。わかる。だけど、あなたは一人じゃなかった。それだけは言えるわ」
「嘘! 嘘よ! 私はあんたに見捨てられて一人だったわ!」
カトリーナは小さく首を振った。
「そんなことない。私はずっと友達だと思ってた。ご両親だっているでしょう? 家に仕えてくれている使用人にもあなたのことを慕っている人はいるはずよ。あなたはとても優しかったから。そんなあなたが私は大好きだった」
「でも、婚約したから私は一人になったのよ!」
「そうね。だけど、それがどうしてあなたを見捨てることになるの? あなたは勝手に捨てられたと思って、勝手に一人でいじけて、勝手にしてはならないことをしたの。それは、あなたが怠惰であったから……自分の想いを誰かに伝えようとする努力を放棄したから。手を伸ばせばきっと届いたのに、それさえもしなかったのは全部あなたの責任。わかる? あなたは自分ですべてを手放したのよ。家族も友人も、貴族としての信頼も、穏やかな生活も、何もかも……」
アンシェラは悔しそうに唇を噛みしめている。
いまだに、憎しみの視線はカトリーナに突き刺さったままだが、それにかまわず話し続けた。
「見て? 今ここにある現状があなたの選んだ現実よ。すべてを失って、あんな下品な連中と犯罪にまで手を出して。今はこうして荒野に一人きり。バルト様も来たから逃げることはできないわ。どう? これで満足? これがあなたのしたかったこと?」
「……うるさい」
すっとうつむいたアンシェラは小さく呟いた。
そして、次の瞬間には再び声を荒らげた。
「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ!! あんたなんかに言われなくても分かってるわよ! でももう引くに引けないところに来てるわ! なら突き進むしかないじゃない!」
そういうと、アンシェラは胸元のペンダントをちぎり取り、それをカトリーナに向けた。
「こうなったらあんたも道連れよ! 自分だけ幸せになるなんて許さないんだから!」
彼女が持っていたペンダントから突然炎があふれ出した。
その炎は人の背丈ほどに膨れ上がり、そのままカトリーナを包み込んでいく。
「死ね! 死ねええぇぇぇぇ!!」
歪んだ笑みをさらに引きつらせて笑うアンシェラ。
だが、次の瞬間にはその表情を凍らせる。
なぜなら――。
――カトリーナが炎を突き破って彼女の前に降り立ったからだ。
きっと、所々火傷をしているのだろう。髪の毛も焦げてしまっている。
だが、カトリーナの瞳は輝いており、その光を失ってはいない。そのまま手に持っていた棒を振りかぶると、哀しそうな声で叫んだ。
「どうしてわからないのよ、この馬鹿ぁ!!!!」
振り下ろした棒はアンシェラの脳天に突き刺さり、そのまま地面へと倒れ込んだ。
そして、すべてを振り絞ったカトリーナも、急に力が入らなくなり膝から崩れ落ちた。が、地面に倒れる前に、暖かい何かがカトリーナを包み込んだ。
辛うじて目を開けると、そこには顔を歪めているバルトがいた。
「無茶しすぎだ……」
優しくも少しだけ自分への非難を含んでいる声を聞いたカトリーナは、顔に滴る温もりを感じながらそっと意識を手放したのだった。
カトリーナの叫び声が荒野に響いた。
当然、アンシェラにも聞こえているはずだが、止まる気配はない。
カトリーナは意地でも追いついてやるとばかりにスカートをたくし上げて走る。
すると、だんだんとアンシェラとの距離が縮まり、あと一歩で追いつくところまで迫った。
「でやっ!!」
なりふり構わず飛び掛かったカトリーナは、アンシェラ共々地面に転がり、土埃と泥にまみれた。
それでも逃げようとするアンシェラに覆いかぶさると、カトリーナは白い頬めがけて右手をおもいっきり振りきった。
乾いた音が響く。
みるみるうちに頬が赤くそまったアンシェラは、その痛みをもろもとせずカトリーナを睨みつけた。
「何するのよ!」
「それはこっちの台詞でしょ!? どういうつもりなのよ! サーフェをたきつけて暗殺を企てたり、エリオットを使ってラフォン家を陥れようとしたり、それで今度は戦争ですって!? 一体何がしたいのよ、アンシェラ!」
カトリーナが叫び終わるのと同時にアンシェラがカトリーナを蹴り上げた。
倒れ込んだカトリーナに、今度はアンシェラが馬乗りになる。
そして、カトリーナの胸倉をつかんで力いっぱい締め上げた。
「どういうつもりですって? そんなの決まってるじゃない……さっき言ったこと聞いてなかったの? あんたが憎いの。全部あんたが悪いの。だから、あんたが不幸になれば全部解決するじゃない。全部かぶって、それで死ねばいい。そしたら、私だって全部やめるわ。好きで戦争なんて起こしたくないもの」
「ぐぅ……うっ――」
「なんなのよ……こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったのよ! だから、もう死んで、カトリーナ。私のために、死んでよ」
アンシェラはそのままカトリーナに体重をかけていく。
首元が締まり、息が苦しくなるカトリーナの脳裏に過ったのは、過去の自分とアンシェラの姿。
二人は、仲睦まじく笑いあう。そんな幼い時の記憶が蘇ってきた。
あの時は楽しかった。
自分もアンシェラも穏やかな家庭にいて、のびのびと遊ぶことができた。
それなのに。
今はどうしてこうなってしまったのか。
自分が間違ってしまったのか。
それともこれが運命なのか。答えがでないまま、カトリーナの瞳からは涙が溢れた。
けれど、彼女は後悔はしない。
いつだってカトリーナは目の前の困難に向き合ってきた。妥協することもあったけれど、嫌なことや変えたいことは自分が動かないと誰もどうにかしてはくれないのだ。
だから。
今も、カトリーナは必死で抗っていた。
すべてをバルトに任せることもできた。
しかし、それだけではだめなこともあると思ったのだ。
今だって、本当は怖くて逃げだしたい。男達に囲まれた恐怖は拭えていない。
けれど、ここでアンシェラを逃したら多くの人の命が犠牲になるかもしれない。それは、きっと彼女が好きなバルトも望んでいないだろう。
言いがかりとはいえ、自分が原因で引き起こされた事件を、人任せにするのも癪だった。
今、彼女は意地とバルトへの想いに突き動かされていたのだ。
恐怖さえも押しのけて。
けれど、カトリーナの首元はアンシェラに締め上げられていた。
息もか細く、どんどんと意識が遠くなっていく。
(……バルト様)
愛する人を呼んでもここにはいない。
けれど、やはり最後に縋りたくなるのは婚約者である彼だ。
「……バ……ルト」
かろうじて漏れ出た音で彼の名を呼ぶ。
薄れていく視界では、アンシェラが鬼の形相をしていた。
(ああ、もう、ダメかな)
そんな言葉が脳裏に過る。
そして、抗う力を抜こうとしたその瞬間――。
「カトリーナ!!」
聞こえるはずのない声が耳に響いた。
それが誰か確かめる術がないカトリーナだったが、確信をもてる。
何度も聞いた彼の声を、彼女が間違えるはずがなかった。
――来てくれた。
それを自覚できた時、カトリーナに力が戻る。
黒獅子である彼に不甲斐ない姿は見せられない。彼の隣に立つ女として、寄りかかるだけではない、自分の足で立つことができる女でいなければ。
そんなことを考えたのかは定かではないが、カトリーナは取り戻した力でアンシェラを足蹴にし、その拘束から逃れた。
急速に入り込んでくる空気にむせ込みながら、咄嗟に近くに落としてしまっていた棒を掴んだ。
「カトリーナ! 待っていろ! すぐに行く!!」
声のほうを一瞥すると、まだバルトは大分小さく見えた。
カトリーナは、すぐにアンシェラに視線を戻し憎悪を込めて睨みつけた。アンシェラは、棒という武器を持っているカトリーナから距離を取ろうと後退っていた。
「アンシェラ……あなたの苦しみはわかったわ……一人きりになって心細くて、どうしていいかわからなかったのよね。私だってきっと一人になってしまったらそうなると思う。けどね……そんな気持ちも思いも、あなたの行動も全部、すべて、何もかも――」
――くだらない。
カトリーナのその言葉に、アンシェラは何か言おうと口を開くが、それを彼女は許さなかった。
「あんたのその気持ち。わかる。だけど、あなたは一人じゃなかった。それだけは言えるわ」
「嘘! 嘘よ! 私はあんたに見捨てられて一人だったわ!」
カトリーナは小さく首を振った。
「そんなことない。私はずっと友達だと思ってた。ご両親だっているでしょう? 家に仕えてくれている使用人にもあなたのことを慕っている人はいるはずよ。あなたはとても優しかったから。そんなあなたが私は大好きだった」
「でも、婚約したから私は一人になったのよ!」
「そうね。だけど、それがどうしてあなたを見捨てることになるの? あなたは勝手に捨てられたと思って、勝手に一人でいじけて、勝手にしてはならないことをしたの。それは、あなたが怠惰であったから……自分の想いを誰かに伝えようとする努力を放棄したから。手を伸ばせばきっと届いたのに、それさえもしなかったのは全部あなたの責任。わかる? あなたは自分ですべてを手放したのよ。家族も友人も、貴族としての信頼も、穏やかな生活も、何もかも……」
アンシェラは悔しそうに唇を噛みしめている。
いまだに、憎しみの視線はカトリーナに突き刺さったままだが、それにかまわず話し続けた。
「見て? 今ここにある現状があなたの選んだ現実よ。すべてを失って、あんな下品な連中と犯罪にまで手を出して。今はこうして荒野に一人きり。バルト様も来たから逃げることはできないわ。どう? これで満足? これがあなたのしたかったこと?」
「……うるさい」
すっとうつむいたアンシェラは小さく呟いた。
そして、次の瞬間には再び声を荒らげた。
「うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ!! あんたなんかに言われなくても分かってるわよ! でももう引くに引けないところに来てるわ! なら突き進むしかないじゃない!」
そういうと、アンシェラは胸元のペンダントをちぎり取り、それをカトリーナに向けた。
「こうなったらあんたも道連れよ! 自分だけ幸せになるなんて許さないんだから!」
彼女が持っていたペンダントから突然炎があふれ出した。
その炎は人の背丈ほどに膨れ上がり、そのままカトリーナを包み込んでいく。
「死ね! 死ねええぇぇぇぇ!!」
歪んだ笑みをさらに引きつらせて笑うアンシェラ。
だが、次の瞬間にはその表情を凍らせる。
なぜなら――。
――カトリーナが炎を突き破って彼女の前に降り立ったからだ。
きっと、所々火傷をしているのだろう。髪の毛も焦げてしまっている。
だが、カトリーナの瞳は輝いており、その光を失ってはいない。そのまま手に持っていた棒を振りかぶると、哀しそうな声で叫んだ。
「どうしてわからないのよ、この馬鹿ぁ!!!!」
振り下ろした棒はアンシェラの脳天に突き刺さり、そのまま地面へと倒れ込んだ。
そして、すべてを振り絞ったカトリーナも、急に力が入らなくなり膝から崩れ落ちた。が、地面に倒れる前に、暖かい何かがカトリーナを包み込んだ。
辛うじて目を開けると、そこには顔を歪めているバルトがいた。
「無茶しすぎだ……」
優しくも少しだけ自分への非難を含んでいる声を聞いたカトリーナは、顔に滴る温もりを感じながらそっと意識を手放したのだった。
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