心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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タセル国にて

18 子猫のような

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 夕食は和やかなまま終了した。家に戻る前にマリア様に呼び止められた。

「明日レティシア様のお屋敷に一緒に行って欲しいの」
「喜んで」

 レティシア様にはタセル国に着いてからお会いしていない。そもそも身分の高いお方だから気楽にお会いできるわけがない。それでも私にとっては命の恩人とも言えるお方だから、お会いできることは嬉しかった。

 レティシア様にはどんな柄がお似合いだろうか。私は刺繍のことを考えていた。やはりバラの花がいいだろうか。それとも動物の方がいいだろうか。考えているとワクワクしてしまう。こんなふうに刺繍を刺すのが楽しみだったことはなかった。今までは無理矢理にしなくてはいけないことだったからだ。

 薄暗い灯りの中で夜通し針を刺したことを思い出す。やらなければどんな目に遭うかわからない。やりたかったわけではなかった。やりたいと思ったこともなかった。

 それでも刺繍を習得したことはありがたいことだと思う。あの時はイヤイヤしていたことだが、今はエリオット様やクララ様も差し上げると喜んでくれていることがわかる。そう思うと、嫌でもできるようになって良かったと思う。
 
 翌日、午前中のクララ様との勉強を短めに済ませると、マリア様が迎えに来られた。クララ様は全て聞いていたようだ。ランチはレティシア様と一緒に取るとのことなので、私はマリア様と馬車に乗った。クララ様に手を振られ、馬車が動き出す。てっきり一緒に行けると思っていた私は少し不安になった。でもマリア様が目の前で微笑んでくださったので、そのまま微笑み返した。

「実はね、レティシア様は少しお加減がすぐれないようなの」

 最初はレティシア様が私を引き取るつもりだったそうだ。しかし体調があまり良くないため断念し、私はエリオット様に引き取られることになった。マリア様とライニール様は実は最初からそのつもりだったそうだ。

「お加減が悪いって・・・」

 そんな様子は感じなかった。私が覚えているレティシア様はいつも気品に溢れていた。いつも背筋を伸ばし、体調が悪いとは感じたことがなかったのだ。

「国を出る前からあまりいい状態ではなかったようなの。そのこともあって早くタセルに向かいたかったのよ。医療はこちらの国の方が進んでいるから」

 タセル国に着き医者に診てもらったおかげでレティシア様の体調は安定したとのこと。やはりタセル国の医療は優れているようだ。そしてレティシア様は私に会いたがっているそうだ。そのことを聞いて嬉しくなる。私もお会いしたかった。

「レティシア様にもお持ちしたんです」

 私は昨夜急遽作った刺繍をマリア様にお見せした。バラの花を猫が咥えている図柄にしてみた。レティシア様は猫のようなイメージがあったからだ。それにバラの花。勝手なイメージではあるが、レティシア様に喜んでもらいたい。

「まぁ」

 マリア様が目を丸くして刺繍を眺めている。

「素晴らしいわ」

 褒めてもらえて私は素直に喜んでいた。でもレティシア様に喜んでもらえるだろうか。不安な気持ちになりながら、馬車はレティシア様の待つお屋敷に着いた。

 レティシア様のお屋敷は王宮ではないかと思うくらいに豪華な作りだった。あまりのことに圧倒されてしまって、私は緊張のあまり歩き方を忘れそうになった。しかしマリア様は何も気にせず、ニコニコ笑いながら歩いている。

「よく来てくれたわね」

 ものすごく長い廊下を歩いた先の部屋で、レティシア様が椅子に座られていた。この椅子もものすごく高価な物なのだろうなと思ったが、そんなことを考える自分が嫌になった。

「元気そうね」

 私に向かってそんな優しい声をかけてくださるレティシア様。少し顔色が青白く見えるが、それほど体調が悪いように見えない。一時的に具合が悪かっただけなのだろうか。

「少し体調が優れなかっただけなのよ。今は大丈夫」

 レティシア様はそう言って笑った。

「ずっと緊張されていたのですわ。故郷に帰られたのですからゆっくりお過ごしくださいませ」
「そうね」

 レティシア様はタセル国では王族に継ぐ高貴な身分の方だった。しかし他国の侯爵家に嫁ぐことになってしまった。言葉も文化も違い、相当な苦労をされたのだろう。長年の疲れが一気に出たのかもしれない。
 
「ドナは勉強を頑張っているそうね。マリアに聞いているわ」

 マリア様から私の近況報告もされているようだ。気にかけてくださっていることに私は嬉しかった。私は聞かれるままに読んだ本のことや生活について話した。レティシア様は私の会話を嬉しそうに聞いてくださった。

「ドナ、レティシア様に差し上げる物があるのでしょう?」

 話が途切れたタイミングでマリア様に促され、私はハンカチを取り出した。

「まぁ、ハンカチ?」

 レティシア様の目が大きく見開かれ、一瞬の間の後に涙がこぼれ落ちた。突然のことに私は驚いて声が出なかった。何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか。不安になってマリア様を見る。マリア様はレティシア様の側に行くと両手でレティシア様の手を包むように握っている。

「こんな素敵な・・・」

 何か言おうとするレティシア様を優しく見守るマリア様。しばらくしてレティシア様が真っ赤な目のまま私に話してくださった。

「夫と私には本当はそれぞれ別に婚約者がいたの。でも政治的な思惑で結婚しなくてはいけなくなった。たとえ愛情がなくても仲の良いふりをしなくてはいけなかった。そうしなければ国の問題になってしまう。夫はいつも私に気を遣っていたし、外国人の私も気を抜くことはできなかった。夫は何かあればバラの花をくれたの」

 レティシア様は微笑んでいた。そのお顔がとても美しくて、私は思わず息を飲んだ。

「夫は私のことを時々ミネットって呼んだわ。2人きりの時だけよ。夫が昔庭にいた子猫につけた名前なんですって。私のことを猫とでも思っていたのね」

 レティシア様はそう言って笑った。人間の女性として扱ってくれなかったの、よそから来た野良猫とでも思って諦めたのね、と自嘲気味に笑ったけど、可愛い子猫と思っていたのだろうなと思った。そしてそんな関係を羨ましいと思ったのだった。
 

 
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