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第10話 衝突
しおりを挟む「間、お前も見ていたはずだ。俺が触診で、右下腹部に圧痛がないことを確認しているのを」
確かに栄一郎も見ていた。
山本は右下腹部に圧痛がないことをかなり入念に確認していた。
つまり、栄一郎が虫垂炎にたどり着くより遥かに早い段階で、虫垂炎を想定し、除外診断を図っていたのだ。
「間。俺はこれでも消化器外科を10年やってる。虫垂炎の診断が容易じゃないことくらい、俺もよく理解している。CTを撮っても初期だと画像所見がはっきりしないこともざらだ。俺自身が危うく見逃しかけた症例も、片手で数えるほどだがある。もし、本当に見逃して、万が一患者が死んだりしたら、もう消化器外科は名乗れない。それくらいの覚悟を持って毎日診療して、もう10年だ。そんなところにだ。医者になって1ヶ月の新米に、にわか仕込みの知識で知ったような口をきかれると、まじで神経にくるんだよ」
一通り言いたいことを言い尽くしたのか、山本医師は声を落ち着け、再び笑みを顔に貼り付ける。
「しかしだ。お前の言う通り、虫垂炎の可能性も0じゃない。そこでだ。もし一条さんの同意が得られるのならば、お前の提案通り、腹部CTを撮ろうじゃないか。ただし、もし、お前の診断がはずれたら、このあと2ヶ月のウチの研修期間、俺はお前を特別待遇で教育してやろう」
山本医師は笑顔だが、目は笑っていなかった。
まずい……
栄一郎は焦る。
どんな目に遭わされてもいいが、俺の発言権がなくなるのはまずい。
もしCTで診断がつかなければ、一条の死の原因が不明のままになる。
その上、この騒動で俺の発言権がなくなれば、そのあと一条の死を阻止するためにほとんど何もできなくなる。
どうする?
謝って、頼み込んで、無条件でCTを撮ってもらうか?
いや、この流れで山本先生がそんなことを許してくれそうもない。
虫垂炎があることにかけるか?
いや、でも……
「あの、同意じゃなくて、希望します」
栄一郎がぐるぐると逡巡しているところに、意外なところから声が上がった。
沙耶香であった。
これには山本医師も目を丸くする。
「だって、間って、医者になったっていっても、まだ1ヶ月なんでしょ。だったら、間の意見なんてあってないようなもんじゃないですか。だけど、この痛いのはやっぱり心配だからCTは撮って欲しいんです。だから、間の意見は無視した上で、私は私の意思でCT撮影を希望します」
沙耶香のあまりの物言いに、栄一郎は、味方に後ろから撃たれたような気分になったが、すぐに沙耶香の意図を理解した。
山本も、やられた、という顔をしている。
つまり、栄一郎のこれまでの発言はないものとして、患者自身がCT撮影を希望しているということになってしまったのだ。
「はあ、間先生。放射線科に電話してCTの準備を」
山本は沙耶香に完全に意気をくじかれ、すっかり元の調子に戻ってしまった。
「向こうの準備ができたら、一条さんをご案内してください」
そう言って、山本はぽんぽんと栄一郎の肩を叩いて、どこかへ消えてしまった。
山本がいなくなったあと、栄一郎は小声で、感謝を述べた。
「えと、ありがとう。助けてくれて……」
助けるつもりだった沙耶香に逆に助けられてしまった。
栄一郎はその場から逃げ出してしまいたかった。
「なに言ってるの。感謝するのはこっちの方だよ。なんか理由はよくわかんないけど、間、私のために必死になってくれてたんでしょ。ふつうに嬉しかった。ありがと。と、いたたたた……」
沙耶香は感謝の言葉を述べたあと、思い出したようにまた腹部を痛がり始めた。
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