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第18話
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「寧々を送ってきましたわ」
朝倉の付き添いから今宮が帰ってきた。
試合が終わってからの朝倉は見ているのも辛い状態で、見かねた今宮が帰るのを促したのである。一応義理を果たそうと、朝倉自身は残ると言い張っていたが、最終的には今宮の提案を受け入れることとなった。
たぶん、押し返すだけもう余力が残っていなかったんだろう。
いつもなら負けたら負けたでガキみたいに悔しがる癖に、今日はずっと黙ってたからな。
「……あいつ、なんか俺に言ってなかったか」
「別に何も……ただ来てくれてありがとうとだけ言っていましたわ。もっとも迎えに来てくださった寧々のおじいさまは少しご立腹なされているようでしたけど」
「そうかよ……じっちゃんらしいぜ」
孫思いのじっちゃんのことだ。
その様子は目に浮かぶ。
きっと次会ったら殺されちまうだろう。
それとも既に俺のことは見限っているだろうか。
「ふぅ」
――まずい。
少し感傷的になってたな。
蓄積した負の感情を吐息と共に吐き出すと、いきなり今宮に肩を小突かれた。
「……越谷さん、勘違いが過ぎますわよ。あなた如きが寧々に与える影響なんて微々たるもの。寧々はただ調子が悪かった……それだけですわ」
「…………別に俺だってそこまで思い上がっちゃいねーよ」
……まあ、正直に言えばかなり責任を感じていた。
しかしさすがに今宮に説教された手前、本音を言うのは躊躇われた。
それに先輩が強かったのは事実だしな。
「なら結構。ちゃんとわきまえているなら十分ですわ」
今宮は俺の言葉に満足げに頷くと、ウォーミングアップを開始した。
入念にストレッチをした後、シャドーで動作の確認をしている。
「今宮の奴すげー集中してんだな」
「……そうだといいんだが」
「なんか不安でもあんのかよ、泉岳寺?」
「いや華怜が勝つに決まってる……ただ今日の華怜は少し熱くなりすぎだ」
「へえ。今んとこそうには見えねえけどな」
俺からすれば今宮は恐ろしいくらいにいつも通りだ。
朝倉にあんなことがあった後とは思えない。
これが幼馴染にしかわからない違いってやつか。
「…………ともかく俺らは華怜を応援するのみだ」
「わーかってるよ」
朝倉のためにも今宮には勝ってもらわないとな。
俺もやれることはやるつもりだ。
「だいたいこんなものですわね」
今宮がウォーミングアップが終わって戻ってきた。
泉岳寺に渡されたスポーツドリンクを飲んで体を落ちつかせている。
それからしばらく3人で駄弁っていると、別行動していた京介が戻ってきた。
「廉太郎! 早瀬さんのカバンどれか知らない?」
「一番右の奴。なんかあったのか?」
「それが体調崩しちゃったみたいでさ。僕、早瀬さんを最寄り駅まで送っていくよ」
……あー早瀬もか。
朝会った時から辛そうだったもんな。
本人いわく混雑にやられてしまったとか。
それでも朝倉たちのためにこの時間まで頑張って耐えていたのだろう。
「そっか、京介がいるなら安心だな。お大事にって伝えといてくれ」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん。ありがとね廉太郎」
……京介の方が大概だろ。
そうは思ったが緊急時だけに自重しておく。
すると俺の横から今宮が京介を呼び止める。
「お持ちなさい。これを持っていくといいですわよ」
「えー! これ今宮さんの分のスポドリじゃ」
「まだ開けてない予備ですから平気ですわ。ありがたく受け取りなさいな」
「うん、わかった。二人ともありがとう!」
爽やかな笑みと共に京介は去っていく。
今宮は京介を見届けると立ち上がって言った。
「それじゃあ。行ってきますわ。二人はここでのんびりと見ていてくださいまし」
「華怜、応援はいいのか?」
「別に平気ですわ。少し一人で打ちたい気分なんですの」
「わかった。ここで待ってるよ」
泉岳寺はあっさりと今宮を一人で行かせることを認めた。
ただやはり何か気がかりなことがあるようで、
「でも余計なことはするなよ?」
「…………ええ」
否定も肯定もしないまま、今宮は階段を下っていった。
こちらからは今宮の表情はよく見えない。
たぶん見えた所で今宮が何を考えているのかなんて俺にはわかんねえ。
だから「がんばれよ」なんてありきたりな言葉しか伝えられなかったが、今宮は振り返らないまま手を上げて答えてくれた。
コートに入ると今宮はまっすぐ対戦相手である新波先輩の下へ向かう。
至近距離で向き合う二人だが会話はない。
やがてラケット交換を済ませた所で、ようやく新波先輩が口を開いた。
「…………よろしくね今宮華怜」
「ええ、よろしくですわ。ええと…………なんでしたっけ?」
「新波涼香よ。何度も対戦しているのだからいい加減覚えなさい」
「あら、ごめんなさい。あまりにも印象が薄くてすっかり忘れていましたわ」
…………怖えよ。
なんだよこの会話。
まるで修羅場。
いや普通に修羅場か。
空気が重苦しくて見てるだけで吐きそうだ。
「あなたね、年上への態度がなってないわよ」
「年上だったとは知りませんでしたわ。これまた失礼しました」
「…………いい度胸ね。後悔させてあげる」
「やれるものならやってみなさいな。それより始めますわよ」
舌戦は今宮が終始優勢だったが、決着をつけるべく二人はラケットを構えた。
「ラブオール」
初球からサーブで鋭く攻める今宮。
ロングサーブからの打ち合いが十八番である彼女にしては珍しく短いサーブばかりだ。おそらく新波先輩を警戒してのことなのだが、
「順横フォア手前っ!」
「…………」
「下回転ミドルっ!」
「…………」
新波先輩は今宮のサーブを悉くチキータや台上ドライブで強打し、今宮にペースを握らせない。何とか今宮がドライブに持ち込んでも既にコースは読まれていて、パワーすら封じられている。
「今宮華怜っ! さっきの威勢はどうしたの? 手も足も出ていないじゃない?」
「…………」
新波先輩に調子よく煽られているというのに今宮は黙ったままだ。
「なあ泉岳寺。このままじゃやべーぞ」
「…………おかしい。こんなはずじゃない。華怜が1セット失っただと?」
「そうだよな。俺だって信じられねーぜ」
「違う。そういう意味じゃない。華怜があれくらいの球を打ち返せないはずがないんだ」
あれくらい?
いや先輩の打球は十分すぎるくらい良かっただろ。
だが泉岳寺が自分に都合の良い方向に現実逃避するタイプだとは思えねえ。
「いや待て…………まさかっ!」
泉岳寺が何かに気付きかけたその時、コートの中で打球が爆ぜた。
カコン!
打球音だけでボールはどこにも見つからない。
かろうじて打ったのが今宮とだけわかるだけだ。
数秒後、気が付いたらピンポン玉は新波先輩の後方に転がっていた。
「ちょ、ちょっと待って。今のスマッシュ? 入ってた? 審判!」
「す、すみません。見えてなかったです!」
「っ! もう! ちゃんと見ておきなさいよ!」
いや、今のは仕方ねーよ。
新波先輩は打球を見逃した審判に詰め寄っているが、こればっかりは審判を責められない。
今のは単純に今宮のスマッシュが速すぎた。
俺だって見えていなかったし、先輩だってそうだ。
じゃなきゃこうやって聞いたりしないだろう。
「……ちゃんと入っていたんだがな」
「マジか」
泉岳寺には見えてたのかよ。
さすがは強豪校のレギュラーだな。
そして打った本人が気付いないわけがなく、
「あらあら残念ですわね。こんなものも見えていないとは興ざめですわ」
「はあ? 何言ってんのあんた。たかが1球上手くいったのがそんなにうれしいわけ?」
先輩が不愉快を顔に出すと今宮は皮肉たっぷりに言う。
「たかが1球。随分と認識が甘いんですわね。まあいいですわ。だからあなたは本調子ではない寧々にしか勝てなかった……それが答えですもの」
「1セット取られた分際で…………調子に乗るな!」
怒りをたぎらせて鋭い投げ上げサーブを繰り出す新波先輩。
今宮がチキータで迎え撃つ体勢になったのを見て、先にコース上に入る。
「甘いのよ、そんなのわかりきって……っ!」
予測は完璧とばかりに先輩は勝ち誇ったが、先輩の手前でボールは直角に曲がった。
「す、すげえ」
こんなのありか。
チキータの由来はチキータバナナ。
つまりは横回転によってバナナのような軌道を描いて曲がるのである。
けど今宮はチキータバナナどころかL字に曲げやがった。
「さあ、どんどんいきますわよ」
今宮の猛反撃は続く。
ドライブのコースを直前で変えて見せたり、巧みなモーションフェイントで先輩をかく乱。パワー系とは思えないようなテクニックの高さに松波先輩の読みは悉く外されている。
「……っこんな動き今までしてなかったじゃない?」
「別にできないとも言ってませんもの」
「ちっ! でもおかげであなたの動きは分析できたわ。これから先はそう易々と点を取れると思わないことね」
「へえ。私を分析ですか……なら試してみます?」
雰囲気が変わった?
感じる圧からして違う。
戸惑う俺をよそに、今宮は高らかに宣言した。
「今からフォア奥へ打ち込みますわ。取れるものなら取ってくださいまし」
「ふざけないで、そんなの誰がっ!?」
「――ほら行きますわよ」
キレた先輩を無視して今宮は宣言通りフォアに長いサーブを入れる。
そして得意の形に持ち込んだ今宮は体を大きく捻ると、ボールに全体重を乗せて叩き込んだ。
これもまたフォアへの打球。
予告された上に、振りからしてコースは丸わかりである。
先輩は当然とばかりにコース上でドライブを待ち受けるが、
「そ、そんな!?」
先輩のラケットに当たったボールは台を大きく超えていった。
「どうしました? まだ終わってませんわよ」
「くっ……」
その次も、そのまた次も先輩は今宮のドライブを返せない。
ラケットに当てているにも関わらず。
……ただの1度も。
「い、一体何が起こってるんだ」
新波先輩らしくないプレイに思わず声を漏らすと、泉岳寺が反応した。
「……華怜のドライブの威力が桁違いなんだ。だから入らない」
「おいおい、今までだって相当なもんだったじゃねーかよ」
「いや、本気の華怜はその遥か上を行く」
マジか。
俺が知っている今宮のドライブは速すぎて反応するのは無理だが、偶々コースさえ合えば俺でも1球くらいなら返せるといった具合の強さだった。
でも確かに泉岳寺の言う通り、今の今宮のドライブは威力からして違う。
今宮のドライブの変化量が強烈すぎて当たるタイミングが狂わされているのだ。
「しかも華怜はほとんど同じモーションでスマッシュを打つこともできるんだ。台に張り付けばスマッシュで打ち抜き、少し下がればドライブの変化量で殺す。それが華怜本来のスタイルだ」
「化け物じゃねーか」
絶対に相手を詰ませる2択を選ばせるとかどんなチートだよ。
ただ今宮の場合、台に張り付いてもドライブを返せるかは危うい。
なにせ残像が見えるほどの変化量だ。
男子を含めてもトップクラスに入るという確信さえある。
「……だけどさすがにやりすぎだっつーの」
今宮のそれは、松陰輝が俺にやったことに等しい。
何度も、何度も、新波先輩にコースを読ませてから叩き潰すことで先輩が今まで必死に築き上げてきた卓球を根底から破壊しようとしているのだ。
朝倉に揺さぶりをかけた因果応報と言えばそれまでだが……にしても度が過ぎる。
何よりそんなことをする今宮を見たくはなかった。
それは泉岳寺も同じだったようで、
「確かに……そろそろ止めないとな。越谷、ちょっと行ってくる」
「何言ってんだ、俺もいくぜ。こいつらは持っていけばいいだろ?」
「ああ、それもそうだな」
俺たちは荷物を纏めると、階段を下りて今宮を注意しに行った。
「……今宮あんまこういうのは良くねーよ」
「…………」
「華怜、もうやめよう。勝負はついただろ」
へー俺のことは無視なんですね。
一方で優しい口調で諭す泉岳寺に対しては今宮は不機嫌そうに反応する。
「はぁ? 何を言ってるんですの? あいつが寧々にした仕打ちはこんなものじゃない。まだ足りませんわ」
「それでもだよ華怜。こんな卓球は華怜にふさわしくない」
「どうでもいいですわよ! あっちいっててくださいまし」
「お、おい! ちっ。華怜の奴」
駄目だ。
泉岳寺の呼びかけすら届いていない。
今宮は泉岳寺に反発するようにコートに戻ると、それまでと同じように圧倒的な力で新波先輩の卓球を崩壊させていく。
今まで積み重ねた努力も分析も敗北や勝利さえも。
「わ、わたしは……ま、まだ」
重くのしかかる絶望に負けそうになりながらも抵抗を続ける新波先輩。
先輩はドライブを打たせないようにストップレシーブで今宮のサーブを短く手前に止めようとしたものの、それは上回転のサーブだった。
「――しまっ」
高く浮いた球はなんとか卓球台ぎりぎりに乗ったが、こんなチャンスボールを逃す今宮じゃない。
「さっさと終わりにしてあげますわっ!」
今宮はその球を勢いよくドライブで打ち込んだ。
またもや今宮の得点である。
だが打ってから今宮の様子がおかしい。
しきりに手を気にしているのだ。
「審判! タイム!」
タイムを取って俺たちは今宮の様子を確認しに行った。
「華怜、手を見せてくれ」
「…………嫌ですわ」
「いいから見せろ」
珍しく語気が強い泉岳寺に折れたのか、渋々といった感じで今宮は手を差し出した。
「ぶつけたのか」
「……ええ、さっきドライブした時に」
見れば今宮の薬指と中指からは血が出ている。
卓球をやってれば偶にある怪我で、俺も1度経験したことがあるが、まずこの状態ではプレーはできない。特に今宮みたいにパワーが売りの選手ならぶつけた時の衝撃だって大きいだろう。
「今宮、残念だがもう」
「わかっていますわっ!……でもあと1セットでしたのよっ!」
唇を震わせる今宮に俺は何も言えなくなった。
…………悔しいよな。
大好きな朝倉をコケにされて、その復讐がもう少しの所で果たせないなんて。
「……ちゃんとわかっていますから」
絞り出すようにして出た声は今宮自身に対して向けられているようだった。
やがてタイムが切れるぎりぎりになって、今宮は心配に告げに行く。
審判は報告を受けて試合の結果を告げた。
「今宮選手の棄権により勝者は……新波涼香選手!」
うなだれたまま自分の決断を聞かされる今宮と唖然としている新波先輩。
静かなコートには審判の無機質な声だけが響いていた。
朝倉の付き添いから今宮が帰ってきた。
試合が終わってからの朝倉は見ているのも辛い状態で、見かねた今宮が帰るのを促したのである。一応義理を果たそうと、朝倉自身は残ると言い張っていたが、最終的には今宮の提案を受け入れることとなった。
たぶん、押し返すだけもう余力が残っていなかったんだろう。
いつもなら負けたら負けたでガキみたいに悔しがる癖に、今日はずっと黙ってたからな。
「……あいつ、なんか俺に言ってなかったか」
「別に何も……ただ来てくれてありがとうとだけ言っていましたわ。もっとも迎えに来てくださった寧々のおじいさまは少しご立腹なされているようでしたけど」
「そうかよ……じっちゃんらしいぜ」
孫思いのじっちゃんのことだ。
その様子は目に浮かぶ。
きっと次会ったら殺されちまうだろう。
それとも既に俺のことは見限っているだろうか。
「ふぅ」
――まずい。
少し感傷的になってたな。
蓄積した負の感情を吐息と共に吐き出すと、いきなり今宮に肩を小突かれた。
「……越谷さん、勘違いが過ぎますわよ。あなた如きが寧々に与える影響なんて微々たるもの。寧々はただ調子が悪かった……それだけですわ」
「…………別に俺だってそこまで思い上がっちゃいねーよ」
……まあ、正直に言えばかなり責任を感じていた。
しかしさすがに今宮に説教された手前、本音を言うのは躊躇われた。
それに先輩が強かったのは事実だしな。
「なら結構。ちゃんとわきまえているなら十分ですわ」
今宮は俺の言葉に満足げに頷くと、ウォーミングアップを開始した。
入念にストレッチをした後、シャドーで動作の確認をしている。
「今宮の奴すげー集中してんだな」
「……そうだといいんだが」
「なんか不安でもあんのかよ、泉岳寺?」
「いや華怜が勝つに決まってる……ただ今日の華怜は少し熱くなりすぎだ」
「へえ。今んとこそうには見えねえけどな」
俺からすれば今宮は恐ろしいくらいにいつも通りだ。
朝倉にあんなことがあった後とは思えない。
これが幼馴染にしかわからない違いってやつか。
「…………ともかく俺らは華怜を応援するのみだ」
「わーかってるよ」
朝倉のためにも今宮には勝ってもらわないとな。
俺もやれることはやるつもりだ。
「だいたいこんなものですわね」
今宮がウォーミングアップが終わって戻ってきた。
泉岳寺に渡されたスポーツドリンクを飲んで体を落ちつかせている。
それからしばらく3人で駄弁っていると、別行動していた京介が戻ってきた。
「廉太郎! 早瀬さんのカバンどれか知らない?」
「一番右の奴。なんかあったのか?」
「それが体調崩しちゃったみたいでさ。僕、早瀬さんを最寄り駅まで送っていくよ」
……あー早瀬もか。
朝会った時から辛そうだったもんな。
本人いわく混雑にやられてしまったとか。
それでも朝倉たちのためにこの時間まで頑張って耐えていたのだろう。
「そっか、京介がいるなら安心だな。お大事にって伝えといてくれ」
「嬉しいこと言ってくれんじゃん。ありがとね廉太郎」
……京介の方が大概だろ。
そうは思ったが緊急時だけに自重しておく。
すると俺の横から今宮が京介を呼び止める。
「お持ちなさい。これを持っていくといいですわよ」
「えー! これ今宮さんの分のスポドリじゃ」
「まだ開けてない予備ですから平気ですわ。ありがたく受け取りなさいな」
「うん、わかった。二人ともありがとう!」
爽やかな笑みと共に京介は去っていく。
今宮は京介を見届けると立ち上がって言った。
「それじゃあ。行ってきますわ。二人はここでのんびりと見ていてくださいまし」
「華怜、応援はいいのか?」
「別に平気ですわ。少し一人で打ちたい気分なんですの」
「わかった。ここで待ってるよ」
泉岳寺はあっさりと今宮を一人で行かせることを認めた。
ただやはり何か気がかりなことがあるようで、
「でも余計なことはするなよ?」
「…………ええ」
否定も肯定もしないまま、今宮は階段を下っていった。
こちらからは今宮の表情はよく見えない。
たぶん見えた所で今宮が何を考えているのかなんて俺にはわかんねえ。
だから「がんばれよ」なんてありきたりな言葉しか伝えられなかったが、今宮は振り返らないまま手を上げて答えてくれた。
コートに入ると今宮はまっすぐ対戦相手である新波先輩の下へ向かう。
至近距離で向き合う二人だが会話はない。
やがてラケット交換を済ませた所で、ようやく新波先輩が口を開いた。
「…………よろしくね今宮華怜」
「ええ、よろしくですわ。ええと…………なんでしたっけ?」
「新波涼香よ。何度も対戦しているのだからいい加減覚えなさい」
「あら、ごめんなさい。あまりにも印象が薄くてすっかり忘れていましたわ」
…………怖えよ。
なんだよこの会話。
まるで修羅場。
いや普通に修羅場か。
空気が重苦しくて見てるだけで吐きそうだ。
「あなたね、年上への態度がなってないわよ」
「年上だったとは知りませんでしたわ。これまた失礼しました」
「…………いい度胸ね。後悔させてあげる」
「やれるものならやってみなさいな。それより始めますわよ」
舌戦は今宮が終始優勢だったが、決着をつけるべく二人はラケットを構えた。
「ラブオール」
初球からサーブで鋭く攻める今宮。
ロングサーブからの打ち合いが十八番である彼女にしては珍しく短いサーブばかりだ。おそらく新波先輩を警戒してのことなのだが、
「順横フォア手前っ!」
「…………」
「下回転ミドルっ!」
「…………」
新波先輩は今宮のサーブを悉くチキータや台上ドライブで強打し、今宮にペースを握らせない。何とか今宮がドライブに持ち込んでも既にコースは読まれていて、パワーすら封じられている。
「今宮華怜っ! さっきの威勢はどうしたの? 手も足も出ていないじゃない?」
「…………」
新波先輩に調子よく煽られているというのに今宮は黙ったままだ。
「なあ泉岳寺。このままじゃやべーぞ」
「…………おかしい。こんなはずじゃない。華怜が1セット失っただと?」
「そうだよな。俺だって信じられねーぜ」
「違う。そういう意味じゃない。華怜があれくらいの球を打ち返せないはずがないんだ」
あれくらい?
いや先輩の打球は十分すぎるくらい良かっただろ。
だが泉岳寺が自分に都合の良い方向に現実逃避するタイプだとは思えねえ。
「いや待て…………まさかっ!」
泉岳寺が何かに気付きかけたその時、コートの中で打球が爆ぜた。
カコン!
打球音だけでボールはどこにも見つからない。
かろうじて打ったのが今宮とだけわかるだけだ。
数秒後、気が付いたらピンポン玉は新波先輩の後方に転がっていた。
「ちょ、ちょっと待って。今のスマッシュ? 入ってた? 審判!」
「す、すみません。見えてなかったです!」
「っ! もう! ちゃんと見ておきなさいよ!」
いや、今のは仕方ねーよ。
新波先輩は打球を見逃した審判に詰め寄っているが、こればっかりは審判を責められない。
今のは単純に今宮のスマッシュが速すぎた。
俺だって見えていなかったし、先輩だってそうだ。
じゃなきゃこうやって聞いたりしないだろう。
「……ちゃんと入っていたんだがな」
「マジか」
泉岳寺には見えてたのかよ。
さすがは強豪校のレギュラーだな。
そして打った本人が気付いないわけがなく、
「あらあら残念ですわね。こんなものも見えていないとは興ざめですわ」
「はあ? 何言ってんのあんた。たかが1球上手くいったのがそんなにうれしいわけ?」
先輩が不愉快を顔に出すと今宮は皮肉たっぷりに言う。
「たかが1球。随分と認識が甘いんですわね。まあいいですわ。だからあなたは本調子ではない寧々にしか勝てなかった……それが答えですもの」
「1セット取られた分際で…………調子に乗るな!」
怒りをたぎらせて鋭い投げ上げサーブを繰り出す新波先輩。
今宮がチキータで迎え撃つ体勢になったのを見て、先にコース上に入る。
「甘いのよ、そんなのわかりきって……っ!」
予測は完璧とばかりに先輩は勝ち誇ったが、先輩の手前でボールは直角に曲がった。
「す、すげえ」
こんなのありか。
チキータの由来はチキータバナナ。
つまりは横回転によってバナナのような軌道を描いて曲がるのである。
けど今宮はチキータバナナどころかL字に曲げやがった。
「さあ、どんどんいきますわよ」
今宮の猛反撃は続く。
ドライブのコースを直前で変えて見せたり、巧みなモーションフェイントで先輩をかく乱。パワー系とは思えないようなテクニックの高さに松波先輩の読みは悉く外されている。
「……っこんな動き今までしてなかったじゃない?」
「別にできないとも言ってませんもの」
「ちっ! でもおかげであなたの動きは分析できたわ。これから先はそう易々と点を取れると思わないことね」
「へえ。私を分析ですか……なら試してみます?」
雰囲気が変わった?
感じる圧からして違う。
戸惑う俺をよそに、今宮は高らかに宣言した。
「今からフォア奥へ打ち込みますわ。取れるものなら取ってくださいまし」
「ふざけないで、そんなの誰がっ!?」
「――ほら行きますわよ」
キレた先輩を無視して今宮は宣言通りフォアに長いサーブを入れる。
そして得意の形に持ち込んだ今宮は体を大きく捻ると、ボールに全体重を乗せて叩き込んだ。
これもまたフォアへの打球。
予告された上に、振りからしてコースは丸わかりである。
先輩は当然とばかりにコース上でドライブを待ち受けるが、
「そ、そんな!?」
先輩のラケットに当たったボールは台を大きく超えていった。
「どうしました? まだ終わってませんわよ」
「くっ……」
その次も、そのまた次も先輩は今宮のドライブを返せない。
ラケットに当てているにも関わらず。
……ただの1度も。
「い、一体何が起こってるんだ」
新波先輩らしくないプレイに思わず声を漏らすと、泉岳寺が反応した。
「……華怜のドライブの威力が桁違いなんだ。だから入らない」
「おいおい、今までだって相当なもんだったじゃねーかよ」
「いや、本気の華怜はその遥か上を行く」
マジか。
俺が知っている今宮のドライブは速すぎて反応するのは無理だが、偶々コースさえ合えば俺でも1球くらいなら返せるといった具合の強さだった。
でも確かに泉岳寺の言う通り、今の今宮のドライブは威力からして違う。
今宮のドライブの変化量が強烈すぎて当たるタイミングが狂わされているのだ。
「しかも華怜はほとんど同じモーションでスマッシュを打つこともできるんだ。台に張り付けばスマッシュで打ち抜き、少し下がればドライブの変化量で殺す。それが華怜本来のスタイルだ」
「化け物じゃねーか」
絶対に相手を詰ませる2択を選ばせるとかどんなチートだよ。
ただ今宮の場合、台に張り付いてもドライブを返せるかは危うい。
なにせ残像が見えるほどの変化量だ。
男子を含めてもトップクラスに入るという確信さえある。
「……だけどさすがにやりすぎだっつーの」
今宮のそれは、松陰輝が俺にやったことに等しい。
何度も、何度も、新波先輩にコースを読ませてから叩き潰すことで先輩が今まで必死に築き上げてきた卓球を根底から破壊しようとしているのだ。
朝倉に揺さぶりをかけた因果応報と言えばそれまでだが……にしても度が過ぎる。
何よりそんなことをする今宮を見たくはなかった。
それは泉岳寺も同じだったようで、
「確かに……そろそろ止めないとな。越谷、ちょっと行ってくる」
「何言ってんだ、俺もいくぜ。こいつらは持っていけばいいだろ?」
「ああ、それもそうだな」
俺たちは荷物を纏めると、階段を下りて今宮を注意しに行った。
「……今宮あんまこういうのは良くねーよ」
「…………」
「華怜、もうやめよう。勝負はついただろ」
へー俺のことは無視なんですね。
一方で優しい口調で諭す泉岳寺に対しては今宮は不機嫌そうに反応する。
「はぁ? 何を言ってるんですの? あいつが寧々にした仕打ちはこんなものじゃない。まだ足りませんわ」
「それでもだよ華怜。こんな卓球は華怜にふさわしくない」
「どうでもいいですわよ! あっちいっててくださいまし」
「お、おい! ちっ。華怜の奴」
駄目だ。
泉岳寺の呼びかけすら届いていない。
今宮は泉岳寺に反発するようにコートに戻ると、それまでと同じように圧倒的な力で新波先輩の卓球を崩壊させていく。
今まで積み重ねた努力も分析も敗北や勝利さえも。
「わ、わたしは……ま、まだ」
重くのしかかる絶望に負けそうになりながらも抵抗を続ける新波先輩。
先輩はドライブを打たせないようにストップレシーブで今宮のサーブを短く手前に止めようとしたものの、それは上回転のサーブだった。
「――しまっ」
高く浮いた球はなんとか卓球台ぎりぎりに乗ったが、こんなチャンスボールを逃す今宮じゃない。
「さっさと終わりにしてあげますわっ!」
今宮はその球を勢いよくドライブで打ち込んだ。
またもや今宮の得点である。
だが打ってから今宮の様子がおかしい。
しきりに手を気にしているのだ。
「審判! タイム!」
タイムを取って俺たちは今宮の様子を確認しに行った。
「華怜、手を見せてくれ」
「…………嫌ですわ」
「いいから見せろ」
珍しく語気が強い泉岳寺に折れたのか、渋々といった感じで今宮は手を差し出した。
「ぶつけたのか」
「……ええ、さっきドライブした時に」
見れば今宮の薬指と中指からは血が出ている。
卓球をやってれば偶にある怪我で、俺も1度経験したことがあるが、まずこの状態ではプレーはできない。特に今宮みたいにパワーが売りの選手ならぶつけた時の衝撃だって大きいだろう。
「今宮、残念だがもう」
「わかっていますわっ!……でもあと1セットでしたのよっ!」
唇を震わせる今宮に俺は何も言えなくなった。
…………悔しいよな。
大好きな朝倉をコケにされて、その復讐がもう少しの所で果たせないなんて。
「……ちゃんとわかっていますから」
絞り出すようにして出た声は今宮自身に対して向けられているようだった。
やがてタイムが切れるぎりぎりになって、今宮は心配に告げに行く。
審判は報告を受けて試合の結果を告げた。
「今宮選手の棄権により勝者は……新波涼香選手!」
うなだれたまま自分の決断を聞かされる今宮と唖然としている新波先輩。
静かなコートには審判の無機質な声だけが響いていた。
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「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
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39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
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【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
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二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
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※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
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