それは些細な顛末

侑希

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水神様

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 小さな村の小さな学区が、小さな子供たちの小さな世界のすべてだった。



 保育園も小学校も中学校もそのまま持ち上がりで、ようやく三つ向こうの大きな街にある高校に通うようになって、新しい友達ができるようなそんな場所。



 小さな小さなその村で僕たちは育ったのだ。





「よう、久しぶり」



「あー!! 久しぶり!! 塁も帰って来てたんだ」



「ああ、だってなぁ」



「そうだよねえ」



 社会人になって二年目の夏休み、僕は久しぶりに帰郷していた。小さな小さな村を臨む高台の広場までわざわざ登って村を見下ろしていたら、幼馴染みの向井塁が声をかけてきた。



 塁は四つ年上で、街の高校を卒業してから村を出た。風のうわさで東京で働いているとかいや大阪だったとかなんだか華やかな街で働いている、とか聞いた気がする。



 塁に遅れること四年、僕も高校を卒業して今は県庁所在地のある地方都市で働いている。だからここにはもうすぐ二十歳の僕と、二十四歳の塁がいる。塁の家は僕の家の隣――隣といっても歩いて少しかかるが――で、僕が一番親しく遊んだ幼馴染みだ。四つ上なのに年下の僕と仲よく遊んでくれて、気の良いお兄ちゃんだった。





「……沈んじまうんだもんなぁ」



「そうなんだよねえ」





 そう、僕たちの村はいずれ近いうちに、水に沈む。



 冬前までに全村民が転居して、空っぽになる予定の村は、ダムとして水に沈むことが決まっている。この夏は村のほとんどの家が引っ越しを予定しているし、何ならもう三分の一は既に転居していた。僕も実家の引っ越しを前に自分の荷物を取りに帰省したというわけだ。冬休みの頃にはもう立ち入り禁止になってしまうから、残っている村人たちは忙しそうに家を片付けていた。



 しばらく村を見下ろして、僕は塁と村のあちこちを歩き回った。



 一緒に通った保育園と小中学校。



 一緒に虫取りをした森の中。



 そして一緒に潜った川。



 どこをとっても塁との思い出ばかりで笑いながら持っていたスマートフォンで写真を撮る。





「ダムの水位が下がったら、見えるようになるかもしれなくてもさ、人がいなくなって、そして一度水に沈んだらここは、もうこの風景じゃないんだよね」





 村がダムに沈むという案が出たのは何十年も前の話で、最初は村人全員で反対した。けれども結局下流の水害の多さが目に余り、また山を二つ越えないと商店すらないこの村に若い人たちはほとんど居つかず、みんな村から出ていった。そうして残った村人がダム化による移転を了承したころにはもう残っている世帯はわずかで村ごと移転にもならず、大体が山を三つ越えた向こうの僕らの出身校である高校がある街にバラバラに引っ越していくこととなった。



 僕の世代も塁の世代も誰もこの村には残っていない。かろうじて高校のある街に残った者はいるけれど、九割の若者が今やこの村どころか街の外に飛び出して行ってしまった。



 もうじきここは地図からも消える。







「ねえ、塁。水神様の祠はどうなってるんだろう」



 村を上げてお祀りしていた水神様を思い出す。塁はそうだな、と僕の手を引いて、川べりを反れて歩き出す。



 普段はきれいな清流だけれども、ひとたび増水すれば車ほどの大きい岩すらも転がしていく暴れ川だ。けれどもこの山の中のこの谷にある村が長く栄えたのも、この川があったからだ。豊富な水は近隣に拓いた農地で農産物を育てるのに必要不可欠だった。長年先祖代々が拓いた農地はそれなりに大規模になっていた。塁の家も僕の家もこの村にいる世帯全部が農業に従事していたといってもいい。



 川の増水は山や川自体を崩すので文字通り死活問題だった。水の恩恵は受けたいけれども被害は御免被りたい。だから川を鎮めるために、水の恩恵を受けるために、水神様を祀った祠が川を望む山の中腹にあった。



 塁に連れられてきたのはまさにその祠がある場所。村には社があるが、ご神体は祠にある。



 お祭りをするときはここから水神様をお連れして、村で祭りをやっていた。



 久しぶりに来る水神様の祠は想像以上に荒れていた。石の台座に載っていたはずの木の祠はまるで誰かに蹴り倒されたかのように無残に土の上に転がっていた。あまりにひどい状況に僕は目を疑う。



 困惑して塁を見上げると、塁が悲しい顔をして笑っていた。





「……荒れてしまっただろう? もう出ていくんだから関係ないと荒らしたやつがいる」



「それにしたって……。ここは最後に神主さんを呼んで移転させるって言ってたのに」



 僕は思わず膝をついてその祠を整えた。壊れてしまったものはどうにもできないけれど倒れたものを起こして、ついた汚れを持っていたタオルで払っていく。



「おまえは優しいな。もう誰もこんなところに来ないのに」



 しゃがんでいた僕の肩に、塁のひんやりとした手が乗った。





「……うそだろ? あんなに熱心にみんな祀ってたのに」





 振り向いて見上げた塁の眼は澄んだ碧をしていた。



 塁は、こんな眼をしていたっけ?



 塁は……



 塁は。









     ◇◇◇◇◇







 塁がいなくなったのは、僕が中学三年生の夏だった。塁は高校を卒業して最初の夏だった。都会に働きに出た塁は、この村に帰省していた。確かに戻ってきていた。僕も帰ってきた時に一度会ったから覚えている。お土産と言っていろんなものをもらった。洋服や小物のお下がりとかもあって、嬉しかった。兄弟もいない僕は三月からずっと寂しかったのだ。生まれた時からずっと一緒にいたはずの塁がいなくなったのだから。だから最初の夏休みに帰って来てくれた時、とても嬉しかった。いろんなものをもらって、遊ぶ約束も交わした。休みは五日くらいしかいないのに、三日目と四日目を塁は僕に割いてくれる予定だった。





 それなのに、一日目の夜遅くに塁はいなくなった。



 車も荷物も財布もそのままで、塁は消えた。夜遅くに携帯電話の電波を探しついでに散歩に行ってくると母親に言い置いて、そして帰ってこなかった。翌日には大騒ぎになったし、すぐに塁のサンダルとスマートフォンが川で見つかって、暗い中誤って落ちて川に流されたんじゃないかということになった。



 結構な期間探されたけれども、塁の身体は見つからなかった。



 塁はきれいで格好良かったから水神様に連れ去られたのだ、と噂をされたし、水神様に連れていかれたのね、と泣きながら塁の両親も言っていた。そんな塁の両親は、ダムに沈むことが決まったら一番に村を出て行った。



 けれども僕は信じられなかった。塁と一緒に生きてきたのだ。塁がこの村で夜の増水してもいない川に流されるなんてありえない。



 だからいなくなったことを信じられなかった。



 きっと急いで東京に帰ったんだと思い込もうとしていた。





     ◇◇◇◇◇







「……ねえ塁。塁は塁なの……」





 今まで一緒にいずれ沈み行く村を巡っていた塁は確かに僕の知る塁だった。十九歳の塁よりもちゃんと大人になった塁だった。





「……俺は俺だよ。――知ってるかな、昔この村はね、水神様に人間を生贄として川に流していたんだ。五年おきに各家持ち回りで一人ずつ。近代になってそれを廃止したんだけれども、廃止しなければ、次は俺の家が生贄を出す予定だったそうだよ」





 静かな塁の声が聞こえる。目の前はいつの間にか塞がれて、真っ暗で何も見えなくなっていた。





「あの日、俺は水神に引き込まれて、人ではなくなった。遺体が出ないのは当然だ。【俺】はここに在るからな。――人でなくなっただけだ。俺の前の水神は何代か前の生贄で、独りで生きることに飽き飽きしていた。だからあの日、あの夜、俺を引き込んでその神という身分ごと俺に成り代わらせた。そもそもこの村で捧げられた生贄は大体が下流に流されて死ぬか逃げ延びるかだったみたいだけど、たまにこうして水神の代替わりとしての成り代わりが行われていたみたいだ」



「塁……」





「そして五年経った。川はダムになって村は沈むし、この祠も町の神社の一角に移されて終わりだ。この川で護るものは消える。――そう五年だ。五年前は俺の家だった。――そして次は、おまえの家」





 塁は僕をまっすぐに見て、そして指先でとん、と僕の胸をさした。



 なんてことだろう。



 塁は神に連れていかれて、神様になったのだという。



 そして、次の生贄は僕の家。



 今こうして塁に囚われている僕、ということになる。







「塁がいなくなって、寂しかったんだ。だってあの日のあと、遊ぶ約束もしてた」



「そうだな、俺も帰ってきてお前に会うの、楽しみにしてたんだ。それなのに」



「塁は神様になって独りぼっちなの」



「――ああ、そうだな……。色々出来ることは増えたができないこともある。人として生きて死にゆくことはもう無理だからな」



「……それなら――」





 目を覆っていた塁の掌が外されて、頬を撫でられる。



 目の前の塁は変わらずきれいな顔をして、見慣れない色の瞳で笑っていた。
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