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第5章
合宿2日目
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けたたましいアラーム音が、静かな山の朝を切り裂いた。
うぅ......体が重い。
腕を伸ばすと、筋肉痛で悲鳴を上げた。足も、パンパンに張っている。
「......っつ......やべ、体中いてぇ」
それでもなんとか上半身を起こす。隣では陽稀が「おはよ」と声をかけてきた。
3年の何人かが順に起き上がっていく。さすが、慣れてる。
けれどあちらこちらで鳴り続けるアラームを完全に無視して、1、2年はピクリとも動かない。
「おい、起きろーっ!」
陽稀が叫んだ次の瞬間――
「うおっ!」
ドンッ、と音を立てて後輩たちの布団にダイブした。
「痛った! 何するんですか先輩!」
「起きねぇからだよ!」
笑い声と悲鳴が入り混じる。部屋が一気に賑やかになった。
俺も笑いながら立ち上がり、寝ぼけてる後輩の布団を引っこ抜きながら起こして回る。
そんな中、一番端の布団で丸まってるやつを見つけた。
「......高良?」
近づいてしゃがみ、肩を揺らす。
「おい、高良ー! 起きろー!」
無反応。
「こいつ全然起きねぇ......」
苦笑してもう一度手を伸ばした瞬間――
腕をがっちり掴まれて、ぐいっと布団の中に引きずり込まれた。
「うわっ!? ちょっ――」
気づけば俺は、高良の腕の中だった。
高良の腕が首の後ろにまわって、顔を胸元に埋めてくる。
「お、おい、起きたなら......!」
そう言いかけたけど、耳元から聞こえてくるのは規則的な寝息だった。
――まじで寝てるのか、これ。
「湊先輩が高良に襲われてるー!」
誰かの声に、みんなが笑い出す。
「なにしてんだよ、湊」
「俺じゃねぇからな!」
「おい!」って怒鳴りながら、俺は高良の頬を引っ張る。
「おーきーろ!」
「......いたい......」
薄目を開けた高良が、ぼんやりした顔で俺を見た。
「あれ......なんで先輩が俺の布団に......?」
「お前が引っ張ったんだろ。起きたなら離せ!」
やっと腕がゆるんで、俺は脱出。
高良はまだ布団の中で、ぼーっと天井を見上げている。
布団から半分だけ顔を出して、髪はぐしゃぐしゃ。
ぼさっとした前髪の隙間から、眠たげな目がのぞく。
「......お前、ほんとに朝弱いんだな」
思わず笑ってしまう。布団に埋もれて、まるで小学生みたいだ。
「......先輩、あと五分だけ......」
目だけ出したまま、布団の中で唸る。
「五分もねぇよ。あと十五分で朝食集合だ」
そう言うと、高良は顔だけ出して「......マジっすか」とつぶやいた。
なんだその顔。寝癖で片方の髪がぴょんと跳ねてる。
つい、笑いがこぼれる。
「何、笑ってるんですか」
「いや、キャラ違いすぎて」
そんなやり取りをしていると、後ろで陽稀が「おーい、朝飯行くぞー!」と叫んだ。
高良はやっとの思いで起き上がり、のそのそと立ち上がる。
朝の光が障子越しに差し込む中、まだ完全に目が開いてない高良の背中を軽く叩く。
「ほら、顔洗ってこい」
「......うぅー」
高良は唸りながら、体を伸ばして歩き出す。
そんな穏やかな朝だったのもつかの間、すぐに現実がやってくる。
◆
「もうすぐ地区予選なんだぞ! 気合い入れろ!」
監督の声が響き、空気が一気に引き締まった。
笛が鳴ると同時に、俺たちは一斉に動き出す。
「前前っ!」
コートに声が飛び交う。
一球目が綺麗に上がり、俺はすぐにボールの下へ滑り込んだ。
――誰に上げる。
相手コートをちらりと見て、迷わずレフトの高良へトスを送る。
上げたトスに高良がタイミングよく走り込む。
「高良、決めろ!」
監督の声が響く。
その瞬間に高良の体に力が入ったように見えた。
――ドン。
乾いた音。高良のスパイクは、無情にもブロックに弾かれた。
「おい、高良、これで何回目だッ!」
監督の声が飛ぶ。
「っ、すみません!」
高良は短く答える。でも、その声にはいつもの勢いがなかった。
「おい、高良、大丈夫か?」
俺が声をかけても、「大丈夫です!」とだけ返して、すぐ自分のポジションに戻っていった。
その背中が、妙に遠く感じた。
隣で陽稀が小さくつぶやく。
「......あいつ、調子悪いな」
俺も黙って頷いた。
スポーツをやってる以上、波があるのは当たり前。調子のいい日も、悪い日もある。
それは分かってる。
分かってるけど――今日にその“悪い日”なのが、痛すぎる。
監督の声がいつもより鋭い。期待してるからこその叱責なんだろうけど、その分、高良の肩がどんどん落ちていくのが見ていてわかる。
ボードに何かを書き込む監督の手が止まらない。
あれは、高良か、俺か、それとも他の誰かなのか。
考えたくないのに、頭の隅で繰り返す。
昨日までは調子が良かったのに。
やっぱり疲れが出てるのか、それとも――。
胸の奥に、言葉にならないざらつきが残る。
だけど今は部活中だ。立ち止まるわけにはいかない。
「切り替えていくぞ!」
そう声を張り上げ、俺は再びボールの下へと駆け込んだ。
◆
結局、高良は調子の悪いまま、一日が終わった。
いつも通りに笑っていたけど――それが無理してる笑顔だって、俺には分かる。
「高良......」
声をかけると、ほんの一瞬だけ振り向いたが、そのまま背を向けて歩いていった。
避けられた。それがやけにじんわりと残った。
夜、部屋の電気が消える。
それぞれが布団に潜り込み、すぐに寝息が聞こえはじめた。
俺も目を閉じるが、眠れない。
頭の中は、さっきの高良の表情ばかりが繰り返される。
“あいつ、相当気にしてるな......”
そのとき、かすかな音がした。布団がこすれるような、静かな動き。
目を閉じたまま耳を澄ませると、誰かの足音が畳を踏む音が続いた。
――誰だ?
ゆっくり目を開けると、月明かりの中でひとつの影が動いた。
スウェット姿のまま、静かに部屋を出ていく背中。高良だった。
「......た」
声が出かけて、喉の奥で止まる。
追うべきか、見送るべきか。
チームメイトとして、キャプテンとして、今のあいつにどう接するのが正解なのか分からない。
もしかしたら、ひとりで整理したいのかもしれない。
けど――
「クソ......」
そう吐き捨てたときには、もう布団を出ていた。
スリッパをつっかけ、息を殺してドアを開ける。
暗闇の少し先を歩く高良の背中が見える。その背を、俺は迷わず追いかけた。
夜の廊下は昼間の熱気が嘘みたいに、空気は冷たくて静かだ。
外に出て体育館の前まで来た高良は、ドアの取っ手に手をかける。
もちろん鍵はかかっていて、びくともしない。
「空いてるわけないだろ?」
思わず声をかけると、高良の肩がビクッと揺れた。
ゆっくり振り返るその横顔が、月光に照らされて一瞬きれいに光った。
「せ、先輩......驚かせないでくださいよ」
苦笑まじりに言う声は、どこか眠たげで、でも少し寂しそうにも聞こえた。
「体育館なんか来て、どうするつもりだったんだ」
「ちょっと眠れなくて......でも外出てみたら、眠くなってきました」
そう言って小さく笑う。
その笑顔は、昼間のあの“強がり”と同じものだった。
「先輩こそ、どうしたんですか? 早く戻りましょ」
何事もなかったかのようにかのように高良が歩き出す。俺はその背中を見て、胸の奥がざわついた。
気づけば、腕を掴んでいた。
「......先輩?」
振り返った高良の目が、驚きと困惑を映す。
自分でも、何で掴んだのか分からない。
ただ――行かせたくなかった。
「もう少し......話さないか」
静まり返った夜の空気の中で、自分の鼓動の音がやけに大きく響く。
高良は目を瞬かせ、掴まれた腕を見て、また俺の顔を見下ろす。
夜風が、二人の間を通り抜けた。
そのたびに、高良の髪が月明かりを掠めて揺れる。
「......はい」
やっと、それだけが返ってきた。
体育館の前の階段に腰を下ろすと、冷たい夜気が肌に触れた。
高良も隣に座り、少しうつむいたまま靴のつま先を見つめている。
静かな時間が流れて、ようやく高良が口を開いた。
「......昨日、聞いたんです。今回の合宿で、メンバー決まるって」
ぽつりと落とされた言葉に、俺は思わず高良の横顔を見た。
街灯に照らされた頬が、少しこわばっている。
「それで、ちょっと......焦っちゃって。空回りばっかりで、全然上手くいかなくて」
俯いた声が、夜に溶けていく。
なるほど、と胸の奥で何かが腑に落ちた。
今日の練習でいつものような軽やかさがなかったのは、そのせいか。
「そんなに焦らなくてもいいだろ。お前は来年もあるんだから」
励ましに言ったつもりだった。でもその瞬間、高良がぐっと顔を上げて、まっすぐ俺を見た。
「でも、先輩は今年が最後じゃないですか!」
声が少し震えていた。
その勢いのまま続ける。
「これを逃したら、もう先輩と試合に出られないかもしれないんですよ。だから......どうしても頑張りたくて」
そう言って唇を噛む高良の横顔が、どうしようもなくまぶしく見えた。
胸の奥が、熱くなる。
「......バカだな、お前」
そう言いながらも、声が少し掠れていた。
思わず口をついて出た言葉に、高良が目を丸くする。
俺は小さく息をついた。
夜の静けさの中、体育館の明かりだけがぽつんと遠くで灯っている。
「焦る気持ちは分かる。でもさ――お前なら大丈夫だ」
そう言って、隣の肩を軽く叩く。
高良が驚いたように俺を見る。
「無責任かもしれねぇけど、そう思うんだ。いつも誰よりも練習してるのも知ってるから」
高良の指先が、膝の上でぎゅっと握られる。
「それに......俺のトスを一番知ってるのはお前だろ?」
高良の顔が少しだけほころんだ。
「......先輩、そんなこと言われたら......泣きそうになります」
笑いながら言う声が、ほんの少し震えている。
俺もつられて笑った。
「泣くなよ、まだ終わってねぇんだから」
「はい......頑張ります」
その返事は、さっきまでの強ばった声じゃなかった。
少しだけ、肩の力が抜けたような、柔らかい響き。
風が吹いて、前髪が揺れる。
「......先輩」
「なんだよ?」
高良は少し迷ったように視線を落とした。
「少しだけ、抱きしめていいですか」
その言葉が耳に残って、喉がひりついた。
何を言われたのか一瞬わからなくて、ただ見返す。
「今......そうしたら落ち着く気がして」
俺は言葉を返すことができなかった。
俺の無言をどんなふうに解釈したのか、高良がゆっくりと腕を伸ばす。
その手が、ためらうように俺の背中に触れた。
そして、そっと抱き寄せられる。
汗とシャンプーの匂いが混じったような、あの夏の匂いがする。
鼓動が近くて、体の奥がくすぐったくなる。
「俺まだ何も言ってないだろ」
「すみません、でも我慢できなきて」
「じゃあ、聞くなよ」
そう言って俺を抱きしめる腕が少し強くなったのを感じた。
「......やっぱり、落ち着きます」
高良の声が小さく震えて、俺の肩に触れた唇が熱かった。
何も言えない。
でも、離れようとも思わなかった。
俺が黙っていると、高良が少しだけ顔を上げる。
月明かりに照らされた横顔が、思ってたよりずっと優しい。
「......もう大丈夫だろ」
やっと絞り出した声は、少し掠れていた。
「はい。でも、もう少しだけ......」
そう言って目を閉じる高良を見て、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
こんな気持ちは初めてだった。
「先輩」
「ん?」
「......俺、やっぱり、湊先輩と一緒に出たいです。試合」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥で何かがちりっと弾けた。
俺はそれを悟られないように、ほんの少し顔を背けた。
「......あたりまえだろ。俺もそのつもりだよ」
そのまま、しばらく何も話さなかった。
遠くで波のように虫の声が続いている。
明日になれば、また部活が始まる。いつも通りの朝がくる。
それでも今だけは、何かが確かに違って見えた。
胸の奥で小さく灯ったその違和感の正体に、俺はまだ気づいていなかった。
うぅ......体が重い。
腕を伸ばすと、筋肉痛で悲鳴を上げた。足も、パンパンに張っている。
「......っつ......やべ、体中いてぇ」
それでもなんとか上半身を起こす。隣では陽稀が「おはよ」と声をかけてきた。
3年の何人かが順に起き上がっていく。さすが、慣れてる。
けれどあちらこちらで鳴り続けるアラームを完全に無視して、1、2年はピクリとも動かない。
「おい、起きろーっ!」
陽稀が叫んだ次の瞬間――
「うおっ!」
ドンッ、と音を立てて後輩たちの布団にダイブした。
「痛った! 何するんですか先輩!」
「起きねぇからだよ!」
笑い声と悲鳴が入り混じる。部屋が一気に賑やかになった。
俺も笑いながら立ち上がり、寝ぼけてる後輩の布団を引っこ抜きながら起こして回る。
そんな中、一番端の布団で丸まってるやつを見つけた。
「......高良?」
近づいてしゃがみ、肩を揺らす。
「おい、高良ー! 起きろー!」
無反応。
「こいつ全然起きねぇ......」
苦笑してもう一度手を伸ばした瞬間――
腕をがっちり掴まれて、ぐいっと布団の中に引きずり込まれた。
「うわっ!? ちょっ――」
気づけば俺は、高良の腕の中だった。
高良の腕が首の後ろにまわって、顔を胸元に埋めてくる。
「お、おい、起きたなら......!」
そう言いかけたけど、耳元から聞こえてくるのは規則的な寝息だった。
――まじで寝てるのか、これ。
「湊先輩が高良に襲われてるー!」
誰かの声に、みんなが笑い出す。
「なにしてんだよ、湊」
「俺じゃねぇからな!」
「おい!」って怒鳴りながら、俺は高良の頬を引っ張る。
「おーきーろ!」
「......いたい......」
薄目を開けた高良が、ぼんやりした顔で俺を見た。
「あれ......なんで先輩が俺の布団に......?」
「お前が引っ張ったんだろ。起きたなら離せ!」
やっと腕がゆるんで、俺は脱出。
高良はまだ布団の中で、ぼーっと天井を見上げている。
布団から半分だけ顔を出して、髪はぐしゃぐしゃ。
ぼさっとした前髪の隙間から、眠たげな目がのぞく。
「......お前、ほんとに朝弱いんだな」
思わず笑ってしまう。布団に埋もれて、まるで小学生みたいだ。
「......先輩、あと五分だけ......」
目だけ出したまま、布団の中で唸る。
「五分もねぇよ。あと十五分で朝食集合だ」
そう言うと、高良は顔だけ出して「......マジっすか」とつぶやいた。
なんだその顔。寝癖で片方の髪がぴょんと跳ねてる。
つい、笑いがこぼれる。
「何、笑ってるんですか」
「いや、キャラ違いすぎて」
そんなやり取りをしていると、後ろで陽稀が「おーい、朝飯行くぞー!」と叫んだ。
高良はやっとの思いで起き上がり、のそのそと立ち上がる。
朝の光が障子越しに差し込む中、まだ完全に目が開いてない高良の背中を軽く叩く。
「ほら、顔洗ってこい」
「......うぅー」
高良は唸りながら、体を伸ばして歩き出す。
そんな穏やかな朝だったのもつかの間、すぐに現実がやってくる。
◆
「もうすぐ地区予選なんだぞ! 気合い入れろ!」
監督の声が響き、空気が一気に引き締まった。
笛が鳴ると同時に、俺たちは一斉に動き出す。
「前前っ!」
コートに声が飛び交う。
一球目が綺麗に上がり、俺はすぐにボールの下へ滑り込んだ。
――誰に上げる。
相手コートをちらりと見て、迷わずレフトの高良へトスを送る。
上げたトスに高良がタイミングよく走り込む。
「高良、決めろ!」
監督の声が響く。
その瞬間に高良の体に力が入ったように見えた。
――ドン。
乾いた音。高良のスパイクは、無情にもブロックに弾かれた。
「おい、高良、これで何回目だッ!」
監督の声が飛ぶ。
「っ、すみません!」
高良は短く答える。でも、その声にはいつもの勢いがなかった。
「おい、高良、大丈夫か?」
俺が声をかけても、「大丈夫です!」とだけ返して、すぐ自分のポジションに戻っていった。
その背中が、妙に遠く感じた。
隣で陽稀が小さくつぶやく。
「......あいつ、調子悪いな」
俺も黙って頷いた。
スポーツをやってる以上、波があるのは当たり前。調子のいい日も、悪い日もある。
それは分かってる。
分かってるけど――今日にその“悪い日”なのが、痛すぎる。
監督の声がいつもより鋭い。期待してるからこその叱責なんだろうけど、その分、高良の肩がどんどん落ちていくのが見ていてわかる。
ボードに何かを書き込む監督の手が止まらない。
あれは、高良か、俺か、それとも他の誰かなのか。
考えたくないのに、頭の隅で繰り返す。
昨日までは調子が良かったのに。
やっぱり疲れが出てるのか、それとも――。
胸の奥に、言葉にならないざらつきが残る。
だけど今は部活中だ。立ち止まるわけにはいかない。
「切り替えていくぞ!」
そう声を張り上げ、俺は再びボールの下へと駆け込んだ。
◆
結局、高良は調子の悪いまま、一日が終わった。
いつも通りに笑っていたけど――それが無理してる笑顔だって、俺には分かる。
「高良......」
声をかけると、ほんの一瞬だけ振り向いたが、そのまま背を向けて歩いていった。
避けられた。それがやけにじんわりと残った。
夜、部屋の電気が消える。
それぞれが布団に潜り込み、すぐに寝息が聞こえはじめた。
俺も目を閉じるが、眠れない。
頭の中は、さっきの高良の表情ばかりが繰り返される。
“あいつ、相当気にしてるな......”
そのとき、かすかな音がした。布団がこすれるような、静かな動き。
目を閉じたまま耳を澄ませると、誰かの足音が畳を踏む音が続いた。
――誰だ?
ゆっくり目を開けると、月明かりの中でひとつの影が動いた。
スウェット姿のまま、静かに部屋を出ていく背中。高良だった。
「......た」
声が出かけて、喉の奥で止まる。
追うべきか、見送るべきか。
チームメイトとして、キャプテンとして、今のあいつにどう接するのが正解なのか分からない。
もしかしたら、ひとりで整理したいのかもしれない。
けど――
「クソ......」
そう吐き捨てたときには、もう布団を出ていた。
スリッパをつっかけ、息を殺してドアを開ける。
暗闇の少し先を歩く高良の背中が見える。その背を、俺は迷わず追いかけた。
夜の廊下は昼間の熱気が嘘みたいに、空気は冷たくて静かだ。
外に出て体育館の前まで来た高良は、ドアの取っ手に手をかける。
もちろん鍵はかかっていて、びくともしない。
「空いてるわけないだろ?」
思わず声をかけると、高良の肩がビクッと揺れた。
ゆっくり振り返るその横顔が、月光に照らされて一瞬きれいに光った。
「せ、先輩......驚かせないでくださいよ」
苦笑まじりに言う声は、どこか眠たげで、でも少し寂しそうにも聞こえた。
「体育館なんか来て、どうするつもりだったんだ」
「ちょっと眠れなくて......でも外出てみたら、眠くなってきました」
そう言って小さく笑う。
その笑顔は、昼間のあの“強がり”と同じものだった。
「先輩こそ、どうしたんですか? 早く戻りましょ」
何事もなかったかのようにかのように高良が歩き出す。俺はその背中を見て、胸の奥がざわついた。
気づけば、腕を掴んでいた。
「......先輩?」
振り返った高良の目が、驚きと困惑を映す。
自分でも、何で掴んだのか分からない。
ただ――行かせたくなかった。
「もう少し......話さないか」
静まり返った夜の空気の中で、自分の鼓動の音がやけに大きく響く。
高良は目を瞬かせ、掴まれた腕を見て、また俺の顔を見下ろす。
夜風が、二人の間を通り抜けた。
そのたびに、高良の髪が月明かりを掠めて揺れる。
「......はい」
やっと、それだけが返ってきた。
体育館の前の階段に腰を下ろすと、冷たい夜気が肌に触れた。
高良も隣に座り、少しうつむいたまま靴のつま先を見つめている。
静かな時間が流れて、ようやく高良が口を開いた。
「......昨日、聞いたんです。今回の合宿で、メンバー決まるって」
ぽつりと落とされた言葉に、俺は思わず高良の横顔を見た。
街灯に照らされた頬が、少しこわばっている。
「それで、ちょっと......焦っちゃって。空回りばっかりで、全然上手くいかなくて」
俯いた声が、夜に溶けていく。
なるほど、と胸の奥で何かが腑に落ちた。
今日の練習でいつものような軽やかさがなかったのは、そのせいか。
「そんなに焦らなくてもいいだろ。お前は来年もあるんだから」
励ましに言ったつもりだった。でもその瞬間、高良がぐっと顔を上げて、まっすぐ俺を見た。
「でも、先輩は今年が最後じゃないですか!」
声が少し震えていた。
その勢いのまま続ける。
「これを逃したら、もう先輩と試合に出られないかもしれないんですよ。だから......どうしても頑張りたくて」
そう言って唇を噛む高良の横顔が、どうしようもなくまぶしく見えた。
胸の奥が、熱くなる。
「......バカだな、お前」
そう言いながらも、声が少し掠れていた。
思わず口をついて出た言葉に、高良が目を丸くする。
俺は小さく息をついた。
夜の静けさの中、体育館の明かりだけがぽつんと遠くで灯っている。
「焦る気持ちは分かる。でもさ――お前なら大丈夫だ」
そう言って、隣の肩を軽く叩く。
高良が驚いたように俺を見る。
「無責任かもしれねぇけど、そう思うんだ。いつも誰よりも練習してるのも知ってるから」
高良の指先が、膝の上でぎゅっと握られる。
「それに......俺のトスを一番知ってるのはお前だろ?」
高良の顔が少しだけほころんだ。
「......先輩、そんなこと言われたら......泣きそうになります」
笑いながら言う声が、ほんの少し震えている。
俺もつられて笑った。
「泣くなよ、まだ終わってねぇんだから」
「はい......頑張ります」
その返事は、さっきまでの強ばった声じゃなかった。
少しだけ、肩の力が抜けたような、柔らかい響き。
風が吹いて、前髪が揺れる。
「......先輩」
「なんだよ?」
高良は少し迷ったように視線を落とした。
「少しだけ、抱きしめていいですか」
その言葉が耳に残って、喉がひりついた。
何を言われたのか一瞬わからなくて、ただ見返す。
「今......そうしたら落ち着く気がして」
俺は言葉を返すことができなかった。
俺の無言をどんなふうに解釈したのか、高良がゆっくりと腕を伸ばす。
その手が、ためらうように俺の背中に触れた。
そして、そっと抱き寄せられる。
汗とシャンプーの匂いが混じったような、あの夏の匂いがする。
鼓動が近くて、体の奥がくすぐったくなる。
「俺まだ何も言ってないだろ」
「すみません、でも我慢できなきて」
「じゃあ、聞くなよ」
そう言って俺を抱きしめる腕が少し強くなったのを感じた。
「......やっぱり、落ち着きます」
高良の声が小さく震えて、俺の肩に触れた唇が熱かった。
何も言えない。
でも、離れようとも思わなかった。
俺が黙っていると、高良が少しだけ顔を上げる。
月明かりに照らされた横顔が、思ってたよりずっと優しい。
「......もう大丈夫だろ」
やっと絞り出した声は、少し掠れていた。
「はい。でも、もう少しだけ......」
そう言って目を閉じる高良を見て、胸の奥で何かが静かに軋んだ。
こんな気持ちは初めてだった。
「先輩」
「ん?」
「......俺、やっぱり、湊先輩と一緒に出たいです。試合」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥で何かがちりっと弾けた。
俺はそれを悟られないように、ほんの少し顔を背けた。
「......あたりまえだろ。俺もそのつもりだよ」
そのまま、しばらく何も話さなかった。
遠くで波のように虫の声が続いている。
明日になれば、また部活が始まる。いつも通りの朝がくる。
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