懐いていた後輩はどうやら俺のことが好きらしい

光野凜

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第7章

ただの後輩だったのに

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 職員室を出た俺は、手に握った紙を軽く持ち上げた。

 ――ついに来たか。

 その一枚に、この夏のすべてがかかっている。

 体育館の重い扉を開けると、スパイク音と声が一気に耳に飛び込んできた。

「おーい! 試合の組み合わせ、出たぞ!」

 その一言で、空気が変わる。ボールの音が止まり、全員が俺の方を見る。

「マジっすか!?」

「どこどこ!?」

 声を上げながら、みんなが走って集まってくる。

 紙を広げると、汗ばんだ手が次々と指を伸ばして、目を走らせた。

「......神山は、決勝だな」

 俺がそう言うと、みんな「よかったー」「一回戦じゃなくて助かった!」と安堵の息が漏れた。

 神山。去年の地区予選優勝校で、全国常連の強豪。

 去年、俺たちは二回戦であいつらに当たって、完敗した。

 その名前を見るだけで、悔しさが蘇る。

「はぁー......ほんと、ここは激戦区だよな。地区予選のレベルじゃねーもん」

 陽稀がため息まじりに笑う。

 俺も肩をすくめながら紙を見つめた。

 そのとき、横で高良が口を開く。

「勝つなら結局、どこかで当たるんですから。一緒ですよ」

 そう言って笑ったその顔が、やけにまっすぐで。

 なんの迷いもなく“勝つ”って言い切るのが、こいつらしいなと思った。

「......そうだな」

 自然と笑いが返った。

 緊張していた空気が少しやわらぐ。

 体育館の中には、ボールの弾む音と、夏の始まりを告げる蝉の声が重なっていた。




 そして翌日からは、選ばれたメンバー中心の練習が始まった。

 地区予選まで、残り一週間。

 どの部員も焦りと緊張を抱えながら、必死にボールを追っていた。

 ――はずだった。

 けれど、コートの隅でふざけあってる一年の声が耳に入る。

 集中が切れた俺は、思わず声を荒げてしまった。

「おい! みんな必死なのにサボってんなよ!」

 一瞬、空気が止まる。

 一年の二人は気まづそうに目を合わせて「すみません」とボールを拾って離れていった。
 ......やってしまった。

 キャプテンって、もっとみんなを信じるもんだろ。なのに俺は、声を荒げてしか動かせない。

 焦りと苛立ちが入り混じって、つい声が強くなった自覚はあった。

 練習後、俺はみんなより遅れてコートを出る。

 ひとり反省しながら、薄暗い廊下を歩いた。
他に言い方、あっただろ。......空気、悪くしてどうすんだよ。

 そんなことを考えながら、重い足取りで部室へ向かう。

 ドアノブに手を伸ばしかけた、そのとき――中から聞き慣れた声がした。

「......湊先輩、マジだるかったよな、今日」

 ピタリと手が止まる。

「ほんと、何あんな怒ってんだよな」

「てか湊先輩って、キャプテン向いてないよな」

「わかるー。絶対に陽稀先輩の方が向いてたのに」

「別に対して上手くもねぇのによ」

 笑い混じりの声。

 冗談めかしているのに、どこか本音の重みを持っていて。

 その一言が、心臓の奥に刺さった。

 息が詰まる。

 笑う声が、遠くで響いているように聞こえた。

 ――ああ、やっぱり。

 俺、キャプテンなんか向いてないのかもしれない。

 握っていたドアノブから、力が抜けていく。喉の奥に何か詰まったみたいに、息ができなかった。

 頭の中が真っ白になって、ただドアノブにかけた手だけが、そこに取り残されていた。

 その時だった。

 ――ぐっと、俺の手の上に大きな手が重なる。

 バッと顔を上げると、そこに立っていたのは高良だった。

「......おい、高良」

 絞り出すように声をかけるが、高良は何も言わず、俺の手をそっと外してドアを開けた。

 勢いよく扉が開く音が、静まり返った部室に響く。

「お前らが......湊先輩の、何を知ってんだよ!」

 怒鳴り声。

 その瞬間、部室の空気が一変した。

 ふざけていた一年たちが、突然のことに固まる。

「湊先輩は誰よりも早く来て、誰よりも最後まで残ってんだぞ。どうしたら勝てるかって――ずっと、チームのために考えてる人だ。お前ら、そんなことも知らねぇで、よく偉そうなこと言えんな!」

 いつも調子よく笑っている高良が、今は本気で怒っていた。

 俺は、ただ呆然とその背中を見つめるしかなかった。

「......おいおい、落ち着けよ。ただの冗談だろ――」

「冗談なら、何言ってもいいのかよ」

 部室に沈黙が落ちる。

 誰も何も言えなかった。

 高良がギリっとした目でふたりを見つめる。

 ――俺のために、怒ってくれてる。

 それが伝わった瞬間、息がしやすくなった。

 夕焼けが、ゆっくりと校舎の向こうに沈んでいく。ふたりは逃げるように部室から出ていった。



 その後、着替え終えた俺と高良は並んで歩いていた。

 アスファルトを踏むスニーカーの音だけが響く。しばらく、沈黙が続いた。

「......お前、あんなこと言って、今後気まずくならねぇか?」

 俺が口を開くと、高良は少し前を見たまま、肩をすくめた。

「いいです。本当のこと言っただけなんで」

 そう言って笑う。その笑顔が、どこかまぶしかった。

 少し間をおいて、俺はぽつりとこぼした。

「......俺、自分でもキャプテン向いてないと思うんだ」

 高良の足がぴたりと止まった。

「......高良?」

 振り返ると、まっすぐな瞳が俺を見ていた。

「俺、昔は湊先輩って才能の人だと思ってました」

「才能?」

「でも、ここに入って気づいたんです。――先輩は、誰よりも努力してる人だって。いつも一生懸命出チームのことを考えていて、俺はそんな先輩が好きです」

 その言葉が、夜気を震わせた。

「......今それ言うの、ずるいだろ」

 視線を逸らすことができなかった。

 胸の奥が、じんじんと熱い。

 高良のまっすぐな目が、まるで何かを求めるように俺を射抜いてくる。

 鼓動が早くなっていくのが、嫌でもわかった。

 高良は何も言わなかった。

 けど、隣に並ぶ気配がして、そっと肩が触れた。

「ごめんなさい。でも先輩には知って欲しくて」

 苦笑混じりの声がやけに優しくて、胸がぎゅっと締めつけられる。

 ......ずるいのは、俺のほうかもしれない。

 あんな真っ直ぐな目で言われて、何も感じないふりなんて、できるわけがない。

 高良が小さく笑う。

「俺からしたら、湊先輩以外がキャプテンなんて、考えられませんよ」

 そう言って笑う高良の横顔が、夕日に染まって見えた。

 自分の努力を、ちゃんと見てくれていた人がいた。

 それだけで今までの努力は無駄じゃなかったと思えた。

 目元も、熱くなるのを感じた。

 そんな俺の前に、高良が歩いてくる。

 夕陽を背にした顔は、いつものように明るくて、どこか優しかった。

「......先輩が頑張ってんの、俺は知ってますから」

 笑って言うその声が、まるでやさしく撫でるみたいで。

 不意に、胸の奥がぐらりと揺れた。

 どうしてだ。

 ただの後輩のはずなのに――。

 視線をそらせば楽になれるのに、それができなかった。

 高良のまつげの影が、夕陽に溶けて揺れる。

 次の瞬間、体が勝手に動いていた。

 コツン、とおでこを高良の胸に預ける。

 高良の体温が、近い。

 鼓動の音が、やけに大きく聞こえた。

「......ありがとな」

 そう言った声が、少し震えた。

 言葉の裏に、抑えきれない何かが滲む。

 ああ、もう分かってしまった。

 この胸の熱も、視線の先を追ってしまう理由も、

 全部――“好き”だからだ。
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