逃げられるものならお好きにどうぞ。

小花衣いろは

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微かな予感には蓋をしたままで

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「ひ、ひぃっ! もう止め……!」

 助けを請う男を、容赦なく殴り続ける。何度も、何度も。

 ――あの人が感じた痛みは、恐怖は、こんなものじゃない。もっと、もっと思い知らせてやらないと。二度と馬鹿な真似ができないように。いっそのこと、腕や足の一本や二本、折ってしまってもいいかもしれない。あの人に触れた汚らわしい手なんて、必要ないだろう。

「おい、そろそろ止めとけ。ほんとに死んじまうぞ」
「別にこんなやつが死んだところで、誰も困らないと思うけど?」

 感情を削げ落とした顔で、すでに意識を失っている相手を足蹴にしている椿に、慎二は深いため息を吐き出す。

「オマエが人殺しになったら、嬢ちゃんが悲しむんじゃねーか」

 踏み下ろそうとしていた足を、寸でのところでピタリと止めた。

「……仕方ないから、あとは皇さんに任せるよ」
「任せるって……そいつ、すでに瀕死じゃねーか」
「だいじょーぶ。ザオラルって回復呪文唱えておけば、すぐに復活するから。そしたらまたボコっていいよ」
「その回復呪文、ぜってー失敗するだろ。ザオリクの方がいいんじゃねーのか」
「え、皇さんもゲームとかするんだ。意外」
「まぁ、昔な。今のはさっぱりだ」

 他愛のない会話を繰り広げる二人の足元で、とうに意識を手放している男は、百合子を攫った張本人である、葛木組の組員の一人だ。
 数多の違法売買に、今回の百合子の拉致、婦女暴行未遂。本来なら即警察行きのところだが、慎二と葛木組先代との話し合いの末、今回の件はおおやけにはしないとのことで話が纏まった。

 あちらの面子もあるのだろう。承諾した慎二に、先代組長は多額の賄賂を送りつけてきた。慎二は金など要らないと突っぱねたかったが、皇組の実質のトップでもある組長(普段表に出てくることはなく、実質の指揮をとっているのは慎二ではあるのだが)は、それを受け取ってしまった。

 こうやって何でも金の力で解決しようとし、それが出来てしまうところは、裏社会の汚い部分の一つだ。
 そして今地面に転がっている男は、葛木組の中でも兄貴分の立ち位置にいたらしいが、その役職からは下ろされたらしい。

 しかし、それだけの処分で腹の虫が治まるはずもなかったのが、椿だった。
 もちろん、自身が刺されたことなどはどうでもいい。百合子に危害を加えた男が今も尚、のうのうと同じ世界で息をしている。その事実だけで、腹の中にあるどす黒い感情が暴れ出しそうだった。

 そこで慎二を通じて葛木組の先代にも話を通し、椿は廃倉庫に男を呼び出し、一対一のタイマンを申し込んだ。――その結果が、今のこれだ。

 葛木組の先代も、不始末は自分で付けさせるとは言っていたが……まさかここまで圧倒的な力の差でボコられているとは、思ってもいないだろう。

「それじゃあ百合子さんも待ってるし、俺は帰るから」

 目的を達成した椿は、早々にこの場から離脱しようとする。けれど何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らし、慎二に向き合った。

「そうだ、思い出した。皇さんに言っておかなきゃと思ってたんだよね」
「あ? 何だよ」
「……いくら皇さんでも、百合子さんはダメだよ」

 ニコリと口角を持ち上げた椿だったが、その目は一ミリたりとも笑っていない。感じるのは、色濃い牽制。

 ――手を出したら、ただじゃ置かない。

 やんわりとした声音だったが、その鋭い瞳が、そう物語っている。

 しかし皇組の若頭の座に居るだけあり、それ如きで怯むような男ではない。慎二は煙草を吹かしながら、ゆるく頷き返す。

「ったく、んな怖ぇ面で凄まなくても分かってるよ。嬢ちゃんに、手は出さねーさ」
「うん。それじゃあ、俺は帰るから」

 慎二の返事をあっさりと受け入れた椿は、今度こそ背を向けてこの場を去った。
 遠ざかっていく背中を見つめながら、慎二は感情の読めない声で呟く。

「オマエが過ちを繰り返さない限りは、な」

 しかし含みを持ったその言葉は、椿の耳には届かなかった。

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