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1巻
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しおりを挟むプロローグ
男と女は、求めるものが違うのだという。
男は結果を、女はコミュニケーションを求めるのだと、昔テレビか何かで聞いたことがある。
男女の価値観のズレや、性別ゆえの感じ方、捉え方の違い。
それに気づかず口論すれば、当然答えが出ないままお互いにただ疲れるだけ。
つまり、簡潔に言えばこういうこと。
男は女心がわからない。
女も男心がわからない。
結局、互いに相手の言いたいことは理解できても、共感できないから納得もできないのだ。
カチカチカチ、と壁掛け時計の秒針が時を刻む。今まで、この男と一緒にいてこれ程その音が耳に障ったことがあっただろうか。沈黙、無言という空間に縁がなかった、二人でいる時は。
何かを言わなければ、と気持ちばかりが焦ってくる。それは彼も同じようで、唇が躊躇いがちに開いては閉じるを繰り返す。
私の指先を掴む彼の手に、きゅっと力が込められて数秒後……
「――――」
これまで散々彼に悪態をつかれてきたけど、この時のたった一言程胸に響いた言葉はなかった。
1 イベントの重要度
先日、誕生日を迎えた。
彼氏もおらず、ましてや平日ということもあって、友人や親からメッセージが届いた程度であっさり一日が終わった。
広瀬結、二十七歳。
大学を出てすぐ、大手洋菓子メーカーに就職し、企画営業部に身を置き五年が経つ。
最初の一年は勉強ばかりだったが、二年目に初めて自分の企画が商品化した時は、とてつもない達成感があった。初めて試作品ができあがった時、パッケージの完成品が届いた時、自分の企画した商品を店頭で見つけた時――全て写真に収めて今もスマホのアルバムに残してある。
その時の記憶を支えに、今まで頭に浮かぶイメージを次々と企画書にまとめてきた。もちろん、その全部が商品化されたわけではないけれど、企画の仕事が楽しくて仕方なかった。
しかし近頃、調子は低迷気味だ。
いくつ企画を出しても中々通してもらえない。それどころか会議にすら上げてもらえずボツになったものもある。
今までも、決して特別飛びぬけた結果を出していたわけではないのだけれど、こうも上手くいかないことが続くと、さすがに気力も萎えてくる。
この不調の原因に思い当たる節はあった。
昨年秋にあった人員入れ替えをきっかけに、オフィス内で行った席替え。
仕事が上手くいかない理由を誰かのせいにするつもりはないけれど、私の調子がおかしくなったのは、明らかに彼が右隣に座るようになってからだ。
同期入社の来栖和真。
私は以前から、彼のことが好きじゃない。
すらりと背が高く、手足の長いモデル体型。整った顔立ちに、短く整えられた艶のある黒髪。
少し長めの前髪から覗く涼しげな目元そのままに、性格も実にクールな奴だった。
いつの間にか同期の誰よりも商品化に貢献している。昨年、彼が企画したバレンタイン商品はここ数年で一番のヒット作となった。そんな誰もが羨む実績を、涼しい顔をして着々と積んでいる。
そんな男が隣にいれば、どうしたって劣等感が湧いてくるというものだ。
どんな仕事の仕方をしてるんだろう、と気になって気になって仕方がない。気がつけば、すっかり調子を狂わされてしまった。
そしてもう一つ、来栖を好きになれない理由が仕事とは別にあった。
見目が良く仕事もデキる、そんな男がモテないはずはない。
だが彼は、来るもの拒まず去るもの追わずで彼女が定着しない、というクールを笠に着たクズ男だったのだ。
「どうして仕事入れちゃうの!?」
定時間際、提出書類を総務に届けてオフィスに戻る途中のことだった。
私が廊下を歩いていると、ミーティングルームから責めるような女の声が聞こえてくる。あまり聞き覚えのない声からして、どうやら企画営業の人間ではなさそうだ。
「入れたんじゃなくて、入っちゃったものは仕方ないだろ」
相手の声は、来栖のものだった。
冷たいくらいに落ち着き払った声は、感情的になっている彼女にとって余計に腹の立つものだったのだろう。一瞬の沈黙の後、聞こえてきた彼女の声は少し震えていた。
「入っちゃったって……誕生日なのに! 前からずっと約束してたよね? 夜くらい空けられないの?」
「……夜は打ち合わせの後そのまま接待になる。忘れてたのは悪かった」
あああ。忘れてたって言っちゃったよ。
「忘れてたって……付き合って最初の誕生日だよ? 何度も言ったのに酷くない? ……仕事が忙しいのはわかるけど、それって私が言ってること全然頭に入ってなかったってことじゃないの?」
当然彼女は納得がいかないらしく、早口で捲し立てる。だけど来栖は、それっきり沈黙してしまった。
いやいや、そこで黙っちゃダメでしょ。
成り行きが気になってついドアの前で立ち止まり、立ち去れなくなってしまった。
誕生日だからって、無条件に自分の約束が最優先されると思うのは間違っている。けれど、付き合って初めての誕生日なら、確かになんとかしたいと思う気持ちもわかった。
それに、あれだよ。致し方なく仕事が入ったというならまだしも、「忘れてた」っていうのはまずいんじゃないですか、来栖くん。
ハラハラしながら、ドアの前で聞き耳を立ててしまう。沈黙を続ける来栖に、痺れをきらしたらしい彼女の言葉が続く。
「接待って何時に終わるの」
「わからない」
「わからないって、ちょっとは予測つくんじゃない? 私待ってるし」
「いつになるかわからないのに? そんな無駄な時間使うなよ」
「無駄って……酷い。ちょっとでも一緒にいたいって思うから言ってるのに」
「……いちいち悪い意味に受け取るなよ」
「じゃあどういう意味よ!」
ついに彼女の声が、金切り声に変わった。
私はおろおろと周囲を見渡す。時刻はすでに定時を過ぎていて、通路に人は少ないけれど、まったくいないわけじゃない。
さすがにミーティングルームで痴話げんかをしてる、なんて知られたらまずいでしょ。
早く彼女を宥めるのだ! と言ってやりたいけど、口を出すわけにもいかないこの状況。
そして、ミーティングルームから聞こえてきたのは、この上なく重く長い溜息と――
「……めんどくさ」
ブリザード吹き荒れる一言だった。
いや来栖! めんどくさいのはわかるけど、女はめんどくさい生き物なんだよ!
たとえ思っていても言っちゃダメな一言に、彼女の返事は言葉ではなかった。
パシーン! と気持ちいい音が聞こえたかと思ったら、カツカツと荒々しいヒールの音がする。
あ、やばい! そう思った時には、目の前のドアが勢いよく開き、私の鼻先を掠めた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
向こうも驚いたのだろう。涙を浮かべた大きな瞳を、更に大きく見開いている。
なんと。総務の花、戸川菜穂チャンだ。
めちゃくちゃ可愛くて愛想がいいって聞いていたけど、すれ違いざまキッと強く睨まれた。
「サイテー!」という捨てゼリフは私と来栖、どっちに向けたものだろう。
私は偶然居合わせただけで、聞く気はなかったのよ!
そう弁解したかったが、彼女の背中はあっという間に角を曲がって見えなくなる。おろおろしながら彼女の消えた廊下の角を見つめていると、えらくドスの利いた低い声で名前を呼ばれた。
「広瀬……盗み聞きか?」
「違うわよ、通りかかっただけ!」
あんたまで失礼な!
確かに部屋の前で足は止まってたけど、わざとじゃない。だってあれは止まるでしょ。
「それより来栖くん、早く追いかけたほうがいいよ!」
来栖の顔を見れば、右頬に見事に赤く紅葉が咲いている。戸川菜穂はどうやら左利きのようだ。
「こういうのは、すぐに解決したほうがいいって」
今ならまだ追いつけるはずだ。だから早く、と来栖を急かすのだが、当の本人はひどく冷めた表情で床を見つめたまま動こうとしない。
「いや。いい、もう」
「は? いいわけないでしょ、彼女でしょ!?」
「彼女ならなんでも最優先なのかよ? もういいって」
いや、別にそんなことは思わないが。ただ彼氏なら、やっぱり放っておくのはまずいだろう。
「あんたの言い分もわかるけど、女ってのは追っかけてきて欲しいものでしょ」
後を追いかけてフォローして、ちゃんと話し合うべきだ。だが来栖は、その場にしゃがみ込んで背中を丸めてしまった。
いうなれば、吹き荒れていたブリザードが、ひゅるるると萎んでいくイメージだ。
「は? え、ちょっと……どうしたのよ」
来るもの拒まず去るもの追わず。冷ややかな態度で彼女が定着しない……そんな「噂」を持つクールなクズ男。目の前のこれが、その来栖和真か?
「……疲れた」
一体何があった、来栖和真。
* * *
たとえば来栖が噂どおりの男なら、私も「サイテー」と言ってあの場を離れていただろう。
いや、泣いて走り去った彼女を追いかける気がない時点でサイテーであることに変わりないのだが、全身で疲労感を表す男を放ってはおけなかった。
そんなわけで私たちは今、赤ちょうちんがぶら下がるオッサン居酒屋のカウンターに肩を並べて座っている。面倒くさがる来栖を無理矢理引っ張って来たので、彼の横顔は見事なまでに仏頂面だ。
そういえば、来栖とはずっと同じ部署にいるけれど、こうしてプライベートで飲むのは初めてかもしれない。今までは、せいぜい忘年会で顔を見る程度だ。
「……こんなところ菜穂に見られたらマジで困るんだけど。あいつ、すげえ嫉妬深いんだよ」
「大丈夫大丈夫、緩衝材呼んどいたから」
「緩衝材?」
私だって来栖と二人で飲むなんて冗談じゃないわけで、飲み友の同期をもう一人召喚した。訝しげな顔をする来栖を無視して、カウンター越しにビールを注文する。
「上手くいかない時は飲んで愚痴るのが一番でしょーが。最初の一杯は奢ってやるわよ」
「お前、絶対面白がってるだろ」
「私だってそんな暇じゃないわよ!」
頬が引き攣ったのは、多少の図星もあったからだ。
だってあの、涼しい顔で次々企画を実現しちゃう来栖和真をだよ? こんな風に弄れる日がくるなど思わないじゃあないですか。
むすっとしたまま不機嫌さを隠さない来栖に、どうにか口を開かせようとビールを注ぐ。最初は話したがらなかった来栖だが、ビールが進むうちにぽつぽつと愚痴を零し始める。
結果、無口キャラだったイメージが見事に崩れた。
「そうは言うけど、毎晩毎晩、電話なんてできないだろ。今日は何食ったとか誰がどうしたとか、そんな話ばっかしてどうなんだよ」
「大切なのは話の内容じゃなくて、声を聞いたり話したりすることなんだって! 女はそういうもんなの! 別に毎晩小難しい話しろって言ってんじゃないんだから、電話くらいできるでしょうが!」
「できるできないの問題じゃねーわ、必要か必要ないかの話だろ!」
「だから、話をすること自体が必要なんだって言ってんでしょ!」
中々来ない緩衝材。オッサン居酒屋のカウンターで、いつしか二人はヒートアップしていた。
私たちの言い合いのきっかけは、来栖のとある発言から。曰く、来栖と彼女は現在付き合って三か月。最初の頃に比べて段々と増えてきた彼女の電話に、ほとほと疲れているらしい。
まあ、男というのは連絡不精なものだというし、電話も用件のみというタイプが多いのかもしれないが。もしかすると来栖は、それが少々極端なのかもしれない。
会社であれ程しつこく食い下がっていた彼女は、もしかしたら来栖のそういうところに普段から寂しさを感じているのではないだろうか。
「こっちだって仕事して帰って来て、いつでも愛想いい声ばっかり出してられないだろ」
うんざりとした重い溜息がカウンターに落ちた。
来栖の言い分もわからないでもないが、それでもこれまでの彼女が本当に最長三か月なら、明らかにこの男に落ち度があるように思えてならない。
なんだろう。決して極端な我儘を言ってるようには思えないのに、何かこう、納得がいかない気がする。
「でもさ。いい大人なんだから、感情的になってしょうもない別れ方する前に、ちゃんと話しなよ」
「わかってる。そのうち向こうから連絡してくる」
「それ! そういうのよ!」
わかった、ようやく何に納得がいかないか掴めてきた気がする。
来栖を責めていた彼女は、確かに少々めんどくさい感じもあったが、一緒にいたいっていうのが第三者の私にも伝わってきた。
「普通さ、彼女を怒らせたらもうちょい焦るでしょうよ。なのにあんたが涼しい顔ばっかしてるから、彼女もヒートアップすんのよ!」
クール過ぎるのだこいつは、と結論付けようとしたところで、背後からポンッと背中を叩かれた。
「ヒートアップしてんのはお前だろ。つうか珍しい組み合わせだな、驚いたわ」
すっかり忘れていた緩衝材がようやく到着した。来栖が後ろを振り向いて、驚いた顔をする。
「緩衝材って、小野田のことか」
「そ。うちらよく一緒に飲むから」
商品開発部の小野田公一。大学ではアメフトをやっていたという彼は、がっしりとした大きな身体をしているが、にかっと笑った顔はちょっと童顔。性格も穏やかなこの同期は、私の今一番気心の知れた飲み友達だ。
「遅いよ小野田ー」
来栖とは反対側の私の隣に座った小野田は、カウンターの中の店員に「生中一つ」と声をかけてから、こちらを向く。
「悪い。電話中だったからメールに気づくのが遅れたんだよ」
「あ。苑子ちゃん? もしかして今日会う約束だった? だったらそっち優先でよかったのに」
「いや。彼女明日早いから、今日は会えないっつって。電話してたら長くなっちゃって」
小野田には、現在溺愛中の彼女がいる。でれっと鼻の下を伸ばした顔に、これだよと思った。ぐるん、と来栖を振り向くと、小野田の顔を指差した。
「これだよ! あんたに足りないのコレ!」
「来た早々コレ扱いだよ、俺……」
「……俺にこの顔をしろと」
私の意図するところをすぐに理解したらしいが、よっぽど受け入れがたいのか来栖の顔が複雑そうに歪んでいる。
「気持ちの問題! そういう温度差って結構伝わるんだって。だから彼女も束縛気味になるんじゃないの? あんたから会いたいとか言ってる? 電話したいとか? 言わないでしょ、絶対。傍から見ても、温度差感じるもん。彼女はもっと感じてるはずだよ、きっと」
「……温度差ねえ」
ぼそっと呟きつつ、何か思い当たる節でもあったのだろう。来栖は俯いて少し考え込むように、言葉を途切れさせる。そのタイミングで、カウンターの上に置いてあった彼のスマホが、断続的に振動を始めた。つい目を向ければ、画面には「菜穂」と表示されている。
「ちゃんと謝ったほうがいいよ。あのままはよくない」
「わかってるよ」
口うるさい奴だと言いたげな視線が飛んできたが、さっきみたいな冷めた投げやり感はない。来栖は席を立ちながら親指を滑らせスマホを耳に当てた。
「……菜穂?」
意識して、なのかもしれないけど、ミーティングルームで聞いた声とは比べものにならない柔らかい声でほっとする。
「いや、俺も悪かった。ちょっと待って」
席を離れて店の外へ出て行く横顔に、一瞬優しい微苦笑を見た。
「……なんだ。あんな顔もできるんじゃない」
「来栖は、確かにべたべたするタイプじゃないけどな。噂みたいに、次から次へ女をとっかえひっかえしてるわけでもないんだぞ」
「それはなんとなくわかったけど……あんなに喋る男だとは思わなかった」
まあ、溜まっていた鬱憤を吐き出していただけかもしれないけれど。
まともに来栖と話したのは、これが初めてだった。何しろ彼は、仕事中は無口でにこりともしない。これまで、挨拶か業務上の連絡事項くらいでしか言葉を交わしたことがなかった。
「男同士で飲む時は結構喋る奴だよ。けどあんなにヒートアップしてんのは初めて見たな」
「そうなの?」
小野田から見ても珍しい姿だったらしい。
「つい色々口出しちゃったけど。あの感じだったら何もしなくてもすぐ仲直りしたかもね」
「いいんじゃね? お前に吐き出してすっきりしたおかげかもしれないし」
「そうかな」
「広瀬は結構、世話焼きだよな」
「そんなんじゃないよ。興味本位でつい」
クールな男の別の顔が見られると思って、ぐいぐい押し過ぎた。来栖には、きっといい迷惑だっただろう。
「無関心よりずっといいさ。俺は、広瀬のそういうとこいいと思うよ」
小野田はこんな言葉を、飲み友達の私にもさらっと言ってくれる。天然か癒し系か知らないが、相手の欲しがる言葉を理解して自然と口にできる小野田はいい男だろう。
比べて来栖は、あんなに女慣れしてそうな外見なのに、案外小野田よりずっと不器用な男なのかもしれないと思った。
三人で飲んだ数日後、来栖は彼女と無事に仲直りしたらしい。私のお節介もちょっとは効果があったのかな。案外素直なところもあるのだと思うと、来栖のクールなイメージが若干崩れた。
といっても、絶対零度から氷点下くらいの違いだけど。なにせオフィスでは、相変わらず口数が少ないので。
朝、オフィスに着いた私は、すでに隣に座っていた来栖に声をかけた。
「おはよ」
「おう」
戻ってきたのは、少しだけ砕けた挨拶。そのおかげか、デスクの居心地が前程悪くないと思えるようになっていた。
パソコン画面を睨みながら、かち、かち、とマウスをクリックする。仕事に集中できるようになったからといって、そうそう仕事は上手く運ばないものらしい。私は次の商品企画に向けて、朝から延々と他社商品や去年の季節ものなどの画像を探し続けていた。
はー……と、思わず長い溜息を零した時、私と来栖の間で驚きの変化が起きる。
「……何悩んでんの。次の企画?」
ぽそっと静かな声が聞こえて隣を見た。来栖は自分のパソコン画面をまっすぐ見つめたままだが、今の言葉は私に向けて発していたはず……だよね?
「え……うん。クリームブッセの期間限定のテイストなんだけど。クリームの味だけじゃなく、ブッセ生地の色も変えたいと思うんだけど、素材で迷ってて」
まさか来栖から声をかけられるとは思ってなくて、私は思い切り目を見開いてしまった。彼は相変わらずパソコンに向かったまま、ちらっと目線だけを向けてくる。
「季節もの?」
「じゃなくてもいいの。ただ、限定感は欲しくて」
「ああ……難しいよな。流行りの味はどこもバンバン出してくるし」
「そうなのよ、人気の味ってことは珍しくないってことだし……それをそのままやったって、結局は二番煎じでしょ?」
再びパソコン画面に視線を戻す。こめかみに指を当てながら再び思考をクリームブッセに集中させていると、再び来栖のぼそぼそ声が聞こえた。
「気分転換でもしてみれば? 画像やら文章やら情報ばっかり見てても、ダメな時は何も出てこないぞ」
「……わかってるけど、そんなしょっちゅう食べ歩きなんて行けないしさ」
「別に食べ歩きしろとは言ってねえけど」
即座に突っ込まれてしまった。
「私の気分転換は食べ歩きなの! いいでしょ別に」
そんなの来栖の知ったこっちゃないだろうけどさ。
「そっちは何してんの?」
「新商品のパッケージとか?」
相談に乗る、という程でもない。ただお互いの仕事の進捗状況を話し合うような、仕事仲間なら普通にありそうな会話。だけど、来栖とは初めてのことだった。
そして、翌日。今朝は私のほうが来栖より先にオフィスに着いた。パソコンを起動させていると、来栖が出勤してくる。
「おはよ……え、何これ」
来栖から、無言でA4サイズくらいの紙の手提げ袋を渡される。中を見ると、個包装のお菓子がどっさり入っていた。
「限定ものの味とか季節ものとか、今出回ってるの集めてきた。食べ歩かなくても気分転換はできる」
「え」
「それに、パソコンで画像見るのと、実際に目で見るんじゃ、全然印象が違うだろ」
相変わらずにこりともしない。言うだけ言うと、来栖はそのまま自分のパソコンを立ち上げ、さっさと仕事を始めてしまった。
私は再び袋の中身に視線を落としてから、もう一度来栖の横顔を見る。
え。これってつまり、昨日私が悩んでたクリームブッセの企画のために、わざわざ集めてきてくれたってこと?
「あ、ありがとう。助かる」
「おう。俺はスランプの時、いつもそうしてるから」
そういえば、私も最初、ホントに何にもわからなかった頃はよくそうしていたっけ。
手提げ袋の中から、一個一個お菓子を取り出してデスクの上に並べていく。
そうするうちに、何だかくすぐったい気持ちになって自然と顔が緩む。私がニヤニヤしていると、隣から舌打ちが聞こえてきた。けれど、今の私にはまったく気にならなかった。
応援ありがとうございます!
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