優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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番外編集

バレンタインの認識が変わる時3

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◆◇◆


そうして迎えた、バレンタイン。


「慎さん、これ! バレンタインチョコ」

「ありがとうございます」


馴染みのOLさんに、帰り際に小さな箱を差し出され笑顔で受けとる。


「佑さんもよかったら」

「ついで感満載だなおい」

「やだー、そんなことないよ」


ありがとうございます、と御礼を言って、カウンターの外からは見えない紙袋の中に入れる。


大きめの紙袋だったが、もうすでに溢れんばかりになっている。


バレンタインは明日の日曜だが、土曜の夜から既に女性客がひっきりなしだ。


これはもしかしたら、新記録かもしれないな。
と、既に個数もわからなくなったチョコレート達を見下ろした。


……後で数えてみよう。


時計を見ると、日付が変わるまでまだ少しある。
陽介さんは、今夜はまだ来ない。




陽介さんが来たのは、日付が変わるギリギリの頃だった。


「こんばんは、慎さん」


パーカーにジーンズというラフな休日スタイルで、彼がいつものようにやって来た。
手には、紙袋をぶら下げていた。


「いらっしゃいませ」


平静を装いながらも、そのショップバッグのロゴを僕は見逃さなかった。
先日百貨店のバレンタインフェアで、確かに見た洋菓子メーカーのショップバッグだった。


僕の目がそこに釘付けになったのは、多分気づかれない程度の一瞬だったんだろう。
陽介さんはまるで気付かずにいつもどおりに僕の目の前のスツールに座った。


え。


あれ。
もらったのかな。



「どこかに、お出かけだったんですか?」

「はい、ちょっと用があって。あ、モヒートお願いします」


もらったんだと、確信した。
どういう経緯かわからないけど、ここに来る前に誰かに会ってもらったんだ。


どう見ても義理チョコには見えないそれ。


はっきりと覚えている。
見た目もお洒落で、僕も百貨店で気になっていたやつだ。


オランジュショコラ。
輪切りにされたオレンジピールに、半分ほどチョコレートがかけられたやつ。


鮮やかなオレンジ色が太陽みたいで綺麗だから、と買いに並ぼうと思ったけれど、結局僕は買えなかった。


あの人混みに思い切って突入はしたけれど、男がなぜここにという不審な目をあちこちから向けられて落ち着かず、それでもなんとか見つけた目当てのメーカーは長蛇の列ができていた。
右往左往したあげく、結局そこに並ぶ勇気もなく僕は逃げ出してしまったのだ。


どんな娘だろう、陽介さんにそれを渡した女の子は。


僕には買えなかったそれを。


見も知らない誰かに負けた気分にさせられ半ば茫然としながらも、手はせかせかとカクテルを作る。


いや。
渡したのは、向こうはバレンタイン前日。
僕は日付が変わると同時に渡してしまえば、バレンタインの当日に一番乗りになるから僕の勝ちだ。


とか。
混乱して、脳内で意味不明な戦いを勝手に繰り広げていて。


それでも僕は澄ました顔で、陽介さんが好んで頼むモヒートとは見た目も少し違ったものを彼の前に置いた。


時刻はちょうど、日付を跨いだところだった。
注文したものと違うことに気がついたんだろう、 不思議そうに顔をあげた彼に他の客には聞こえないよう小さな声で告げた。


「僕から、です」


薄い琥珀色の液体に、ミントの葉を浮かべたそれを、陽介さんは一度、二度と口に運ぶ。
そして、はっと何かに気づいて顔を上げた。


「…………チョコレート?」

「ば……バレンタインですから」


さらりと、告げた。
けれど内側は心臓がバクバクだった。


良かった。
気づいてもらえなければ、チョコレートグラスホッパーにギムレット、モーツァルトの午後、と思い付く限りのチョコレートカクテルを並べてやろうと思っていたのだが。


僕が彼に作ったのは、チョコレートモヒートだった。


百貨店で途方に暮れた僕の目に止まったのが、チョコレートリキュールが豊富に並んだ棚で。
僕はそこから、何種類かのリキュールを手に取った。
これなら、さりげなく渡せるかもしれない。
それに何より、他のチョコレートよりも自分らしいと思ったのだ。


「嬉しいです、こんなチョコレート初めてだ」



きらきらと目を輝かせて、何度も味わうようにグラスを傾ける。


彼の言葉や表情は、いつも感情が溢れていてわかりやすい。
照れくさくてつい目を逸らしてしまう僕とは、本当に正反対だ。


「甘ったるくはないでしょう? もっとも、色々あるので甘いのも作れますけど」


こん、こんこん。
とリキュールの小さな瓶を三つ並べる。


ブラック、ホワイト、クリームの三種類。



「陽介さんの名前でキープしときますね。それとも持って帰られます?」

「ここでちょっとずついただきます」



嬉しそうに笑った彼を見て、僕も心底ほっとした。
笑ってくれたのが嬉しかった。
だがそれよりも、まるで一仕事終えたような、とにかくほっとしたのが一番だった。


世の中の女子は、毎年こんなに悪戦苦闘しながら好きな男子にチョコレートを用意しているものなのか。
今年のホワイトデーは、いつもより少し丁寧にしようと誓った瞬間だ。

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