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鬼男
しおりを挟むかくして太陽神パルバルが沈み、月の神レトが輝くころ、サラディーヤは艷めく絹布のかかった雲のようにやわらかな寝台へ置かれた。
サラディーヤは今、肌をほとんど隠さない衣装を着ていた。面積の狭い薄布で、大事な部分のみ白い薔薇の刺繍が施され、いくつもの真珠が蜘蛛の巣にかかった雨だれのように連なっている。寝衣というにはあまりに薄い、しかし豪華な衣装であった。
花の香りが鼻腔をくすぐる。少しでも動けば、真珠の連なりが音を立てて揺れる。恥ずかしいと言うよりも、くすぐったさがあった。そして薄いこの衣装は簡単に壊れてしまいそうで、サラディーヤは安易に動けなかった。
逃げることは出来ない。
痛いのは大丈夫。慣れている。
ちょっと我慢すればいいだけ。
指の震えを抑えながら待つサラディーヤのもとへ、ついにその男は姿をあらわした。たった数刻前に夫となり、目を合わせて気絶した、恐ろしいほど大きな男。戦で何度も凱歌をあげ、幾人もを死に陥れた、恐ろしい男、ウバド。
「体調は、戻ったのか」
ウバドの第一声はそんなものだった。戻るもなにも、体調の良し悪しなど関係なく卒倒してしまったのだが、サラディーヤはなにも言えず首を縦に振った。
うむ、と獣が唸るような低い声。
「名は、サラディーヤで相違ないか」
「そうい……?」
「違いないかと、聞いている」
知らぬ言葉を聞き返せばぴしゃりと返事がくる。やはり軍人。恐ろしい。サラディーヤはこくこくと二度ほど首を振った。
ウバドは立ちぼうけのまま黙っていた。わずかな間が、幾年にも感じられる。次はなにを。もうまぐわうのか。花の実でうっすらと赤く染めた爪先が冷えてゆく。そして。
「恐ろしいか」
「……」
「そうか」
サラディーヤはなにも言っていないのに。
顔を上げて、はじめてウバドを見た。
つやのいい褐色の肌、シェンティのみを巻いた立派な体躯、三白眼の目は黒曜石、短くそろえた黒髪は流れる夜河のよう。彫りの深い眉間を寄せ、ウバドは厚い口唇を一度ぎゅっと噤んだ。その姿は荘厳であり恐ろしく、鬼神ダイラートとも勝るに劣らない。
「明日、お前を解放する」
「へっ……」
「元いたところへ、送り返す。シャハ神殿と言ったな。間違いなく送り返してやるから、今宵は休め。よいな」
送り返される。
明日。
何か不備があったのだろうか。怯えてるのが知られてしまったから? いずれにせよ、サラディーヤの脳裏に浮かぶのは立派な神殿ではなく、あの粗末な家畜小屋である。藁の寝床、糞尿と男の臭い、痛みと苦しみの記憶は、サラディーヤを色鮮やかな絶望に染めた。ほろりと涙がこぼれて、喉の奥がひく、と小さなしゃくりをあげる。
「何故! 泣く!」
それは雷ほど大きな声であった。サラディーヤはびっくりして、今度こそわっと泣き出してしまう。ウバドは何も言わずに寝室を後にして、あとからあわててやってきた老侍女に抱かれて、サラディーヤは泣きながら眠った。泣きながら、やっとのことで男が怖くてたまらないと、あの神殿へは帰りたくないとを告げて……眠った。
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