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2.経理部、田中A子
その8、田中A子は馬耳東風②
しおりを挟むって違う! 思考停止してる場合じゃない。家族を引き合いに出される痛みは分かってるつもりだったのに、なんてことを。言うべきことは他にあるはずなのに。ああ、でも、気の利いたことひとつも言えないどころか、こうやって人の神経逆撫でするようなことしか言えないなんて。モブの中でも最低だ。底辺モブだ。
「あの、あのッ、ごめんなさい……!」
「……」
「え、あの……久遠専務?」
彼は突っ立っていたと思ったら、しゃがんで、顔を覆ってうずくまった。マンションの7階。外廊下だというのに。そして……はあああぁ、と盛大なため息。やっぱりあきれられて、嫌われたのだろう。だったらそれでいい。あとは立ち去るだけ。
でも家族の話を聞いたから逃げるんだと思われるのだけは避けたかった。いまだしゃがみ込んだままの彼の隣に膝をつく。
「あの、私……帰ります。無神経なこと言って、本当にすみませんでした……あと、ご飯ごちそうさまでした。買ったものは」
スローモーション。
手首を掴まれて、
うなじに手が触れて、
視界が暗くなる。
ぎゅっと閉じた唇に長い舌がねじ込まれて、こじ開けられる。両手で頬を固定されて、なお深く侵入される。
尻もちをついた。かぶさってくる。
こんな外廊下で、何を。
「んッ、ンーー!」
抵抗の声は鼻に抜けて闇夜に消えた。一瞬離れたと思っても、息継ぎの間すらなくまたキスされる。深くて、じゅくじゅくと痺れて内側から溶けてしまいそう。彼の呼吸が獣のように焦っていて、それがなんだか、たまらない。
訳の分からないことは続く。キスしたまま、勢いよく脇を引き上げられ、立ったかと思うとそのまま抱き上げられた。信じられない、人生初のお姫様抱っこ。でもそこに言及する暇もなく、また唇が奪われた。混ざり合った唾液が甘い。
どうやら器用に扉を開けて、たぶん閉めないままで奥へと進んだ。まだパンプスも脱いでない、上着も着たままの状態でベッドへなだれ込む。キスを続けて、だんだんついばむように軽くなってようやく、彼はふうっとうなじに顔を埋めた。唇がじんじんする。キスしすぎるとこうなるなんて、知らなかったなあ。
「ねえ、エンボちゃん」
「は、はい」
「ファミリー・ヒストリーってさ、あれだよね、テレビの。ドキュメンタリーの」
「そう、だと、思います……多分……」
「なんで?」
「な、なんでと言われましても、その」
「ぶふッ……人に歴史、あり?」
「う、あの、自分でもよく分かってないと言いますか」
「くっ……ぶく……」
「ご、ごめんなさい」
「わかってないんだ……くく……」
「とっさに出て、あの、ふざけてたとかではなくって、ええっと、私、誰にも言いませんので」
「知ってるよ。分かってる」
「え?」
「エンボちゃん」
「好きだよ」
「好き」
そういうのは、あんまりセフレに言わない方がいいと思うけど。
暗がりのなかで、それでも見えるくらい近くに彼の顔があって、笑っているから。なんだかんだ安心してしまった私は結局なにも言わないまま、彼の唇を受け入れていましたとさ……まる。
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