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4.これはフィクション?
その1、久遠さんは怒ってる①
しおりを挟む週末に連絡はなくて。
こっちから連絡する度胸もなくて。
トーク画面を開いて、通知が無いのを確認して、閉じて。また確認して。
ガックリきてしまう。手回しの早い早織ちゃんは、この間のランチの後すぐ男の人を紹介してくれたけど、そもそも乗り気になんてなれず、向こうも遠慮がちな空気。でもきっと、これが普通なんだろうな。久遠さんがイケイケヤリ○ンパーティピーポーなだけで。
そんなわけで無為な週末を過ごして月曜日。
今は早織ちゃんの業務引き継ぎの手伝いが主な仕事だった。なにしろ来月ってもう今週末だ。実質の準備期間は二週間もないから、急ピッチで進めなくてはならない。ほんと迷惑。もうちょっと余裕持てっての。バカバカバーカ。
「A子先輩」
「んー?」
「久遠専務ってすごいんですね」
「……どしたの急に」
のろけか。
いやいや、早織ちゃんに当たるのは違うでしょ。
「いや、あの人、もしかしたら社員全員の名前覚えてるのかもって。A子先輩のフルネーム、知ってて」
「……ふーん」
「すごいですよね。コネかもって言われてたけど、そんな事なさそう」
そりゃ知ってるでしょうね。
腹立つ。なにを話したんだろう。自分の株をあげるために私をダシに使ったんですかね? 出がらしになった私のパサつきたるや、おかかにもできないじゃない。ああもう、やだやだ。
「……A子先輩」
「ん?」
「なんか怒ってます?」
「え、なんで?」
「キーの音、すっごく大きいです」
「…………あれだよ。ピアニストになろうと思って」
「……日本一の?」
「むしろ世界目指す的な?」
「チケットくださいね?」
「どうかなー、売り出し三分即完売だからなー……っと」
部長の視線を感じてパソコンに集中集中。
でも、こんなおふざけももうすぐ出来なくなるのかと思うと、余計にへこんでしまう。キラキラ女子の早織ちゃんとは、初めのころ、すごく距離を取っていた。知らない人種に対する怯えと偏見があって、なかなか近寄り難かったから。
ちょっとずつ、ちょっとずつ距離を縮めていって今がある。さみしく感じるのは早織ちゃんも同じようで。部長が席を外すと。
「……先輩、私のこと、忘れないでくださいねー」
「なに言ってんの?」
「だって私、こんなに女の同僚と仲良くなったの、初めてだったんですもん。最初っから秘書課だったら、絶対トラブル起こして辞めてました」
うう、染みる。
不覚にもうるっときちゃう。
「なにもう、急に……大丈夫。たかだか社内の人事異動じゃない。転職するわけじゃなし」
「まぁ、そうなんですけど! A子先輩には、私の結婚式でスピーチしてもらうんだって決めてますから」
「え、やだ。何それ初耳」
「A子先輩の結婚式でもしますからねっ、おめでとうスピーチ」
「あらー、でもそれは、いつになるやら」
「どんどん紹介しますから、頑張りましょ、婚活」
「……元カレとは?」
「没・交渉です」
「あらー」
すでに吹っ切れている様子の早織ちゃん。
切り替えが早くてうらやましい。
「早織ちゃんなら、すぐにいい人できるよ」
ヒロインの早織ちゃんには、
もうヒーローがついている。
悪役にもなりきれないモブこと田中A子は、雑踏に紛れるほかない。誰にも、何も言わなかった関係だから、人に言えない関係だから、
終わりはすんなり訪れる。
そう、思っていた。
*
引き継ぎの手伝いプラス通常業務なんだから、給料は倍もらわないと割に合わないんじゃないですかね?
さすがに部長から「手伝うよ」なんて申し出もあり、いくらか分業はしてはいるものの、それでも残業が出てしまう。いつかのように一人きりの経理部で、キーの音だけが響く。
音楽をかける気にはなれなかった。
もしかしたら、と期待を捨てきれなかったから。
そうして望みどおり、革靴の足音が聞こえるのを、全身で緊張しながら受け止めていた。
「おつかれ」
いつもの声なのに。
どこか、苦々しさがある。
「お疲れ様です」
「ちょっといいかな。向こうで、話したいんだけど」
顔は下を向き、眉が寄り、視線だけが恨めしげに彼を見る。ああ、きっとひどく卑屈な顔になっているに違いない。彼もまたどこか、かたい表情をしていた。
「はい」
連れられるがまま、初めて専務室へ入った。
ガラス窓の外から都会の夜景が見えて、大きな机とパソコン、背もたれの高い椅子がある。右に視線を移すともう一組、ひと回り小さな机やパソコンが置いてある。来月からはここで早織ちゃんが働くんだ。なんてお似合い。ドラマみたい。
ビル群の細かい光を背に、美しい八頭身のシルエットがあらわになっていた。
「ごめん」
開口一番。
グラグラと、足元が歪むよう。
思い出すのはUくんとのやりとりだった。ごめん。好きな人が出来た。別れてください。謝られた方がつらいのにーー
「大塚さんとのライン、見た」
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