映した鏡

はんぺん

文字の大きさ
4 / 11

君の辛さは分からないから②

しおりを挟む
 少し驚いたがどうということはない。もう最終下校時刻は過ぎている。守衛だか見回りの先生だかは回ってきて当然だ。見つかっては流石に帰らないわけにもいかない、何とか涙だけでも見られぬように私は立ち上がって袖で涙を拭う。

「お……」

 間に合わなかった。目をこすってる最中に私は見つかってしまったようだ。漏れた驚きの声は若い男のものだった。いや、あまりに若々しすぎる。
 少し身構えて目蓋を開く。滲んだ視界にはまず赤いインクが垂らされた。その赤を中心に輪郭は鮮明になっていき、それはウチの高校指定のシャツを着た男子になった。もっともそのシャツは赤、もとい血に塗れていたのだけど。

「ひっ」

 驚きのあまり私は足をもつれさせてマットの上に尻餅をついてしまった。彼は申し訳無さそうに左手を伸ばして、「ごめん」と言ったかと思うと途中で諦め代わりに右頬を押さえた。どうやら口内が切れているらしく、声を出した時に激しく痛んだようだ。痛みに対してか、或いはそれを作った者へか、激しい憎悪を彼は顔に滲ませる。
 しかし直ぐに彼は自分の表情に気付いてか、あるいは他の感情か、ふっと顔を背けた。

「ごめん。そこに体育祭の時に使う救急箱置いてあってさ……。いや、ほら、保健室ももう開いてないだろうし…………」

 何故か言い訳がましく理由を言って、その後彼は間を置いて何度かごめんと繰り返した。謝る道理も無いのに。その後、私も返す言葉が思い浮かばなくて気まずい沈黙が滞った。
 微妙な間の間に彼を観察してみると手の甲や顔に擦り傷があって、左足は引き摺りがちで服も揉み合ったかのようにクシャクシャだ。外面で云えば私なんかよりよっぽど辛そうだった。不意に笑いが溢れた。久しぶりのそれはとてもぎこちなくて自分でも分かる位控え目のモノだったけれど、少し自分の心を取り戻せた気がした。

「……い、いや、あの、ごめんなさい」

 そして今度はこっちが謝る番だった。目を丸くして私を見る彼に申し訳なくて、お尻をついたまま少し頭を下げる。名札の色で彼が三年生なのは分かっていた。対して私は二年。薄幸そうな様に重ねて、笑ってしまった事にさらに罪悪感が増す。

「……じゃああいこで、な。俺も人居ると思って無かったからビックリしちゃってさ」

 今尚頬を押さえる彼は恥ずかしそうに俯いて言う。そしてそのまま手の平を見せて回れ右する。
 虚を突かれて私の口から「あっ」という情け無い声が漏れた。彼は不思議そうに振り向いて、私は力無く伸ばしていた右手に気付き慌てて引っ込めた。
 
「……どこ行くんですか?」
「どこって……帰るだけだよ」
「……なんでですか?」
「…………泣いてたんだろ。わざわざこんな所で」

 歯切れ悪く彼は言った。多くは言わず、端的に。
 そうだ私泣いてたんだった。反射的に目を擦って乾いた涙の跡を消した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

処理中です...