映した鏡

はんぺん

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君の辛さは分からないから③

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 せっかく忘れていたのに、また嫌な記憶が湧き上がる。けれど、目の前の血濡れの彼を見れば幾分か気は和らいだ。喧嘩をしそうないかにもな不良であればそうはならなかっただろうけど、逆光ではっきりとは見えないがどちらかと云えば彼は柔和な印象だ。
 喧嘩というよりはていたんだろうな、と。それで気を落ち着かす私はきっと嫌な人間なんだろう。

「気にしないでください。一人だからって気持ちが楽になる訳じゃ無かったから」

 せっかく思い出した笑顔を使って、何とか微笑みかけた。彼は口を尖らせて逡巡していた。気を遣い過ぎだ。どう考えたって優先順位が違う。私はさっき伸ばしていた腕をまた伸ばして、今度はちゃんと掴み私の隣へ引き込んだ。

「いっ! ……た」
「わ、あっ、ごめんなさい……」

 マットにうつ伏せに倒れ込んだ彼は驚く前に先ず痛みに呻いた。どうやら傷は見える所だけでは無かったようだ。申し訳ない事をしてしまったが、後悔はなかった。何故だか分からないけれど、帰したくなかったんだ。

「ってぇ……なに? 思ったより元気じゃん」

 ゆっくり体をひっくり返した彼は、何故か可笑しそうに私に笑いかけた。嫌味も憐憫も無い。つられるように、不思議と私の顔も笑顔になる。
 光に照らされてやっと彼の顔がはっきり見えた。やはり加害者というより被害者の人相だ。けれど卑屈ではない。穏やかで居てはっきりと、眼は真っ直ぐ正面を見つめている。

古城こじょうさんて云うんですね。すみません、言葉だと引き留められる自信無くて」

 ついでに胸ポケットの名札から名前も知れた。呼んでみると、さっきまで真っ直ぐ私の目を捉えていた古城さんの視線は明後日の方向に逃げた。

「いや、あの……あんまり女の子と話さないから普通に照れちゃって」

 赤い腫れとは別に彼の頬は紅く染まっている。ああ、何だろうこの感情は。頭の片隅に離婚の事は居るのに、今が楽しくて笑っていられる。私に必要なのは相談や同情じゃなくて、こういう他愛も無い時間だった気さえする。

「えーと、名前は、なんて言うの?」
「髙橋です。髙橋莉奈。友達みんなそうですし、莉奈って呼んでもらっていいですよ」

 いや、と彼はまた目を背けて「じゃ、髙橋で」と続けた。かわいい、つい悪戯したくなってしまう。けれどその前にすべき事はあって、古城さんも目を背けたままその傷の治療を始めてしまった。

「何でそんなに傷だらけなんですか?」
「……喧嘩だよ。喧嘩っていうか、まあ虐められてるのかな」
「虐められっ子って風でも無いのに……」
「気に食わないんだってさ。俺の事が」

 静かな時間は嫌な感情が湧き上がってしまうので、邪魔にならないように話し掛ける。古城さんは吶吶と自身の話を聞かせてくれた。

「俺だって気に食わないから、言う事絶対聞かないしやり返してやるけどな」
「そういえばやけにくしゃくしゃで血糊付いてましたね」
「俺が怪我させられるんだから、相手もそうじゃなきゃおかしいじゃん」
「強いんですね」
「……強いなら、虐められないよ」

 古城さんの表情が陰った。けれどそれはほんの一瞬だけ、すぐに反骨心をその目に灯してキツく包帯を巻く手に力を込めた。
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