5 / 11
君の辛さは分からないから③
しおりを挟む
せっかく忘れていたのに、また嫌な記憶が湧き上がる。けれど、目の前の血濡れの彼を見れば幾分か気は和らいだ。喧嘩をしそうないかにもな不良であればそうはならなかっただろうけど、逆光ではっきりとは見えないがどちらかと云えば彼は柔和な印象だ。
喧嘩というよりはイジメられていたんだろうな、と。それで気を落ち着かす私はきっと嫌な人間なんだろう。
「気にしないでください。一人だからって気持ちが楽になる訳じゃ無かったから」
せっかく思い出した笑顔を使って、何とか微笑みかけた。彼は口を尖らせて逡巡していた。気を遣い過ぎだ。どう考えたって優先順位が違う。私はさっき伸ばしていた腕をまた伸ばして、今度はちゃんと掴み私の隣へ引き込んだ。
「いっ! ……た」
「わ、あっ、ごめんなさい……」
マットにうつ伏せに倒れ込んだ彼は驚く前に先ず痛みに呻いた。どうやら傷は見える所だけでは無かったようだ。申し訳ない事をしてしまったが、後悔はなかった。何故だか分からないけれど、帰したくなかったんだ。
「ってぇ……なに? 思ったより元気じゃん」
ゆっくり体をひっくり返した彼は、何故か可笑しそうに私に笑いかけた。嫌味も憐憫も無い。つられるように、不思議と私の顔も笑顔になる。
光に照らされてやっと彼の顔がはっきり見えた。やはり加害者というより被害者の人相だ。けれど卑屈ではない。穏やかで居てはっきりと、眼は真っ直ぐ正面を見つめている。
「古城さんて云うんですね。すみません、言葉だと引き留められる自信無くて」
ついでに胸ポケットの名札から名前も知れた。呼んでみると、さっきまで真っ直ぐ私の目を捉えていた古城さんの視線は明後日の方向に逃げた。
「いや、あの……あんまり女の子と話さないから普通に照れちゃって」
赤い腫れとは別に彼の頬は紅く染まっている。ああ、何だろうこの感情は。頭の片隅に離婚の事は居るのに、今が楽しくて笑っていられる。私に必要なのは相談や同情じゃなくて、こういう他愛も無い時間だった気さえする。
「えーと、名前は、なんて言うの?」
「髙橋です。髙橋莉奈。友達みんなそうですし、莉奈って呼んでもらっていいですよ」
いや、と彼はまた目を背けて「じゃ、髙橋で」と続けた。かわいい、つい悪戯したくなってしまう。けれどその前にすべき事はあって、古城さんも目を背けたままその傷の治療を始めてしまった。
「何でそんなに傷だらけなんですか?」
「……喧嘩だよ。喧嘩っていうか、まあ虐められてるのかな」
「虐められっ子って風でも無いのに……」
「気に食わないんだってさ。俺の事が」
静かな時間は嫌な感情が湧き上がってしまうので、邪魔にならないように話し掛ける。古城さんは吶吶と自身の話を聞かせてくれた。
「俺だって気に食わないから、言う事絶対聞かないしやり返してやるけどな」
「そういえばやけにくしゃくしゃで血糊付いてましたね」
「俺が怪我させられるんだから、相手もそうじゃなきゃおかしいじゃん」
「強いんですね」
「……強いなら、虐められないよ」
古城さんの表情が陰った。けれどそれはほんの一瞬だけ、すぐに反骨心をその目に灯してキツく包帯を巻く手に力を込めた。
喧嘩というよりはイジメられていたんだろうな、と。それで気を落ち着かす私はきっと嫌な人間なんだろう。
「気にしないでください。一人だからって気持ちが楽になる訳じゃ無かったから」
せっかく思い出した笑顔を使って、何とか微笑みかけた。彼は口を尖らせて逡巡していた。気を遣い過ぎだ。どう考えたって優先順位が違う。私はさっき伸ばしていた腕をまた伸ばして、今度はちゃんと掴み私の隣へ引き込んだ。
「いっ! ……た」
「わ、あっ、ごめんなさい……」
マットにうつ伏せに倒れ込んだ彼は驚く前に先ず痛みに呻いた。どうやら傷は見える所だけでは無かったようだ。申し訳ない事をしてしまったが、後悔はなかった。何故だか分からないけれど、帰したくなかったんだ。
「ってぇ……なに? 思ったより元気じゃん」
ゆっくり体をひっくり返した彼は、何故か可笑しそうに私に笑いかけた。嫌味も憐憫も無い。つられるように、不思議と私の顔も笑顔になる。
光に照らされてやっと彼の顔がはっきり見えた。やはり加害者というより被害者の人相だ。けれど卑屈ではない。穏やかで居てはっきりと、眼は真っ直ぐ正面を見つめている。
「古城さんて云うんですね。すみません、言葉だと引き留められる自信無くて」
ついでに胸ポケットの名札から名前も知れた。呼んでみると、さっきまで真っ直ぐ私の目を捉えていた古城さんの視線は明後日の方向に逃げた。
「いや、あの……あんまり女の子と話さないから普通に照れちゃって」
赤い腫れとは別に彼の頬は紅く染まっている。ああ、何だろうこの感情は。頭の片隅に離婚の事は居るのに、今が楽しくて笑っていられる。私に必要なのは相談や同情じゃなくて、こういう他愛も無い時間だった気さえする。
「えーと、名前は、なんて言うの?」
「髙橋です。髙橋莉奈。友達みんなそうですし、莉奈って呼んでもらっていいですよ」
いや、と彼はまた目を背けて「じゃ、髙橋で」と続けた。かわいい、つい悪戯したくなってしまう。けれどその前にすべき事はあって、古城さんも目を背けたままその傷の治療を始めてしまった。
「何でそんなに傷だらけなんですか?」
「……喧嘩だよ。喧嘩っていうか、まあ虐められてるのかな」
「虐められっ子って風でも無いのに……」
「気に食わないんだってさ。俺の事が」
静かな時間は嫌な感情が湧き上がってしまうので、邪魔にならないように話し掛ける。古城さんは吶吶と自身の話を聞かせてくれた。
「俺だって気に食わないから、言う事絶対聞かないしやり返してやるけどな」
「そういえばやけにくしゃくしゃで血糊付いてましたね」
「俺が怪我させられるんだから、相手もそうじゃなきゃおかしいじゃん」
「強いんですね」
「……強いなら、虐められないよ」
古城さんの表情が陰った。けれどそれはほんの一瞬だけ、すぐに反骨心をその目に灯してキツく包帯を巻く手に力を込めた。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる