汐留一家は私以外腐ってる!

折原さゆみ

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13新学期~教員の悩み②~雲母羽視点

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 夫の悠乃の悩みを聞いた雲母羽は、心の中で大きな溜息をつく。夫の悩みは同じ教員として働いている雲母羽には痛いほどよくわかった。大したアドバイスにはならない言葉を口にしたら、娘たちにはなぜか褒められ、悠乃にもお礼を言われてしまった。とはいえ、悪い気はしないので、この場を借りて今度は自分の悩みを聞いてもらうことにした。

「今までは正規の教員として働く立場からの教員の悩みだったでしょ。非常勤として働く私たち教員もなかなかに闇が深いのよお」

 雲母羽は悠乃と同じように学校で働く教員ではあるが、働く形態が違っている。非常勤講師として、時給で働いている。授業をすることが仕事であり、それ以外の学校行事などに参加しても給料は発生しない。授業時間とそれに対する準備時間にのみ給料が支払われるのだ。テストの採点も授業準備も家でしたらお金にならない。家でした仕事がお金にならないのは正規の職員でも変わらないが、彼らよりも給料が少ない非常勤講師にとって、それはかなりの痛手だ。正規ではないため、当然、ボーナスもない。

「闇が深いって、自分で言わないでよ」
「まあ、お母さんの働きぶり見ていたらわからなくもないけど」

 娘たちはいろいろ言っているが、悠乃は黙ったまま話の続きを目で促してくる。雲母羽は食後に悠乃が出してくれたお茶を一口飲んで話を続ける。

「最近、どの職種でも『給料上げろ』っていう動きが活発なのは知っているよね?でもそれがうちには適用されていないの。嫌になっちゃう」

「それは前から聞いていたけど、今年もなのかい?」

 悠乃の驚いた声に事実なので軽く頷く。そうなのだ。世の中の情勢を無視するかのように、雲母羽の時給は年々下がっていた。下がった分、仕事が楽になっているかと言えばそういう訳ではない。むしろ、成績を付けるときの基準が変わったり、授業体制がデジタルに移行したりむしろ、大変なことが増えた。それなのに、時給を下げられたらたまったものではない。とはいえ、雲母羽はまだましな方だともいえる。

「嫌になっちゃうでしょ。私はまだ国語という教科だから、授業準備と言ってもそこまで大変じゃないけど、非常勤で一番負荷が大きくてわりにあわないのは家庭科の先生だと、私は思う」

 3月の年度末に交わした家庭科の非常勤講師との会話を思い出し、憂鬱になる。しかし、彼女との会話を個人情報などに抵触しない程度に詳しく話すことにした。


「汐留先生、お疲れ様です」
「佐藤先生、お疲れ様です」

 3月の中旬、中学校の卒業式が行われた。本来なら、非常勤講師は学校行事に参加する義務はないが、毎年学校から参加するよう言われていた。来客へのお茶出しや式場の後片付けなどの人手を増やすためだ。正規職員だけでは間に合わないので招集されている。特に予定のない非常勤講師は参加していた。雲母羽も特に予定は入れていないので毎年参加していた。

 卒業式は無事に終了して、体育館の椅子などの片づけが終わり職員室に戻った時に、家庭科の非常勤講師の女性に声をかけられた。

「先生、私今年で退職します」
「エッ?」

 職員室で少し休んでから帰ろうと思っていたので、ぼうっとしていた。いきなりの女性の発言に驚いてしまう。女性の表情は退職するということで、どこか吹っ切れた表情をしていた。

「実は、そろそろ年齢的に辞めようかとは思っていたのですが、なかなか踏ん切りがつかなくて。でも、ヤッパリもう体力的にもきついので辞めることにしました」

「今までお疲れさまでした」

 そういえば、彼女の年齢は定年の60歳くらいだった。最近は、定年を迎えても仕事を続ける人も多いが、彼女は辞めてしまうようだ。とはいえ、教員のブラックさを実感している身としては引き止める理由がない。ただ、ねぎらいの言葉を掛けることしかできなかった。

「それで、最後に少しだけ愚痴を言いたくて。でも、それを言える相手が汐留先生くらいしかいなくて。すみません」

 申し訳なさそうに話す女性に、構いませんよと告げる。私は夫が自分と同じ教員のために、共感してもらえる部分が多いが、他の職種の人間に愚痴をこぼしても嫌がられるだけかもしれない。

 職員室では昼休憩をしている教員が多く、出払っている人が多かった。いつもより職員室は静かだった。雲母羽たちの周りには教員がいなかったので、少しだけ彼女の愚痴に付き合うことにした。

「……ということなんです。ひどいですよね。先生は違うと思いますが、家庭科という教科が、なんだか主要5教科より劣っていると思われている感じがして。実際には私は彼らよりも授業準備が大変だし、裁縫や調理で生徒たちから目を離せません。それなのに扱いがひどい気がしました」

「なるほど」

 あたりを見わたすと、ちょうど校長も教頭も席を外していた。女性も雲母羽につられて周囲を確認していた。

「ごめんなさい。汐留先生の時間を奪ってしまって。あともう一つだけ言わせてください。家庭科で使う教室って被服室と調理室の二種類があるんですけど、エアコンが……」



「確かに言われてみれば、家庭科の先生って大変かも。今まで考えたこともなかった」
「いつも、生徒たちの調理実習に使う材料を自分で買って冷蔵庫に入れていたんだ」

「僕もあまり気にしたことがなかったな。見下したりはしていないと思うけど、態度には気を付けよう」

 雲母羽がかいつまんで話した内容に悠乃と娘二人はそれぞれの感想を述べる。雲母羽は彼らの様子を見て、この話はこれで終わりにしようと思った。彼らは私の話で充分に私たちの悩みを理解してくれた。親ばかり悩みを話していたら、娘たちに申し訳ない。今度は彼女たちの明るい話題を聞きたい。

「これで私の話は終わり。その先生は退職して、今年は小学校から本職の家庭科の先生がきたから、彼女が今度は私の学校の家庭科を教えることになるみたい」

 彼女はずっと過酷な先生という仕事を続けてきて、定年を機に辞めてしまった。

 定年で辞めるというのが悪いことではない。しかし、今の世の中、定年で教員を辞める人はあまり多くない。年金が60歳でもらえない現状、もらえるまで働いて生活費を稼ぐ教員も多い。



「本当に、教員になりたい人が減るのは致し方ない気がするよね」

「僕もそう思うよ。子供のためにという熱意も、あまりの過酷な労働の前では失われてしまう」

 雲母羽の話を聞き終えた娘二人は自室に戻っていった。今は雲母羽と夫の悠乃の二人きりでリビングで話している。悠乃が入れてくれたお茶は飲み干して湯呑は空っぽだ。

「僕たちより上の年代の人たちは、教員のブラックさに慣れてしまっているから、今の現状に何も思わないらしい。でも、僕たちは違う」

「それが問題なのよね。私の親せきに教員として働いている人がいるんだけど、部活とかで土日がつぶれても、それが当たり前で何も思わないんだって」

「何とかなってほしいよね。このままだと、喜咲と陽咲たちが結婚して子供の産んだ時、つまり将来の子供たちに悪影響が出かねない」

『はあ』

 雲母羽と悠乃が同時に大きなためいきをつく。いかに政府が教員不足を免許なしの社会人採用で増やそうと言っても、増える気がしない。もっと、抜本的な改革が必要だ。

「とりあえず、今日は僕たちの仕事に対する文句ばっかり一方的に話してしまったから、今度は喜咲と陽咲たちの新学期の様子を聞いてみたいね」

「そうそう、私も思った」

 教員たちのブラックさがどうであれ、娘たちは高校生活を送っている。教員も大変だがきっと、今の高校生たちにも大変なことがたくさんあるだろう。そして、それと同じくらい楽しいこともあるはずだ。

 雲母羽と悠乃は視線を合わすと、自然と笑みがこぼれる。

『とりあえず、今年一年、新たに頑張りましょう』

 新学期は始まったばかりだ。
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