マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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13.オマエはさ。

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 え?

「なんで……入ってくんだよ」
 
 振り返って尊を見上げ、けれども、すぐに慌てて視線をそらしながら、悠一が言った。

「悪いか」「悪いよ」

 今回ばかりは即答だ。

「なにが悪い」

 尊が淡々と問い返し、手桶で湯をすくい上げた。

「いや、だからっ……なんで、一緒? ってかハズいだろ、裸とか」

 悠一が、まとまらない文章を口にするそばから、掛湯を終えた尊が、長い脚で湯舟に踏み入ってきた。
 
 そんなに狭い風呂ではない。
 ふたりや三人、まったく問題なく入れる広さだ。

 なのに悠一は、なんともいえない「きまり悪さ」を覚えてしまって、どうしようもない。
 ウロウロと目をそらし、視線をさまよわせる悠一を見やりながら、軽く顎を上げて尊が言う。

「別に、この風呂は部屋の中から見える。春日が入っているのもソファーから見てた」

「だからっ、見るなよ」

「そうか?」「そうだ」

「悪かったな。汗が引いて寒くなったんだ」と続け、尊がザバリ、湯を掻き上げた。
 
 別に――
 そうドギマギするようなモンでもない。それはそうだ。 
「裸だなんだ」なんて、それこそ、温泉の大浴場にでも入ったと思えば、同じこと。

 そりゃそうなんだけどさ。

 ああ。
 「ホテルの部屋についてる露天風呂」っていう、この状況のせいだよな、きっと。
 なんっていうか……。
 「プライベート感」っていうか。
 そういうのが半端なくて。ヘンに意識してしまうような感じで。

 そう思い直し、悠一はフッと、肩から力を抜く。
 そして視界の端で、尊を眺めやった。

 ってか……。
 一体全体、何がどうなったら、こんなカラダになるんだよ?

 顔立ちと同じく、尊の身体もまた完璧だった。

 上っ面をどう細工しようとも、そればかりは持って生まれつくしかないだろう。
 そんな整った骨格。
 偏った部分など一切見当たらない、美しすぎる筋肉の形。
 水を弾く滑らかなハリのある、傷ひとつない肌に包まれて――

「オマエ……すげぇカラダ、してんのな」

 感慨が思わず言葉になる。

「スポーツジムとか、個人コーチとかで鍛えてんのか」

「いや、特には」

 「なんもしてねぇ」のかよ?! ホントか? 
 マジで? それで「コレ」かよ。

「……ったく、これだからアルファってのは」と。

 悠一はまたしても、「いつもだったら飲み込んでおくはず」の呟きを声にしてしまう。

「単に『若いから』だろう? オッサンになれば身体も弛む」
 
 イヤイヤ。
 いくらなんでも「その身体」は反則だろ……普通じゃねぇよ、という反論は、さすがに飲み下し、悠一はパシャリと湯で顔を洗った。

「『鍛えてる』っていうなら、春日の方じゃないのか? キレイにいい筋肉がついている。全体のバランスもいい」

 「バランス」――?

 ああ、たしか昨日、「アイツ」にも言われたな。
 そんなようなコトを。

 小鳥遊奏にも、そう言われた。
 
 「キレイだ」と――

「そんなことより、春日」
 尊が、視線をフワリ、水面下へと移動させる。「なに勃起してるんだ、さっきから」

 ――勃起。

 目の前の男の完璧な形のくちびるから発された単語が、あまりにも衝撃的すぎて、悠一は飛び跳ねそうになる。
 慌てて視線を落とせば、たしかに、悠一の「部分」は、完全にではないがハッキリと勃ち上がっていた。

 昨日の夕方の、あの――
 自分自身の異常な欲情が、まざまざと思い返される。

 暴走して止まらない吐精の、爛れるような熱っぽさ。
 何度射精しても収まりを見せない、陰茎の隆起――
 
「出してくれば?」

「な…っ」

「『ハズい』とか言うのかよ、また」

 尊が、ごく小さく口の端を引き上げた。
 ごく微かすぎて、何一つ感情を表現しているようにも見えない「それ」。
 だが、強いていうならば、その表情は「微笑」だったかもしれない。

「一人でヤルのが嫌なら、いいぜ? オレも一緒にやって。マスターベーション」

「は?」

「だったら『ハズくない』だろう?」

「藤堂! オマエな、そういう問題じゃねぇ」

 って、ああ、からかわれてんのかよ?! 俺は。
 チクショウ。

「なんで、こんな」

 昨日から俺、一体……。

「『なんで?』って、普通に勃つだろ? 十代のヤローなんだから。サカリがついてて当たり前だ」

 淡々とそう返されてしまい、悠一も、もういたたまれなかった。
 そのまま、風呂から上がって室内に入り、浴衣をまとう。

 すこしして、尊も露天風呂を出て、シャワー室に入ってくる。
 シャンプーを始めたようだ。

 悠一は髪も乾かさぬまま、タオルを頭にかぶって窓辺のソファーに、ドサリと腰を下ろす。
 目を上げれば、室内窓の向こうに、ちょうどシャワーを浴びる尊の上半身が見えた。

 両腕を上げて髪の毛をゆすぐ、その肩甲骨の動き。
 引き締まった脇腹のライン。

 思わず、男の裸に見とれそうになっている自分に気づき、悠一は視線をそらす。
 すると静かな室内に、低いバイブ音が響き始めた。

 ベッドの上に投げ置かれた尊のスマホ。
 それが鳴っていた。

 メッセージの着信だったのか、音はすぐに止む。
 しばらくすると、また鳴った。
 そうやって「鳴っては止み」「鳴っては止み」の繰り返しが続く。

 シャワーを終えた尊が、部屋に戻って来た。

「おい……スマホ、なんか、さっきからずっと鳴ってるけど」
 ボソリと言って、悠一はベッドの上を見やる。
 
「ああ、うるさかったか?」
 
「そうじゃなくて、何度も続けてだったから。急ぎの用かもって……」

 そうか、とだけ呟いて、尊はスマホを手に取った。

 だが、画面にチラリと視線を走らせると、すぐにうちやってしまう。
 そしてまた、冷蔵庫の扉を開いた。

「ビール飲むか? 春日」
「飲まねぇよ。っていうか……いいのかよ、オマエ。そんなモン飲んじまって」

 悠一が「何を」言わんとしているのか。
 尊は「完全に」理解して、ゆっくりと悠一に向き直った。

「『この部屋でのコト』は、『絶対に』どこにも漏れない」

 クッキリとした口調。
 そして尊が、両腕を身体の前で組む。
 雑にまとっただけの浴衣の合わせ目が、ユラリと開き、滑らかな肌をした胸板があらわになった。

「それに『漏れた』ところで『誰が』漏らしたかは自明。彼らがわざわざ……そんなバカな真似などするはずもない」

 「そんな真似」をするような「バカな」人間に対し、一体「どんな仕打ち」が待っているのか――

 尊が明確に「言外に」匂わせたモノ。
 その得体のしれなさに、悠一の背筋がゾッと粟立った。

 するとまた、尊のスマホが唸り出す。
 バイブ音が、少しの間続いた。どうやら通話の着信のようだ。

 「ウザイ」と言わんばかりの深い溜息を吐いて、尊がスマホへと指先を伸ばす。

 ベッドに腰掛け、長すぎるほどの脚をゆったりと組み、画面をスワイプする。

「こんにちは、由利さん」

 コトバだけは、ひどく礼儀正しく。
 だが、声にはハッキリと「鬱陶しい」という色を滲ませて、尊が言う。

 ――タケルくん、ひどいわ。

 随分と大声をあげているのだろう。悠一の耳にまで聞こえてくる、通話相手の女の声。

 ――私のこと、あんなにしちゃって……なのに、そのまま置いて行っちゃうなんて。

「ああ、あれ、『トモダチ』だったから」

 そう応じながら、尊がどこか意味深な目で悠一を見た。

 「トモダチ」じゃねえだろ? 別に俺たち、と。
 悠一が、しかめっ面でくちびるだけを動かす。

「うん、だから、ちょっと『気分』じゃなくなった」
 
 ――ひどいよ、タケルくんっ……私、疼いて疼いてどうしようもないよ。あんなキスで、火をつけるだけつけておいて、あんまりでしょ。

 女は続ける。

 ――ね、タケルくん、して、抱いて、お願い、おねがいよ。家にいるから、ね? きて、おねがいだからっ……ううん、どこにでも行くから、今、どこ? なんでもしてあげる、何でも欲しいモノ買ってあげる。
 して、ねぇ、ユリにして、してよぉ、欲しいのぉ……タケルくんがほしい…おまんこもグズグズになってるのに。

「由利さん」

 ごく小さな溜息。
 物悲しいような、呆れ果てたような、そんな。

「そういうのって、イヤだな……オレを困らせないで」
 
 どこかしら「可愛らしさ」すら滲ませているのに、それでも、キッパリと切り捨てるような口調。

「……そんな由利さん、オレ、キライになっちゃうよ。もう、会いたくなくなる」

 その刹那、電話の向こうで息を飲む気配が、悠一にもありありと伝わってくる。

 そして女は、慌てながらも甘えた言い訳を数語発し、

「ゴメン、ごめんね、タケルくん、私……ごめんなさい。切るから、もう切るから許して」と言って通話を終えた。

 尊は、ほぼ無表情のまま画面を消し、スマホを軽く放る。

 そのままゆっくりと、悠一に顔を向けた。
 視線が合ってから一拍おいて、悠一が口にする。

「スッゲェのな、藤堂……オマエって」

 そして、目を見開いて大きく首を振りながら、「いや、ホントに、マジで」と呟いた。

「ってか、あまりの『タラシ』っぷりに驚いっちまって、もう、あれだ。勃起なんか治まっちまった」

 そこまで言ってしまうと、なんだかベラボウに可笑しさがこみ上げてきて、悠一は思わず、ブッと大きく噴き出してしまう。

 そのまま、目じりに涙を滲ませて笑い転げる悠一を、はじめはポカンと見つめていた尊も、じきに、それにつられるようにして、くちびるをほどけさせた。

 すこし照れたような、途方に暮れたような。
 尊のその表情は、それでも、まぎれもなく「笑顔」と呼んでいいはずのモノで――
 
 その笑顔は、ひどく少年めいていて、あどけなさすら孕んでいた。
 けれども。

 唯一、その表情を目の当たりにすることができたはずの人間は。
 悠一は――
 
 顔をそらして笑い転げていて、それをまっすぐに見ることはなかったのだった。

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