マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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19.トライアングル・スクランブル(4)

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 ちょうど、隔週にある「学校休みの土曜」だった。

 昼前に、くだんの「市立美術館」の前で待ち合わせ。
 最近、場所を変えて建て替わったから、スッキリとモダンな建物だ。

 悠一がバスを降りる。
 通りに面した施設の庇の下に、奏が立っていた。

「待ったか?」

 反射的にそう訊ねる悠一に、奏は大きく首を横に振る。
 そして、「行こう」と、先に立って歩き出した。

 奏が慣れた様子で館内に入っていく。
 チケット売り場へと向かう悠一に、奏が紙片を差し出した。

「買っといた、チケット」

「あ、悪い」と、財布を取り出そうとする悠一を、「いいよ」と奏が遮った。

「いや、それは」
 悠一が言い返せば、

「モデルのお礼」と、奏が応じる。

「それにさ、おれ、ここの年間パス買ってるから、企画展のチケット、学割よりさらに安く買えるし」
 
 照れたような奏の表情は、いつもよりひどく幼く、悪戯っけにあふれて見えた。

 だから悠一も、ただ、
「サンキュ」とだけ、噛みしめる。





「今回の企画展示はさ、いわゆる回顧展ってヤツでね……」

 奏が言う。

「この画家は、地域の出身なんだ。苦労して海外に留学したんだってさ。だから館でも、頑張って作品を集めてるみたいなんだけど。あんまりにも成功しちゃった人だからね。代表作とかはなかなか手に入れられないみたいなんだ」

 たしかに――
 チケットに記された画家の名前は、門外漢の悠一ですら「なんとなく聞いたことがある」と思うようなビッグネームだった。

「でさ、今回は頑張って、あちこちから有名な作品も借りてきてね。初期から晩年まで『ひと渡りまとめて見られる』って感じなんだよ」

 奏のそんな説明を聞きながら、悠一は、展示室の壁を見上げる。

 作品のほとんどは油絵。
 デッサンと、時々、彫刻があった。

「うん、そう。最初はさ、彫刻家を目指してたらしいよ」
 奏が悠一の疑問に答える。
 そして、

「あ、そうだ春日。別におれと一緒に歩かなくても、自分が見たいように、見たいペースで回ってくれて構わないからさ。疲れたら座って休んだりしてよ」と言い足した。

 そう言われたところで、美術館など学校行事くらいでしか訪れたこともない。
 「美術展の見方」も「絵画の見方」も分からない悠一だった。

 特に「どう見たい」というコトもなく、奏の二歩後ろをついていく。

 奏はごく真剣に、作品に見入っているようだ。
 白く透き通る横顔は、スッと引き締まっている。
 けれど時折、悠一を振り返っては、

「この街ってさ、結構、洋画家とか彫刻家とかを輩出してるんだよね」などなど。
 気を使っているのか、短い解説めいたモノを口ずさむ。

 悠一は、それにどう応じたらいいのかも分からない。
 とりあえずキャプションに目をやりながら、

「百年近く前の絵なのに……こんな、キレイなモンなんだな、油絵って」と呟いてみた。

 すると奏が、大きく目を見開いて振り返る。

「うん、そう。特にさ、この作家って、すごく丹念に下塗りする人なんだよ。だから色褪せやクラックが少ないんだ。まあさ、『昔の作品あるある』なんだけど。それでもやっぱり、スゴク丁寧な画家さんなんだよね」

 会話が「的外れ」にならずに済んだことは、奏の表情が弾んでいる様子で分かった。
 悠一は、すこし安堵する。

 慣れない場所だからなのか。
 悠一は奏とのやり取りに、どこか「緊張」のような――意識したものを感じずにはいられなかった。

 けれど奏は、いつもと変わらない。
 むしろ、いつもよりも晴れやかな顔にも見えた。

 学校や帰り道での、他愛ない、普段のやり取り。
 その時でさえ、悠一よりは奏の方がよく喋る。だが絵画や美術品を前にした奏は、愛らしいほどに饒舌だった。

 ――なんか、小鳥みてぇだな。
  
 ふと、悠一がそんなコトを思いつく。

 ああ、そうか。
 なんだっけか……⚫︎⚫︎⚫︎べるから、『たかなし』……とか言うんだっけか。

 そこまで考えれば、悠一も微笑みを禁じ得なかった。
 それを奏に気づかれて、

「え? なに、春日、どうしたんだよ。なんで笑ってるんだよ」と問い詰められる。

「なんでもねぇよ」と、しらばっくれる悠一を、奏が肘で小突く。

 展示ももう、ほぼ終わりだった。
 ふたりの目の前、突き当りの壁にそっと穿たれていた目立たない扉が、不意に開く。

 出てきたのは、スーツ姿の藤堂尊だった。

 見るからにブランド品の長いトレンチコートを纏った尊は、学生服姿とはうって変わった「大人っぽさ」で、その後ろから、年嵩の男性と女性も姿を現す。

 悠一と尊の目が合った。

 少し距離がある。
 「無視される」だろうと思った悠一だったが、予想に反し、尊から軽く会釈をされた。

 美術館の関係者らしき大人たちと奏とに、怪訝な視線を向けられて、悠一はなんだかバツが悪い。

 尊が、大人たちを引き連れて歩み去った。

「なあ、春日」
 奏が、低く言う。

「アイツって……二組の藤堂、だよな?」

「ああ」とだけ応じた悠一に、奏が続けた。

「春日、『藤堂尊』と知り合いなの?」

「イヤ、別に」

「『別に』って、挨拶されてたじゃん?」

「まあ……ちょっとした顔見知り」

 そんな風に、悠一があくまで言葉を濁し続ければ、奏もそれ以上の質問を止めた。そして、

「おれ、アイツ、なんか苦手だな」と言って、肩をすくめる。

 奏がまた歩き出し、ふたりは企画展の会場を出た。
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