マージナル:平凡なβが、すべての運命を壊すまで

水城

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27.CROSSROADS

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 時間にすれば、ほんの十五分足らず。
 斎場の小部屋で、尊が休んでいったのは、せいぜいその程度だった。

「迷惑かけた。悪かったな、春日」

 らしくなく、そんな殊勝な言葉を残し、尊は自分で帰りの車を呼ぶ。

 そして、まだ顔色も戻りきらないままハイヤーに乗り込んで、斎場を去った。

 気づかわしげに見送る悠一に向かって、
「今度、なにか礼をさせてくれ」などと、そんな言葉を言い置いて――

 ひとつ大きく息を吐いて、悠一は会場へと戻っていく。
 ただ押し寄せてくるのは、モヤモヤと解決のつかない感情だった。

 たった今。
 尊に「されそうになったコト」。

 「ラット」

 オメガに「ヒート」という発情期があるのと同じように、アルファにもあるとされる「モノ」。
 悠一が持っていたのは、ごく「通り一遍」の知識だった。
 小中の保健体育の授業で習う程度の。

 ――知らなかったさ。
 あんなにも、体調を左右するものだったなんて。

 尊の荒い息遣い、掴みかかって来た指と腕の強さを、悠一はありありと思い返す。
 
 冷静さを取り戻すために、平静を装うために。
 あんな「得体のしれない薬」まで飲むなんて――

 尊の紙のように白く青ざめた横顔が、悠一の脳裏にチラついた。

 っていうか、親は何考えてんだ?

 具合の悪そうな息子のコト。
 あんな「無茶な振舞い」をしていることとか。
 無認可の薬を手に入れて、常用していることとか。

 まったく気づいてないのかよ? いや、それとも――

 ――まさか?

 悠一は、自分が席を空けていた間に、何か不都合が起きていないか、ザッと会場を確認する。

 特に問題はなさそうだった。香炉も抹香も、ろうそくも。
 焼香客の出入りも落ち着いていた。

「悠一」
 母親に、背後からそっと声を掛けられる。

「もういいから、そろそろ帰んなさい。あんた、明日学校だいね」

 「ああ」と応じ、滑るように退出しようとする悠一の肩へ、

「今晩は急に悪かったね、おかげさまで助かりました。ありがとさんね」と。

 母がそっと礼を言った。





 ちょうどタイミングが悪く、次のバスが来るまで十分以上あった。
 缶コーヒーで暖を取りながら、吹き抜ける夜風に、悠一は小さく肩をすくめる。

 キス――された。
 藤堂尊に。

 襲い掛かられた。

 そう、改めて思い返せば、なんとも言えない気分だった。

 「気持ち悪い」とか、そういう感じはしなくて。ただ――

 掴まれた肩に残る指の感触とか。
 熱っぽいような尊の掌の温度が、ありありと思い返された。

 だが続けて、舌を絡めとられる感覚が蘇るにいたり、悠一は、ガッと頬を熱くする。
 そして――

 自分もまた同じようなことを、奏にしそうになったのだと気が付く。
 あの「土曜の午後」に。欲望に乗っ取られるようにして。

 俺は「ベータ」で。
 ラットにもヒートにも、まるで縁がないハズで。なのに。

 そして悠一は、少し前から起きていた自分の「変化」を思い返す。

 異常な激情――

 止まらなかった。
 勃起も射精も。
 なんの脈絡もなく、突然に猛烈な欲求に突き動かされた。

 なんだったのか分からなかった、あの時は。でも。

 あれは奏の「匂い」に、身体が反応していたのかもしれない。
 ほとんど気づかないほど、かすかな匂いだったハズなのに。
 
 奏を見て、心が震えるような「この思い」。
 これは単なる性欲じゃなくて、「アイツそのもの」に対する気持ちだと。
 そう感じている、そう信じている。

 目まぐるしいほどにクルクルとよく動く瞳。
 他愛ない言葉の数々。
 食べ物をパクパクと、ついばむようなしぐさ。

 柳炭を、そして絵筆を持つ繊細な指先。
 キャンバスを射抜く視線。

 やわらかなくちびるを軽く引き結んで、ひたすらに集中する横顔。

 俺を――

 俺の走る姿を見つめる、まっすぐな。
 まっすぐすぎる、まなざし。

 この目に焼き付いている奏の、何もかもが、ジワリと心から何かを染み出させて。
 疼く痛みを引き起こして。

 「好きなんだ」と。
 「アイツ」を好きなんだと。俺は思って――

 確かに。
 あの肌に、直に触れたい。もう一度抱きしめたい。
 やわらかく透明なくちびるに。
 キス、したい――

 でも。
 「それだけ」じゃない。
 もしそうできなくても、俺はアイツを、奏を。

 ――いや?

 本当に、そうだろうか。
 そうできないまま、俺は耐えられるのだろうか?

 抱きしめた奏の匂いが。
 まだ、この肌の上に残っている気すらするのに。

 思い返せば、どうしようもなく。
 男の欲望が加速してしまうのに――?
 
 バスが来た。
 溜息をまたひとつつき、悠一は車内に乗り込む。

 車窓は暗く沈み、バスの中の乗客と照明とを映し出していた。
 それを打ち眺めながら、悠一はふと、さっきの尊の言葉を思い返す。

 小鳥遊菜々緒――
 旧姓、村岡菜々緒のことは?

 意味深な、意味深すぎる言い方。

 どう考えたとて、それは奏の「親戚」を……おそらくは「母親」を指しているハズで。
 わざわざ「村岡」という「旧姓」まで言及したということは。

 「俺の父親」が、その苗字を知っているという――
 奏の母が「結婚する前」の知り合いだという「におわせ」なのだと。

 悠一にももう、十分に分かっていた。
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