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まずはお洒落しましょうか

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『じゃあ早速ですけど、可愛らしい格好をして男たちをあっと言わせましょうか!』

 そう言われたのがついこの間のこと。
 時は週末。仕事が休みの日に買い物に行こうということになり、私はウォルターさんの馬車に乗せられて町へ出かけていた。

 正直出かけるのはあまり得意ではない。服にもおしゃれにも興味はないし、食べるものもお腹が満たされればそれで満足だ。友達もいなければ恋人もいないので、出歩いて楽しむ用事もない。そう考えていると、自分はつくづく結婚向きの性格ではない、と少し滑稽に思えてきた。

 そんな私が父のために結婚しようと躍起になっているなんて。

 父は唯一の家族だ。母は私が幼い頃に好きな男性を別に見つけて出て行ったらしい。
 優しい父は、『政略結婚みたいなものだったから、彼女の自由にして良いんだよ』と笑って言っていた。嘘だ。父の書斎の引き出しの奥には、額縁に納まった母の写真が隠されている。まだ父の心の隅には母が存在しているのだ。

 年々小さく丸まっていく父の背中を見ていると、私はつくづく『情』というのは無駄だと思う。一時の感情に流されて母を愛した父も、父を見限った母も、物語を不幸にしているのは『情』なのだ。

 でもそんな結婚に失敗した父なのに、私には幸せな結婚をして欲しいと言う。勝手である。勝手ではあるけれど、見せかけだけでも父には私の幸せを見せてあげなければ。これ以上父を不幸にする訳にはいかない。

 ふぅ、と自然と冷たい息がこぼれた。
 ぼんやりと思考を飛ばしていれば、ウォルターさんが声をかけてきた。
 
「確認ですけど、ルルアンナさんは結婚相手を見つけて、夜の営みの方法も知りたいんですよね?」
「はい、仰る通りです」

 私はウォルターさんをしっかりと見据えてそう返事をする。

「じゃあ結婚相手が見つかったらこの関係は終わりですね」
「はい、それで宜しくお願いします」
「……これから俺と夜の行為もするっていうのに淡々としてますねーー。初めてキスした時はあんなにうろたえてたのに」
「あ、あれはっ! い、いきなりするから、お、驚いただけです」

 ウォルターさんは、そうですか、とけらけら笑っている。
 不意のからかいに体がぽっと熱くなり、私はなんだかいたたまれなくて、窓の外へと視線を向けた。

 ウォルターさんは時々意地悪なことを言ってくる。
 不思議な人だ。とっつきやすくて軽々しい人かと思えば、急に色香が漂う時もある。その差異に女性たちが落ちていくのだろう。彼へ夢中になる女性が絶えないというのも、なんとなく理解できる気がした。

 何気なく見ていた窓の外の景色に、カラフルな色彩が入ってくる。馬車が隣町へ近づいてきてきた。
 馬車はあまり揺れることなく順調に進んでいる。
 そういえば、座り心地の良い馬車も、早く進む馬車も初めてかもしれない。

「これはウォルターさんのご実家の馬車ですか」
「ええ、ミルディン家の馬車です」
「ミルディン家……。あぁ、そういえばウォルターさんは公爵家のご嫡男でしたね」

 私がそう呟くと、ウォルターさんは意外という顔つきをした。

「俺の家名を忘れてる人は初めてですよ」
「そうなんですか?」
「ええ」

 そう言ってウォルターさんは口の端を引くと、そのまま窓の外を眺め始めた。
 外は明るく、窓から入る光は眩しくてずっとは眺めていられない。でもウォルターさんは平気で外を見続けているようだった。

 馬車はまた更にスピードを落としていく。町の入り口にまで来たらしい。
 隣町に来るのは久しぶりで、いつも訪れている城下町とは違うカラフルな建物が並ぶ街並みに、私は少し胸が躍った。

「素敵な町ですね」
「仕立て屋もきっと気に入ります」

 そうして町の仕立て屋まで向かった。




***



「いらっしゃいませ。ウォルター様」
「今日は彼女の服をお願いします」
「かしこまりました」

 仕立て屋へ入ると色鮮やかなドレスが立ち並んでいて、まだ服になっていない布も数え切れないほど壁一面に収まっていた。
 多くの店を見て来た訳ではないけれど、店内がいくつもの豪華なシャンデリアに包まれ、部屋の柱にまで色とりどりの宝石が埋まっているのを見るに、このお店が高級店のひとつだというのがよくわかる。
 ウォルターさんの気遣いにこっそり感謝する。
 店の装飾や、すごい数のドレスに目を奪われていると、店の女性が冊子をいくつか持って来てくれた。

「こちらのカタログから気に入った服をお選びください」

 植木と本棚で区切られているプライベートな空間へ案内される。目の前にはソファとローテーブルが用意されていて、ウォルターさんと二人で腰かけた。

 よく行く仕立て屋といえば町のお婆さんがやっている小さな仕立て屋だ。それも服なんて選ばずに、適当に売れ残ったのを買っていた気がする。こんなしっかりとした門構えの仕立て屋に来るのは初めてでなんだか緊張してきてしまう。
 
 座ったまま動かない私とは対照に、ウォルターさんは早速冊子をぱらぱらとめくって中身を確認しているようだ。

「ルルアンナさんは、どういう服が良いんですか?」
「全く見当がつきません」
「うーーん。まぁ難しく考えずに、とりあえず着てみたいと思った服を選べば良いんじゃないですか」
「そうですね……」

 ウォルターさんが見てない方の冊子をめくってみるものの、全くピンとこない。お洒落というお洒落が何なのかもよくわかっていない。今まで派手ではなく、着れるものであれば何でも良いと言った感じで着ていたのでいざ選ぶとなるととても悩んでしまう。
 ぺらぺらとページをめくっていく中で、あ、と目に留まった服があった。それは文官のビスティさんがよく着てくる服に似ているものだった。

「ウォルターさん、この服はどうでしょうか」

 私がページを開いてウォルターさんへ見せると、ウォルターさんは目をぎょっとさせた。

「ぶっ! て、天然なんですか、ルルアンナさんは」

 肩やお腹をさらけ出し、胸を強調するようなぴったりとした黒い服。下のスカートはスリットが長く入っていて、着ればきっと大人っぽい女性になれるだろう。ビスティさんはたまにこういう際どい服を着ていたような気がする。

「ダメですか? こういう服は男性に好まれると思ったのですが」
「嫌いじゃないんですが、そういうんじゃなくてですね……。あー、あなたと居ると調子が狂いますよ、ほんと」
「??」
「とにかく! 普段着を選んでください」

 普段着のつもりだったんですが、という言葉は口の中にしまっておいた。
 
 ウォルターさんに軽く叱られて冊子を見ていくものの、何が良いのかさっぱりわからない。このままでは時間だけが浪費されていく気がする。

「ウォルターさん。ここはやはり、男性に好まれそうな王道をご存じのウォルターさんが選んで頂けますか」
「うーん、そうですね。王道って程じゃないですけど……こういうのは、まず好みより似合うかどうかで選んだ方が良いですかねー」
「似合うかどうか」

 ウォルターさんは立ち上がると店内を見て回り、ハンガーにかけられた女性物の服を物色し始めた。さすが恋愛の王者。異性の服だというのに、何のためらいもなく選んでいる。
 すごいなぁと感心して見ていると、ウォルターさんは何着か決まったようで、衣装を手に取り私のところまで戻って来る。

「これとか清楚でルルアンナさんに合いますよ」

 手渡されたのは空色のワンピース。胸元に大きめのボタンが三つほど縫われていて、腰はリボンできゅっと形をしぼるシンプルなものだ。
 可愛らしい服に逆に不安になった。

「これ、私が着たら目立ちませんか」
「さっきのより断然良いでしょ!」
「む」
「似合う服の形から、着たい服の要素を加えていけばいいんです。このバレッタとかルルアンナさんによく似合いそうです」

 ウォルターさんが手に取ったバレッタは、綺麗な銀細工のアクセサリーで、小さいエメラルドが散りばめられた上品な髪飾りだ。それを、ウォルターさんが私の前髪の少し上にあてる。

「うん、瞳の色と同じで綺麗ですね」

 ウォルターさんが不意に近づいてきたのでどぎまぎしてしまう。
 すぐに彼は離れて、並んでいるドレスの中から何着か見繕うと、お店の人と話し始めた。
 思えば私の着る服は黒かグレーかの色味のないものばかり。同年代の子女たちが着る流行りの服などからはかけ離れている。今さらながら、新しい服を着るというのは、少し勇気の要るものだと思った。

「それじゃ、奥の部屋で着替えてきてください。俺は他の部屋で待ってるんで」

 早速着替えるのか、と少し驚いていると、お店の人が何人か出てきて私を奥の部屋へ案内する。

 そうして彼女らの手際の良さに、私はあっという間に着替えとおめかしとが完了してしまった。

 黒縁のメガネは取っ払われて、レンズを目にはめ込む形になり、なんだか違和感を感じる。
 服は先ほどウォルターさんが選んだ空色のワンピースを着せられ、いつの間にか靴もネックレスも用意されていた。
 髪型もなにかくるくる回していると思ったら、ウェーブがかかるように髪型をアレンジしてくれていたらしい。いつもはただ流しているだけの髪も、サイドの髪だけゆるく後ろにまとめられ、それを翠玉のバレッタが上部へ留めている。

 自分で鏡を見ても普通に街を歩いている女性と変わりなく、かなり容姿が変わった気がする。
 あまりの変わり映えになんだか恥ずかしい。くるり、と鏡の前で回ってみた。
 ウォルターさんに何て言われるだろうか。それが少し気になった。

「とってもお似合いです。さぁ、ウォルター様に見せに行きましょう、きっと褒めて下さいますよ」

 支度を手伝ってくれた女性が嬉しそうに笑っている。
 ウォルターさんに変な反応をされたら嫌だな、と思ったので私は素直に頷くことができない。

 支度を終えて部屋の外に出るとウォルターさんは、何やら本のようなものに目を通していた。私が来たことに気が付いたようで、顔を上げてこちらを見る。
 ウォルターさんは少し目を見開いて、ぴたりと動作を止めた。
 どうしよう、何かおかしいところでもあっただろうか。勝手に心臓がばくばくと早い鼓動を始める。

「……似合いますね。これなら大抵の男はルルアンナさんに見惚れますよ」
「あ、ありがとうございます。さすがウォルターさんは、お世辞が上手です」

 緊張のあまり、ついと照れ隠しの言葉が口から滑り落ちてくる。それを聞いてウォルターさんはあいまいな微笑をしていた。

「さ、折角なんでその可愛らしい服で散歩でもしましょうか」
「は、はい。あの衣服代は、」
「プレゼントします。あと何着かは部屋に送っておきますから。一着じゃ足りないでしょうし」
「い、良いのですか?」

 私がまごついていると、ウォルターさんはいたずらっ子のように口の片端をにっと上げた。

「俺は公爵家の嫡男ですよ? 遠慮しないで。さ、外に行きましょうか」






 外に出れば、ぴゅうっと冷たい風が吹いた。
 もう春だが、夜が近づくとまだ寒い。
 隣町の夕暮れは活気がある。日中の用事を終えた主婦たちが、夕方の買い出しへと市場へ押し寄せている。私とウォルターさんがその賑わう人たちの間を歩こうと、誰も気に留める余裕はない。

 その中でふとウォルターさんが私の手に触れた。
 私は思わずびくりと指先が反応する。だが、すぐにウォルターさんは何事もなかったかのようにぎゅっと私の手を握った。

 少しびっくりしてウォルターさんの顔を見ると、ウォルターさんは平然としてどこか余裕のある笑みをしている。

「だいたい最初のデートで手を繋ぐのが定石ですかねー。女性は待ってるだけで良いですよ、男から手を繋ぐんで」
「な、なるほど」

 握られた手から暖かい温もりが伝わってくる。ウォルターさんの体温が、手から直に伝わってきている、そう考えた瞬間にぼんっと顔が蒸発しそうな熱さに見舞われた。
 私よりだいぶ大きい手は、女性とは違ってごつごつとして、皮も厚い。

(わ、これが本当に男の人の手、なんですね)

 先ほどまで吹いていた冷たい風は全く感じないほどに、あたりが暑くなってくる。
 異性と初めて手をつなぐという経験に私は頭がぐるぐるとし始めた。

 はたして、手を握る行為は子作りに必要なのだろうか。いやもしかしたら、手の中には見えないパワーが込められていて、赤ん坊に何らかの作用が働くのかもしれない。
 けど、それとは関係なくウォルターさんの手は暖かくて心地が良い。いや心地が良いだなんて、私は何を考えているのか。 
 ぐるぐると色んな思考が頭を巡り始めた時、ウォルターさんが突然歩みを止めた。

「……なんか、すっごい緊張してません?」
「は、はい、すごく。男性の手を握るのは初めてで……」
「なんかルルアンナさん。手汗が、すごくて」

 そう言うとウォルターさんがぱっと手を放して手の平を返した。
 私の手の平は熱でもあるのか、繋いでない方の手で触れてみるとあきらかにじっとりとしていた。

「す、すみません」
「いや謝んないでくださいよ! けど、ルルアンナさん面白すぎ、ちょっと、おかしくて」

 そう言うとウォルターさんはこらえきれない、といった調子でお腹を抱えて笑い出した。
 私はただ手を握るというだけのことに困惑して、ひとり取り乱していたかと思うと、恥ずかしくて体を縮こまらせてしまう。

「そ、そんなに笑わないでください!」
「すみません、けど、」
 
 まだウォルターさんは笑いが収まらないみたいで、私に背を向けてからもずっと体を震わせている。
 まったく失礼なことだ。こっちは一人でパニックになっていたというのに。
 でも、こんな風に無邪気に笑うウォルターさんを見るのは初めてかもしれない。違う一面が見られて良かったかも、と冷静になりつつある頭で思った。
 そうしてウォルターさんはひとしきり笑い終えると、まだ目じりに涙を浮かべながら、再び私に手を差し出した。

「はは、仕切り直しですね、ぐるりと公園を歩いてから帰りましょうか」
「はい。……は、初めてのことなんですから、そんなに笑わないでください」
「すみませんでした、ルルアンナさんが可愛くてつい」

 私がウォルターさんの手を取ると、ウォルターさんは再び歩き始めた。

「あー本当に、ルルアンナさんは困った人ですね」

 ウォルターさんは機嫌良さそうに笑った。





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