十五歳、まだ名前を呼べなかった頃 〜メイリーン戦記・ララ編〜

水戸直樹

文字の大きさ
8 / 26

第8話 用意されるもの

しおりを挟む
 昼過ぎ。

 配膳室の隅で、ララは木皿を返した。

 小さな手に残る、木のざらつき。
 固いパンは、噛むほどに粉っぽい。
 薄く濁った湯は、最後まで味がしなかった。

 周囲では、誰も何も言わない。
 食べ終えた順に、皿を置き、立ち去るだけだ。

 背の低いララが立ち上がっても、
 誰一人、視線を向ける者はいなかった。

(……これで、終わり?)

 叱責もない。
 指示もない。

 ただ、次の時間が来たから動くだけ。
 その流れの外に、ララだけが取り残されていた。

 小さく息を吸い、吐く。
 胸の奥が、落ち着かない。

◇◇◇

 部屋に戻ると、机の上に紙が一枚置かれていた。

 見覚えのない筆跡。
 飾り気のない、短い文字。

『朝晩の風呂には、必ず来るように』

 それだけ。

 署名も、説明もない。

(……お風呂? 今さら?)

 見放されたのだと思っていた。
 数にも入らない存在になったのだと。

 なのに。

 小さく眉を寄せる。

(……なんで)

 問いは、胸の中で止まる。
 答えをくれる人はいない。

◇◇◇

 その頃。

 厚い扉に守られた、別の区画。

 聖女の私室では、灯りが落とされ、
 壁際の鏡だけが淡く光っていた。

「来なかった娘だろう?」

 王太子の声は低く、感情が薄い。

「体調不良と報告があったな。……今は懲罰を受けているはずだが?」

 鏡の前に立つ聖女は、肩口の素肌をわずかに覗かせ、
 くつりと笑った。

「罰は可哀想よ」

 鏡越しに視線を投げる。
 慈悲にも聞こえる声音。

 だが次の瞬間、聖女は楽しげに続ける。

「だから呼んであげましょ。私たちで可愛がって、女神サマのために“使って”あげた方がいいわ」

 顎で、奥の祭壇の部屋を示す。

 王太子は一度だけ視線をやり、頷いた。

「……女神の思し召しであるなら、その娘――ララ、だったな。呼ばせよう」

 その言葉に、聖女の笑みが深くなる。

「素直な男は好きよ。アナタ、顔も、身体もいいし」

「ふん。君は男だけじゃあるまい。女も好きだろうに」

「アハハ。だって聖女だもの。愛しあいたくて、仕方ないの」

 一拍置き、目を細める。

「……ララが来るの、楽しみ」

「呑気なものだ。……結界は?」

「ああ、完璧。女神サマがやってくれたから。北宮の中のことは、外には漏れないわ」

「……なら、いい」

 聖女はくすりと笑い、
 王太子の隣に腰を下ろす。

 指先が、彼の腕に軽く触れた。

 部屋の灯りが、消えた。

◇◇◇

 夜。

 北宮の外門に、一人の女性が立っていた。

 地味な外套。
 控えめな化粧。
 眼鏡の奥の視線は、穏やかだ。

「こんばんは。お疲れさまです」

 声をかけられ、門番が面倒そうに顔を上げる。

「北宮は立ち入り禁止だが?」

「婚約者に、本を渡しにきたのですが?」

 門番は一瞬、眉をひそめ――
 次の瞬間、言葉を失った。

「……婚約者? ……え? あ、あなた様は……!」

 名を名乗る必要はなかった。

 眼鏡。
 地味な装い。
 それでも消えない、身分と気配。

 門番は慌てて姿勢を正す。

「し、失礼いたしました!……取り次ぎますので、しばし……」

 女性は、小さく首を傾ける。

「急ぎなのです。北宮と東宮には、出入りを許されておりますので」

「は、はっ!では、ただちに」

 門の向こうで、重い錠が外される音。

 北宮の内側へ――
 歯車は、すでに回り始めていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪夢の未来視、オデットは義姉を切り捨てられない

水戸直樹
ファンタジー
私は未来を、夢で視る。 それは希望ではなく、 書き換えられない“確定した出来事”だった。 貴族の愛人の娘として生きてきた私、オデット。 伯爵家に迎え入れられるその日、 私はひとつの覚悟を決めていた。 ――この家で生き残るため、 義姉を切り捨てる。 それは、何度も夢で見てきた未来。 避けようのない、はずの選択だった。 けれど。 現れた義姉ジャイアナは、 私の知る“弱い義姉”とは、まるで違っていた。 二メートル近い体躯。 岩のような筋肉。 そして、疑うことを知らない真っ直ぐな心。 圧倒的な力を持ちながら、 真っ先に私を守ろうとする存在。 未来は、外れたのか。 それとも―― 間違っていたのは、未来を信じ切った私の方だったのか。 これは、 未来を視る軍師が、 「切り捨てる」という最初の判断を、 まだ選べずにいる頃の物語。 ※直接的な性描写はありませんが、 被害を想起させる表現が含まれます。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。 - - - - - - - - - - - - - ただいま後日談の加筆を計画中です。 2025/06/22

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

処理中です...