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第4話 義姉の“隠しごと”
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雲に覆われた月が屋敷の屋根を淡く照らす、やけに落ち着かない夜更け。
寝間着に着替えた私は、ランプの明かりの下で一通の封書をそっと開いた。
紙面に並ぶ、癖の強い筆跡──嫌でも胸の奥がざらつく。
『オデットよ、無事に潜り込んだようで何より。次の任務は長女ジャイアナを陥れることだ。手段は問わん。
お前が伯爵家を継げば公式に娘として認めてやる。
この手紙は読んだら燃やすように』
実父──侯爵の、相変わらず命令以外の言葉を知らない文章。
「……本当に、認めるつもりなんてあるのかしら」
ため息とともに紙を破り、暖炉へ投げ入れる。
炎に呑まれていく文字を見つめても、不安は一向に消えない。
私は婚外子。
都合のいいときだけ“娘扱い”され、邪魔になれば真っ先に捨てられる。
そもそも、愛人だった母をロジポツ伯爵の後妻に押し込んだのも、あの男だ。
私自身の存在理由すら、侯爵の気まぐれでしかない。
(……だからこそ。自分の力で地位を掴まないと。伯爵家も……生きる場所も)
決意を新たにしたそのとき、扉がコンコンと叩かれた。
「はあ……また……」
「お姉ちゃんが来たのだー。入れて欲しいのだー」
陥れる相手であるはずの義姉ジャイアナが、今日も変わらないテンションで現れる。
初対面以来、彼女は一度も距離を置こうとしなかった。
打算も気負いもない、ただまっすぐな好意。
男性に気に入られるのは慣れていても、女性からここまで好かれるのは初めてで、どう接すればいいのかいまだに分からない。
ジャイアナは、庭のうさぎが可愛かっただの、厨房で新作パンを味見しただの、無邪気な報告を延々と続けた。
「今日はね、料理長さんが“ジャイアナさまの笑顔を見ると元気が出るんです”って言ってくれたのだー!」
「まあ……お姉さまが食べ過ぎただけじゃなくて?」
「ち、違うのだ! ほめられたのだ! ……でもいっぱい食べたのだ!」
「ふふ……そうでしょうね。顔に書いてあるわ」
「えっ、どこに!? 消すのだ!?」
「冗談よ。……ほんと、あなたって分かりやすいわね」
言ってから気づく。
こんなふうに自然に笑ったの、いつ以来だろう。
ジャイアナは、ぱっと花が咲いたみたいに喜んだ。
「オデット、笑った! とっても可愛いのだ!」
「な、なによ急に……」
胸の奥がほんの少しだけ、温かくなる。
──そんな空気のまま、ジャイアナは唐突に思い出したように言った。
「あ! 今夜はもう部屋の外に出ないでなのだ!」
「え、どうして?」
「聞かないでほしいのだ。隠したいことがあるのだ」
「……隠したいなら、なおさら言うべきではないかと」
「ああっ! 間違えたのだ、嘘つけないから、もう帰るのだ。おやすみなのだ!」
バタバタと逃げるように去っていった。
(隠しごと……? 私の任務のこと……?)
そんなはずない、と頭では分かっている。
けれど、胸の奥に残るちくりとした痛みは消えなかった。
気になって扉に手をかけた、その瞬間──
「……ええ、ジャイアナさまのご指示です」
「オデットお嬢さまが外に出られないよう、見張りをと」
「気づかれてはいけませんからね」
廊下で交わされる使用人たちの声が、はっきりと耳に届いた。
(……どういうこと? 使用人まで?)
軽い悪戯にしては、規模が大きすぎる。
(まさか……全部分かったうえで、無邪気なふりを……?)
そんなはず……いや、もし気づかれていたとしたら──。
侯爵の指示がバレた?
後妻の連れ子なんて、やっぱり邪魔だった?
嫌な考えが浮かび、心臓が跳ねた。
胸がきゅっと締めつけられる。
◇◇◇
翌朝。
朝食前、部屋の扉が控えめに叩かれた。
「オデットお嬢さま……広間へ、すぐにお越しくださいませ」
普段は落ち着いた侍女リリアが、妙にそわそわしている。
ただ事ではない気配が、肌にじわりとまとわりついた。
(……侯爵からの任務について、糾弾されるのかしら……)
呼び出された広間へ向かう足は、自然と重くなる。
「オデット、来てなのだー!」
明るい声とともに扉を開いた瞬間──甘い花の香りが視界いっぱいに広がった。
「ようこそ、オデットお嬢さま!」
「歓迎いたします!」
花で彩られたホール。
手作り感はあるものの、どの飾りにも温かな気遣いが宿っている。
そして中心で胸を張るジャイアナ。
「オデットの歓迎会なのだーーー!!」
「……は?」
「昨日は秘密にしててごめんなのだ! サプライズをしたかったのだー、オデットが来てからずっと楽しみだったのだ!」
侍女リリアが微笑みながら私を席へ案内する。
「ジャイアナさまが、“オデットさまに笑ってほしいのだ”と、ずっと準備されていたんですよ」
その言葉で、ようやく膝の力が抜けた。
(……私、何を疑ってたのよ……)
ジャイアナは、太陽そのものみたいな笑顔で両手を広げる。
「さあ、いっぱい食べるのだ! 今日からずっと仲良くするのだー!」
眩しすぎて、思わず目をそらしたくなるほどの純粋さ。
(ばかね……私が何を狙ってるかも知らないで……ほんともう……)
小さく息を吸い、うつむきながらも、しっかりと言葉にした。
「……ありがとうございます」
──任務も、野心も、消えたわけじゃない。
だけど、この姉の“温度”は、思っていたよりずっと優しい。
……ただ一人。
会場の隅で、執事が静かにこちらを観察していることに気づいた。
影のような無表情。
その瞳には、温かさの欠片もなかった。
「……シラス様、こちらに」
遠くで控えめに名が呼ばれ、執事の視線がほんのわずかに動く。
その一瞬の冷たさに、背筋がひやりとした。
寝間着に着替えた私は、ランプの明かりの下で一通の封書をそっと開いた。
紙面に並ぶ、癖の強い筆跡──嫌でも胸の奥がざらつく。
『オデットよ、無事に潜り込んだようで何より。次の任務は長女ジャイアナを陥れることだ。手段は問わん。
お前が伯爵家を継げば公式に娘として認めてやる。
この手紙は読んだら燃やすように』
実父──侯爵の、相変わらず命令以外の言葉を知らない文章。
「……本当に、認めるつもりなんてあるのかしら」
ため息とともに紙を破り、暖炉へ投げ入れる。
炎に呑まれていく文字を見つめても、不安は一向に消えない。
私は婚外子。
都合のいいときだけ“娘扱い”され、邪魔になれば真っ先に捨てられる。
そもそも、愛人だった母をロジポツ伯爵の後妻に押し込んだのも、あの男だ。
私自身の存在理由すら、侯爵の気まぐれでしかない。
(……だからこそ。自分の力で地位を掴まないと。伯爵家も……生きる場所も)
決意を新たにしたそのとき、扉がコンコンと叩かれた。
「はあ……また……」
「お姉ちゃんが来たのだー。入れて欲しいのだー」
陥れる相手であるはずの義姉ジャイアナが、今日も変わらないテンションで現れる。
初対面以来、彼女は一度も距離を置こうとしなかった。
打算も気負いもない、ただまっすぐな好意。
男性に気に入られるのは慣れていても、女性からここまで好かれるのは初めてで、どう接すればいいのかいまだに分からない。
ジャイアナは、庭のうさぎが可愛かっただの、厨房で新作パンを味見しただの、無邪気な報告を延々と続けた。
「今日はね、料理長さんが“ジャイアナさまの笑顔を見ると元気が出るんです”って言ってくれたのだー!」
「まあ……お姉さまが食べ過ぎただけじゃなくて?」
「ち、違うのだ! ほめられたのだ! ……でもいっぱい食べたのだ!」
「ふふ……そうでしょうね。顔に書いてあるわ」
「えっ、どこに!? 消すのだ!?」
「冗談よ。……ほんと、あなたって分かりやすいわね」
言ってから気づく。
こんなふうに自然に笑ったの、いつ以来だろう。
ジャイアナは、ぱっと花が咲いたみたいに喜んだ。
「オデット、笑った! とっても可愛いのだ!」
「な、なによ急に……」
胸の奥がほんの少しだけ、温かくなる。
──そんな空気のまま、ジャイアナは唐突に思い出したように言った。
「あ! 今夜はもう部屋の外に出ないでなのだ!」
「え、どうして?」
「聞かないでほしいのだ。隠したいことがあるのだ」
「……隠したいなら、なおさら言うべきではないかと」
「ああっ! 間違えたのだ、嘘つけないから、もう帰るのだ。おやすみなのだ!」
バタバタと逃げるように去っていった。
(隠しごと……? 私の任務のこと……?)
そんなはずない、と頭では分かっている。
けれど、胸の奥に残るちくりとした痛みは消えなかった。
気になって扉に手をかけた、その瞬間──
「……ええ、ジャイアナさまのご指示です」
「オデットお嬢さまが外に出られないよう、見張りをと」
「気づかれてはいけませんからね」
廊下で交わされる使用人たちの声が、はっきりと耳に届いた。
(……どういうこと? 使用人まで?)
軽い悪戯にしては、規模が大きすぎる。
(まさか……全部分かったうえで、無邪気なふりを……?)
そんなはず……いや、もし気づかれていたとしたら──。
侯爵の指示がバレた?
後妻の連れ子なんて、やっぱり邪魔だった?
嫌な考えが浮かび、心臓が跳ねた。
胸がきゅっと締めつけられる。
◇◇◇
翌朝。
朝食前、部屋の扉が控えめに叩かれた。
「オデットお嬢さま……広間へ、すぐにお越しくださいませ」
普段は落ち着いた侍女リリアが、妙にそわそわしている。
ただ事ではない気配が、肌にじわりとまとわりついた。
(……侯爵からの任務について、糾弾されるのかしら……)
呼び出された広間へ向かう足は、自然と重くなる。
「オデット、来てなのだー!」
明るい声とともに扉を開いた瞬間──甘い花の香りが視界いっぱいに広がった。
「ようこそ、オデットお嬢さま!」
「歓迎いたします!」
花で彩られたホール。
手作り感はあるものの、どの飾りにも温かな気遣いが宿っている。
そして中心で胸を張るジャイアナ。
「オデットの歓迎会なのだーーー!!」
「……は?」
「昨日は秘密にしててごめんなのだ! サプライズをしたかったのだー、オデットが来てからずっと楽しみだったのだ!」
侍女リリアが微笑みながら私を席へ案内する。
「ジャイアナさまが、“オデットさまに笑ってほしいのだ”と、ずっと準備されていたんですよ」
その言葉で、ようやく膝の力が抜けた。
(……私、何を疑ってたのよ……)
ジャイアナは、太陽そのものみたいな笑顔で両手を広げる。
「さあ、いっぱい食べるのだ! 今日からずっと仲良くするのだー!」
眩しすぎて、思わず目をそらしたくなるほどの純粋さ。
(ばかね……私が何を狙ってるかも知らないで……ほんともう……)
小さく息を吸い、うつむきながらも、しっかりと言葉にした。
「……ありがとうございます」
──任務も、野心も、消えたわけじゃない。
だけど、この姉の“温度”は、思っていたよりずっと優しい。
……ただ一人。
会場の隅で、執事が静かにこちらを観察していることに気づいた。
影のような無表情。
その瞳には、温かさの欠片もなかった。
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