悪夢の未来視、オデットは義姉を切り捨てられない

水戸直樹

文字の大きさ
10 / 13

第10話 女たちの切り札

しおりを挟む
勝ったと思った、その瞬間こそが、
一番、無防備だった。

◇◇◇

屋敷が、静まり返っていた。

朝から続いた騒ぎが嘘のように、廊下には足音ひとつない。
衛兵に連行されていく執事シラスの背中を見送ったあと、私は一人、窓辺に立っていた。

(……終わった。シラスより私の方が“使える”と判断されたのね)

そう、思っていた。

◇◇◇

「――オデット」

背後から声をかけられ、肩がわずかに跳ねる。

振り返ると、義父ロジポツ伯爵が立っていた。
酒の匂いはしない。だが、顔は赤らんでいる。

「少し、話がある」

命令ではない。
しかし、断れる響きでもなかった。

「……はい」

私は短く答え、書斎へ入った。

扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

◇◇◇

「今回の件、よくやったな」

伯爵は椅子に腰を下ろし、私を見上げる。
その視線が、顔から胸元へ、ゆっくりと滑った。

「執事を切る決断など、私にはできなかった。
だが、お前は違った」

誉め言葉。
……の、はずだった。

「賢く、美しく、しかも役に立つ」

椅子から立ち上がる。
距離が、詰まる。

(……近い)

「私はな、オデット」

声が、低くなる。

「お前を可愛がってきたつもりだ。味方もしてやった。仕事も任せてやった」

一歩、前へ。

「執事よりも、お前の方が――価値があるからな」

背中が、壁に触れた。

逃げ道がない。

「ほら」

伸びてきた手が、顎にかかる。
力は強くない。
だからこそ、拒絶しづらい。

「怖がるな。家族じゃないか」

(……違う)

喉が、ひくりと鳴る。

(これは、取引だ)

助けた見返り。
味方してやった代価。

(……しまった)

私は、盤面を読み違えた。

男の欲は、理屈を超える。
それを想定できていなかった。

「お前ほどの娘を、他の男に取られるのは惜しい」

耳元で、囁かれる。

「今夜くらい――いいだろう?」

指先が、首筋に触れた。

冷たい。

(……嫌)

頭は動いているのに、身体が言うことをきかない。
声を出せば、壊れる気がした。

そのとき。

◇◇◇

「――あらあら」

扉の向こうから、空気を切り替えるような甘い声がした。

ノックもなく、扉が開く。

そこに立っていた母を見て、私は一瞬、言葉を失った。

(……お母さま?)

いつもの、控えめで上品な装いではない。
勝負の夜だけに纏う、完成された女の姿だった。

深い色味のドレスは、胸元と背中の線を計算し尽くした切り立ち。
布の隙間からチラリと覗く肌は、白く、きめ細やかで、灯りを柔らかく跳ね返す。

化粧も違う。
唇は濡れたように艶を帯び、睫毛の影が瞳を潤ませている。

――女である私ですら、思わず目を奪われる。

(……これが、本気の姿)

伯爵も、完全に動きを止めていた。

「……ジ、ジフネ」

かすれた声。

「おまえ……今日は、どうした?いつもより……いや、全然ちが――」

母は、くすりと微笑んだ。

「ふふ」

ゆっくりと歩み寄り、伯爵の胸元に指先を添える。
その仕草ひとつで、場の主導権が完全に移る。

「あなたを、娘に取られちゃうかと思って」

潤んだ瞳で、見上げる。

「……私、少し、嫉妬しちゃったのかもしれないわ」

伯爵の喉が、はっきりと鳴った。

「な、なにを――」

「大丈夫よ」

母は、私には一切視線を向けない。
今、世界にいるのは 伯爵ただ一人だ。

「この子は、今日はもう休ませるって……約束でしょう?」

低く、甘く、しかし逆らえない声。

伯爵の手が、私から離れた。

「……ああ」

完全に、引き込まれている。

母は、満足そうに微笑み、伯爵の腕を取った。

「さあ」

吐息が、耳元に落ちる。

「今夜は……私が、あなたの相手をするわ」

「……っ」

伯爵は、抵抗しなかった。

「ほら、行きましょう?」

そのまま、寝室の方へ導いていく。

扉が閉まる直前、母は一度だけ、こちらを振り返った。

――何も言わない。

ただ、「大丈夫」と言うように、目だけで。



◇◇◇

私は、その場に立ち尽くしていた。

(……助かった……のね)

言葉ではなく、
理屈でもなく。

女としての“格”で、すべてを奪い返す。

(……やっぱり)

この人は、ただ者じゃない。

◇◇◇

私は、しばらく動けなかった。

心臓の音だけが、やけに大きい。

(……危なかった)

膝から、力が抜ける。

(勝ったと……油断してた)

最後に、救われたのは――

知恵でも、計算でもなく。

母の“圧倒的女”だった。

◇◇◇

自室に戻り、寝間着に着替えるとベッドに腰を下ろした。

胸の奥に残ったざらつきが、まだ消えない。

少しして、ノックの音。

「オデット、いるのだ?」

ジャイアナだった。

扉を開けると、姉は私の顔を一目見て、眉を下げた。

「怖かったのだ? 顔が白いのだ」

何も知らない声。
探ることもしない、まっすぐな心配。

それだけで、張り詰めていたものが、ふっと緩む。

「……大丈夫」

私はそう答えたけれど、声は少しだけ震えた。

次の瞬間、気づけば私は、ジャイアナの胸元に額を預けていた。
姉は驚いたように目を瞬かせ、それから何も言わずに受け止めてくれる。

「ありがとう、お姉さま」

ぽつりと零した言葉のあと、視界がにじんだ。
頬を伝って、涙が一筋、つっと落ちる。

ジャイアナは、にかっと笑って、私の背を大きな手でぽんぽんと叩いた。

「ならいいのだ!私は、オデットの味方なのだ!」

(……知ってる)

姉は、いつだって、こんなふうにまっすぐで。

母は、母なりに。
歪だけれど。

(私は、ちゃんと……守られている)

胸に残る温もりを確かめながら、そう思う。

たぶん、それでいい。

私は、そっと息を吐いた。

(次は、もっと上手くやる)

この家で生きるために。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔力ゼロの俺だけが、呪いの装備を『代償なし』で使い放題 ~命を削る魔剣も、俺が持てば『ただのよく切れる剣』~

仙道
ファンタジー
現代日本で天才研究者だった相模登(さがみ のぼる)は、ある日突然、異世界へ転移した。  そこは『スキル』と『魔力』が全てを決める世界。   しかし登には、ステータス画面もなければ、魔力も、スキルも一切存在しなかった。   ただの一般人として迷宮に放り出された彼は、瀕死の女騎士と出会う。彼女の前には、使う者の命を瞬時に吸い尽くす『呪いの魔剣』が落ちていた。   武器はそれしかない。女騎士は絶望していたが、登は平然と魔剣を握りしめる。 「なぜ……生きていられるの?」  登には、剣が対価として要求する魔力は存在しない。故に、魔剣はデメリットなしの『ただのよく切れる剣』として機能した。   これは、世界で唯一「対価」を支払う必要がない登が、呪われた武具を次々と使いこなし、その副作用に苦しむ女騎士やエルフ、聖女を救い出し、無自覚に溺愛されていく物語。

何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、 表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。 だが―― 彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。 ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。 婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。 制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく―― けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。 一方、帝国は違った。 完璧ではなくとも、期限内に返事をする。 責任を分け、判断を止めない。 その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。 王国は滅びない。 だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。 ――そして迎える、最後の選択。 これは、 剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。 何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

転生魔女は悠々自適に世界を旅する

黛 ちまた
ファンタジー
 前世の記憶を持つ双子の魔女エレンとキリエは、転生した異世界を旅する。膨大な魔力、最強の使い魔、魔女だけが使える特別な馬車で、好き勝手に世界を満喫する。  異世界転生ひゃっほーぅ!!なお話です。

碧天のノアズアーク

世良シンア
ファンタジー
両親の顔を知らない双子の兄弟。 あらゆる害悪から双子を守る二人の従者。 かけがえのない仲間を失った若き女冒険者。 病に苦しむ母を救うために懸命に生きる少女。 幼い頃から血にまみれた世界で生きる幼い暗殺者。 両親に売られ生きる意味を失くした女盗賊。 一族を殺され激しい復讐心に囚われた隻眼の女剣士。 Sランク冒険者の一人として活躍する亜人国家の第二王子。 自分という存在を心底嫌悪する龍人の男。 俗世とは隔絶して生きる最強の一族族長の息子。 強い自責の念に蝕まれ自分を見失った青年。 性別も年齢も性格も違う十三人。決して交わることのなかった者たちが、ノア=オーガストの不思議な引力により一つの方舟へと乗り込んでいく。そして方舟はいくつもの荒波を越えて、飽くなき探究心を原動力に世界中を冒険する。この方舟の終着点は果たして…… ※『side〇〇』という風に、それぞれのキャラ視点を通して物語が進んでいきます。そのため主人公だけでなく様々なキャラの視点が入り混じります。視点がコロコロと変わりますがご容赦いただけると幸いです。 ※一話ごとの字数がまちまちとなっています。ご了承ください。 ※物語が進んでいく中で、投稿済みの話を修正する場合があります。ご了承ください。 ※初執筆の作品です。誤字脱字など至らぬ点が多々あると思いますが、温かい目で見守ってくださると大変ありがたいです。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

やり直し令嬢は箱の外へ、気弱な一歩が織りなす無限の可能性~夜明けと共に動き出す時計~

悠月
ファンタジー
 これは、狭い世界に囚われ、逃げ続けていた内気な貴族令嬢が、あるきっかけで時間が巻き戻り、幼い頃へ戻った。彼女は逃げるように、過去とは異なる道を選び、また周囲に押されながら、徐々に世界が広がり、少しずつ強くなり、前を向いて歩み始める物語である。  PS:  伝統的な令嬢物語ではないと思います。重要なのは「やり直し」ではなく、「箱の外」での出来事。  主人公が死ぬ前は主に引きこもりだったため、身の回りに影響する事件以外、本の知識しかなく、何も知らなかった。それに、今回転移された異世界人のせいで、多くの人の運命が変えられてしまい、元の世界線とは大きく異なっている。  薬師、冒険者、店長、研究者、作家、文官、王宮魔術師、騎士団員、アカデミーの教師などなど、未定ではあるが、彼女には様々なことを経験させたい。 ※この作品は長編小説として構想しています。  前半では、主人公は内気で自信がなく、優柔不断な性格のため、つい言葉を口にするよりも、心の中で活発に思考を巡らせ、物事をあれこれ考えすぎてしまいます。その結果、狭い視野の中で悪い方向にばかり想像し、自分を責めてしまうことも多く、非常に扱いにくく、人から好かれ難いキャラクターだと感じられるかもしれません。  拙い文章ではございますが、彼女がどのように変わり、強くなっていくのか、その成長していく姿を詳細に描いていきたいと思っています。どうか、温かく見守っていただければ嬉しいです。 ※リアルの都合で、不定期更新になります。基本的には毎週日曜に1話更新予定。 作品の続きにご興味をお持ちいただけましたら、『お気に入り』に追加していただけると嬉しいです。 ※本作には一部残酷な描写が含まれています。また、恋愛要素は物語の後半から展開する予定です。 ※この物語の舞台となる世界や国はすべて架空のものであり、登場する団体や人物もすべてフィクションです。 ※同時掲載:小説家になろう、アルファポリス、カクヨム ※元タイトル:令嬢は幸せになりたい

乙女ゲームは始まらない

まる
ファンタジー
きっとターゲットが王族、高位貴族なら物語ははじまらないのではないのかなと。 基本的にヒロインの子が心の中の独り言を垂れ流してるかんじで言葉使いは乱れていますのでご注意ください。 世界観もなにもふんわりふわふわですのである程度はそういうものとして軽く流しながら読んでいただければ良いなと。 ちょっとだめだなと感じたらそっと閉じてくださいませm(_ _)m

処理中です...