九龍懐古

枯樹生華

飴と告白

枯樹生華２





「樹イツキ！」

樹イツキが九龍灣に着くなり、紅花ホンファが元気よく駆け寄ってきた。
約束通りやって来た樹イツキよりも早く港に着いていたらしい紅花ホンファ。待ちくたびれちゃったわ！と、可愛く頬を膨らませる。

「ごめん。でもお土産あるよ」
「え、なぁに？」
「東アズマから貰った鼈甲べっこう飴」

樹イツキは鞄から瓶を取り出し太陽にかざした。
いっぱいに詰まった黄金色の飴が光輝き、紅花ホンファから感嘆の声が漏れる。

「うわぁ、綺麗！東アズマがくれたの？」
「うん。紅花ホンファにって」
「東アズマって、変だけどいい人ね！」

早々に変人認定されていた。昨日の話の内容のせいだろう。
樹イツキはほんの少し申し訳無く思ったが、紅花ホンファに語ったあれこれは全て事実なのだから仕様がない。せめてこの飴で東アズマの株がいくらか上昇してくれる事を願うより他になかった。

２人で木陰のベンチに腰掛け、口の中で飴を転がしつつ晴れ渡る空と九龍の海を眺める。

「伯父おじさんにあなたの話したら、いい友達が出来たねって言われたわ」
「そっか。じゃあ良かった」
「あと、あなたのお友達の話も！まだ東アズマの事しか聞いてないけど…沢山いるのよね？」
「沢山ってほどでもないけど。みんなよく東アズマの家に集まってる」
「【東風】だっけ？」
「そう。今度紅花ホンファも来なよ」

樹イツキの誘いに紅花ホンファは嬉しそうにしている。

樹イツキは【東風】の面々を頭に思い浮かべた。大地ダイチと紅花ホンファは仲良くなれる感じがする。上カムラは兄貴っぷりを発揮するだろうか？猫マオは女・子供には優しいし燈瑩トウエイは赤ちゃんからお年寄りにまで人気だ。こうして考えるとなかなかいい面子が揃っている。
なんなら飴をくれたものの東アズマがウザいかも知れない。紅花ホンファちゃん、ご家族にお姉さんとかは…？なんて質問したりして。

飴の瓶をカラコロと振りながら聞いていた紅花ホンファは、ふと思い付いた様に口を開いた。

「その中にアンバーって人いる？」
「アンバー？いないけど」
「そっか。伯父おじさんが探してたから」

今、この飴の色を見てて思い出したの。琥珀ってアンバーっていうのよ？と自慢気に知識を披露する紅花ホンファ。

「紅花ホンファ物知りだね」
「伯父おじさんが言ってたから気になっただけなんだけどね」

感心する樹イツキに、紅花ホンファはえへへ、とあどけなく笑う。

「他には他には？何のお話してくれるの？」

紅花ホンファに急かされ、じゃあ猫マオの話と樹イツキは答えた。華やかな花街のネオン街と、そこに堂々たる風格で門を構える【宵城】。そしてその巨大城を治める、ガラの悪い小さな体躯の猫のような城主。

「名前も猫マオだもんね」
「うん。ピッタリ」

紅花ホンファの言に樹イツキは頷き、動きも猫みたいなんだよね、最近だと他のグループとちょっと揉めたときに…と【幇獣】と一悶着あった際の出来事を語る。
ここでもやっぱり東アズマがどうしようもなかったので、再び紅花ホンファに変な人のレッテルを重ねて貼られてしまった。鼈甲べっこう飴で上がった株価は暴落、瞬時に元へと戻っていく。

「猫マオって怖い人なの？」
「んーん、口が悪いだけで優しいよ」

紅花ホンファの問いに樹イツキは首をフルフルとさせた。
まぁ、身内には──ついでに東アズマを除く──といった注意書きが入るけれど。

しかし、こうやって話してみるのも面白いなと樹イツキは思う。
誰かに話すことで、それまでわからなかった客観的な視点が見えてくる。そして話していくうちに、自分の相手への気持ちが浮き彫りになっていくのもまた興味深いことだった。
東アズマに対して、猫マオに対して…。どうやら樹イツキは自分で考えていたよりも、皆みんなに対して‘絆’のようなものを感じているらしかった。

「なんか不思議」
「え？なにが？」

唐突な樹イツキの言葉に紅花ホンファはキョトンとした。

「紅花ホンファに話したおかげで、俺も色々気付いたことがあった。ありがとう」
「そうなの？よくわからないけど…ならよかった。どういたしまして」

ペコリと頭を下げる樹イツキに、ワンピースの端を持ち上げ、カーテシーのポーズでおじぎをして笑い返す紅花ホンファ。
微笑ましいやり取り。燦々さんさんと降り注ぐ陽光の下で穏やかな時間が過ぎていく。

それからまた日が暮れるまで話をして、暗くなる前に紅花ホンファを見送った。


次の日も、その次の日も。


猫マオが寄越した月餅を持っていったり、行きつけの店の鶏蛋仔ワッフルを買っていったり、気が付けば九龍湾でのお茶会は樹イツキの日課になっていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「紅花ホンファ、伯父おじさんの仕事っていつまでなの？」

半月ほど過ぎた頃。
お決まりのベンチに座りお菓子をつまむ樹イツキが問い掛けると、紅花ホンファは困り顔で、わからないの、終わるまでって言うだけで教えてくれないからと答えた。
なにか抱えたプロジェクトが一段落するまでとか、そういった意味だろうか？伯父おじ自身にも正確な日数はわかっていないのかも、と樹イツキは推察する。

その質問に、このお茶会を切り上げたいのかと心配になったらしい紅花ホンファがおずおずと訊いた。

「樹イツキ、毎日紅花ホンファが来ると大変？」
「え？全然。俺どっちみちいつも外で甘い物食べてるし、仲間が増えて嬉しい」
「ほんと？なら良かったけど…」

樹イツキの返答に安堵しつつも、紅花ホンファの表情には翳かげりがあった。

「どうしたの？」
「……紅花ホンファと樹イツキって仲良しかなぁ」
「んー、そうなんじゃない？」

紅花ホンファの質問に頷く樹イツキ。紅花ホンファは軽く下唇を噛んで言葉を紡ぐのを躊躇ためらっている様子。
曖昧な返答の仕方が良くなかったのかと思い、仲良しだよと樹イツキは訂正する。
けれど問題はそこではないようだ。仲良しだよね…と噛みしめるように呟く紅花ホンファの表情からはいつもの晴れやかさが消えている。

あれ、仲良しが逆に嫌なのかな？なんて答えたら良かったんだ？俺何かしたかな？
そんな疑問が樹イツキの顔に書いてあったようで、紅花ホンファは違うと慌てて否定し───それからたどたどしく言った。

「紅花ホンファね、こんなに樹イツキが毎日遊びにきてくれるって思ってなかった。だからすごく幸せだし楽しいの。だけどね、紅花ホンファは本当は……樹イツキと仲良くなりたくないの」

予想外の台詞に樹イツキは少し驚く。
けれど紅花ホンファの仕草を見るに、なにか言うに憚はばかられる理由がありそうだ。
樹イツキはなるべく優しい声音で訊いた。

「どうして？」

言いづらそうにしている紅花ホンファの顔を見詰める。しばらく沈黙が続いたが、静かに待ち続ける樹イツキに、意を決したように紅花ホンファは言った。



「紅花ホンファと仲良くなった人は………



───────みんな死んじゃうの」