九龍懐古

倶会一処

艶羨とニコチン・前

倶会一処15





雨の続く九龍。この時期は集中的な雷雨が多く砦のあちこちで水害が起こり、城塞福利はメンテナンスにてんやわんや。

「でね。陳チャンのとこからこれ買ってきた訳よ」
「おっ前…こんなん混ぜモンしか入ってねぇだろ…」
「んな事ないわよ！封緘紙ふうかんし取れてないし！」
「あっそぉ…」

東アズマが取り出した酒瓶を苦い表情で受け取る猫マオ。本日の【東風】はいつものメンツ、ほんの何日か間あいだが空いただけなのになぜか妙に懐かしい感じがして、樹イツキは椅子の背もたれに寄りかかり深呼吸をした。

このほど街では‘雨水商売’で小銭を稼ぐ奴らが増加。城塞福利がインフラ整備にまごついているうちに、一部の人間はここぞとばかりにお手製パイプで各建物へ水を流したりポリタンクに貯めて運んだりして販売しせっせと利益を上げている。陳チャンも機を見逃さず儲けをだし、その金を元手に転売用の掘り出し物老酒を仕入れてきたクチで、東アズマに飲まないかとの打診があった。ちなみに陳チャンは東アズマの健全な・・・客である。購入品はもっぱら漢方、更年期の冷えに効く。

猫マオは酒瓶の栓を抜くと中を覗き、薫りを嗅いで、瓶を傾けゴクゴクいった。渋った割には躊躇いが無い。匂いで判断したのか？野生。

「で、本題これじゃねぇだろ」

ひと息で３割ほど中身を減らした猫マオが、瓶をユラユラさせながら発言。上カムラは切り出しづらそうにチラリと樹イツキを見た。本題とは…宗シュウについて。
宗シュウは【東風】や食肆レストランには現れなくなったけれど、樹イツキとだけは頻繁に顔を合わせている。それを聞いていた上カムラとしてはどう伝えるかを悩んだが───手段なんて多くはないのだ。一拍いっぱく置いて、話し始めた。

「えっとな…あれからまた色々調べててん。宗あのこ、やっぱ花街のほうにもコナかけとったみたいやんな。【宵城】には何なんもせんかったっぽいけど」

しなかった、というより、猫マオが懐ふところに入れなかった。皇家ロイヤルの件もしかり。樹イツキの弟としては可愛がっていた、さりとてビジネスでは一線を引いていたのだ。余談だが、香港にいた皇家ロイヤルの残党達は壊滅した。何の変哲もない・・・・・・・チンピラ共の手によって。

壁際で煙草をふかしていた燈瑩トウエイが口を開く。

「綠ロク君と東アズマが揉めた半グレいたじゃない？あれ、あの時…寶琳ポウラムじゃなくて柴灣チャイワンの方の奴らだってわかってたんだけど、聞いてみたんだよね。そしたら宗シュウ君、落馬洲ロクマーツァウって答えたでしょ？全然違う場所。俺がカマかけてるのに気付いたんだよ、聡さとい子だね」

その時点で既に、宗シュウは様々な方面から九龍へ手を回していたということ。燈瑩トウエイは水面下で状況が動いているのに気が付き裏で色々と対策を講じていたようだ。‘100％宗シュウ君がやってるって確信はなかったけど’と眉を下げる。

「ほんで、あの倉庫の抗争、綠ロクが勝っとったらしいわ。火事ん前に決着ついとったって」
「ん？何でわかったんだよ」
「１人、上手いこと逃げよった奴居おってな。そいつ捕まえて聞いてん」

匠タクミが挟んだ疑問に上カムラは肩を竦める。樹イツキは上カムラへ視線を向けた。話がおかしい。そうなると───…

「え、じゃあ…誰が綠ロクのこと、その…」

言葉を濁す大地ダイチ。上カムラは説明を続ける。

「最後、誰かが倉庫に入ってきよったんて。逃げよった奴は綠ロクがそっちに気ぃ取られとる隙に尻尾巻いてんから、よぉ見とらんらしいけど…知り合いっぽかったちゅうて」

知り合い。綠ロクが、油断をするような。

「それが犯人なの？ほんとにその逃げてた人じゃないの？」
「うん、逃げた人は違う」

大地ダイチの問いに笑顔を返す燈瑩トウエイ。大地ダイチは単に納得していたが、まぁつまり、本当に違うと確信が持てるまで訊いた・・・ということ。訊いたというのは────上カムラが咳払いをして話を戻した。

「でな。綠ロクの前にも、宗シュウの右腕っぽい人間は居おったわけやん。そいつどないなってんかな思て香港のほう探ってん」

綠ロクの前任のナンバー２はどこへ行ったのか？ナンバー３に格下げ、なら平和だったが、当たり前にそんなはずは無く。上カムラはそこで言葉を区切ったものの次の句は明白だった。短い沈黙が流れ、そして。



「宗シュウだろ」



猫マオが核心を突いた。

「全部片付いたから綠ロクを殺やったんだろ。それしかねぇじゃねーか」

ほとんど空になった酒瓶をテーブルに置く。コンッ、と軽い音がした。樹イツキは顔の前で組んでいた両手をほどき髪をかき上げ、俯うつむくと、細い溜め息を吐く。それから押し出すように発した。

「…俺、訊いてみる。宗シュウに直接」

そんな必要性は正直無い、答えは出ているのだから。されど宗シュウから聞きたかった。そうだとしても、そうでなかった──希望的観測なことは百も承知──としても。とにかく。
けれどもはや…宗シュウの居場所を九龍ここに作るのは難しいんじゃないか？いつ寝首を掻かれるかわからないなんて状況を受け入れる物好きは居ない。
樹イツキは壁の時計を見た。今日も宗シュウと会う約束がある。まだ待ち合わせの時間には早いが…考えていると、猫マオが再度テーブルをコンコン叩いた。

「ゴチャゴチャ悩むなって。後あとんことは後あとで考えろよ。宗シュウがどうでも、俺らは別に変わんねぇから」

樹おまえの好きにしろ、そう言って猫マオは残りの酒を呷あおる。突き放している訳では無い、言い方はぶっきらぼうだが、樹イツキの選択を尊重するという意味だ。

「ほら、とっとと行ってこい。もしも違ちがぇやそれで萬歲バンザイだしな」

東アズマも、そして上カムラも樹イツキの背を叩いた。大地ダイチは頷き燈瑩トウエイは笑えんで、匠タクミが軽く手を振る。樹イツキはありがとうと小さく返し、雨に煙る城塞へと足を踏み出した。