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56 変わる勇気
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「お待たせしました!ただいま戻りました!」
クロに乗って王城へ戻ると、シルヴァーナ公爵夫人がへなへなっと崩れ落ちた。
いつも完璧な貴婦人であるシルヴァーナ公爵夫人。彼女が地面に手をついて声をあげて泣くなんて、普通ならあり得ない。初めて見る母の姿に、アドリアンくんは近づいていいのか躊躇っている。
「アドリアン、母上はどうしてだか立てないわ。こっちに来てちょうだい」
アドリアンくんは私に背中を押されて夫人に向かって歩き出し、そして途中からは駆け出し、その手を取った。
「ご心配をおかけしてごめんなさい、母上」
夫人が「まずは抱きしめさせてちょうだい」とアドリアンくんを抱きしめて、彼が腕の中にいることを確かめるように彼の身体をさする。
「良かった…本当に良かった、アドリアン。あなたを失ったのではないかと、母上がどれだけ心配したか…」
「本当にごめんなさい、母上」
夫人は顔を上げて、私に頭を下げる。
「サティ様、なんと感謝申し上げていいか」
「そのお言葉だけで十分です、夫人。ただ、夫人にひとつお願いがあります」
「何でございましょう。私にできることでしたら、何でもいたします」
「勝手に家を抜け出したのはもちろん悪いことです。でもどうか叱る前に、アドリアンくんの話を、遮らず否定もせず全部聞いてあげてください」
くるりと振り向いたアドリアンくんの青い目と、私の目が合う。私が頷くと、アドリアンくんも頷いた。
《ちゃんとお母さんと、それからお父さんにも、自分の気持ちを伝えてみて。もし伝わらなくて怒られて家にいたくないと思ったら、王城に私を訪ねてくればいいから》
ーーー
数日後、シルヴァーナ公爵夫人が王城に私を訪ねてきた。
「サティ様、本当になんと感謝申し上げていいか」
「あの日にも言いましたが、本当にそのお言葉だけで十分ですよ、シルヴァーナ公爵夫人」
「これは、アドリアンを見つけてくださったことに対するお礼ではありませんの」
「…?」
「気づかせてくださったことに感謝を」
私に促されたアドリアンくんは、大きな期待が重すぎるプレッシャーになっていたことを夫人に打ち明けた。そして夫人は、自分や夫がアドリアンくんを追い詰めたのだと知った。
けれど「アドリアンくんがいなくなった」という知らせを受けて領地から急いで帰って来た公爵は、戻って来たアドリアンくんに安堵すると同時に、「こんな騒ぎを起こして」と彼を叱責した。
叱られてただ下を向くアドリアンくん。カタカタと震える身体を必死に抑えつけようとして、夫人に助けを求めようともしない。
その様子を見て、夫人は悟った。公爵家には、アドリアンくんにとっての「本当の味方」が誰もいなかったことを。
これまで全面的に夫に従ってきた夫人は、初めて夫を諫めた。そして母の勇気を見たアドリアンくんは自分の気持ちをはっきりと父に伝え、夫人と息子の初めての抵抗に驚愕した公爵は、一日寝込んだうえで考えを改めたのだと言う。
「自分も同じような期待の中で苦しんできた。乗り越えたのだと思っていたが、負けてただ受け入れただけだったのかもしれない」と。
「私も”両親に価値を証明しなければ”と必死になってきました。愛されるにはそうするしかないと思っていたのです」
「シルヴァーナ公爵夫人…」
「とても苦しかったのに、アドリアンにも同じことをしていました」
わかるよ。子育てって再生産してしまうんだ。
「サティ様…私を軽蔑なさいますか。大切な息子をあんなに追い詰めて、家出までさせた母親を」
「まさか」
私はシルヴァーナ公爵夫人の手をとった。
「気づくって、簡単なことじゃありません」
「けれど今更気づいたところで、どうしたらいいのか。失ってしまったものが、あまりに多いような気がして」
「小さい頃の夫人がもらいたかった言葉を、アドリアンくんにあげてください。夫人がご両親と一緒にしたかったことを、アドリアンくんをしてください」
彼女やアドリアンくんが「失った」と感じるものを取り戻すのに、時間はかかるかもしれない。もう取り戻せないものだって、きっとある。
それでもアドリアンくんは、夫人や公爵が変わろうとしていることを感じているだろう。それがきっと、彼にとっての希望だ。
「今からでもきっと大丈夫です、夫人」
「サティ様がそう言ってくださると、本当にそう思えるから不思議ですわ」
「そうですか?」
「これからも不肖の母に、ご指導とご鞭撻を賜りたく」
やりたいことができる日もあるし、できない日もある。進んだと思ったらまた戻るかもしれない。前を向く気力が湧かないこともあるだろう。
だけど大切なことに気づいたなら、きっと大丈夫。
「こちらこそ不肖の養育係ですが、お力になれることならなんでも」
「お願いいたします」と姿勢を正したシルヴァーナ公爵夫人は、やっぱり大輪の薔薇みたいに華やかだった。
「ところで、ひとつお話が」と夫人は扇子で口を隠す。
「王太子殿下が、アドリアンを手紙でお叱りくださったそうですの」
「レオくんがですか?」
「ええ。”ロゼマリアがどれだけ心配して泣いたと思っているのか。彼女を心配させるようなことをするな”と」
「それって…」
扇子の奥で夫人が目を細める。
「ええ。私も拝読したのですけれど、”ロゼマリア嬢は僕にとって大切な人だ”と書いてありましたわ。王太子殿下のお気持ちを改めてご確認いただいたうえ、国王陛下にご報告いただければと存じます」
これはすごく大事な報告になる。二人の将来を決めてしまう報告だ。
「ロゼマリアちゃんの気持ちは…」
「決まっております」
私は小さく頷いた。
クロに乗って王城へ戻ると、シルヴァーナ公爵夫人がへなへなっと崩れ落ちた。
いつも完璧な貴婦人であるシルヴァーナ公爵夫人。彼女が地面に手をついて声をあげて泣くなんて、普通ならあり得ない。初めて見る母の姿に、アドリアンくんは近づいていいのか躊躇っている。
「アドリアン、母上はどうしてだか立てないわ。こっちに来てちょうだい」
アドリアンくんは私に背中を押されて夫人に向かって歩き出し、そして途中からは駆け出し、その手を取った。
「ご心配をおかけしてごめんなさい、母上」
夫人が「まずは抱きしめさせてちょうだい」とアドリアンくんを抱きしめて、彼が腕の中にいることを確かめるように彼の身体をさする。
「良かった…本当に良かった、アドリアン。あなたを失ったのではないかと、母上がどれだけ心配したか…」
「本当にごめんなさい、母上」
夫人は顔を上げて、私に頭を下げる。
「サティ様、なんと感謝申し上げていいか」
「そのお言葉だけで十分です、夫人。ただ、夫人にひとつお願いがあります」
「何でございましょう。私にできることでしたら、何でもいたします」
「勝手に家を抜け出したのはもちろん悪いことです。でもどうか叱る前に、アドリアンくんの話を、遮らず否定もせず全部聞いてあげてください」
くるりと振り向いたアドリアンくんの青い目と、私の目が合う。私が頷くと、アドリアンくんも頷いた。
《ちゃんとお母さんと、それからお父さんにも、自分の気持ちを伝えてみて。もし伝わらなくて怒られて家にいたくないと思ったら、王城に私を訪ねてくればいいから》
ーーー
数日後、シルヴァーナ公爵夫人が王城に私を訪ねてきた。
「サティ様、本当になんと感謝申し上げていいか」
「あの日にも言いましたが、本当にそのお言葉だけで十分ですよ、シルヴァーナ公爵夫人」
「これは、アドリアンを見つけてくださったことに対するお礼ではありませんの」
「…?」
「気づかせてくださったことに感謝を」
私に促されたアドリアンくんは、大きな期待が重すぎるプレッシャーになっていたことを夫人に打ち明けた。そして夫人は、自分や夫がアドリアンくんを追い詰めたのだと知った。
けれど「アドリアンくんがいなくなった」という知らせを受けて領地から急いで帰って来た公爵は、戻って来たアドリアンくんに安堵すると同時に、「こんな騒ぎを起こして」と彼を叱責した。
叱られてただ下を向くアドリアンくん。カタカタと震える身体を必死に抑えつけようとして、夫人に助けを求めようともしない。
その様子を見て、夫人は悟った。公爵家には、アドリアンくんにとっての「本当の味方」が誰もいなかったことを。
これまで全面的に夫に従ってきた夫人は、初めて夫を諫めた。そして母の勇気を見たアドリアンくんは自分の気持ちをはっきりと父に伝え、夫人と息子の初めての抵抗に驚愕した公爵は、一日寝込んだうえで考えを改めたのだと言う。
「自分も同じような期待の中で苦しんできた。乗り越えたのだと思っていたが、負けてただ受け入れただけだったのかもしれない」と。
「私も”両親に価値を証明しなければ”と必死になってきました。愛されるにはそうするしかないと思っていたのです」
「シルヴァーナ公爵夫人…」
「とても苦しかったのに、アドリアンにも同じことをしていました」
わかるよ。子育てって再生産してしまうんだ。
「サティ様…私を軽蔑なさいますか。大切な息子をあんなに追い詰めて、家出までさせた母親を」
「まさか」
私はシルヴァーナ公爵夫人の手をとった。
「気づくって、簡単なことじゃありません」
「けれど今更気づいたところで、どうしたらいいのか。失ってしまったものが、あまりに多いような気がして」
「小さい頃の夫人がもらいたかった言葉を、アドリアンくんにあげてください。夫人がご両親と一緒にしたかったことを、アドリアンくんをしてください」
彼女やアドリアンくんが「失った」と感じるものを取り戻すのに、時間はかかるかもしれない。もう取り戻せないものだって、きっとある。
それでもアドリアンくんは、夫人や公爵が変わろうとしていることを感じているだろう。それがきっと、彼にとっての希望だ。
「今からでもきっと大丈夫です、夫人」
「サティ様がそう言ってくださると、本当にそう思えるから不思議ですわ」
「そうですか?」
「これからも不肖の母に、ご指導とご鞭撻を賜りたく」
やりたいことができる日もあるし、できない日もある。進んだと思ったらまた戻るかもしれない。前を向く気力が湧かないこともあるだろう。
だけど大切なことに気づいたなら、きっと大丈夫。
「こちらこそ不肖の養育係ですが、お力になれることならなんでも」
「お願いいたします」と姿勢を正したシルヴァーナ公爵夫人は、やっぱり大輪の薔薇みたいに華やかだった。
「ところで、ひとつお話が」と夫人は扇子で口を隠す。
「王太子殿下が、アドリアンを手紙でお叱りくださったそうですの」
「レオくんがですか?」
「ええ。”ロゼマリアがどれだけ心配して泣いたと思っているのか。彼女を心配させるようなことをするな”と」
「それって…」
扇子の奥で夫人が目を細める。
「ええ。私も拝読したのですけれど、”ロゼマリア嬢は僕にとって大切な人だ”と書いてありましたわ。王太子殿下のお気持ちを改めてご確認いただいたうえ、国王陛下にご報告いただければと存じます」
これはすごく大事な報告になる。二人の将来を決めてしまう報告だ。
「ロゼマリアちゃんの気持ちは…」
「決まっております」
私は小さく頷いた。
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