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第2章 阿久利川事件 3
しおりを挟むその数日前。陸奥亘理郡鹿島、藤原経清居所。
陸奥六箇郡に三華あり。と歌の文句に詠まれる程に、当地奥羽は勿論遠き都の貴公子にまで聞こえてくる程頼時の娘達は美女と聞こえが高い。即ち有加、中加、一加の三姉妹である。
そのうち二人の美しい花をそれぞれ妻に娶った男達は余程の果報者であろう。
ところが、その果報者たる二人は互いに顔を突き合わせながら、この上ない苦悩の表情を浮かべて肩を落としているのである。
「……やはり、穏やかにはいかぬようじゃのう」
落胆を隠せぬ様子で藤原経清が呟く。亘理郡司であり、頼時の長女有加を妻に娶り、安倍氏とは深い繋がりがあった。それが彼を再び苦しい立場に立たせている。
「登任様の時と状況は同じじゃ。任期は翌年まで。残りあと半年余り、何も起こらぬはずがないとは思っておったが」
平永衡が答え、深い溜息を吐いた。伊具郡司であり頼時の二女中加を妻としている。先の鬼切部合戦では懊悩の末安倍側に組みしたが、頼義着任後、大赦もあり速やかに国府に帰順した。
頼良の任期満了を翌年に控え、都から嫡男を招集したと聞いて不吉な予感を抱き、警戒していたところに、義家到着直前になって突然頼義が息子を伴い衣川を訪問すると言い出したのである。
傍で聞いていた永衡は仰天し、義兄弟である経清の下へ馬を走らせ今に至る。衣川は、俘囚地と国府領との境界に接する地である。万が一両者が合戦となれば衣川関並びに小松柵は安倍側の最前線基地となる。そこへ招かれもせずに国府の長が直接赴くというのは只事ではない。
「今頃舅殿は大慌てじゃろう。これは明らかな敵情偵察。とはいえ、嫡男の顔見世を兼ねての訪問と言われれば誰も表立って文句は言えぬ。見せろと言われれば匂うものでも下手に隠すわけにいかぬ。舅殿が手土産を抱えて多賀城へ顔を出す前に間髪入れずに仕掛けてくるとは、舅殿の歯軋りがここまで聞こえてくるようじゃ」
経清は思わず呻いた。これから敵陣の下見に赴くという。さて次に移るは弓の張り方か、矢の用意か。
この訪問の意図、頼義の思惑は誰の目にも明らかであった。
「……なあ、義兄上。貴殿、今度はどっちにつく?」
ふいに顔を上げ、永衡が問う。
「何を馬鹿なことを」
窘める経清の前で哀しそうな笑みを浮かべて永衡が顔を伏せた。
「俺は、今でもこの首が繋がっていることが不思議でならぬよ。あの時は本当に運が良かっただけじゃ。討たれる前に逃げた。今でもいつ頼義様に呼び立てられ首を討たれるか不安で不安で堪らぬのじゃ。一度裏切った身じゃ、安倍と戦になれば真っ先に討たれるだろう。或いは最前線で矢面に立たされるか。否、前に立てれば敵に走ると、後ろから射られるだろうな。……良いさ。俘囚の頭と縁を結んだ時に、こうなることも覚悟しておった。だが、妻のことが、中加のことばかりが気懸りじゃ」
顔を上げ、縋るように経清を見つめる。
「義兄上、万が一の時は、どうか妻のことを宜しく頼む。あれを伊具に残しては、国府の人質とされてしまう。それでは舅殿に申し訳が立たぬ。中加が彼奴等にどんな酷い扱いを受けるか、そう思うと、たとえこの身討たれても死に切れぬ。貴殿は国府の大事を担っておるし、頼義様の郎従筋じゃ。よもや討たれることはないだろう。もし合戦となった時には、どうか、どうか妻だけは助けてやってくれ!」
「まだ戦になると決まったわけではない。そう心配するな」
涙を浮かべ懇願する義弟の肩を抱いてやりながら経清が慰めた。
「今は嵐が無事過ぎ去るのを待つのだ。我らに出来ることは、それしかない」
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