白狼姫 -前九年合戦記-

香竹薬孝

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第10章 鳥海柵の奇襲 3

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 唸りを伴う一加の斬撃を薙刀の棟で薙ぎ払う。

「っ⁉」

 間髪入れずに叩き込まれた二太刀目は思わず馬を退いて躱した。

 得物を振るい相手を牽制しながら間合いを取った義家が信じがたい思いで一加を見つめる。

(一人二人ではない。……これは、幾十人と斬った打ち込みじゃ!)

 実戦で人を斬り慣れた者の剣は受けてみればすぐわかる。下手に斬りつければ相手の骨肉に鈍く食い込み、刃が抜けぬ。悪くすれば刃を零すし、もたもたしているうちに別の敵に斬りかかられることもある。だから自然と姿勢が変わる。打ち込み方も重みが変わる。実際に合戦で数多の人を斬らねば身につかぬ癖である。



 ――そなたの手が……血に染まるのを、見たくはないのだ

 いつか、自分は彼女に向かってそう言った。

 ――……お願いじゃ。源太様。血に染まったこの姿、見るに堪えぬと仰せなら、どうかこれ以上は……!

 それに対して、彼女はぽろぽろと涙を零しながら声を震わせて答えていた。

  ――我も安倍の一人ぞ! 田舎庄屋の小娘と侮るならば容赦せぬ!

 そう言って、義家を前に己の覚悟を最初に示していたというのに。



(……ひどい男じゃな、俺は)

 まさに雌狼の鋭眸を以て構える一加から距離を空けていた義家が、ぐいと一歩馬を進め、下段の構えを相手に向ける。

「……そなたの打ち込み、全て受けよう。――俺も、もう目を逸らさぬ!」

 




「十二年目にして今更名を問うか! よくまあしゃあしゃあと好敵手などと呼べたものじゃ!」

 流石に吹き出しながら元親が漆部利の剣を躱す。まともに斬撃を受けていては只では済まぬことは初対面の時から学んでいた。

「……だが、正直申して、某も貴公と再び相まみえるのを楽しみにしておったよ!」

 不敵に笑い返しながら元親も打ち返す。それを薙いだ返しの刀で斬りかかる漆部利の一撃を絡めて弾く。

「ヒャハハ! ここまで付き合うてくれた者は貴様が初めてじゃ。儂は今、楽しくて堪らぬぞ。倭だのエミシだの、もうどうでも良うなったわ!」

 お互い矢継ぎ早に剣戟を交わし合っていた漆部利が不意に剣を退き、表情を改めて元親を見据える。

「改めて名乗ろう。安倍義時六子、北浦六郎重任。……元親殿、拙者は正直申して、貴公を殺してしまうのが惜しうなってきたわい」

「はは、実は某もじゃ。だが此処で決着を付けねばならぬ」

「名残惜しいがのう、流石に十二年は永過ぎた。それに、我ら一族はもう後が無くなってきたでな」

 お互い、くつくつと笑い合いながらそれぞれの獲物を握り締める。

「……さて、遊戯の続きじゃ。貴公よ、分が悪くなったからというて、また川を泳いですたこら逃げおったら承知せんぞ?」

「無論。もう冷たい川に飛び込むのは御免蒙る!」





 遠巻きに次々と放たれる矢を躱しながら背中を預ける経清へ貞任が恨みを込めて叫ぶ。

「経清殿、そなたのこの企て、一つだけ抜かりがあったと見たぞ!」

「何じゃっ?」

 今にも斬りかかろうという国府武者に睨みを利かせながら経清が尋ねる。

「最初に尻尾の清原勢を奇襲せよと命じたことじゃ。頭から先に叩けば良かったのじゃ。源氏の騎馬共、強すぎるわ!」

 はっ! と経清が一声笑う。

「すまんな、うっかりしておったわ!」

 なし崩しに正面からの騎馬戦に縺れ込んでしまっては、幾ら多勢の胆沢精鋭とはいえ源氏騎馬では相手が悪い。

 遠巻きながらも二人は数騎の国府騎馬にぐるりと取り囲まれていた。





 白衣の胆沢騎馬を一刀の下に斬り伏せた国府騎馬の一人が息を荒げながらも揚々と大笑する。

「ははは、なんじゃ胆沢金ヶ崎の狼とはこの程度の輩か? 黄海で打ち負かされたのが悪い冗談のようじゃ。やい、俘囚の犬共よ! 先の戦で煮え湯を飲まされた我ら国府の屈辱、今こそ貴様等犬ころの血で雪いでやるから覚悟せい!」

 そう叫んだ武将の喉元に矢が刺さり、どうと馬から転げ落ちた。

「……国府の犬も此処に居ることを忘れてもらっては困るぞ、頼義の飼い犬共奴!」

 そう言って嗤い声を上げるのは経清直下の亘理勢である。

 経清と共に将兵らが安倍に帰順した直後、亘理に残した同僚や彼らの妻子は、頼義ら国府勢による壮絶な報復の餌食となった。それを伝え聞いていた彼らは、激しい復讐の炎を燃やしこの戦に臨んでいたのであった。

「貴様等国府に嬲り殺しにされた我が妻や子らの無念、今ここで晴らしてくれる!」

 




 今まで見たことのない旋風の如き一薙ぎに元親は思わず目を剝いた。とてもまともに凌げるような一太刀ではない。まるで人馬一体の如き斬り込みであった。

「――嘗て阿弖流為率いるエミシ騎馬が用いていたこの蕨手刀は、騎馬同士の斬り合いを主眼にし、特に反りの大きい片刃の誂えとなっておる。加えて、仔馬の頃より手づから育てたこの馬も、母體と所縁ある磐井馬の血統を引く駿馬じゃ。刃馬両方に負担を掛ける荒業故抑えておったが、本来のエミシ騎馬は今のような斬撃を振るう。……次の一撃で勝負を決しようぞ!」

 そう言ってニヤリと笑ってみせる重任の眼前に元親の顔があった。

「――なっ⁉」

 鼻先に触れそうな距離に一瞬で間合いを詰めた敵の動きに思わず退いた重任のすぐ鼻先を神速の勢いで白刃が振り下ろされる。

「……某も伊達に腕っぷしだけを頼りに国府官僚まで上り詰めたのではないぞ?」

 元親もまた笑みを浮かべる。

「某も望むところじゃ。――次で勝負を決めよう!」

「ヒャハハ、嬉しいのう、我が好敵手ともよ!」



 そして二人の剣は瞬きの間に交差した。



 元親の大太刀の方が速い。それを受けた重任の蕨手刀が真っ二つに折れ、勢いのまま抜ける元親の刃を身を捻って躱しながら半身の刃をその胴に突き立てた。

「が……っ!」

 元親が悲鳴を漏らす。

(――ああ、終わってしまった)

 柄から伝わる手応えに寂しい笑みを浮かべた重任の兜が、真っ二つに割れて地に落ちた。

「……ぐあああっ!」

 額から血を噴き出した重任が絶叫し、驚いた馬が身を捩らせた弾みで姿勢を崩す。

「しまったっ! 目が……目が……見えぬっ! うわあああ!」

 流血に視界を失い、馬から放り出された重任の身体が地面に叩きつけられ、それきり動かなくなった。

「……ああ、終わってしまったのう」

 元親もまた、寂しそうに笑いながら、馬から崩れ落ちた。




(ああ……御曹司はまだ戦っておられるか?)

 草むらに落ちた元親が視点を横に転じると、未だ剣を交わし合う二人の様子が見えた。

 柄を断ち切られた薙刀を放った一加が太刀を払い横一文字に義家の胴を払う。得物を頭上に掲げ躱した義家がそのまま袈裟懸けに振り下ろし、黒髪翻しながら避ける一加が更に真横から刃を閃かせる。

(……美しい。まるで迦陵頻伽の舞の如し、じゃ。……もしや、某はもう極楽に来ているのかもしれぬ)

 次第に視界が白みがかっていくのは霧のせいだけではあるまい。

 何処からか聞こえてくるのは、ずっと遠い昔に先に極楽へ行ってしまった妻と子の呼ぶ声。呼び返してやりたいが、もう二人の名前を忘れてしまった。

(すまなかったな。何一つ供養らしいことをしてやれなかった。……こんな俺でも、お前達は迎えに来てくれたか)

 つう、と涙を零しながら、元親は今一度主の姿を焼き付け、目を閉じた。




(――御曹司、すみませぬ。最後まで……ご一緒できませなんだ)




 



「うああああああっ!」

 気迫凄まじく斬りかかる一加の刃を真正面から受け止めた義家が、鍔迫り合いからぐいと押し込み、一加を追い詰める。

「う、うああ……う、ぐす、……あああ!」

 真っ赤に泣き腫らした一加の両頬は、涙でぐっしょりと濡れていた。

 鋭い双眸でじっと自分を見据える義家の力強い腕を、それでも必死に押し返そうとする。

 かつて自分を優しく抱きしめてくれた腕だ。

「ひ、ひぐ、……う、……うううう」

 かつてこの腕で抱きしめた女性だ。



「――一加、やはり、俺はそなたを殺せぬ」

 

 ふと、哀しそうに微笑んだ義家が競り合いを解いた。



「いああああああっ!」

 その勢いに乗じ、絶叫を上げながら薙刀を払った。

 脚を斬りつけられた義家の馬が喧しく嘶き、振り落とされた義家が地面に転がった。



「取ったぞっ! 義家ェっ‼」



 その叫びを耳にした両軍全将兵がぴたりと剣を止め、振り向いた。

「……終わったか」

 ほう、と貞任が息を吐く。

 

 馬から降り、倒れる義家に駆け寄った一加がその上に馬乗りになり、刃を突き付けた。

「その首もらうぞ! これで我らの戦は終いじゃ!」

 無論、清原・国府との戦は今少し続くだろう。だが、これで何かは確実に終わってしまうのだ。

「……そなたの勝ちじゃ。この首手柄とせよ」

 振り上げられた白刃を前に猶も穏やかな義家の鼻先で、しかし、いつまでも切っ先を震わせたままそれは振り下ろされない。

 ぽたぽたと義家の頬を一加の涙が濡らす。

「……その衣」

 しゃくり上げながら口を開く一加の指摘に、「ああ、これか」と義家が静かに答える。

「首はそなたに取られても、羽衣は誰にも取られとうなかった。だから、肌身離さず着込んできた。……誰にも天女を渡しとうなかった。死んでも天になど帰しとうなかった」

 それは、あの夏の日に義家が衣川に置いていった夏衣。――彼が手にした天女の羽衣であった。

「おかげで今日は寒くて仕方がなかったよ」

 そう言って義家が目を細める。



 ……一加の手から太刀が抜け落ちた。




 そのまま崩れるように義家の胸に顔を埋め、一加は声を憚らずに泣いた。




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