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第11章 和平 1
しおりを挟む同日夜半、厨川柵。
縄を打たれ、広間に通された義家の前には、貞任をはじめ、真任、宗任、家任、経清らが居並び、その中には一加の姿も見えた。何れも合戦のままの姿格好である。義家を捕らえた後、鳥海柵に陣取る清原勢に感づかれ増援を送られる前に御大急ぎでその場を離れ、厨川の本拠地に到着した頃には既に夜更けであった。そのまま他の俘虜を適当なところに押し込んだ後に、武具も解かぬままに義家を皆の前に引き立てたのが只今の状況である。戦帰りの面々には流石に疲労の色が隠せぬし、留守組の中には寝ていたところを叩き起こされた者もいる。
一同の注視を受けながら、義家は屹と顔を上げ、双眸鋭く高座の貞任を見返している。
「すまぬな。縄がきつかろうが今宵一晩だけご辛抱されよ。雑仕女達も既に休んでしまった故、晩飯も振舞わずに心苦しいが、明日の朝餉はその分倍用意するでな」
申し訳なさそうに笑いかける貞任を見据えたまま、義家は表情を変えない。
「いっそ一思いにお斬りになったらどうか」
視線を逸らさぬままに義家が口を開く。
「これでも源氏の端くれじゃ。縄目の屈辱は耐え難い。武士の情けを御心得ならば、どうかこの場で手討になされよ」
まことに潔い義家の様子に、一同は改めて感嘆の声を漏らす。
しかし貞任も穏やかな様子を崩さぬままに話しかける。
「悪いが殺さぬよ。まだそなたとの勝負、決着がついておらぬ。いずれお疲れのことであろうし、今宵はもう休まれよ。寝処を用意してあるので、後で案内させよう。流石に俺も今日は疲れたよ」
そう言って大欠伸を放ちながら席を立つ貞任に続いて、他の者もぞろぞろと部屋を後にする。ちらりと一加がこちらを振り返ったようだが、表情までは伺えなかった。
やがて現れたのは二人の侍女であった。見分けのつかぬ程同じ顔が二つ並んでいるので双子の姉妹と一目でわかる。何気なく見ていた義家がハッと気づいて声を上げた。
「もしや、一加に仕えていた女童達か?」
蘿蔔達も問いかけられて目を丸くする。
「まあ、覚えておいででしたか!?」
しかし二人揃っていなければ気づかなかった。
それほど美しく様変わりしていたのである。
寝処に案内されると、既に寝床は整えられていた。
「何かありましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」
「それではごゆっくりお休みくださいませ」
そう言って退出しようとする双子を呼び止めた。
「縄は解いてくれぬのか?」
「貞任様より翌日の詮議まで何があっても絶対に解いてはならぬと言いつけられておりまする」
「何卒ご辛抱くださいませ。それ以外の御用命であれば、隣室に控えておりまする故、何なりとお声がけくださりませ」
申し訳なさそうに答える侍女達にふと問う。
「厠に行きとうなったらどうすればよいのじゃ?」
あ、という様子で顔を見合わせた双子達が暫く悩まし気に首を捻った後、
「縄を解いて差し上げる以外は、譬えどんなご用命でも承るよう命じられておりまする……」
蘿蔔が今にも泣き出しそうに目を潤ませて答える。
「ご用足しの際は私達が介助させて頂きまする。殿方の、その……そちらの方の勝手は不躾ながら不案内故、万が一の粗相は何卒お目溢し頂きとう存じまする……」
菘が頬を赤らめ、俯き肩を震わせながら答える。
「わかったわかった、それは自分で何とかするから、そんな思い詰めんでよい!」
侍女達が退出し、一人部屋に残された義家が、さて、とこの上なく厳しい面持ちで考え込んだ。
(とんだことになったぞ。戦の重大局面に至るというときにこの俺が虜になってしまうとは!)
先程の貞任の様子を見る限り、自分をこれから取って食おうというつもりではないと見るが、いずれ明日の詮議の場で安倍の頭目らが自分に対しどんな態度を見せてくるか、それまでは油断できぬ。
(何よりも、官軍陣内における父上のお立場を悪くしてしまっては申し訳が立たぬ。いっそあの詮議の場で首を打ってくれれば、余程良かったものを!)
忸怩たる思いに唇を噛み締めていた義家が、ハッと気づいて表情を変える。
(……一加!)
戦が終わった後、引きたてられる義家の後ろで、食って掛かる勢いで経清から叱責を受ける一加と、それを貞任が苦笑交じりに宥めている様子がチラリと見えた。
それから一度も言葉を交わしていない。
(……逢いたい)
その一念が浮かんだ途端、俘虜となった憂いも戦の不安もたちまち霧散してしまった。
不意に、ふわりと部屋の簾が動いた。
顔を上げる義家の両目が見開かれた。
「一加……」
「人払いは済ませておりまする」
無表情に見下ろす一加が告げる。
「丁度、そなたのことを考えておった。……尤も、四六時中そなたのことを想わぬことはなかったよ」
自分の言葉に照れくさくなった義家が、つい一寸ばかり顔を俯かせる。
「ただ、ただ逢いたくてたまらなかった。なのに今、そなたが目の前にいることが、まるで夢のようで、何やら信じられぬ」
後の言葉が涙に滲む。
一加の顔に、堰を切ったような感情の動揺が浮かんだ。
堪らずに一加が義家を抱きしめる。
無言のまま、ひたすら義家の存在を確かめるように強く抱いた。
「……すまなかった。そなたに謝らねばならぬことが沢山ある」
肩に顔を埋め声を殺し慟哭する一加の吐息をすぐ傍に感じながら義家も涙に暮れた。
「そなたを、弱いものだと侮っていた。好いた相手故、只守らねばならぬものと、自分の勝手な思い込みばかりを押し付けてしもうた。その手を血で染めさせてはならぬと。そなたの背負った覚悟も何も考えずに。……酷い男じゃ。許してくれ」
「……そうじゃ。本当に酷い御方じゃ」
ふ、と顔のすぐ横で微笑む気配があった。
「本当は、貴方に、守って頂きとうございましたのに。……清原が攻め来る前、金ヶ崎の屋敷に忍び込まれた貴方が、ただ一言でも自分と共に逃げよと言ってくださっていたなら、喜んでこの身を預けていたものを」
「そうか。本当に、今となっては取り返しのつかぬ事ばかりじゃ」
どうしようもなさに、二人して笑い合う。
「……私は、決して強いものではございませぬ」
すん、と涙を噛み締めながら一加が口を開く。
「強くなろうと致しました。私もまた、安倍の一人。私は胆沢の狼と、金ヶ崎の人喰い狼と、父より受け継いだ狼の毛皮を身に纏った時に覚悟を決めたつもりで今日まで戦って参ったのでございます」
義家の脳裏に、戦場で幾度か相まみえた一加の凛々しい姿が過った。
まさに白狼の姫君の如き勇壮であった。
「しかし、所詮毛皮を被っていたに過ぎませなんだ。兄達のように、自分を上手く欺き続けることができませなんだ。……今日の戦で、貴方に刃を振り上げた途端に、すっかり化けの毛皮が剥がれてしまいました」
「……そなたほど強い女人は、今まで見たことがないよ」
自嘲の吐息を漏らす一加に、義家は首を振る。
「そなたの強い眼差しに射竦められて、好きになったのじゃ。俺は、そなたの強さが好きなのじゃ。いつまでも、強き白狼の姿を見せていてほしいのじゃ。……いつまでも、強きそなたのままで、俺の傍にいてほしいのじゃ」
一加が顔を上げ、義家を見つめる。今は、二人を遮るものは何もない。二人が唇を交わし、求め合うことを隔てるものは何もない。
不意にぐいと肩を押され寝床に仰向けに押し倒された義家の上に一加が圧し掛かる。
「そなたに組み敷かれるのは、今日二度目じゃな」
義家が苦笑する。
「ところで、この縄を解いてくれぬだろうか? 縛められたままでは、そなたを抱きしめることも叶わぬ」
「嫌でございます」
久々に見せる勝気な笑みを浮かべて意地悪を言う。
「強い私を好きになってくださったのでしょう? ならば、お望みのままに、縄目に縛められた源氏の御曹司様を、これから一晩かけて散々に苛めて差し上げまする」
頬を上気させた一加が、身動きできぬ獲物をぺろりと舌なめずりしながら見下ろす。
「おい、強気が好きというのは、そういう意味では」
少々狼狽え始めた義家の唇を再び一加が塞ぐ。些か身の危険を覚えていた義家であったが、やがて諦めたように、全てを相手の仕方に委ね義家は目を閉じた。
(いや、これは困ったのう……)
義家の寝処を前に酒器を抱えた貞任が途方に暮れていた。義家がまだ起きていれば、敵味方を暫し忘れ親睦を兼ねて差しつ差されつ一杯やろうかと思っていたのだが、丁度間が悪く取り込み中であった。
(薄々気づいてはいた故、磐井川の余興ではちょいと気を利かせてやったりしたのだが)
立ち尽くす兄の耳に、部屋の中から一際感極まったような妹の艶声が聞こえ、きまり悪そうに溜息を吐く。
(……頼むから、あんまり派手にやって人質を壊してくれるなよ)
これ以上、何も語るまい。
心の中で妹の健闘を祈りつつ貞任は背を向けた。これから自室で手酌の一人酒である。
翌朝、詮議の場に引き立てられた義家は広間に座すると同時に縄を解かれた。
「一晩苦しい思いをさせてしまったのう。何卒お許しいただきたい」
「お互いの立場上已むを得ぬことと理解している。敢えてお詫び頂くようなことではない」
貞任の謝罪を撥ねつけるように義家が答える。
「予め断っておくが、敵に利するような真似は譬え身を裂かれようと応じられぬ。それだけは含んで頂きたい」
昨日同様鋭い眼差しで高座を見据える義家に貞任は苦笑いを浮かべる。
「御心配には及ばぬ。何もそなたを痛めつけて清原・国府の秘密を聞き出そうなどと目論んだりはしておらぬ。今更そんな悪足掻きをしたところで最早戦局は覆らぬでな。ただ我らの話を聞いて頂きたいのじゃ」
表情を改めて切り出す貞任に、義家も身構える。
「我らはこれ以上そなたらと戦を続けるつもりはない。――降参いたす」
同日、清原・国府勢が和賀郡黒沢尻柵を強襲し、同柵が陥落したとの知らせが厨川本陣に届いた。
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