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第11章 和平 2
しおりを挟む薄目を開けると、目に飛び込んでくるのは霧に煙った曇天ではなく板張りの天井。そして自分を見下ろす同じ顔が二つ。
「あ、目を覚まされた!」
「菘、薬師様を呼んできて!」
バタバタと一人が部屋を出ていく。
起き上がろうとしたが腹部を激痛が貫き、呻き声を洩らす元親を蘿蔔が慌てて止める。
「まだ傷が癒えておりませぬ。暫く安静になさっていてくださいまし」
「……ここは、何処じゃ?」
自分の言葉とは思えぬほど掠れて聞こえる。
「我ら安倍の本陣にございまする。……すみませぬが、場所は明かせませぬ」
(……そうか、俺は虜となってしまったか)
大して驚きも嘆きもなかった。どうせ自分は死んだものと思っていた。
「あれから何日経っておる? 随分眠っていたように思うが」
「二日ほど。薬師様の話では非常に衰弱されておられたそうですが、御命に障りはないとのことでございまする」
「そうか。その間ずっと看ていてくれたのか。感謝いたす」
そこで初めて娘の顔をまじまじと見つめ、にっこり微笑みかけた。
「そなたらは、衣川の宴で剣舞の後に可愛らしい舞いを見せてくれた双子か。すっかり大きくなったのう」
蘿蔔も嬉しそうに微笑む。
「覚えていてくださり嬉しうございまする。義家様も一目で私達を思い出してくださりました」
「御曹司も此処に居られるのか!?」
思わず声を上げた途端に再び激痛が走り、元親は顔を顰める。
「ひと月は安静が必要とのことです。どうか今しばらくはお身体を癒すことに専念なさいませ」
念を押して蘿蔔が立ち上がる。
「お水を汲んでまいりまする」
部屋を出ていく娘を見送り、元親はふっと溜息を漏らした。
(そうか、御曹司も俺と共に虜の身か)
そして、重任のことに思いが至る。
(あいつ、はなから俺を殺す気などなかったのかもな……)
数日後、比与鳥柵。
昨日攻略した鶴脛柵に続き、たった今攻略したばかりの砦を見渡しながら武則が鼻を鳴らす。
「安倍勢め、厨川に近づくにつれ守備に就く兵もどんどん手薄になってきておる。義家殿が討たれたのは我が陣営にとって大打撃であったが、この分であれば我らの攻勢に影響は出ずに済みそうであるな」
チラリと頼義を横目で見ながら聞こえよがしに言う武則を見て、流石に武貞が眉を顰める。
「父上、今の仰り様はあんまりですぞ!」
頼義は何も聞こえておらぬ態で、引き立てられていく安倍兵の俘虜達の行列を、これといった感情を伺わせるでもなくじっと見つめていた。
鳥海柵付近の巡回に当たっていた一行が夜になっても戻らず、捜索に出た国府兵士らが本陣から三里ほど離れた川沿いで合戦の後を見つけ、初めて事態が頼義らの知ることとなったのである。義家を含む全員が討死と判断された。
源氏の頭目たる頼義が、合戦の場で息子が倒れたといって、前線に就く立場上、その動揺を面に出すことを自ら憚り、努めて平静を装っているのかもしれぬが、その内心を伺うことは誰にもできぬ。
幾分気遣わし気に武貞が頼義を見やるが、これと言って普段と変わった様子は見えない。尤も、鳥海柵攻略以来、随分口数が少なくなったように見受けるが。
武則らからやや離れたところを巡察していた頼義の元に、徒兵が大慌てで駆け寄って来た。
「敵陣より、陸奥守様に面会を求める者が見えております!」
「敵陣じゃと!?」
驚いて頼義が顔を上げる。
「安倍勢幕僚、鳥海三郎宗任と名乗っておりまするが、如何いたしましょうか?」
当惑を浮かべていた頼義の眉間の皴が、ますます深められた。
国府勢の陣内に通された宗任が、白旗を掲げる配下を伴い目の前で低頭して見せる様子を、疑わしそうな表情を露わに頼義は見下ろしていた。
「……どういう魂胆か知れぬが、今更降伏を申し入れても聞かぬぞ! ここで敢えて鉾を納めずとも、貴公らは既に風の前の灯に等しい勢いじゃ。もう二三度戦をしたところで蒙る我らの損害など、清原の連中が痒がる程度じゃろうて」
けんもほろろに申し出を突っぱねる頼義に対し、愛想よく笑いながら宗任が答える。
「成程。確かに仰せの通り、我が一族の命運はまさに風前のか弱き灯に違いありませぬ。ところで、小松柵以来の戦を振り返りますると、貴軍の主力は恐れながら清原が担っておられるものとお見受けいたす。しかし、この長きに亘る陸奥の戦で国府が被った損害は清原のそれとは比較にならぬ程甚大のはず。並びに清原を自軍に加えるために相当の見返りを約束されたこととお察しいたしまする。これ程の犠牲を払いながら陸奥守様はじめ国府・源氏が手にされるものといえば、朝廷からの微々たる論功のみ。果たして割に合いましょうか」
「何が言いたいのじゃ?」
「恐れながら、貴殿のお望みは論功のみではございますまい。この度の戦功により陸奥の地を足掛かりとし、奥羽・坂東、即ち東国一帯における源氏の勢力を確固としたものにする、それが貴殿の究極の野望であるはず」
「その通りじゃ。その為に貴公はじめ貞任の首級を頂戴し、我が源氏の成果として諸国武士団に示さねばならぬ。貴公らが降伏を望むというなら、まず我らへの帰順の証として頭目たる貞任の首を持参せよ。その上で願い出るならば話を聞いてやらぬでもない」
「はは、我が兄の首などが、果たしてご期待程の威力を示しましょうか? どうやら、この度の戦において我が安倍の動向よりも、近隣諸侯は清原の一挙手一投足こそ旗色の目安と心得ていたようでございまするが。実際のところ、清原が中立を破り貴軍に与したと見るや、出羽各地の有象無象が続々と傘下に加わったようでございますし。既に行く末明らかな敗将の首など辺りに見せびらかしたところでご期待ほどの名声は得られますまい。戦の永きを労われる程度でございましょう」
頼義は暫し黙り込んだ後、再び口を開く。
「……つまり、大して効き目のない腐れ首などよりも余程魅力のある見返りを以て降伏を受け入れてほしい。と仰せか?」
まさしく、と宗任が頷く。
「貴殿のお望みは、東国を源氏武士団の拠点とされる事。優れた良馬も要りましょう。武具を整えるために良き鉄も要る。兵糧を供給するための豊かな穀倉地帯も手元に欲しい。――何より、金が要る。全て提供いたしますぞ」
「貴公らの首の代わりにか?」
厳めしい表情を動かさぬままの頼義の問いに、こちらも恵比寿の笑顔を変えぬまま、とんとんと項を叩いて見せる。
「獄門の飾りにもならぬこの首よりは、貴殿の大望に沿うものかと愚推致しまするが。武則奴へどれ程の見返りを約束されたかは存じませぬが、ここで鉾を納めて頂ければ、事実上の和睦となりましょう。何も約束の利権をそっくり清原に譲渡する必要はなくなる。せいぜいその半分くらいくれてやればよい。陸奥の富は膨大ですからな。多少不平は残りましょうが、まさか戦にまではなりますまい」
確かに、清原との約束は、安倍を攻略し勝利した暁には、というものであった。その前に和睦が成立したとすれば、宗任の言う通り陸奥の利権をそのまま譲渡してやる筋合いはないのである。一部でも約束を履行してやるだけ温情的というものだ。
「口上だけでもこの場で承諾のお言葉を頂戴頂けるのであれば、こちらも返礼として、我が軍が虜としている義家様はじめ国府将兵を解放する用意が出来ておりまするが?」
続けて宗任から発せられた言葉に頼義の顔色が変わった。
表の恵比須顔とは別に宗任はほくそ笑む。……よし、食いついた。恐らく義家の名前のみ出したところで、この源氏の棟梁、眉一つ動かして見せなかっただろう。大勢の自軍俘虜の解放に紛れて息子を返す、という態で持ち掛けるのがミソなのである。
「勿論、この御決断、十二年にも亘る我ら奥六郡と貴殿ら国府多賀城との因縁の結びとなるもの。十分にご検討いただく時間が必要と存じまする。今日より三日程度、こちらより一里ほど西にある寺に滞在しております故、御決断がつき次第、お声がけくださいませ。……重ねて念を押しまするが、俘虜の解放、いつでも用意が整ておりまする事、くれぐれもお忘れなきよう」
これは、もしこの交渉が決裂した場合、または自分の元に刺客を放とうなどした場合、お前の息子は無事では済まぬぞ、という含みが暗に込められている。
席を立ち、退出しかける宗任を「待て」と頼義が呼び止める。
「……仮にじゃ。もし仮に貴公の要望を受け入れて、和睦が成ったとする。しかし、貴公らには既存の利権が何一つ残らぬことになるではないか。丸裸の身一つになった上で、貴公らは和平の先に何を望むつもりじゃ?」
宗任は、ここにきて初めて見せる種類の笑顔を浮かべて、それに答えた。
「――ただ、陸奥の平穏をのみ」
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