白狼姫 -前九年合戦記-

香竹薬孝

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第11章 和平 3

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 厨川柵。



「凄いな、本当に見えぬのか?」

 驚きを隠せずに思わず義家が声を上げる。

「いつぞや碁を打った時も、碁笥の中に違う石を混ぜてみたのだが、すぐ見破られてしもうたよ」

「まったく、あの時は童のような真似をする奴と叱りつけたものじゃ」

 真任の居室にて、将棋盤を挟んで睨み合う真任と貞任との対局を、横で何気なく眺めていた義家が、飛車を見事に使いこなす兄が生まれつき盲目と聞いて驚嘆していたところであった。

「将棋の駒はまだわかりやすい。それぞれ大きさも違うし、字も彫ってある。盤の目にしても、長年使っておれば勝手も判るし、駒の動きも忘れぬように一からそれぞれ覚えておけば良いだけの話じゃ」

「そんな簡単な話ではあるまいに……」

「しかし、碁石についてはどう説明されるか。あれは色でしか判別つかぬでしょう?」

「ああ、あれか……。種明かしをするとな」

 少し困ったような顔をして真任が白状した。

「……実は白の方は一回り小さく拵えておった。材質も違うから微妙に重さも違う」

「なんだ仕掛けがござったか」

 貞任が呆れたように笑う。

 と、不意に貞任が軽く咳ばらいをし、ちらりと義家に目配せする。

 それに気づき戸口の方を見やると、一礼してそそくさと退出していった。

「随分と俘虜を自由にしているな」

 それを咎めるでもなく真任が呟く。

「ああ、あの男は信用してよい」

 盤から顔も上げずに貞任が答える。

「……まあ、それについては俺も異存はない。涼しき若者じゃ」



 先日の詮議に於て、義家へ和睦の意向を示した際、一も二もなく「それが良い!」と賛同したのである。

 少々肩透かしを食ったような顔を浮かべる安倍一同の前で、義家ははっきりと答えた。

「これ以上の無駄な殺し合いは某も望まぬ。貴公らに戦を続ける意図がないのなら、及ばずながら某も手を貸しまするぞ!」

 

「あれほど真っ直ぐな眼差しで以て口にした言葉じゃ。助命を目論んでその場凌ぎに発したものとは思えぬ。ある意味、我らは敵中に大きな味方を得たというべきか」

 ふん、と小さく笑う真任に貞任も頷く。

「まあ、いずれにせよ一加の奴が厨川にいる限り自分から逃走を図ったりはせぬだろうよ」

 何のことかと訝しむ兄の様子を他所ににやにやと笑う貞任であった。




 部屋の外で待っていた一加と共に、厨川柵の内周を漫ろ歩く。大河に面した場所は防御上重要な部分なので近づくことは許されないが、義家から遠慮して避けた。

「明日、国府の陣へお戻りになるとか」

 傍らで俯きながら一加が尋ねる。

「ああ、父上が和睦を飲んでくれた。これで漸く戦が終わる」

 努めて明るく答える義家であったが、その言葉とは裏腹に、口調からは離別の寂しさが滲み出ている。

「暫し離れることになるが、上手く話がまとまれば、すぐにでもそなたを迎えに行こう。六年も離れ離れだったのじゃ。それに比べたら、ほんの束の間の辛抱じゃ」

 自分に言い聞かせるように告げた後、寂しそうに俯く一加を改めて見つめる。

「暫しの形見に、あの夏衣はそなたに預け置く。……どうか天に帰り給うな」

 すると、ク、と一加が挑むような眼差しを義家に向けてニヤリと笑いかける。

「天に帰りは致しませぬが、余りにお戻りが遅い時にはこちらから押し掛けて伺いまするかも」

 そう言って、義家の頬に顔を近づけて囁いた。

「……また後ほど。部屋でお待ちしておりまする」

「頼むから手柔らかに願うぞ。先日、縄で縛められたままでそなたの狼藉を受けた夜など、どうやら貞任殿に我らの睦み様が聞こえておったようじゃ。何とも言えぬ渋そうな顔をされていたぞ」

「うふふ」と幸せそうに笑いながら去っていく一加の背中を見送り、顔を戻すと、正面から経清がこちらに向かって歩いてくるのが見え、義家は表情を改めて会釈した。




「黄海では父上らを見逃してくださったとのこと。光任から聞いておりました。感謝申し上げる」

 改めて礼を言われ、経清は困ったように目を伏せた。敵方に分かたれていたとはいえ、本来は遥かに格上の人物である。

「礼には及びませぬ。既に勝負の決まった戦でありました故、先日の貴殿の言葉と同じく、無駄な殺し合いを避けたまでの事」

 ふと、中加の消息が経清の心中を過った。もう何年もお会いしていないが、達者でおられるだろうか。

「貴公はこれからどうされるおつもりか?」

 義家の問いに、経清は悩まし気な微笑みを浮かべる。

「まだ何も決めてはおりませぬが、戦が終わり次第、下総に戻ろうかと考えておりまする。大分頼義様の恨みを買ってしまった故、どうも陸奥には居辛い。故国で我が子の成長を見守りながら、静かに余生を過ごしたいと存じまする」

「はは、まだまだお若いではないか。隠居されるにはちと早かろうに」

 そこへ、経清の方へ向かって小さな童が駆け寄って来た。義家と目が合うと、立ち止まってぺこりと頭を下げる。

「御子息か?」

 義家に、経清が笑顔で頷く。

「今年で七つを数えまする。戦乱の最中に生まれた子でござりますれば、どうか戦の無き世の中で過ごして欲しいものじゃ」




 翌日、義家を含め安倍軍の俘虜となっていた国府将兵らは、負傷し歩けぬ者を残し解放され、宗任の先導の下、国府勢へと帰陣を果たした。




 ここに、安倍・国府との和睦が約束され、十二年に及ぶ戦乱は終わりを迎えようとしていたのである。
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