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第12章 厨川 3
しおりを挟む「遅かったか……っ!」
忸怩たる思いに肩を落としながら、宗任は遥か向こうで炎を上げつつある厨川柵を見つめ嘆息した。
「炎を上げてはいるが火の足は遅い。中まで回るにはまだ余裕がありそうじゃ。どうなさる?」
雪平が尋ねる。
「……皆と合流することは最早叶わず。柵の外へ逃れようとするものを援護しよう」
傍らへ向き直り、深々と頭を下げる。
「ここまでの道中、まことに助けられた。改めて感謝申し上げる」
「礼には及ばぬ。義理を果たしただけじゃ。貴殿の健闘をお祈りいたす」
そう言って一礼すると、雪平は背を向け足早に去っていった。
陣屋から外に出ると、既に黒々とした煙が濛々と城壁の周辺から立ち昇っている。しかし炎まではまだ見えない。
「思いの外火の回りは遅い。何とかなりそうじゃのう」
傷がまだ疼くのか、顔色の悪い元親を振り返り重任が頷いた。
「拙者の案内は此処までじゃ。後は勝手に逃げるがよい。この砦は抜け穴なんて小洒落たものは備えておらぬ故、どこか炎の切れ間を見つけて外へ逃れよ」
「貴公はどうされるおつもりじゃ?」
元親の問いに重任は肩を竦める。
「配下の殆どを失った。後は残った奴らを率いて最後の悪足掻きじゃ。拙者は貞任兄と同じく、他の兄弟のように清原の血縁ではないからのう。討死果てるか、捕らえられ首を打たれるか、いずれにせよ今生に悔いを残さぬようにするさ」
「そうか。出来れば生き延びてくれ」
ふ、と重任がなにやら清々しい笑みを元親に向ける。
「……のう、元親殿」
「なんじゃ?」
「あの対決、拙者の勝ちであろうな?」
「何を言う。あれは俺の勝ちじゃ!」
「はは、ならばいずれまた!」
「改めて決着を付けようぞ!」
元親は振り返らなかった。
その背中を見送りながら、やれやれ、と重任が顔を上げる。
日は西に傾きつつある。永い一日であった。
(……さて、最後の時は重任でいようか、漆部利でいようか。悩むところじゃのう――)
矢倉の真下に炎が上がった。
「けほ、けほっ!」
立ち昇る煙に噎せ返りながら、炎を煽ろうとする敵兵に矢を射続けていた薄が、悲鳴を上げて倒れ伏した。
「薄姉さんっ!」
「ああ、そんなっ!?」
双子達が飛びついて薄を助け起こす。
右胸と肩の間を矢で射貫かれていた。もう弩を射ることはできない。見る見るうちに彼女の着物に血が広がり、床に滴り落ちる。
「もう、……ここは、駄目だ。……お前達、先に逃げな」
「姐さんも一緒に逃げましょう!」
「置いていけませぬ!」
縋りつき号泣する姉妹を力なく突き放し、しっし、と腕を振る。
「後で、逃げるから、……必ず、すぐ逃げるから」
苦痛に顔を歪ませながら、最後に笑いかける。
「少し、……休んでから、逃げるから、……お前達、外で待ってな」
二人は涙を拭いながら、薄に一礼すると、背を向けて走り去っていった。
「けほ、けほっ、……う、うう」
その姿が見えなくなるまで二人を見送った薄は、傍らに転がっていた撃ち零しの矢を掴むと、自分の喉元へと突き立てた。
「当り前だが、正面から大勢を逃がすのは無理じゃ。だが、そなたらを突破させるくらいのことはできなくもない。それはそれは敵の注目の的となるであろうが、不意を突くには却って好都合かもしれぬて。なんとか切り抜けてくれ」
一加の周りに顔を揃えるのは、東和、髭一、千世童子である。
「正門を開けるのは一瞬、この時限りじゃ。これから火が回り柵内の者達が混乱を来し始めてから門を開けようものなら、忽ち此処に殺到し内外の守備が完全に崩れる。そなたらが出た後は二度と開かぬから、忘れ物などせぬようにな!」
いつもの調子で呵々と笑い声を上げる貞任の言葉に、一加は鎧の上から懐をさする。忘れ物はない。大切なものは、すべて身に着けてきている。
「それと、東和、千世。ちょっと来い」
顔を強張らせ前へ出る二人を、貞任は両手で抱きしめた。
「なっ……!」
「父上……?」
東和はぼっぼっと顔を真っ赤にし、千世童子はハッとした後に両目に涙を滲ませた。
「……死ぬなよ!」
そう囁きかけて二人を離すと、次に髭一に向き直った。
「祖父の代から良く最後まで仕えてくれた。どうか妹をよろしく頼む」
髭一もまた破顔して頷く。
「儂も胆沢蝦夷の裔として、最後まで陸奥の為に戦えたことを嬉しく思いますぞ。姫様は、命に代えてもお守りいたしまする!」
最後に貞任は一加を見つめ、一加もまた、兄を見つめ返し、二人は黙って只頷き合った。
「――開門用意!」
号令と共に内外の安倍兵達が門の周囲を警戒する。
「開門!」
門が開くと同時に、一斉に四人を取り囲んだ胆沢騎馬の群れが真っ白な裾を閃かせ柵外へと飛び出した。
「両翼に展開し、四人を援護せよ!」
貞任の号令一下、左右の横に広がった騎馬隊が、正面から敵勢に斬り込んでいく四人を見送るように周囲の敵影に矢を放った。
仰天したのは敵勢である。突如柵の門が開け放たれたかと思えば、戦場を突っ切るように走り抜けていく数騎ばかりの騎馬達に、弓を引くのも忘れ呆気に取られて見送った。
慌てて矢を向けるも、敵正面からの狙撃を受け応戦しているうちに後方へと遠ざかっていく。
「よし、良いぞ。敵の連中、こちらの意図を図りかねて只呆然と立ち尽くすばかりじゃ!」
満足そうに頷く貞任の背後で、突然雷のような大音響とともに柵の一部が倒壊した。
驚いて振り向く貞任へ、悲壮な表情を浮かべた家任が矢倉から大声で呼びかける。
「兄上、まずいぞ。南西の外壁の一部を崩され、中の者達が外へ逃れようと殺到しておる。もう収拾がつかぬ!」
貞任の表情に絶望の色が広がった。
――武則、軍士に告げて曰く、「囲みを開きて賊衆を出すべし」と。軍士、囲みを開く。賊徒忽ちに迯げんとする心を起し、戦はずして走る。官軍、横撃して悉く之を殺せり。
崩された南西側は敵勢の最も厚い方面であった。慌てて敵の侵入阻止と脱出者の救助に守備隊を動かしたところを横合いからの一斉掃射を浴び、胆沢精鋭は壊滅した。
ここに厨川柵の護りは完全に崩壊したのである。
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