婚約破棄された途端、隣国の冷酷王子に溺愛されました

ほーみ

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 夜が更けるにつれて、レオンハルト殿下の城は静けさを増していった。けれど私の胸の鼓動は、逆に早くなるばかりだった。

(……今日は、色々ありすぎた)

 朝は「婚約破棄」を告げられ、昼には逃げるように王宮を去り、そして夕方には――隣国の殿下に、あんなふうに抱き寄せられて。

 思い出すと顔が熱くなる。

(落ち着いて、私……。これは全部、きっと状況がそうさせただけ……)

 自室の寝台に腰掛けながら自分に言い聞かせるが、胸の奥に残っている感触――殿下の腕の温かさや、低く掠れた声――はまったく消えてくれなかった。

 そこへ、コンコン、と控えめなノック音がして、私はびくりと肩を揺らした。

「アメリア、まだ起きているか?」

 ――レオンハルト殿下だ。

 急いで姿勢を整えると、ドアの向こうから落ち着き払った声が続く。

「入ってもよいか?」

「ど、どうぞ……!」

 扉が開くと、殿下が静かに入ってきた。黒を基調とした軽装に身を包み、濃紺の瞳が柔らかく揺れている。昼間の冷徹な雰囲気とはまるで違って見えた。

「先ほどは……済まなかった。突然抱き寄せて、驚かせただろう」

「あ、いえその……驚きましたけど……」

「嫌だったか?」

「そ、そんなことありません!」

 即答してしまい、自分で自分に驚く。

 でも殿下はふっと笑顔を漏らして、私の返事に嘘がないことを見抜いたかのように、少しだけ近づいてきた。

「よかった。君は、ことあるごとに自分を卑下する節がある。だが今日、君を抱き寄せたのは衝動ではない。……君が泣いていたからだ。守りたいと思った」

 胸がきゅうっと締めつけられた。

 ――どうしてこの人は、こんなに真っすぐな言葉をくれるのだろう。

 婚約者だったルカは、一度たりともそんな眼差しを向けてくれなかったのに。

「殿下、あの……ありがとう、ございます。今日、そばにいてくださって」

「礼はいい。これからも君を守るつもりだ」

「え……?」

「気づいていないのか? 君は今、相当に危険な立場にいる」

 殿下はそう言うと、私の手をそっと取った。

「元婚約者のルカ王子は、君を捨てた形だが……王宮には不穏な噂が立っている。『王太子の判断を誤らせた悪女』だと」

「そ、そんな……私、何もしていません!」

「知っている。だが、権力にとって事実は重要ではない。誰かが誰かを貶めるために利用されるだけだ」

 殿下は一瞬だけ目を細め、まるで怒りを抑え込むように低く息を吐いた。

「君は利用されかけている。だから……私が保護する」

 その言葉は、胸の奥深くにストンと届いた。

「……私、本当に、ここにいてもいいのですか?」

「当たり前だ」

 殿下はためらいなく答え、私の手を少し強く握った。

「アメリア。私は冷酷と呼ばれているが、必要以上に人を傷つけたいと思ったことはない。だが――誰かが君を傷つけようとするなら、話は別だ」

 その一言に、心臓が跳ねた。

(どうしよう……心がこんなに揺れ動くなんて)

 殿下は私の頬に触れると、少しだけ顔を寄せてきた。

 息が触れそうな距離。

「アメリア」

「は、はい……」

「君が望むなら……私は――」

 そこで、急に部屋の外から慌ただしい足音が響き、殿下の言葉は中断された。

 コンコン、と早いノック音。

「殿下、緊急の報せが……!」

 殿下はすっと距離を取り、扉に向き直る。

「入れ」

 駆け込んできたのは宮廷騎士の青年だった。

「申し訳ありません、至急ご報告が……! 先ほど、王国リヴェラから使者が。王太子ルカ殿下が――」

 そこまで言ったところで、騎士は一瞬、私を見て言葉を飲み込んだ。

(ルカ……?)

 嫌な予感が全身を走る。

「構わん。続けろ」

 殿下の命令に、騎士は再び口を開いた。

「王太子ルカ殿下が……アメリア様の身柄引き渡しを要求しているとのことです!」

「!!?」

 息が止まった。

「な……なんで今さら……?」

 私が思わずつぶやくと、騎士は申し訳なさそうに首を振った。

「理由は明かされていませんが……おそらく、国内で広まっている“アメリア様に関する噂”を王国が鎮めるため、とのこと。……ただ、明らかにただの言い訳です」

 殿下は冷えた目で騎士に問う。

「引き渡しを要求したのはルカ本人か?」

「はい。文には彼の直筆の署名と印章がありました」

「……やはり、そうか」

 殿下の声が低く沈む。

 私は信じられなかった。

 捨てたのは向こうなのに、どうして。

「殿下……私……どうしたら……」

 震える声で尋ねると、殿下は迷わず私の肩を抱き寄せた。

「心配はいらない。君を渡すつもりなど毛頭ない」

 その言葉はすべてを断ち切るように強かった。

「君はもう、あの国の所有物ではない。君自身の意志でここにいるのだ」

「で、でも……王国同士の問題になってしまうのでは……」

「なるだろうな」

 殿下はそう言いつつ、どこか楽しげに微笑んだ。

「だが、それでいい。これで“表向きの理由”が整った。――私は最初から、君を王国に返すつもりなどなかった」

 その声音に、背中がゾクリとする。

 冷酷と呼ばれる所以を垣間見たようで、けれど――不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、その冷たい決意が私に向けられていることが、胸を熱くする。

「アメリア」

 名前を呼ばれるだけで、身体が熱を帯びる。

「君を守る。どんな手を使ってでも。……だから、安心してここにいろ」

 殿下はそう告げると、私の手にそっと唇を寄せた。

「ルカごときに、君を渡してなるものか」

 耳元で囁かれた声が甘くて、息が詰まる。

 まるで、私を――。

(ま、待って……こんなの……勘違いしちゃう……)

 混乱する私をよそに、殿下は静かに立ち上がった。

「私は使者の対応に向かう。……すぐ戻る」

「は、はい……」

 扉の前で殿下は一度振り返り、私を見つめる。

「アメリア。泣くなよ」

「泣いてません!」

「嘘だ。君は強がりだが、泣き虫だ」

 頬が熱くなり、口を開けたまま固まってしまう。

 殿下は楽しそうに目を細めると、静かに扉を閉めて出ていった。

 ――残された部屋で、私はしばらく動けなかった。

(ど、どうしよう……なんで……胸がこんなに苦しいの……?)

 逃げ出したはずの過去が追いかけてくる。
 そして、新しい感情が、私の中で急速に膨らんでいく。

 ルカが私を追う理由。
 殿下の強すぎる執着のような優しさ。

 そして――

(私……殿下のこと……)

 たどりつきそうな答えを、私は慌てて胸の奥へ押し込めた。

 まだ認めてはいけない。
 認めたら、戻れなくなる。

 でも。

 でも――。

 夜風が窓を揺らし、月明かりが差し込む。

 眠れない夜が、また始まった。
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