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第一章 とても不思議な世界
37話 森の侵入者達⑨
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先を急ぐ日々喜とオレガノ。
それまで、南に向かって進み続けていた二人は、そこから方向を転換して真西に、街道を目指して進み始める。先行する日々喜の足取りは、リグラを下ろしたためか早く、一切迷う事が無い様子だった。そんな日々喜に引かれる様に、オレガノは後に続いて行った。
そして、二人は無言のまま街道へと辿り着いた。
辺りは静まり返っている。
関所での騒動を考えれば、既にここまで応援が来ていてもおかしくは無いだろう。また、応援がこちらに向かって来ているのだとすれば、街道を南に進めば直ぐにでも出会う事ができるかもしれない。
茂みから顔を出し辺りを警戒していた日々喜が判断を仰ぐように、同じく顔を覗かせていたオレガノの方へ視線を移した。
「道を進もう」
オレガノが小さな声でそう言うと、日々喜は音を立てないよう慎重に茂みから街道へと身体を出した。
天上に瞬く朧げな光源が、行く手を淡く照らしていた。
暗闇に目が慣れ、道無き道を進み続けた二人に取っては、十分すぎる程に明るく見えた。舗装された土の街道は木の根や石ころ等に足を取られる事が無く、注意を払わずに早い足取りで進む事が出来た。
そうして、しばしの間、街道を進んだ後の事だ。
オレガノの一歩先を行く日々喜が足を止め、オレガノを止める様に腕を伸ばした。
「日々喜?」
日々喜は街道の行く手を見据えている。
その先は、道の脇に生える一際大きな大木が、片側から街道を覆いつくさん勢いで、枝葉を伸ばし、しだれさせていた。その為、街道にはぽっかりと大きな穴が空いているのかと、錯覚する程の濃い影を落としていた。
「直ぐに街道に出てくると思っていた」
影の中から何者かが二人に話し掛けて来た。
声の主は、ズルズルと地面の上を何か重たい物を引きずるような音を立て、こちらへと近づき姿を現した。
「おかげでとんだ露払いだ」
そのドッシリしたシルエットは紛れもなく、先程日々喜達を襲撃したデーモンのものだった。
ドッシリは二人の前に立ちはだかると、右手に引きずっていた重たそうな荷物を脇へと投げ出す。
ドサリと音を立て、乱暴に扱われた荷物は、地面に落ちた衝撃に伴いうめき声を上げる。誰かは分からないが、間違いなく生きた人間、この場にあっては憲兵に違いない。
「日々喜、森の中に逃げて!」
オレガノはそう叫ぶと、日々喜を隠すようにドッシリと対峙した。
「待て!」
ドッシリは地面に横たわる魔導士を踏みつけながら、逃げ出そうとする者を止めた。
「追い駆けっこに付き合わされるのはもう御免だ。今度は、お前が俺に付き合ってもらう」
ドッシリはそう言うと、帯刀していた剣を鞘ごと抜き出し、そのまま倒れている魔導士の背中に突き立てた。
「この魔導士の命が惜しければの話だが」
「卑怯者! 動けない人を傷つけるなんて、人質にするなんて最低よ!」
「……そうだな。それじゃあ代わりに、元気な方を選ぶか?」
オレガノの言葉に対し、一呼吸、思案する様な間を持って、ドッシリはそう言い放つと、踏みつけていた魔導士から足を退けた。
「俺はどちらでも構わない。用があるのはお前だけだ。大人しく言う事を聞けば、周りに危害は加えない」
「渡さないわ。日々喜だけじゃない、イバラに有る物は全部。あんた達には一つも渡しはしない!」
「日々喜? それが、お前の名前か? ふむ……」
ドッシリはわざとらしくも思案気に自分の顎を手で撫でながら、オレガノから視線を逸らすように顔を背けて見せた。
敵対する者を前に、ドッシリは余裕を見せつける。しかし、戦いの素人でもあるオレガノは、そんな誘いに乗る事もせずドッシリの動向を警戒し続けた。
呆れたような溜息を一つ、ドッシリは仮面の奥で付くと、今度は無警戒にオレガノのそばまで歩き始めた。
ドッシリの行動にぎょっとするオレガノ。
「ア、アトラ――」
腰に携えたアトラスがオレガノの言葉に敏感に反応し、飛び上がった。
しかし、目の前に歩み寄ったドッシリは、その飛び上がった軌跡を読んでいたかのように、鞘を付けたままの剣でアトラスを打ち払った。
アトラスは術者の手を離れ、その姿を暗闇に隠した。
「あっ!?」
驚くオレガノに、今度はそのみぞおちの辺りを強烈な突きが見舞う。
「ギャッ!」
オレガノはそのまま胸の下辺りを押さえながら、地面の上で悶え、うめき声を上げ始めた。日々喜は、倒れ伏したオレガノの下にひざまずき、今度は自分が彼女を守る様にドッシリを睨みつけた。
「知っていたか魔導士? 魔導は戦闘に向かない」
倒れ伏すオレガノを見下しながら、ドッシリは話し始めた。
「アトラス? そんな物は兵器に成り得ない。ただの書物だ。だと言うのに、お前達は何故、真剣を望む俺達と対峙する? 何故、剣を取らない? それが、俺達への最大の侮辱だと、何故、気が付かないんだ?」
悶え続けるオレガノは、とても話を聞いているようには見えない。ドッシリは今度は日々喜に話し掛け始めた。
「トウワ人のお前なら分かるよな? 日々喜」
「オレガノは僕を守っただけだ。戦いたくて戦っているわけじゃない。お前がやってる事はただの暴力だろ」
日々喜は立ち上がり、ドッシリと対峙した。
「言う事なんて聞かないぞ。お前達のやっている事が間違ってるんだ」
「……そうか」
日々喜の横っ面に、木刀で殴られたような衝撃が走る。思わずその場で膝を突いた。
今度は顔面に蹴りが飛んで来た。勢い良く頭が後ろに跳ね飛ばされ、そのまま仰向けに倒れた。
「それじゃあ、引きずって行くしかない」
日々喜は顔を抑え、よろめきながら立ち上がった。口の中が切れ、鼻と一緒に血が出た。
ドッシリは再び腹部に突きを見舞う。しかし、日々喜は咄嗟に鞘を両手でつかみ、何とか自分の胸で受け止め堪えた。
剣が鞘から引き抜かれる。同時にドッシリの体重が乗った回し蹴りが日々喜の首の付け根を強打した。
日々喜はふらつきながら再び地面に膝を突きそうになった。しかし、持っていた鞘を支えにして何とか踏みとどまった。
「暴力か……、自分がなぜこんな仕打ちを受けるのか、お前には分からないんだろうな」
天と地がグラつく様な視界の中で、中心に佇むドッシリが、自ら握っていた剣を地面に突き立てた。
「教えてやる。それはな――」
ドッシリは、瞬時に日々喜との間合いを詰めた。
一瞬にして日々喜は襟首と鞘を持つ左腕の袖をつかまれる。ドッシリは自分の左足を日々喜の右ふくらはぎに引っ掛けると、右足をすくう様に払い上げた。
そのまま倒されるというあわや、日々喜は背後にバランスを崩しつつ何とか踏みとどまった。しかし、その瞬間、つかまれていた左腕と襟首が、前方に引き戻され、バランスを失った上体が、揺り戻される様に大きく前のめりになった。
ドッシリは日々喜の視界から消えた。
そう思わせる程、深く相手の懐に潜り込むと、自身の背中を日々喜の体に密着させ、そのまま、腰の上を飛び越えさせるように前へ叩き落した。
背中を地面に強打した日々喜は、意識が飛ぶほどの衝撃を覚える。ドッシリは間髪入れずに馬乗りになると、そのまま、両手で服の襟首を締め上げ始めた。
「――お前が、トウワ人だからだよ」
日々喜の顔がみるみる紅潮して行く。暗闇の中ではその事を確認する事はできない。しかし、本人はそれに伴う苦しさから逃れようと、締め上げる両手を何とか解こうとつかみ、両足をばたつかせ始めた。
「やめて……、もうやめてよ。日々喜が、死んじゃう……」
そばで倒れていたオレガノはその光景を目の当たりにしながら、泣きながら呟く様に訴えた。腹部から走る痛みは、未だに彼女から体の自由を奪い続けている。
どうする事も出来ない。せめてアトラスが手元にあれば、そこから魔導を行使できただろうが、頼みの魔導書は先程の一撃によって、暗闇の中に姿を隠したままだ。
やがて、日々喜の両足が動きを止めた。
薄れる意識の中で、日々喜は自分を苦しめている人物の顔を見つめた。仮面の目の辺り、ぽっかりと空いた穴の中から、怪し気な光が揺らいで見えた。
光の届かぬ暗い穴の底から、ドッシリが秘め続けた何某かの感情が、今自分にぶつけられている。
日々喜は最後の力を振り絞る様に、その光に目掛け左手を伸ばした。
以前にも同じ事をした。恐怖から逃れる為に、無い物をつかもうとする思いで自分は手を伸ばしていた。そして、そんな自分の事を同じように静観している。
日々喜の左手が、ドッシリの無機質な顔に触れた。
「ぎん、が……」
口から空気が漏れ出る様なかすれた声で日々喜はそう呟くと、伸ばした腕を下ろし、そのままゆっくりと目を閉じた。
「日々喜!」
オレガノのが叫び声を上げた。
その時、日々喜の腰に携えていたアトラスが、独りでに空中へと浮かび上がった。
ドッシリは驚き、その場から剣のある場所まで飛び退く。剣を引き抜き、何が起きているのかを確認した。
空中に浮かぶアトラスは、独りでにページを開き始め、何某かのチャートを選択している。
途端に、日々喜達とドッシリの間に境界を敷く様に、魔法陣が展開された。
それは奇妙な魔法陣であった。
二重の円を描いた様に僅かな間隔を開いた縁取りが成される。しかし、それ以外は全てが空白で、イバラの特徴である異形葉紋も、内側に描かれる幾何学的な紋様もそこに無かった。
「苦し紛れか……」
気を失う日々喜に魔導の行使は不可能。ならば、オレガノが苦し紛れに他人のアトラスを用いたに違いない。無理解が祟れば、魔法陣は不完全な物になる。
ドッシリはそう解釈した。
「ウィンクルム、アクシス」
ドッシリがそう唱えると、握っていた剣に陰りの様な物が射し、刀身に黒く揺らめく何かを漂わせ始めた。
「終わりだ!」
ドッシリは、叫ぶと同時に空白の魔法陣へと切りかかった。
しかし、剣は持ち主の意思に反するかのように、魔法陣の手前で止まった。
「な!?」
ドッシリが驚く中、剣を突き立てられた魔法陣は、その攻撃に反応する様に内部へ模様を描き始めた。
縁取りに内接する五芒星。その突端に、それぞれ魔法言語が描かれる。
Livyatan : The mental of Joy
Leiloong : The mental of Surprise
Quetzalcoatlus : The mental of Trust
Mammoth : The mental of Anticipation
Artman : The mental of Ode
そして、各五芒星の頂点から中心に目掛け、螺旋を描く様に曲線が引かれて行った。
「つ、剣が、動かない!?」
ドッシリがそう答えた時、魔法陣は強い光を放ち始めた。
円陣の中心から、何か巨大な生き物の様な物が顔を覗かせた。
ドッシリがそう認識した時、それは、魔法陣の中から一気に飛び出し、目の前に立つドッシリを凄まじい勢いではね飛ばして行った。
それは、一匹の巨大なクジラだった。
クジラは空間を自在に泳ぎ回ると、大きな口を広げ、生え揃った鋭い歯を剥き出しにしながら、夜空へと登って行き、上空に輝く光の靄の中へと消えて行った。
「今のは……」
はね飛ばされたドッシリは、森の中へ消え、後に残されたオレガノだけが、茫然とその光景をながめた。
地上から、飛び去ったクジラの姿を見る事はもう出来なかった。しかし、傷付いたオレガノ達を慰めるかのように、遥か上空から鳴き声の様な物を響かせ続けた。
やがて、魔法陣が消え。日々喜のアトラスが、その力を失ったように地面へと落下した。
「日々喜!」
現実に戻ったオレガノは、痛む胸を抑えながら、倒れている仲間の下へと這いずった。日々喜は目を覚まさまない。
血まみれの日々喜の顔に耳を近づけた。
呼吸が止まっている。
「日々喜! 目を覚まして!」
懇願するように、オレガノは日々喜の両肩をつかみ強く揺すり続けた。
「どうしよう、どうすればいい、どうすれば……。……アイディ」
オレガノは、無力な自分に打ちひしがれた。目を覚ます事の無い日々喜の上体を抱える様に起き上がらせると、ただ、奇跡が起きる事を祈る様にルーラーの名を呟いた。
「今のはリヴィアタンか? 雨の賢者。天上の支配者が地上に顔を出したのか……」
突然、その様な声が聞こえ、オレガノはそちらを振り返る。
「貴方は……」
そこには、全身黒い装束に身を包んだ魔導士らしき人物が立っていた。その魔導士は、フードの中から怪し気な白い眼光を一つ放っていた。
「コウミ師匠さん?」
オレガノの言葉にコウミは答えたない。
ただ、オレガノの下にひざまずくと、彼女が抱き留めている日々喜の様子を窺った。そして、その髪をつかみ、頭を後ろへと引っ張った。
すると、カクッとたがが外れるような音が喉の奥から聞こえ、それに合わせ、ヒューッと言う息の通る音が聞こえ始めた。
「日々喜!」
日々喜が呼吸をし始めた。オレガノはその事を確認し喜び始める。
「日々喜、日々喜……。よかった」
「……馬鹿が。殺しかけたぞ小娘め」
そう言うと、コウミはオレガノを引き離し、日々喜の事を背負い始めた。
「どこへ? お師匠さん。日々喜を連れて行かないでください」
コウミはオレガノの言葉に聞く耳を持たない。
「日々喜は、イバラに居たいんです。危険を承知でここまで来たんです。彼の気持ちを尊重してあげてください」
コウミは日々喜を背負ったまま立ちあがると、オレガノの事を見据えた。
「うるさいな。ムラサメ、そいつは食ってしまえ」
コウミがそう言った時、オレガノは自分の背後に生き物の気配を感じ取る。
そこには、自分の鼻先に顔を近づけた白い蛇が居た。白い蛇は、オレガノと同じくらいの大きさの顔をこちらに向けている。
瞬きをする事も無く、まるで、人の目の様に丸く、それでいて血の色を彷彿とさせる赤い瞳。自分達の事を襲ったあの白蛇だ。オレガノはリグラ達をこのイバラ領に誘った日より、決して忘れる事は無かった。
白蛇は、オレガノの頭に噛みつき、そのまま上空へ持ち上げ、丸呑みにしてしまった。
叫び声一つ上げる事が出来ない程、一瞬の出来事だった。
それまで、南に向かって進み続けていた二人は、そこから方向を転換して真西に、街道を目指して進み始める。先行する日々喜の足取りは、リグラを下ろしたためか早く、一切迷う事が無い様子だった。そんな日々喜に引かれる様に、オレガノは後に続いて行った。
そして、二人は無言のまま街道へと辿り着いた。
辺りは静まり返っている。
関所での騒動を考えれば、既にここまで応援が来ていてもおかしくは無いだろう。また、応援がこちらに向かって来ているのだとすれば、街道を南に進めば直ぐにでも出会う事ができるかもしれない。
茂みから顔を出し辺りを警戒していた日々喜が判断を仰ぐように、同じく顔を覗かせていたオレガノの方へ視線を移した。
「道を進もう」
オレガノが小さな声でそう言うと、日々喜は音を立てないよう慎重に茂みから街道へと身体を出した。
天上に瞬く朧げな光源が、行く手を淡く照らしていた。
暗闇に目が慣れ、道無き道を進み続けた二人に取っては、十分すぎる程に明るく見えた。舗装された土の街道は木の根や石ころ等に足を取られる事が無く、注意を払わずに早い足取りで進む事が出来た。
そうして、しばしの間、街道を進んだ後の事だ。
オレガノの一歩先を行く日々喜が足を止め、オレガノを止める様に腕を伸ばした。
「日々喜?」
日々喜は街道の行く手を見据えている。
その先は、道の脇に生える一際大きな大木が、片側から街道を覆いつくさん勢いで、枝葉を伸ばし、しだれさせていた。その為、街道にはぽっかりと大きな穴が空いているのかと、錯覚する程の濃い影を落としていた。
「直ぐに街道に出てくると思っていた」
影の中から何者かが二人に話し掛けて来た。
声の主は、ズルズルと地面の上を何か重たい物を引きずるような音を立て、こちらへと近づき姿を現した。
「おかげでとんだ露払いだ」
そのドッシリしたシルエットは紛れもなく、先程日々喜達を襲撃したデーモンのものだった。
ドッシリは二人の前に立ちはだかると、右手に引きずっていた重たそうな荷物を脇へと投げ出す。
ドサリと音を立て、乱暴に扱われた荷物は、地面に落ちた衝撃に伴いうめき声を上げる。誰かは分からないが、間違いなく生きた人間、この場にあっては憲兵に違いない。
「日々喜、森の中に逃げて!」
オレガノはそう叫ぶと、日々喜を隠すようにドッシリと対峙した。
「待て!」
ドッシリは地面に横たわる魔導士を踏みつけながら、逃げ出そうとする者を止めた。
「追い駆けっこに付き合わされるのはもう御免だ。今度は、お前が俺に付き合ってもらう」
ドッシリはそう言うと、帯刀していた剣を鞘ごと抜き出し、そのまま倒れている魔導士の背中に突き立てた。
「この魔導士の命が惜しければの話だが」
「卑怯者! 動けない人を傷つけるなんて、人質にするなんて最低よ!」
「……そうだな。それじゃあ代わりに、元気な方を選ぶか?」
オレガノの言葉に対し、一呼吸、思案する様な間を持って、ドッシリはそう言い放つと、踏みつけていた魔導士から足を退けた。
「俺はどちらでも構わない。用があるのはお前だけだ。大人しく言う事を聞けば、周りに危害は加えない」
「渡さないわ。日々喜だけじゃない、イバラに有る物は全部。あんた達には一つも渡しはしない!」
「日々喜? それが、お前の名前か? ふむ……」
ドッシリはわざとらしくも思案気に自分の顎を手で撫でながら、オレガノから視線を逸らすように顔を背けて見せた。
敵対する者を前に、ドッシリは余裕を見せつける。しかし、戦いの素人でもあるオレガノは、そんな誘いに乗る事もせずドッシリの動向を警戒し続けた。
呆れたような溜息を一つ、ドッシリは仮面の奥で付くと、今度は無警戒にオレガノのそばまで歩き始めた。
ドッシリの行動にぎょっとするオレガノ。
「ア、アトラ――」
腰に携えたアトラスがオレガノの言葉に敏感に反応し、飛び上がった。
しかし、目の前に歩み寄ったドッシリは、その飛び上がった軌跡を読んでいたかのように、鞘を付けたままの剣でアトラスを打ち払った。
アトラスは術者の手を離れ、その姿を暗闇に隠した。
「あっ!?」
驚くオレガノに、今度はそのみぞおちの辺りを強烈な突きが見舞う。
「ギャッ!」
オレガノはそのまま胸の下辺りを押さえながら、地面の上で悶え、うめき声を上げ始めた。日々喜は、倒れ伏したオレガノの下にひざまずき、今度は自分が彼女を守る様にドッシリを睨みつけた。
「知っていたか魔導士? 魔導は戦闘に向かない」
倒れ伏すオレガノを見下しながら、ドッシリは話し始めた。
「アトラス? そんな物は兵器に成り得ない。ただの書物だ。だと言うのに、お前達は何故、真剣を望む俺達と対峙する? 何故、剣を取らない? それが、俺達への最大の侮辱だと、何故、気が付かないんだ?」
悶え続けるオレガノは、とても話を聞いているようには見えない。ドッシリは今度は日々喜に話し掛け始めた。
「トウワ人のお前なら分かるよな? 日々喜」
「オレガノは僕を守っただけだ。戦いたくて戦っているわけじゃない。お前がやってる事はただの暴力だろ」
日々喜は立ち上がり、ドッシリと対峙した。
「言う事なんて聞かないぞ。お前達のやっている事が間違ってるんだ」
「……そうか」
日々喜の横っ面に、木刀で殴られたような衝撃が走る。思わずその場で膝を突いた。
今度は顔面に蹴りが飛んで来た。勢い良く頭が後ろに跳ね飛ばされ、そのまま仰向けに倒れた。
「それじゃあ、引きずって行くしかない」
日々喜は顔を抑え、よろめきながら立ち上がった。口の中が切れ、鼻と一緒に血が出た。
ドッシリは再び腹部に突きを見舞う。しかし、日々喜は咄嗟に鞘を両手でつかみ、何とか自分の胸で受け止め堪えた。
剣が鞘から引き抜かれる。同時にドッシリの体重が乗った回し蹴りが日々喜の首の付け根を強打した。
日々喜はふらつきながら再び地面に膝を突きそうになった。しかし、持っていた鞘を支えにして何とか踏みとどまった。
「暴力か……、自分がなぜこんな仕打ちを受けるのか、お前には分からないんだろうな」
天と地がグラつく様な視界の中で、中心に佇むドッシリが、自ら握っていた剣を地面に突き立てた。
「教えてやる。それはな――」
ドッシリは、瞬時に日々喜との間合いを詰めた。
一瞬にして日々喜は襟首と鞘を持つ左腕の袖をつかまれる。ドッシリは自分の左足を日々喜の右ふくらはぎに引っ掛けると、右足をすくう様に払い上げた。
そのまま倒されるというあわや、日々喜は背後にバランスを崩しつつ何とか踏みとどまった。しかし、その瞬間、つかまれていた左腕と襟首が、前方に引き戻され、バランスを失った上体が、揺り戻される様に大きく前のめりになった。
ドッシリは日々喜の視界から消えた。
そう思わせる程、深く相手の懐に潜り込むと、自身の背中を日々喜の体に密着させ、そのまま、腰の上を飛び越えさせるように前へ叩き落した。
背中を地面に強打した日々喜は、意識が飛ぶほどの衝撃を覚える。ドッシリは間髪入れずに馬乗りになると、そのまま、両手で服の襟首を締め上げ始めた。
「――お前が、トウワ人だからだよ」
日々喜の顔がみるみる紅潮して行く。暗闇の中ではその事を確認する事はできない。しかし、本人はそれに伴う苦しさから逃れようと、締め上げる両手を何とか解こうとつかみ、両足をばたつかせ始めた。
「やめて……、もうやめてよ。日々喜が、死んじゃう……」
そばで倒れていたオレガノはその光景を目の当たりにしながら、泣きながら呟く様に訴えた。腹部から走る痛みは、未だに彼女から体の自由を奪い続けている。
どうする事も出来ない。せめてアトラスが手元にあれば、そこから魔導を行使できただろうが、頼みの魔導書は先程の一撃によって、暗闇の中に姿を隠したままだ。
やがて、日々喜の両足が動きを止めた。
薄れる意識の中で、日々喜は自分を苦しめている人物の顔を見つめた。仮面の目の辺り、ぽっかりと空いた穴の中から、怪し気な光が揺らいで見えた。
光の届かぬ暗い穴の底から、ドッシリが秘め続けた何某かの感情が、今自分にぶつけられている。
日々喜は最後の力を振り絞る様に、その光に目掛け左手を伸ばした。
以前にも同じ事をした。恐怖から逃れる為に、無い物をつかもうとする思いで自分は手を伸ばしていた。そして、そんな自分の事を同じように静観している。
日々喜の左手が、ドッシリの無機質な顔に触れた。
「ぎん、が……」
口から空気が漏れ出る様なかすれた声で日々喜はそう呟くと、伸ばした腕を下ろし、そのままゆっくりと目を閉じた。
「日々喜!」
オレガノのが叫び声を上げた。
その時、日々喜の腰に携えていたアトラスが、独りでに空中へと浮かび上がった。
ドッシリは驚き、その場から剣のある場所まで飛び退く。剣を引き抜き、何が起きているのかを確認した。
空中に浮かぶアトラスは、独りでにページを開き始め、何某かのチャートを選択している。
途端に、日々喜達とドッシリの間に境界を敷く様に、魔法陣が展開された。
それは奇妙な魔法陣であった。
二重の円を描いた様に僅かな間隔を開いた縁取りが成される。しかし、それ以外は全てが空白で、イバラの特徴である異形葉紋も、内側に描かれる幾何学的な紋様もそこに無かった。
「苦し紛れか……」
気を失う日々喜に魔導の行使は不可能。ならば、オレガノが苦し紛れに他人のアトラスを用いたに違いない。無理解が祟れば、魔法陣は不完全な物になる。
ドッシリはそう解釈した。
「ウィンクルム、アクシス」
ドッシリがそう唱えると、握っていた剣に陰りの様な物が射し、刀身に黒く揺らめく何かを漂わせ始めた。
「終わりだ!」
ドッシリは、叫ぶと同時に空白の魔法陣へと切りかかった。
しかし、剣は持ち主の意思に反するかのように、魔法陣の手前で止まった。
「な!?」
ドッシリが驚く中、剣を突き立てられた魔法陣は、その攻撃に反応する様に内部へ模様を描き始めた。
縁取りに内接する五芒星。その突端に、それぞれ魔法言語が描かれる。
Livyatan : The mental of Joy
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Mammoth : The mental of Anticipation
Artman : The mental of Ode
そして、各五芒星の頂点から中心に目掛け、螺旋を描く様に曲線が引かれて行った。
「つ、剣が、動かない!?」
ドッシリがそう答えた時、魔法陣は強い光を放ち始めた。
円陣の中心から、何か巨大な生き物の様な物が顔を覗かせた。
ドッシリがそう認識した時、それは、魔法陣の中から一気に飛び出し、目の前に立つドッシリを凄まじい勢いではね飛ばして行った。
それは、一匹の巨大なクジラだった。
クジラは空間を自在に泳ぎ回ると、大きな口を広げ、生え揃った鋭い歯を剥き出しにしながら、夜空へと登って行き、上空に輝く光の靄の中へと消えて行った。
「今のは……」
はね飛ばされたドッシリは、森の中へ消え、後に残されたオレガノだけが、茫然とその光景をながめた。
地上から、飛び去ったクジラの姿を見る事はもう出来なかった。しかし、傷付いたオレガノ達を慰めるかのように、遥か上空から鳴き声の様な物を響かせ続けた。
やがて、魔法陣が消え。日々喜のアトラスが、その力を失ったように地面へと落下した。
「日々喜!」
現実に戻ったオレガノは、痛む胸を抑えながら、倒れている仲間の下へと這いずった。日々喜は目を覚まさまない。
血まみれの日々喜の顔に耳を近づけた。
呼吸が止まっている。
「日々喜! 目を覚まして!」
懇願するように、オレガノは日々喜の両肩をつかみ強く揺すり続けた。
「どうしよう、どうすればいい、どうすれば……。……アイディ」
オレガノは、無力な自分に打ちひしがれた。目を覚ます事の無い日々喜の上体を抱える様に起き上がらせると、ただ、奇跡が起きる事を祈る様にルーラーの名を呟いた。
「今のはリヴィアタンか? 雨の賢者。天上の支配者が地上に顔を出したのか……」
突然、その様な声が聞こえ、オレガノはそちらを振り返る。
「貴方は……」
そこには、全身黒い装束に身を包んだ魔導士らしき人物が立っていた。その魔導士は、フードの中から怪し気な白い眼光を一つ放っていた。
「コウミ師匠さん?」
オレガノの言葉にコウミは答えたない。
ただ、オレガノの下にひざまずくと、彼女が抱き留めている日々喜の様子を窺った。そして、その髪をつかみ、頭を後ろへと引っ張った。
すると、カクッとたがが外れるような音が喉の奥から聞こえ、それに合わせ、ヒューッと言う息の通る音が聞こえ始めた。
「日々喜!」
日々喜が呼吸をし始めた。オレガノはその事を確認し喜び始める。
「日々喜、日々喜……。よかった」
「……馬鹿が。殺しかけたぞ小娘め」
そう言うと、コウミはオレガノを引き離し、日々喜の事を背負い始めた。
「どこへ? お師匠さん。日々喜を連れて行かないでください」
コウミはオレガノの言葉に聞く耳を持たない。
「日々喜は、イバラに居たいんです。危険を承知でここまで来たんです。彼の気持ちを尊重してあげてください」
コウミは日々喜を背負ったまま立ちあがると、オレガノの事を見据えた。
「うるさいな。ムラサメ、そいつは食ってしまえ」
コウミがそう言った時、オレガノは自分の背後に生き物の気配を感じ取る。
そこには、自分の鼻先に顔を近づけた白い蛇が居た。白い蛇は、オレガノと同じくらいの大きさの顔をこちらに向けている。
瞬きをする事も無く、まるで、人の目の様に丸く、それでいて血の色を彷彿とさせる赤い瞳。自分達の事を襲ったあの白蛇だ。オレガノはリグラ達をこのイバラ領に誘った日より、決して忘れる事は無かった。
白蛇は、オレガノの頭に噛みつき、そのまま上空へ持ち上げ、丸呑みにしてしまった。
叫び声一つ上げる事が出来ない程、一瞬の出来事だった。
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「自分であること」のあいだで揺れる物語。
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