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第一章 とても不思議な世界
39話 異世界②
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「……フクジン、降ろしてやれ」
「御意。慈母、失礼を」
何者かに腰の辺りをつかまれ、日々喜は蛇の口の中から引きずり出された。そして、そのまま、岩肌の露出した地面へと降ろされる。
どうやら洞窟の中らしい。目の前の焚火と、壁に掛けられる松明の灯りによって、日々喜は自分の居場所を確認した。
「目が覚めたのか、日々喜」
「コウミ……」
焚火を挟んだ目の前に、地べたに座り込み、白く太い丸太の様な物に寄り掛かるコウミが居た。
日々喜は気まずそうに言葉をつぐんだ。
「……フクジン、茶でも入れてやれ」
「御意」
日々喜の直ぐそばでコウミの言葉に応じる男の声が聞こえた。
そこには、毛が一本も生えていないツヤツヤした緑の肌、頑強そうな肉体、大きな背丈の人型の化物が立っていた。
化物はこちらに背を向けると洞窟の奥へと進んで行ってしまった。
一体何者だろうか、と言う面持ちで、日々喜はその後姿を目で追って行った。すると洞窟の際に、木の枝や乾燥した草、苔等をかき集めて作ったような雑多な寝床が用意されているのに気が付く。そこには気を失ったオレガノが寝かされており、奥へと引っ込んで行った化物と同じ種類の化物が介抱している様子だった。
日々喜はオレガノの下に駆け寄り、恐る恐る声を掛けた。
「オレガノ……」
オレガノは静かに寝息を立てていた。
「怪我、慈母が治した。心配ない。今、寝てるだけ」
そばに居た化物は、見た目の割に優し気な女性の声で話し、日々喜を安心させるように、笑みを作った。
「貴方は?」
「ヅケ・タマリ。イバラに来たゴブリン。我が氏族、末の子」
「ゴブリン!? ……えっと、僕は人間で、長岐日々喜です」
「長岐、日々喜」
タマリは日々喜の名前を確認する様に復唱した。
「君達が僕らを助けてくれたの? オレガノを見ていてくれたんだね」
タマリは戸惑いの表情を見せる。日々喜は構わずタマリの手を取った。人に比べ大きく重たく、そして固い緑の皮膚に覆われた手であった。
「ありがとう。死んでしまうかと思ったんだ」
「いや、そいつは軽症だったぞ。お前に比べればな」
コウミが口を挟んだ。
「そいつとお前の傷を治し、ここに運んだのは俺達だ。俺とムラサメが来た時には戦いは終わっていた。他の奴らも全員無事だったぞ」
「ムラサメ?」
「コイツの事だ」
コウミは自分が背もたれにする白い丸太を指をさした。丸太は長く、身をくねらせ上へと伸びている。その先にはあの白蛇の顔が付いていた。
「驚くなよ。さっきからお前らはムラサメの腹の中に居た。こいつの体液には傷を治す力がある」
「傷を治した……、この白蛇が? でも、どうして?」
「ムラサメは争いを好まない。傷付いた者を飲み込んで治す。人間やゴブリンにちょっかいを出したのは、お前達が互いにこの森で争い合い、傷付け合っていたからだろう」
コウミの言っている事が信じられない面持ちで、日々喜はムラサメの事を見つめた。
「長岐。慈母、優しい。俺、タマリ、慈母に救われた。母親代わり、森で生きる術、学んだ」
洞窟の奥から、両手で抱える程の大きさの水の入った土器を持ったフクジンが姿を現し、日々喜に話し掛けた。
そして、フクジンは筋肉の隆起した太い腕によって、土器を片手で持ち上げると、目の前にする焚火の上に焙る様に置いた。フクジンはその上に乾燥した葉っぱの様な物を数枚投げ込み、それを木の棒で掻き混ぜ始める。
「こっちに来て座れ、日々喜。タマリやフクジンの言う通り、こいつに危険は無い。古い付き合いがあるんだ。何故こんな所に居たのか知らんがな」
コウミにそう言われ、日々喜は焚火の前に腰を下ろした。
「友達だったんですか?」
「これが友達に見えるか? そうじゃなくて、もっと軽い関係だ。使ったり、利用したり。分かるだろ? 見た目が変わっていて、俺も気が付かなかったのさ」
フクジンは粗く削りだした木の器に、煮出したお茶を注ぎ分け、日々喜に差し出した。
「どうも」
日々喜が器を受け取り愛想笑いの様な物を作ると、フクジンは黄色い二つの目を日々喜に向けながら、親愛を込めたような表情を作った。
「不思議だろ。前に見た連中とは全然違う」
「えっと、そうかも」
「去年の秋頃、ゴブリン達はこのイバラ領にやって来た。こいつらはその時に生まれた世代だ。大概は冬を越せず、餓死するか獣に食われたらしい。だが、その中で、無事に冬を越し、春を前に芽吹いた奴らが居たのさ。それがこの二匹と言う訳だ」
「適応した……。ゴブリンの子供が」
「人から自立したい。そう言う一族の願いを一身に受継いだ。ムラサメに助けられたとは言え、こいつらは自ら道を切り開き、ここに新しい営みを生み出そうと努めているんだ」
二匹のゴブリン達はコウミにそう言われ、照れたような表情を見せた。
「僅かな時間でここまで大きく育ったのは……、恐らく、後継者の影響だろう。健気な姿が目に留まったんだ」
「後継者? アイディ・クインの後継者ですか!?」
「……そうだ」
「コウミは居場所を知っているんですか?」
コウミはムラサメを指差す。
「ムラサメが、後継者?」
「違う。後継者はムラサメの腹の中に居る」
「お腹の、中に……。そう言えば、お腹の中で二人の女の子を見ました。あの子達が後継者なんでしょうか?」
コウミは頷いて答える。
「ムラサメにどんな意図があるか知らんが、これまで後継者達をその腹の中で守って来ていたのは確かな様だ。実際、上手く隠しているだろ」
日々喜はムラサメの下に歩み寄り、不思議そうにその胴体を触って確かめ始めた。コウミの言う通り、白蛇の胴体には特に目立つ程の膨らみは無く、大きなピーナッツ状のベッドが入っている様には見えなかった。
「もう、直に春だ。黙っていても、そいつらは腹の中から飛び出して来る」
「……よかった。それを聞いたらお嬢様も、きっと元気を取り戻します」
「良か無いぞ、日々喜」
コウミにそう言われ、日々喜は振り向く。
「そこに座れ」
コウミは焚火を挟んだ自分の真ん前を指差した。
「こっちを見ろ」
日々喜は黙って従った。
不穏な空気を察した様に、フクジンとタマリが奥へと引っ込むと、コウミは話をし始める。
「何故、館で待っていなかった?」
「どうしても、後継者を見つけたかったんです」
「それは分かった。だが、そうじゃない。俺が聞きたいのは、何故、言いつけを守らないのかと言う事だ」
「……」
「俺の言う事を聞かず、危険な目に合うのはこれで何度目だ? そろそろ、身に染みて来た頃だろ?」
「……だけど、コウミは、僕の言う事も聞いてくれない」
「何? 今、何て言った! 俺が何時――」
ムラサメがコウミの頭をまるかじりした。怒るコウミが、日々喜に暴力を振るっていると勘違いしたのだろうか。コウミがひとしきり、蛇の口の中で怒鳴り散らした所で、ムラサメは口を開いた。
「――……お前の言葉を蔑にしたつもりは無い。だが、お前の行動は、常に危険を孕んでいる様に俺の目には映る。それだけ焦らせるんだ。お前を無事に元の世界に連れて帰ると決めたこの俺を」
「僕は、何時も守られる事を望んでいるわけじゃない」
「こいつ!! まだ、そんな事を――」
再び、ムラサメがコウミの頭を噛む。蛇の口の中で、コウミは落ち着きを取り戻す。
「――爬虫類が。一々、噛みつくな」
コウミは、ムラサメの顔を押し退けながらそう言った。
「コウミはどうして、そんな事を決めたんですか?」
「何がだ?」
「僕を無事に連れて帰るって」
「ああ……、灯馬に約束した。あいつはここに来た事がある」
コウミの言葉に日々喜は驚く。
「ここって、異世界にですか!?」
「そうだ。俺は、灯馬が元の世界に帰る旅に同行したんだ」
「そんな事……、どうして話してくれなかったんだ?」
「機会があれば話すつもりだった。だが、聞かれても居ない事をわざわざ話す必要ないだろ。お前に取ってそれ程重要な事じゃないしな」
「勝手に決めない下さい! コウミは何時もそうです! 重要かどうかは、僕にだって――」
ムラサメが日々喜の頭に噛り付いた。その様を見て、コウミはフンと鼻を鳴らした。
「何だ。お前、怒ったのか? 憤る所を見るのはこれで二度目だな」
蛇の口から頭を出した日々喜に、コウミはそう言った。
日々喜は不貞腐れている様に、黙って蛇の唾液を拭い始める。
コウミは構わず話を続けた。
「いいか、日々喜。灯馬がこの世界に来たのは、丁度、この国と東の亡国との軋轢が高まっていた時だった。灯馬はどちらにも属さない、この世界の人間でさえない。だから、魔導士にも剣士にも追い立てられる立場になった」
「……灯馬伯父様が追い立てられた。よからぬ者として?」
「そうだ。旅に同行した俺や他の仲間達は今のお前と変わらない年齢だった。戦士として未熟な奴らは、何度も膝を着きそうになる程、苛酷な旅になったんだ。それがどんなものか、お前に想像できるか?」
日々喜はコウミの問いに答える事が出来なかった。
「納得したか日々喜。俺にはお前を守る理由と、連れて帰る力と知識がある。お前は、どうなんだ?」
「……何が、ですか?」
「常に守られる事を望んでいない。そう言うお前は、ここで、灯馬と同じように振る舞えるのか? この世界に居る者達から、忌み嫌われ、追い立てられるだけの覚悟があるのか?」
「同じような旅になるとは、限らないでしょ……」
「限らないか……」
日々喜の答えを聞き、コウミは溜息を着いた。
「ここは異世界だ。灯馬なら、自分の知らない場所で、そんな言葉は口にしない。今日、危険をかい潜ったお前なら、この意味が分かるな?」
日々喜は、意気消沈した様に下を向いた。
「もう一晩だけ、時間をやる。頭を冷やせ日々喜」
日々喜は肩を落としながら、オレガノの眠る雑多な寝床へと向かって行った。
コウミはそれを確認すると、洞窟の出入り口へと移動し、周囲を見張る様にその場に座り込んだ。
「あの日々喜が、灯馬と同じに? フフフ、馬鹿野郎め」
コウミは自分で日々喜に言った言葉を口にし、自嘲した。
この世界に戻って来て、それ程時間が経っていない事に気が付いた。しかし、異なる世界を行き来したコウミにとって、日々喜の大伯父、如月灯馬との出会いは大昔の話しになる。
その時、如月灯馬は十二歳の少年だった。
その頃の灯馬と比べてさえ、コウミの目には、今の日々喜の方が幼く見えるのだ。
コウミは思い起こす。
この国の魔導士達に追われ、亡国を裏切り、結果として剣士にまで追い立てられる事になった過去の自分達の事を。逃走の果てに、疲れ切った自分達の事を罵倒し、奮い立たせ、最後まで膝を着く事の無かった灯馬の事を。
そんなコウミの様子を探る様に、ムラサメが顔を近づけた。
「何だ?」
無感情な蛇の表情からは、何を考えているのか読み取る事が出来ない。それでも、郷愁にふけるコウミを慰める様に、ムラサメは肌を合わせた。
「二回だ。俺の事を一回多く噛みついた。日々喜の肩を持っただろ? お前は、初めから気が付いていたんだ。あいつがお前の名付け親、灯馬と血縁がある事に」
コウミは物言わぬムラサメに語り始めた。
「同じ血筋……、期待しているのか? 馬鹿め。まったく違うのさ。見定める必要も無い。だから、直ぐにでも家路につくべきなんだ」
コウミはそう言うと、ムラサメから視線を逸らした。
「コウミ殿、そろそろ」
洞窟の中から、フクジンとタマリが顔を出した。
「ん? 何だ、もう行くのか」
「騒ぎ、収まった。ここ安全。俺達、村に帰る」
「惜しい事をしているぞ。このままここに残って、上手く後継者共に取り入れば、この領域を我が物にできるかもしれないのに」
フクジンは苦笑する。
「人間、先住の民。押し退ける真似したくない。俺達ゴブリン。仲間達と暮らしたい」
「村の皆に話す。慈母、優しい。皆直ぐに分かる。皆でここに来る。人間とも、ここで暮らす」
タマリは日々喜に握られた余韻を確かめる様に、自らの手を摩りながらそう言った。
「そうか……。古い習慣に縛られた連中が、一歳に満たないお前達の言葉を聞き分けるとは思えないが。まあ、そうしたいなら、そうすればいい」
フクジンとタマリはムラサメに向き直り、別れの挨拶をし始める。
「ああ、止めておけ。そいつの血は凍り付いてる。生き物の言葉を聞き分ける様な奴じゃない」
コウミがそう言うが、ゴブリン達は構わず、これまでの礼をムラサメに述べ、その場を立ち去って行った。
「清い奴ら。痛々しい程に。ここで、育ったせいだろうが」
楽園を去る者たちがいる。
揺りかごの中で育った連中が、自らの足で立ち上がり、仲間の下へと馳せて行くのだ。
コウミはムラサメと共に、その後姿が見えなくなるまで見送っていた。
「自立か……」
その時が来れば、自ずと、自分の足で立って行く。その時とは、一体何時の事なんだろうか。
コウミは、誰も居ない闇を覗きながらそう考えた。
「御意。慈母、失礼を」
何者かに腰の辺りをつかまれ、日々喜は蛇の口の中から引きずり出された。そして、そのまま、岩肌の露出した地面へと降ろされる。
どうやら洞窟の中らしい。目の前の焚火と、壁に掛けられる松明の灯りによって、日々喜は自分の居場所を確認した。
「目が覚めたのか、日々喜」
「コウミ……」
焚火を挟んだ目の前に、地べたに座り込み、白く太い丸太の様な物に寄り掛かるコウミが居た。
日々喜は気まずそうに言葉をつぐんだ。
「……フクジン、茶でも入れてやれ」
「御意」
日々喜の直ぐそばでコウミの言葉に応じる男の声が聞こえた。
そこには、毛が一本も生えていないツヤツヤした緑の肌、頑強そうな肉体、大きな背丈の人型の化物が立っていた。
化物はこちらに背を向けると洞窟の奥へと進んで行ってしまった。
一体何者だろうか、と言う面持ちで、日々喜はその後姿を目で追って行った。すると洞窟の際に、木の枝や乾燥した草、苔等をかき集めて作ったような雑多な寝床が用意されているのに気が付く。そこには気を失ったオレガノが寝かされており、奥へと引っ込んで行った化物と同じ種類の化物が介抱している様子だった。
日々喜はオレガノの下に駆け寄り、恐る恐る声を掛けた。
「オレガノ……」
オレガノは静かに寝息を立てていた。
「怪我、慈母が治した。心配ない。今、寝てるだけ」
そばに居た化物は、見た目の割に優し気な女性の声で話し、日々喜を安心させるように、笑みを作った。
「貴方は?」
「ヅケ・タマリ。イバラに来たゴブリン。我が氏族、末の子」
「ゴブリン!? ……えっと、僕は人間で、長岐日々喜です」
「長岐、日々喜」
タマリは日々喜の名前を確認する様に復唱した。
「君達が僕らを助けてくれたの? オレガノを見ていてくれたんだね」
タマリは戸惑いの表情を見せる。日々喜は構わずタマリの手を取った。人に比べ大きく重たく、そして固い緑の皮膚に覆われた手であった。
「ありがとう。死んでしまうかと思ったんだ」
「いや、そいつは軽症だったぞ。お前に比べればな」
コウミが口を挟んだ。
「そいつとお前の傷を治し、ここに運んだのは俺達だ。俺とムラサメが来た時には戦いは終わっていた。他の奴らも全員無事だったぞ」
「ムラサメ?」
「コイツの事だ」
コウミは自分が背もたれにする白い丸太を指をさした。丸太は長く、身をくねらせ上へと伸びている。その先にはあの白蛇の顔が付いていた。
「驚くなよ。さっきからお前らはムラサメの腹の中に居た。こいつの体液には傷を治す力がある」
「傷を治した……、この白蛇が? でも、どうして?」
「ムラサメは争いを好まない。傷付いた者を飲み込んで治す。人間やゴブリンにちょっかいを出したのは、お前達が互いにこの森で争い合い、傷付け合っていたからだろう」
コウミの言っている事が信じられない面持ちで、日々喜はムラサメの事を見つめた。
「長岐。慈母、優しい。俺、タマリ、慈母に救われた。母親代わり、森で生きる術、学んだ」
洞窟の奥から、両手で抱える程の大きさの水の入った土器を持ったフクジンが姿を現し、日々喜に話し掛けた。
そして、フクジンは筋肉の隆起した太い腕によって、土器を片手で持ち上げると、目の前にする焚火の上に焙る様に置いた。フクジンはその上に乾燥した葉っぱの様な物を数枚投げ込み、それを木の棒で掻き混ぜ始める。
「こっちに来て座れ、日々喜。タマリやフクジンの言う通り、こいつに危険は無い。古い付き合いがあるんだ。何故こんな所に居たのか知らんがな」
コウミにそう言われ、日々喜は焚火の前に腰を下ろした。
「友達だったんですか?」
「これが友達に見えるか? そうじゃなくて、もっと軽い関係だ。使ったり、利用したり。分かるだろ? 見た目が変わっていて、俺も気が付かなかったのさ」
フクジンは粗く削りだした木の器に、煮出したお茶を注ぎ分け、日々喜に差し出した。
「どうも」
日々喜が器を受け取り愛想笑いの様な物を作ると、フクジンは黄色い二つの目を日々喜に向けながら、親愛を込めたような表情を作った。
「不思議だろ。前に見た連中とは全然違う」
「えっと、そうかも」
「去年の秋頃、ゴブリン達はこのイバラ領にやって来た。こいつらはその時に生まれた世代だ。大概は冬を越せず、餓死するか獣に食われたらしい。だが、その中で、無事に冬を越し、春を前に芽吹いた奴らが居たのさ。それがこの二匹と言う訳だ」
「適応した……。ゴブリンの子供が」
「人から自立したい。そう言う一族の願いを一身に受継いだ。ムラサメに助けられたとは言え、こいつらは自ら道を切り開き、ここに新しい営みを生み出そうと努めているんだ」
二匹のゴブリン達はコウミにそう言われ、照れたような表情を見せた。
「僅かな時間でここまで大きく育ったのは……、恐らく、後継者の影響だろう。健気な姿が目に留まったんだ」
「後継者? アイディ・クインの後継者ですか!?」
「……そうだ」
「コウミは居場所を知っているんですか?」
コウミはムラサメを指差す。
「ムラサメが、後継者?」
「違う。後継者はムラサメの腹の中に居る」
「お腹の、中に……。そう言えば、お腹の中で二人の女の子を見ました。あの子達が後継者なんでしょうか?」
コウミは頷いて答える。
「ムラサメにどんな意図があるか知らんが、これまで後継者達をその腹の中で守って来ていたのは確かな様だ。実際、上手く隠しているだろ」
日々喜はムラサメの下に歩み寄り、不思議そうにその胴体を触って確かめ始めた。コウミの言う通り、白蛇の胴体には特に目立つ程の膨らみは無く、大きなピーナッツ状のベッドが入っている様には見えなかった。
「もう、直に春だ。黙っていても、そいつらは腹の中から飛び出して来る」
「……よかった。それを聞いたらお嬢様も、きっと元気を取り戻します」
「良か無いぞ、日々喜」
コウミにそう言われ、日々喜は振り向く。
「そこに座れ」
コウミは焚火を挟んだ自分の真ん前を指差した。
「こっちを見ろ」
日々喜は黙って従った。
不穏な空気を察した様に、フクジンとタマリが奥へと引っ込むと、コウミは話をし始める。
「何故、館で待っていなかった?」
「どうしても、後継者を見つけたかったんです」
「それは分かった。だが、そうじゃない。俺が聞きたいのは、何故、言いつけを守らないのかと言う事だ」
「……」
「俺の言う事を聞かず、危険な目に合うのはこれで何度目だ? そろそろ、身に染みて来た頃だろ?」
「……だけど、コウミは、僕の言う事も聞いてくれない」
「何? 今、何て言った! 俺が何時――」
ムラサメがコウミの頭をまるかじりした。怒るコウミが、日々喜に暴力を振るっていると勘違いしたのだろうか。コウミがひとしきり、蛇の口の中で怒鳴り散らした所で、ムラサメは口を開いた。
「――……お前の言葉を蔑にしたつもりは無い。だが、お前の行動は、常に危険を孕んでいる様に俺の目には映る。それだけ焦らせるんだ。お前を無事に元の世界に連れて帰ると決めたこの俺を」
「僕は、何時も守られる事を望んでいるわけじゃない」
「こいつ!! まだ、そんな事を――」
再び、ムラサメがコウミの頭を噛む。蛇の口の中で、コウミは落ち着きを取り戻す。
「――爬虫類が。一々、噛みつくな」
コウミは、ムラサメの顔を押し退けながらそう言った。
「コウミはどうして、そんな事を決めたんですか?」
「何がだ?」
「僕を無事に連れて帰るって」
「ああ……、灯馬に約束した。あいつはここに来た事がある」
コウミの言葉に日々喜は驚く。
「ここって、異世界にですか!?」
「そうだ。俺は、灯馬が元の世界に帰る旅に同行したんだ」
「そんな事……、どうして話してくれなかったんだ?」
「機会があれば話すつもりだった。だが、聞かれても居ない事をわざわざ話す必要ないだろ。お前に取ってそれ程重要な事じゃないしな」
「勝手に決めない下さい! コウミは何時もそうです! 重要かどうかは、僕にだって――」
ムラサメが日々喜の頭に噛り付いた。その様を見て、コウミはフンと鼻を鳴らした。
「何だ。お前、怒ったのか? 憤る所を見るのはこれで二度目だな」
蛇の口から頭を出した日々喜に、コウミはそう言った。
日々喜は不貞腐れている様に、黙って蛇の唾液を拭い始める。
コウミは構わず話を続けた。
「いいか、日々喜。灯馬がこの世界に来たのは、丁度、この国と東の亡国との軋轢が高まっていた時だった。灯馬はどちらにも属さない、この世界の人間でさえない。だから、魔導士にも剣士にも追い立てられる立場になった」
「……灯馬伯父様が追い立てられた。よからぬ者として?」
「そうだ。旅に同行した俺や他の仲間達は今のお前と変わらない年齢だった。戦士として未熟な奴らは、何度も膝を着きそうになる程、苛酷な旅になったんだ。それがどんなものか、お前に想像できるか?」
日々喜はコウミの問いに答える事が出来なかった。
「納得したか日々喜。俺にはお前を守る理由と、連れて帰る力と知識がある。お前は、どうなんだ?」
「……何が、ですか?」
「常に守られる事を望んでいない。そう言うお前は、ここで、灯馬と同じように振る舞えるのか? この世界に居る者達から、忌み嫌われ、追い立てられるだけの覚悟があるのか?」
「同じような旅になるとは、限らないでしょ……」
「限らないか……」
日々喜の答えを聞き、コウミは溜息を着いた。
「ここは異世界だ。灯馬なら、自分の知らない場所で、そんな言葉は口にしない。今日、危険をかい潜ったお前なら、この意味が分かるな?」
日々喜は、意気消沈した様に下を向いた。
「もう一晩だけ、時間をやる。頭を冷やせ日々喜」
日々喜は肩を落としながら、オレガノの眠る雑多な寝床へと向かって行った。
コウミはそれを確認すると、洞窟の出入り口へと移動し、周囲を見張る様にその場に座り込んだ。
「あの日々喜が、灯馬と同じに? フフフ、馬鹿野郎め」
コウミは自分で日々喜に言った言葉を口にし、自嘲した。
この世界に戻って来て、それ程時間が経っていない事に気が付いた。しかし、異なる世界を行き来したコウミにとって、日々喜の大伯父、如月灯馬との出会いは大昔の話しになる。
その時、如月灯馬は十二歳の少年だった。
その頃の灯馬と比べてさえ、コウミの目には、今の日々喜の方が幼く見えるのだ。
コウミは思い起こす。
この国の魔導士達に追われ、亡国を裏切り、結果として剣士にまで追い立てられる事になった過去の自分達の事を。逃走の果てに、疲れ切った自分達の事を罵倒し、奮い立たせ、最後まで膝を着く事の無かった灯馬の事を。
そんなコウミの様子を探る様に、ムラサメが顔を近づけた。
「何だ?」
無感情な蛇の表情からは、何を考えているのか読み取る事が出来ない。それでも、郷愁にふけるコウミを慰める様に、ムラサメは肌を合わせた。
「二回だ。俺の事を一回多く噛みついた。日々喜の肩を持っただろ? お前は、初めから気が付いていたんだ。あいつがお前の名付け親、灯馬と血縁がある事に」
コウミは物言わぬムラサメに語り始めた。
「同じ血筋……、期待しているのか? 馬鹿め。まったく違うのさ。見定める必要も無い。だから、直ぐにでも家路につくべきなんだ」
コウミはそう言うと、ムラサメから視線を逸らした。
「コウミ殿、そろそろ」
洞窟の中から、フクジンとタマリが顔を出した。
「ん? 何だ、もう行くのか」
「騒ぎ、収まった。ここ安全。俺達、村に帰る」
「惜しい事をしているぞ。このままここに残って、上手く後継者共に取り入れば、この領域を我が物にできるかもしれないのに」
フクジンは苦笑する。
「人間、先住の民。押し退ける真似したくない。俺達ゴブリン。仲間達と暮らしたい」
「村の皆に話す。慈母、優しい。皆直ぐに分かる。皆でここに来る。人間とも、ここで暮らす」
タマリは日々喜に握られた余韻を確かめる様に、自らの手を摩りながらそう言った。
「そうか……。古い習慣に縛られた連中が、一歳に満たないお前達の言葉を聞き分けるとは思えないが。まあ、そうしたいなら、そうすればいい」
フクジンとタマリはムラサメに向き直り、別れの挨拶をし始める。
「ああ、止めておけ。そいつの血は凍り付いてる。生き物の言葉を聞き分ける様な奴じゃない」
コウミがそう言うが、ゴブリン達は構わず、これまでの礼をムラサメに述べ、その場を立ち去って行った。
「清い奴ら。痛々しい程に。ここで、育ったせいだろうが」
楽園を去る者たちがいる。
揺りかごの中で育った連中が、自らの足で立ち上がり、仲間の下へと馳せて行くのだ。
コウミはムラサメと共に、その後姿が見えなくなるまで見送っていた。
「自立か……」
その時が来れば、自ずと、自分の足で立って行く。その時とは、一体何時の事なんだろうか。
コウミは、誰も居ない闇を覗きながらそう考えた。
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