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第三章 広がる世界
10話 修練者の山へ③
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日々喜達は、エリオットから借り受けたジオメトリーを基に、アラニヤ領で使える魔導を作り始めている。まだ見ぬ土地、初めて見るジオメトリーの解読に難航している様子で、その作業は魔導にうといコウミの目にも時間が掛かるものと思えた。
ことさら焦りの色を見せ始める見習い達に比べ、コウミは落ち着いていた。余計な口を挟むどころか手伝う素振りも見せず、一人クレレ邸の玄関口に座り込みながら、何の気なしに庭先を眺めぼんやりと時間を潰していた。
「明日の昼、……いや、事と次第によっては、出発はもっと遅れるかもしれないな」
コウミは見習い達の作業の様子を思い返してそう呟いた。
ふと、頬杖をつく左手の指先に引っ掛かるものを感じた。自分の顎先をすっぽり覆う様にして巻き付けていた襟巻から、僅かに滲むようにして黒いガスが漏れていた。コウミは顎を上げ襟巻を引いた。それまで隠されていたカラスの様なくちばしが顕わになる。コウミは人目も気にせず、自分の喉元の辺りを撫で廻しガスの出どころを探った。
喉元に穴が開いていた。テシオ一門の剣士、ハニイによる突きによってできた穴だ。そこから漏れる様にして僅かな瘴気が出ているのだった。
あれから大分時間が経ったと言うのに、未だこの傷は塞がっていなかったのかと、コウミは不思議に思いながら、喉の中に指を入れ穴の深さを確かめ始めた。
傷つけられた時に比べれば、ある程度は狭くなってきているだろう。それでも、乱暴に指を突き立てればズブズブと奥の方へとめり込んで行くのが分かる。しかし、首の肉壁を押し退ける様な、癒着した肉と肉の間を再び裂く様な、そんな具体的なえぐみのある感触を覚える事は無く、ただ、纏わり付く様な重みと押し付けられる様な圧力を指先に感じるのだった。
コウミは自分の身体の得体の知れない部分を好奇心の赴くままにまさぐり続けた。
そうして、指の付け根が入り込む程に深く入れ込んだ時、指先にそれまで締め付ける様に感じていた圧力が消え、コウミは自分の喉に再び風穴があいた事に気が付いた。
「何者じゃ!」
奇怪な行動を見咎めた者が、そう言葉を投げた。コウミは咄嗟に指を引き抜き、門前の方へ視線を移した。
腰を曲げ、杖を突く老女の魔導士がこちらを警戒する様に睨みつけている。そして、若い女の魔導士が怯える様にその老女の背後に立っていた。
「……スピオーネ・リーブラ、まだ生きてたのか」
コウミがそう答えると、老女はより警戒の色を増した様に、腰に携えたアトラスに手を伸ばした。
「早まるな、婆! コウミだ!」
コウミの名を聞き、スピオーネは目を丸くした。
「何と!? お主、あの人で無しか?」
スピオーネの言葉にコウミは舌打ちしながらも、ああそうだと頷くと、被っていたフードを整え襟巻を巻き直し、自分の顔を隠して行った。
「ほおー、これは珍しい。まさか、日のある内に、再び顔を見る事になるとは思わなんだ」
スピオーネはそう言いながら近ずくと、顔を背けるコウミの事をしげしげと眺め始めた。
「お、お師匠様?」
その場を動かずにいたタッタリアが、スピオーネの大胆な行動を見て震える程の声を出した。
「そ、その人、その人はデ、デーモン?」
「案ずるでないタッタリア。これは営みの破壊者とは一線を引く者。邪な力に溺れながらも、人の営みに焦がれ続ける立場の者じゃ」
「焦がれ、続ける? そんな者が……」
タッタリアはスピオーネの言葉が信じられない様子でコウミの事を眺めた。先程見た鳥獣を模る様な無機質なコウミの顔は、過去に見た事のあるデーモンの標本と瓜二つだった。しかし、今フードに隠れるコウミの顔には、苛立たし気な感情をあらわにする様にこちらをチラチラと窺う白い丸い目のみがぼんやりと浮かび上がっている。
スピオーネの言う通り、無感情なデーモンとは違うのかもしれない。コウミの白い眼と眼が合った時、タッタリアはそう思った。
「馬鹿が! 誰も焦がれてない!」
「ひえ!」
心を見透かした様にコウミは怒鳴り声を上げた。タッタリアは悲鳴を上げ、スピオーネの背中に身を屈める様にして隠れてしまった。
「ホッホッホ。気を付けねばな。そうとは言え、人で無しに変わりがない故、気を許せば噛みつかれるやもしれぬぞよ」
怯えるタッタリアを宥め、スピオーネは喜々としてコウミの怒気を笑い飛ばした。
「言いたい放題行ってくれるぜ、この婆は……」
どうやらスピオーネ程の老女の目から見れば、自分の様な得体の知れない存在さえ、自らの弟子と同じくらいの青二才にでも映って見えるのだろう。コウミは相手をするだけ自分が損をすると考え始めた。
「わざわざ若いもんを引き連れて散歩の途中か? 俺は忙しいんだ。年寄の話し相手を探してるんなら、もっと暇そうな奴でも探して来いよ」
「忙しいとな、ふむ……」
それまで浮かべていたニヤニヤとした笑みを消す為か、スピオーネは顔のシワを伸ばす様に頬を撫で廻してそう言った。
「まあ、こちらも特に暇を潰している訳ではない。今日は、会長殿に呼ばれてな」
「エリオットに?」
スピオーネは頷く。
「何でも、イバラから数名の見習い達が尋ねて来ているそうな。修練の為にこれからカフカ―ス山脈を越えようと言った所だろう。リーブラ一門にはその旅の準備を手伝う様にと、お声が掛かったのじゃ」
スピオーネの言っている見習い達とは日々喜達の事だろう。どうやら、自分達の知らない所でエリオットは彼らの事を支えようとしているらしい。日々喜に対しては黙って見守る事を決めていたコウミとは異なる考え方だった。
「あのお節介、余計な事を」
「ホホホ。それは違う。相変わらずこの国の仕組みにはうといようだな人で無しよ」
コウミは怪訝な思いを表す様に白い目を細めた。
「魔導士とは、学院を卒業して以来、三年の修練期間を設けられるもの。その間に国中の各機関、一門に所属する者もおれば、一人旅に出る者もおる。変わらないのは、そうした未熟な者達が何処へ行こうとも魔導の恩顧をこうむると言う事。自らを鍛え上げるべき修練の期間とは、そうした魔導士達全体の支え合いによって成立しているものなのじゃ。会長殿は、そうした魔導士に配慮して下さったに過ぎない」
「……俺に助け合いは必要ない」
コウミはポツリとそう呟いた。スピオーネはその言葉を聞き逃さず、再び目を丸くした。
「何と……。では、お主が?」
「違うだろ! 俺は魔導士じゃない、ただの付き添いだ。お前達の助けを必要としている奴らは、家の中にいる」
コウミがかぶりを振ってそう答えると、スピオーネは、なるほどなるほどと、何かを察した様に返した。
「しかし、お主が再びアラニヤへ向かうとは因果な事だ。かつて国外へ出奔した話し、その旅路の事、ツキモリの門人から聞いておるぞよ」
コウミは、最早聞き耳を持たない様子でそっぽを向き続けている。どうやら、それ以上は話したくないのだろうと言う事がスピオーネにも分かり、それでは家の中で待つ者達の下へ向かおうとばかりにタッタリアを促した。
タッタリアはクレレ邸の扉を叩き、自分達の訪れを中の者へ伝える。家の中からはミートの元気な応答が聞こえた。
「このわしから忠告をするまでも無いだろうが」
スピオーネはなおも話し続ける。ミートが扉から顔を出し、タッタリアと少しばかりの談笑をする中で、コウミの耳にはそのしわがれた老女の言葉だけが残って行った。
「人の営みとは、それを織り成す者達から滲む連鎖律(チェイン・ルール)の様なものよ。過去から未来に向かって決して途切れる事なく連なり続ける。この先、お主が過去に背を向けるようならば、決して暗闇からは出ぬ事じゃな」
ミートの誘いに従い、スピオーネとタッタリアはクレレ邸へと入って行った。
「クソ婆が、知った風な口を……」
後に残されたコウミは、再び庭眺めながらそのように呟いた。
スピオーネの言う通り、過去にこの国を灯馬と共に脱出した時、コウミ達はアラニヤ領の険しい山道をあえて通ったのだ。そして、そこで何があったのかは自分が誰よりもよく知っている。他人に言われるまでも無く、目立った行動は慎まなくては、日々喜達に危険が及ぶかもしれないと自覚していたのだった。
ことさら焦りの色を見せ始める見習い達に比べ、コウミは落ち着いていた。余計な口を挟むどころか手伝う素振りも見せず、一人クレレ邸の玄関口に座り込みながら、何の気なしに庭先を眺めぼんやりと時間を潰していた。
「明日の昼、……いや、事と次第によっては、出発はもっと遅れるかもしれないな」
コウミは見習い達の作業の様子を思い返してそう呟いた。
ふと、頬杖をつく左手の指先に引っ掛かるものを感じた。自分の顎先をすっぽり覆う様にして巻き付けていた襟巻から、僅かに滲むようにして黒いガスが漏れていた。コウミは顎を上げ襟巻を引いた。それまで隠されていたカラスの様なくちばしが顕わになる。コウミは人目も気にせず、自分の喉元の辺りを撫で廻しガスの出どころを探った。
喉元に穴が開いていた。テシオ一門の剣士、ハニイによる突きによってできた穴だ。そこから漏れる様にして僅かな瘴気が出ているのだった。
あれから大分時間が経ったと言うのに、未だこの傷は塞がっていなかったのかと、コウミは不思議に思いながら、喉の中に指を入れ穴の深さを確かめ始めた。
傷つけられた時に比べれば、ある程度は狭くなってきているだろう。それでも、乱暴に指を突き立てればズブズブと奥の方へとめり込んで行くのが分かる。しかし、首の肉壁を押し退ける様な、癒着した肉と肉の間を再び裂く様な、そんな具体的なえぐみのある感触を覚える事は無く、ただ、纏わり付く様な重みと押し付けられる様な圧力を指先に感じるのだった。
コウミは自分の身体の得体の知れない部分を好奇心の赴くままにまさぐり続けた。
そうして、指の付け根が入り込む程に深く入れ込んだ時、指先にそれまで締め付ける様に感じていた圧力が消え、コウミは自分の喉に再び風穴があいた事に気が付いた。
「何者じゃ!」
奇怪な行動を見咎めた者が、そう言葉を投げた。コウミは咄嗟に指を引き抜き、門前の方へ視線を移した。
腰を曲げ、杖を突く老女の魔導士がこちらを警戒する様に睨みつけている。そして、若い女の魔導士が怯える様にその老女の背後に立っていた。
「……スピオーネ・リーブラ、まだ生きてたのか」
コウミがそう答えると、老女はより警戒の色を増した様に、腰に携えたアトラスに手を伸ばした。
「早まるな、婆! コウミだ!」
コウミの名を聞き、スピオーネは目を丸くした。
「何と!? お主、あの人で無しか?」
スピオーネの言葉にコウミは舌打ちしながらも、ああそうだと頷くと、被っていたフードを整え襟巻を巻き直し、自分の顔を隠して行った。
「ほおー、これは珍しい。まさか、日のある内に、再び顔を見る事になるとは思わなんだ」
スピオーネはそう言いながら近ずくと、顔を背けるコウミの事をしげしげと眺め始めた。
「お、お師匠様?」
その場を動かずにいたタッタリアが、スピオーネの大胆な行動を見て震える程の声を出した。
「そ、その人、その人はデ、デーモン?」
「案ずるでないタッタリア。これは営みの破壊者とは一線を引く者。邪な力に溺れながらも、人の営みに焦がれ続ける立場の者じゃ」
「焦がれ、続ける? そんな者が……」
タッタリアはスピオーネの言葉が信じられない様子でコウミの事を眺めた。先程見た鳥獣を模る様な無機質なコウミの顔は、過去に見た事のあるデーモンの標本と瓜二つだった。しかし、今フードに隠れるコウミの顔には、苛立たし気な感情をあらわにする様にこちらをチラチラと窺う白い丸い目のみがぼんやりと浮かび上がっている。
スピオーネの言う通り、無感情なデーモンとは違うのかもしれない。コウミの白い眼と眼が合った時、タッタリアはそう思った。
「馬鹿が! 誰も焦がれてない!」
「ひえ!」
心を見透かした様にコウミは怒鳴り声を上げた。タッタリアは悲鳴を上げ、スピオーネの背中に身を屈める様にして隠れてしまった。
「ホッホッホ。気を付けねばな。そうとは言え、人で無しに変わりがない故、気を許せば噛みつかれるやもしれぬぞよ」
怯えるタッタリアを宥め、スピオーネは喜々としてコウミの怒気を笑い飛ばした。
「言いたい放題行ってくれるぜ、この婆は……」
どうやらスピオーネ程の老女の目から見れば、自分の様な得体の知れない存在さえ、自らの弟子と同じくらいの青二才にでも映って見えるのだろう。コウミは相手をするだけ自分が損をすると考え始めた。
「わざわざ若いもんを引き連れて散歩の途中か? 俺は忙しいんだ。年寄の話し相手を探してるんなら、もっと暇そうな奴でも探して来いよ」
「忙しいとな、ふむ……」
それまで浮かべていたニヤニヤとした笑みを消す為か、スピオーネは顔のシワを伸ばす様に頬を撫で廻してそう言った。
「まあ、こちらも特に暇を潰している訳ではない。今日は、会長殿に呼ばれてな」
「エリオットに?」
スピオーネは頷く。
「何でも、イバラから数名の見習い達が尋ねて来ているそうな。修練の為にこれからカフカ―ス山脈を越えようと言った所だろう。リーブラ一門にはその旅の準備を手伝う様にと、お声が掛かったのじゃ」
スピオーネの言っている見習い達とは日々喜達の事だろう。どうやら、自分達の知らない所でエリオットは彼らの事を支えようとしているらしい。日々喜に対しては黙って見守る事を決めていたコウミとは異なる考え方だった。
「あのお節介、余計な事を」
「ホホホ。それは違う。相変わらずこの国の仕組みにはうといようだな人で無しよ」
コウミは怪訝な思いを表す様に白い目を細めた。
「魔導士とは、学院を卒業して以来、三年の修練期間を設けられるもの。その間に国中の各機関、一門に所属する者もおれば、一人旅に出る者もおる。変わらないのは、そうした未熟な者達が何処へ行こうとも魔導の恩顧をこうむると言う事。自らを鍛え上げるべき修練の期間とは、そうした魔導士達全体の支え合いによって成立しているものなのじゃ。会長殿は、そうした魔導士に配慮して下さったに過ぎない」
「……俺に助け合いは必要ない」
コウミはポツリとそう呟いた。スピオーネはその言葉を聞き逃さず、再び目を丸くした。
「何と……。では、お主が?」
「違うだろ! 俺は魔導士じゃない、ただの付き添いだ。お前達の助けを必要としている奴らは、家の中にいる」
コウミがかぶりを振ってそう答えると、スピオーネは、なるほどなるほどと、何かを察した様に返した。
「しかし、お主が再びアラニヤへ向かうとは因果な事だ。かつて国外へ出奔した話し、その旅路の事、ツキモリの門人から聞いておるぞよ」
コウミは、最早聞き耳を持たない様子でそっぽを向き続けている。どうやら、それ以上は話したくないのだろうと言う事がスピオーネにも分かり、それでは家の中で待つ者達の下へ向かおうとばかりにタッタリアを促した。
タッタリアはクレレ邸の扉を叩き、自分達の訪れを中の者へ伝える。家の中からはミートの元気な応答が聞こえた。
「このわしから忠告をするまでも無いだろうが」
スピオーネはなおも話し続ける。ミートが扉から顔を出し、タッタリアと少しばかりの談笑をする中で、コウミの耳にはそのしわがれた老女の言葉だけが残って行った。
「人の営みとは、それを織り成す者達から滲む連鎖律(チェイン・ルール)の様なものよ。過去から未来に向かって決して途切れる事なく連なり続ける。この先、お主が過去に背を向けるようならば、決して暗闇からは出ぬ事じゃな」
ミートの誘いに従い、スピオーネとタッタリアはクレレ邸へと入って行った。
「クソ婆が、知った風な口を……」
後に残されたコウミは、再び庭眺めながらそのように呟いた。
スピオーネの言う通り、過去にこの国を灯馬と共に脱出した時、コウミ達はアラニヤ領の険しい山道をあえて通ったのだ。そして、そこで何があったのかは自分が誰よりもよく知っている。他人に言われるまでも無く、目立った行動は慎まなくては、日々喜達に危険が及ぶかもしれないと自覚していたのだった。
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