僕は咲き、わたしは散る

ハルキ

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3.残された人

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 バイトを終え、僕はすぐに自宅へと向かった。腕時計を見ると、九時半を指していた。
 家に着くと、カバンからカギを取り出した。その刹那、嫌な予感が僕の脳裏によぎった。一度、カギをつかわずに扉を開けようとした。すると、扉はなんの変哲もなく開いた。僕は、またか、とため息をつき、中へ入ろうとした。
 「おかえり」
 後ろから声をかけられたので振り返ると、そこには二つ年下である妹のあかりがピンクのジャージを着て玄関の前に立っていた。今までランニングしていたのだろう。あかりの額から汗が出ていた。
 茶のセミロングに、切れ長の目。皮膚は少し黒みがかっているが、本人はあまり気にしていなく、むしろ『肌が黒いのはスポーツを頑張っている証』と言う始末である。
 そんなあかりは今、ムスッとした表情をしていた。
 「ただいま」
 ちゃんと挨拶を返したのだけれども、あかりは何も言わずに僕の横を通り過ぎていく。
 「なぁ、あかり」
  僕がそう呼びかけるとあかりはこちらを見ることなく「なに?」と立ち止まる。その声だけで不機嫌であることが読み取れる。カギを閉めてくれ、この言葉が喉にひっかかり、口から出てこなかった。何を言っても聞いてくれない、思春期真っ最中の妹に対しての諦めがあった。
 「いや、なんでもないや」
 「そう」
 あかりはそれだけ言い残し、リビングのほうへ消えてしまった。いつからあんな無愛想になってしまったのか。まだなついてくれていた昔のことを思い返すと、僕は先ほどよりも深いため息をついてしまった。
 遅れてリビングに入ると、祖母が椅子に座って、緑茶をすすっていた。
 「おかえり」
 祖母は僕のことに気が付くと、しわくちゃの笑顔をした。
 「ただいま」
 僕がそのように言うと、祖母はもう一度、緑茶をすする。僕がバイトから帰ってきたときは、いつも祖母はこうしている。僕の帰りを待ってくれているのか、と思うとなんだか申し訳ないように感じた。
 僕は持っていたカバンを壁につけて置いた。祖母は両手でおそるおそる湯呑をテーブルの上に置いて、僕に尋ねた。
 「バイトは、どうだい?」
 「大変だよ」
 「そうかい、すまんね」
 祖母は湯呑に入った緑茶をじっと見つめていた。別に祖母は悪くないのだ。
 僕は祭壇へと向かう。そこには父と母の写真がそれぞれ飾られていた。僕はその前で正座し、手を合わせる。父は僕が生まれる前に交通事故で亡くなり、母は6歳の時に病気でこの世を去った。だから、僕は父と会ったことはなく、どのような人だったか母の話だけで判断するしかなかった。
 母は父のことを酒は飲むは、タバコは吸うは、わたしより仕事を選ぶは、とさんざん愚痴を漏らしていた。でも、母は父のことを愛していたと思う。だって、母は父のことを話すたびに目がうるんでいたのだから。
 僕がバイトを始めたのはお金を必要だったからだ。両親の遺産と祖母の年金だけでは生活できないことを知ると、高校入学時と同時に祖母にバイトをさせてくれるように書類を出した。お金が足りないということは祖母とは話をしていたため、反対意見もなく了承してくれた。しかし、祖母はその時、『迷惑をかけてすまん』と謝罪し、顔をゆがませていた。
 今は週五日でバイトをして、なんとか生活できている。両親の遺産はバイトを始めてからあまり手をつけていないため、このままいけば僕が卒業するまで耐えることができるだろう。高校を卒業したら就職して妹と祖母を養っていくのだ。
 僕が祈り終えると同時に「チンっ」という電子レンジの音が聞こえてきた。あかりが僕のために温めてくれたのだ。
 「ちゃんと洗っといてよね」
 あかりは温めた料理をテーブルに置き、リビングから出て行った。しばらくして、玄関の閉まる音が聞こえてくる。耳をすましていると、次に、シュン、シュンという音が聞こえてきた。
 僕は少しだけカーテンを開けて外の様子を見てみることにした。そこには、あかりが二重跳びをしていた。一定のリズムでこちらにも、ビュンビュンと音が聞こえてきそうだった。一回、二回、・・・・・・と数え、気が付くころには百回まで到達していた。
 あかりは一度、息をつき、こちらに振り返った。すると、僕に気が付き、鬼の形相でにらんできた。その表情からは殺意の念を感じた。僕は背中が凍り付くような感触に見舞われ、カーテンを勢いよく閉めた。
 椅子に座り、あかりが作ってくれたであろう卵焼きと野菜炒めを食べた。卵焼きは穴がないほどきれいに包まれており、野菜炒めは噛んでいても本来の野菜の食感があり、ご飯と食べやすいタレで味付けされていた。
 高校に入るまでは料理を作るのは僕の役目だったが、バイトを始めてからほとんどあかりが作ってくれている。僕が料理を作るのはバイトのシフトが入っていない週に二回、明日がそのうちのひとつだ。
 兄妹でどうしてこんなに違うのだろう。
 僕は箸を一度、テーブルの上に置いた。部活をやめ、何もすることなく自分の部屋で漫画を見ていた中学生の頃の僕とあかりを比べていると、なんだか息が苦しくなる。
 「慎之介」
 「なに、おばあちゃん」
 「あかりのこと、嫌いかい?」
 あかりは小学三年生からバスケを始めた。当時から背はそんなに高くないが、日に日に練習を重ねた結果、市町村大会一回戦負け常連のチームを県大会優勝にまで導いた。そして、そのまま鳴り物入りで地元の中学校に進んだ。
 あかりは一年生ながらレギュラーをつかみ、その年の地方大会でチームはベスト8に輝いた。次こそは全国大会と意気込んだあかりだったが、翌年の地方大会では悔やまれる結果に終わった。
同点で試合終了間際、味方からパスをもらい、ゴール下まで行くものの決めきれず、相手のカウンターで決勝点を入れられてしまった。試合が終わってもあかりはコートから出ることなくうずくまって泣いていた。そこに先輩たちが駆け寄り、慰めていた。それを上から眺めていた僕は自分がなんだか情けなくなってきた。
 僕はあかりの何事にもひたむきなことに対して妬ましいと思ったことはあるものの、あかりのことは嫌ってはいなかった。
 祖母はしわくちゃの笑顔を向けていた。嫌い、と言っても嫌な顔はされないだろう。祖母はそういう人だ。
「嫌いじゃないよ」
 「そんならいい、あかりもあんたのことは嫌っていないよ」
 さっきから祖母に心の中をのぞかれているようだった。年を重ねると人の考えていることがわかるようになるのだろうか。
 「そうかな?」
 「そうさ。近いうち、それがわかるようになる」
 祖母が未来の出来事を断言するものだから、僕は少し笑ってしまった。
 「おばあちゃん、未来が見えるの?」
 「そうだね。もう死期が近いから仏様が与えてくれたのかもね」
 僕が冗談で言うと、祖母も冗談で返して悪戯っぽく笑った。




 
  4月9日 火曜日


 翌朝、起きてリビングに行くとあかりの姿はなかった。もう七時半だから朝練に行ったのだろう。代わりにリビングにいたのは祖母だった。祖母はいつものように椅子に腰かけ、温かい緑茶を飲んでいた。しかし、何度か外の様子を確認していた。
 「今日は、ちょっと雲行きが怪しいね」
 僕が朝ごはんを食べていると、祖母がそのようにつぶやいた。
 外は天気予報の言っていた通り曇りだった。しかし、祖母の言い方では雨が降るのだろうか。天気予報ではそのようなことは言っていなかったが、僕は学校へ行く支度をして、ついでに傘も持っていくことにした。
 
 学校に着いて、教室に入ると何人かのクラスメイトがいた。そこには渡辺さんもいた。しかし、席の位置が真反対ということもあり、気さくには声をかけられない。かといって、渡辺さんの席にまで行くのもなんだか気が引ける。
 しばらくして、ほとんどのクラスメイトがこの教室に集まると、担任の教師も入ってきた。しかし、昨日同様、僕の前の席には誰も座っていなかった。二日連続で休みだ。
 今日から学校は通常授業だった。一限から、日本史、現代語、生物、英語、数Ⅱ、美術だった。この時間割を考えたのは誰かと言いたいぐらいだ。この日は一週間のうち一番憂鬱になる日になりそうだ。
 三限目の生物から居眠りをするクラスメイトが続出し、僕も四限には寝てしまった。五限目の数Ⅱは担任の先生の授業のため、できれば寝たくなかった、でも、昼ごはんのあとなので、僕は睡魔には逆らえず、そのまま眠ってしまった。
 「では、これで授業を終わります」
 そう先生の声が聞こえたとき、僕は目を覚ました。次は美術教室で授業なのでこのまま寝てしまうと遅れてしまう。数学の教科書を片付け、後ろから美術の道具を取り出した。それをひとまず机の上に置き、時間を確認した。次の授業開始まで七分ほどある。僕は少しの間、自分の席でゆっくりしようとした。
 しかし、同時に廊下から誰かが走ってくる音が聞こえた。すると、教室の前の扉がバタンと大きな音をたて開いた。クラスメイト達はみなそちらのほうへ視線を向ける。そこにいたのは先ほどまで授業をしていた担任の先生だった。担任の先生は何か慌てた様子で息を荒げていた。
 「赤谷慎之介」
 僕の名前が呼ばれたとき、目を丸く見開いた。一斉にクラスメイト達の視線が集まる。何か悪いことでもしたのだろうか。思い返していても、授業中寝ていたことを除けば心当たりはなかった。担任の先生は続ける。
 「妹さんが、病院へ運ばれた」
 そう言われたとき、僕の頭は真っ白になっていた。けれども、次の先生の言葉ははっきりと聞こえてきた。
 「私と一緒に病院へ向かおう」
 先生が言うよりも先に僕の脚は動いていた。急ぐ先生の後ろを追いかけ、駐車場にある車に乗り込んだ。












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