希望が丘駅前商店街 ―姉さん。篠宮酒店は、今日も平常運転です。―

篠宮 楓

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杜と燗

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「いやー、めでてぇなぁおい。雪ぃ、梅酒とってくれ。ブランデーベースの」

 どさりと畳に腰を下ろした燗は、台所に行こうとしていた雪の背中に声をかけた。

「あらあら、今日の燗さんは飲み過ぎじゃないかしら」
 エプロンを身に着けながら、雪はくすくすと笑い声を上げる。
「親父、あんまり飲み過ぎるなよ。明日の配達に響くだろ。しかもブランデーって」
 醸が上機嫌で座卓に頬杖をついて梅酒を待つ燗を窘めると、燗は鼻歌を歌いながらにやりと笑った。
「黒猫に就職するユキ坊の祝い酒のシメなんだから、Barで飲むような酒にしてぇじゃねーか。お前もどうだ?」
 雪が持ってきた琥珀色の液体の入った瓶をゆるりと持ち上げれば、醸は興味を惹かれた様に手を出したけれど、途中でその手を下ろした。
「飲みたいけど、俺は親父や姉さんのようにザルじゃないんだよ。とりあえず朝一の配達は俺が行くから、存分に堪能してくれ」
 二人で、と言外に含まれたその言葉に、燗は口端を上げたまま掌で醸を追いやった。醸にしてみたら、酒を飲んでいつにもましてらぶらぶオーラを醸し出すだろう両親と飲むのは勘弁蒙りたいというところだろう。
 醸は雪から受け取ったグラスに1~2cmくらい梅酒を注ぐと、炭酸水で割ってそのまま部屋へと引き上げていった。

 その後ろ姿を見送ることもせず、燗はブランデーをロックグラスに注ぐと隣に座った雪にむけて軽く持ち上げる。
「お前は?」
「んー、少し頂戴」
 雪は自分のグラスを用意することなく、燗の手からグラスを受け取って一口含んだ。
「風味はとてもいいけれど私にはきついわ。でも、美味しいわね」
「だろー。この蒸留所の梅酒は手間かけてるから流通量すくねぇんだけど、美味いんだよなぁ。ユキ坊の就職祝いに、何本かこっちに融通できねぇか明日にでも聞いてみるか」

 黒猫にいい酒入れてやりてぇからなぁ、……そう続けた燗はブランデーを口に含むと香りを楽しむように目を瞑った。



「ユキくん、幸せそうだったわね」

 早々にお茶を飲み始めた雪は、先ほどまでの宴会を眼に浮かべながら嬉しそうに呟く。
 JazzBar黒猫のオーナー、根小山夫妻の甥っ子、ユキの就職祝いがさっきまでとうてつの裏庭で催されていた。
 内定を3つももらったユキが選んでくれたのは、根小山夫妻・JazzBar黒猫、そしてこの商店街。少し引っ込み思案だったユキが、この商店街に根を下ろしてくれるというその言葉がとても嬉しい。

 雪の言葉に目を開いた燗は、細めた目を向けて微かに笑う。
「一番幸せなのは、杜だよ」
「杜さん?」
 当人ではなく杜の方が幸せだと言い切る燗に、雪は不思議そうな視線を向けた。
「そうだよ、杜が一番嬉しかっただろうさ。あいつは、ユキ坊を自分の子供の様に大切に思ってるからな。手元からいなくなるのを、すげぇ怖がってたから」
「燗さん……?」
 直接話を聞いた風な言い分に、雪が首を傾げる。燗はもう一度目を瞑った。
「相談って程じゃないけど、前に会った時に仕事探して面接受けにいってるユキ坊見て、うちに残ってくれないかなぁって悩んでたんだよ」
「あら……、じゃあ前にユキくんに商店街に残るように言ってたのって……」
 雪の言葉に、燗の顔が罰悪そうに歪む。
「つい、杜の肩を持ったというか……なんというか」
「あらあら」

 ユキの就職したいという気持ちもわからなくはないが、それでも家族として傍にいて欲しいとユキを切望する杜の気持ちを燗は応援したかったらしい。
「杜はさぁ、ああいう見てくれだろ? 本人はそんなつもりないのに、ここ以外の町だと怪しいとか言って職質あったりしてさ。でもそんなんじゃないんだよ。俺、あいつの大切なものを守りたいっていう一途な気持ち、応援してやりたいんだよなぁ」


 愛した女性をお見合いの席から連れ出して、添い遂げるほどの情熱。
 大切な人と共に生きたいと願う杜の行動力は、見ていてホントすげぇと思う。
 その大切な人の一人であるユキ坊を、家族として共に生きたいと願う杜の気持ちに絆された。


「燗さん、杜さんと仲いいものね」
「まぁなー、昔からよくつるんでたんだぜ」


 子供の頃からよくつるんで……というか一方的に燗が杜を連れ出して遊んでいたような感がぬぐえないけれど、それでも嫌なものはちゃんと拒否する裏表のなさが気持ちよかった。燗自身、暴走気味の性格を止めてもらっていたわけで。
 友人関係に加えて、JazzBar黒猫を開くにあたって取引相手という仕事上の関係も上乗せされて、楽しくやってきた。

「杜はさぁ、自分の夢があるから人の夢にも寛大なんだよな。JazzBar黒猫だって、お客さんを大切にしすぎて驚くほどの薄利だしさ。それも、来てくれるお客さんに対してのもてなしだけじゃなく、そうやって来てくれる人達に学生サークルのjazz聴いてもらってよ。学生の夢も叶えてるようなもんじゃねぇか。身銭切って」
「身銭って」
 クスリと笑う雪に、燗は喰いつくように身を乗り出した。
「笑い事じゃねぇよ、雪。ホント、あそこ薄利すぎるんだって。今回ユキ坊が店を手掛けてくれるようになるって聞いて、俺がどれだけ安心したか」

 醸と一緒に、黒猫の納品書とメニュー表見て何度目を丸くしたか。
 ありえないありえないと、帰りの軽トラの中で何度醸と唱えたか。

「ユキ坊はさ、しっかり店まわしてくれそうだからな。しかも、杜と一緒で客に対する気持ちが優しい。今まで以上に、いい店になるってもんだよ」
 そう確信めいた口調で言い切った燗を、雪は目を細めて見つめた。
「自分の子供の様ね。燗さんも、とても嬉しそう」
「あたりめぇだよ、杜の子は俺の子でもあるんだからな。商店街皆の子だ」


 それが、この希望が丘商店街。
 嫁に来た雪が幸せに暮らしているのも、燗のお蔭だけじゃない。
 商店街が優しかったからだ。
 この商店街だから、燗と共に幸せに過ごしているのだ。


「ねぇ、燗さん」
「ん? どうした、雪」

 ちょこんと腕に体を預けてきた雪を、燗が覗き込む。雪は目を瞑って言葉を続けた。

「私、燗さんのお嫁さんになれて本当に幸せ。こんなに素敵な商店街、他にないもの。だから、ユキくんにも幸せになって欲しいわ」
「ユキ坊には杜も澄さんも、商店街も皆ついてる。今も幸せだし、これからもっと幸せになるだろうよ」
 ぎゅっと、雪の肩を抱く。燗の、一番愛しい大切な人。
「お前に幸せとか言われると、くすぐってぇな。けど、俺も幸せだ」



「燗さん……」





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……だから二人と飲むのは嫌なんだ!!!



 思った以上に美味しかった梅酒のお代わりをもらおうと一階に降りてきた醸が見たのは、寄り添って見つめあう両親の姿。
 途中どころかほとんど話を聞いておらずいちゃらぶ状態の両親をいきなり見せられた醸は、抜き足差し足忍び足、自室へと引きこもった。
 空のグラスを握りしめたまま、醸は窓から姉の吟がいるだろう方向を見つめる。



姉さん、助けて……!(涙







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――姉さん、助けて

 接着剤を塗布したリング台に天然石を埋め込もうとしていた吟は、ふと聞こえてきた弟の声に顔を上げた。
「醸? ……な、わけないか」
 さすがに県をまたいでこんな夜に、弟が来るわけない。
 吟は首を傾げつつ、もう一度手元に視線を落とし……

「ぎゃぁぁぁぁっ!」

「どうした」

 いきなりあがった悲鳴というには男らしい叫び声を聞いて、隣の作業部屋にいた彼氏でもあり一緒にギャラリーを運営している仲間の一人である木戸が顔を出した。
「あぁぁぁぁ」
 そんな木戸の呼びかけにも答えず、吟はリング台を指先で掴んだまま悔しそうに唸り声を上げ続けている。木戸は自分の声に反応もしない吟を気にするでもなく、ひょいっとその手元を覗き込んだ。

「あぁ、石埋め込むのとちったのか」

 吟のもつリング台には、本来埋め込むべきホールとは違う場所に天然石がくっついていた。
 天然石と言っても宝石質の、上質なものだろう。ペアシェイプのブリリアントカットは、少し前の鉱石イベで嬉々として買い求めていたもののはず。

「とりあえず液剤で溶かしてみるか」
「そんなもの、売り物にできない……! 私用のが増えるのは嬉しいけど、悔しいぃぃ」
「仕方ないだろ」

 木戸はリングを取り上げると、液剤をとりに自室の作業部屋へと戻っていった。

 吟はわなわなとその場で震えながら、なぜかさっき聞こえた気がする弟の声を思い出してぐるぐると唸る。

 こんな離れてても私の邪魔するとか、どうせ元凶は親父なんだろうけどムカツク!!

「助けてとか、お前25歳の男の言う言葉かド阿呆!」

 空耳だとしても許すまじ!!!



 その頃の醸。
 耳栓をしていたけれど、布団に置いておいた携帯のバイブ音に気付いて目が覚めた。
「……こんな遅くに誰……姉さん!!!」
 一気に目が覚めた醸は、布団の上で正座をしながら携帯のメールを開いた。もしかしてさっきの心の声が聞こえたんじゃないかと、姉弟の絆に感動しつつメール画面を見ると。


 ――黙って寝ろ


「……」


 こうして醸の夜は更けていく……(笑
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