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◇8-9章 幕間:番外編・小話

足りない、足りない―ジャミル

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『テオ様との婚約が破棄された。
 どうして? 私は何も与えられないのに、価値のないもの同士でくっついていろとあてがわれた彼すらも私から取り上げようというの。
 あの人さえいれば他に何もいらない、それなのに。
 憎い、何も与えず奪っていく両親。全て与えられて何も不足はないくせに、私のただ1つの大切なものすら奪っていく妹が。許せない、許せない。
 剣から声が聞こえる。もう駄目だ、私は家族を斬ってしまいそうだ』
 
「何回読んでも……強烈……」
 
 図書館のテオじいさんから渡された、奥さんのエルナさんの手記。
 テオじいがこれを問題の渦中にいたオレに渡さなかったのもうなずける内容だ――これを読んでいたら間違いなく気分はどん底、そのまま闇に引きずり込まれていただろう。
 駆け落ちした後はだんだんと精神が落ち着いていったらしいが、そこに行き着くまでに様々な恨みつらみや葛藤、黒い感情が書き連ねられていた。
 
 与えられない自分、与えられている妹、与えない親。
 足りない、足りない、私はずっと足りていない。
 醜い自分はあの人にふさわしくない、だけど欲しい、彼は私のもの。
 
「…………」
 
 オレは別に誰かが憎かったわけじゃない。この人ほどオレは悲惨な境遇じゃない。
 それでも剣は何もかも斬って捨ててやろうと持ちかけてきていた。
 この人と自分で何か共通項があるような気がしてならない。
 
 ――なんでだろう?
 
 オレは別に弟と比較されたり、片方が特別優遇されるようなこともなく、兄だからと我慢させられるようなこともなかった。
 親に対しても不満はなかった。過ぎることも足りないこともなく、弟と平等に与えられて愛されていた。
 弟がいなくなるまでは、確かにそう考えていた。
 
 どこにいくにもオレにくっついてこようとする弟がウザったくてたまらなかった。
 だから一度痛い目見せてやろうと思って、ウソの時間を言って弟を置いていった。
 その結果弟は行方をくらまし、数日後にアイツの血塗れのブーツが湖のほとりで見つかった。

 カイルが死んでしまった――そう思った両親は打ちひしがれ、肩を寄せ合って大泣きした。
 オレは自分のせいでそうなったと後悔しながらも、両親のその姿を見てひどく失望してしまった。
 ――なんだ、親なのに、大人なのに、随分弱いじゃねえか――そう考えている自分がいた。
 そればかりか弟の方が大切なんだと考え、自分のせいでいなくなった弟に嫉妬してすらいた。
 
 あの黒い剣はずっと幻を見せてきていた。
 幻の中では赤い眼をした自分が、汚く笑いながら本音をベラベラと喋っていた。
 呪いは解けたというが、押し込めていた自分勝手な本性は浮き彫りになったままだ。
 
 先日弟と実家に帰った際、呪いのことを話したら両親に涙ながらに謝られた。
 だけどオレは謝ってほしくはなかった。何を泣いてるんだみっともないとすら思った。
 
 5年間ほとんど会話もなく顔も合わせなかった両親――今更話すことも思いつかず、結局実家にはあまり帰っていない。
 行くときはカイルも一緒だ。両親はもてなしてくれるし、アイツがいるなら会話もちゃんとできる。
 止まっていた時間が動き出した。前のように居心地が悪い空間ではなくなってきている。
 
 だが、使い魔のウィルは両親の前には現れない。
 魔法は心の力。だからオレの心が反映されている。
 どうやらオレは両親に顔を合わせたくないと思っているらしい。
 憎んでいるわけじゃない、あの汚い本音をわざわざぶつけようなんて気もない。
 じゃあ、何を望んでいるんだ。分からない。
 
 
 ◇
 
 
「やあ、俺が来たよ」
「『俺が来たよ』じゃねぇよ」
「久しぶりだしさあ、ちょっともてなしてよ」
「ざけんな。オレは忙しいんだよ」
 
 黙々と勉強をしていると呼び鈴が鳴り、出てみると案の定弟のカイルだった。
 案内もしていないのに勝手にソファーに寝転ぶ。
 
 ガキの頃、コイツと一緒の部屋だったが成長とともに分けられた。
 うるさいのがいない自分だけの空間ができたと思っていたのに、何故かコイツは事あるごとにオレの部屋にやってくる。
 そしてソファーに寝転んで何も言わずムスッとして、ため息をつきまくっていた。
 大抵、親に怒られたとか嫌なことがあった時だった。邪魔でたまらなかった。
 ……トシ食ってオレより年上になってるのにやること一緒なのか。まあ別にいいけど。
 
 話によると、あの砦に変な女が来て平和を乱しまくっていったらしい。
 コイツ自身も術をかけられた上に薬も盛られそうになって、もしかしたら殺されるかもしれなかったとか。
 グレンがいなかったから一人で対応していたとか……大変だな。
 
 ちょうど今まとめている内容と似通ったことがあるからとノートを見せてやると、なぜかえらい褒められた。
 勉強をしているのがすごいという。

「兄貴は昔から勉強できたのにさ、今でもずっと勉強してるじゃないか。いい学校行ってるし」
「自分の勉強は逃げだからそんなすごいもんでもない」と返すとまた、
「……それでも並大抵の努力じゃできない、すごいことじゃないか。逃げだろうが代償がどうだろうが、もっと誇っていいはずだろ」

 と、返ってくる。
 
 笑ってかわしていると、オレの肩に止まっているウィルが飛んでいってアイツの頭に着地してピヨピヨと鳴いた。
 どうやらオレは今めちゃくちゃ嬉しいみたいだ。
 両親の前には現れないウィル。だけどコイツのことはどうやら苦手ではない……というか、むしろ好きらしい。
 
 ――コイツとの関係性は不思議だ。
 
 弟だけどオレよりも人生長く生きている。
 恵まれた体格、それに元竜騎士だから武器の扱いにも長けていて、この前オヤジと手合わせをした時は圧倒的なウデでオヤジを打ち負かした。
 グレンもかなりすごいが、それと同等くらいだった。
 負けたけどオヤジはすごく嬉しそうだった。
 それを見てオレは「やっぱり弟の方がオヤジの望む理想なんだろうな」とか思っていた。
 
 オレにとって今のカイルは、ともすればコンプレックスを抱いてしまいそうな存在だ。
 ところが別に顔を合わせたくないとかそういう気持ちはない。
 コイツはオレをやたらと褒める。オレがロイエンタール高等学院に行っていたと聞いた時も、とんでもなく褒め称えられた。
 
「えっ、兄貴、ロイ高なの!? あの、伝説の!?」とかなんとか、語彙が消滅した言葉で。
 フランツみたいに目がキラキラしていた。
 
「伝説ってなんだよ……そんなすごくもねえよ」
「いやいやすごいだろ。……もっと誇れよぉ」
 
 シュンとした大型犬みたいな佇まいでそう言われた。
 オレは曖昧に笑って済ましたが、ウィルは鳴きまくりながらアイツの周りを飛び回っていた。喜びの舞だ。
 
 ――いや、オマエの方がよっぽどすごいんだが。
 弟だと知るまでは、別世界のすごいヤツみたいな認識だった。
 そいつがガキの頃と同じに「兄ちゃんすごいな!」とオレを褒めまくり、ヘコんだ時はオレの所にやってきてソファーに寝転がりため息をつく。
 年上目線の時もあるが、基本的には"弟"として接してくるし"弟"の役をする。だからオレも"兄"の役を気兼ねなくできる。
 5年かけて空いていた穴が、心の空白が、コイツに褒められたり"兄弟"をちゃんとすることで少しずつ埋められていくような気がした。
 
 
 ◇
 
 
「……なあ、オマエって正確な年いくつなの?」

 前々から気になっていたことをふと聞いてみた。

「ええ? 年聞くのやめてほしいなぁ……ちょっと待ってよ」
 
 そう言いながら、カイルは腕に巻いている竜騎士のスカーフをほどき始める。
 その中から、小さい頃に買ってもらった子供用のスカーフを取り出して更にほどいてみせた。
 中身は前も見たことがあった。アイツが自分で縫い付けた古代文字で書かれた名前と、事故に巻き込まれた日付。
 それからいくつかの星の印――カイルはその星の印を指でたどり数え始めた。
 
「14、15、16……えっとつまり、今28……だから、次の誕生日で29だ」
「へー、その星って年数えてたのか」
「そう。ミランダ教のあの盤は生年月日出るけど本当の生まれ年しか出ないからさあ。年いくつになったかすぐ忘れちゃうんだよね」
「なるほど。これって自分で縫ったのか?」
「まあね」
「最初らへんの星だけなんかキレイだな」

 見れば、最初の3つは銀色の糸で縫い付けてあった。4つめからは歪な形の星――年々腕が上がっているのか星の形はキレイに整っていっていた。
 
「ああ……これは刺繍の先生がやったから」
「先生? ふーん……。そういやオマエもうすぐ誕生日だよな。どうする?」
「どうするって?」
「兄ちゃんがなんかプレゼント買ってやろうか」
「い、いいよ……やめろよ」
「それか何か料理作ってやろうか? グレンもルカもそうしたし」
「いいって」
「遠慮すんなよ。……あ、そーだ。いちごのケーキ作ってやろうか? 好きだったろ」
「……やめろ」
「『もてなしてよ』っつったじゃんか。今はいちご好きじゃないのか?」
「好きだけどやめろよ」
「どうする? 3段くらいのヤツ作ってやろうか。思う存分いちご食え」
「やめろよ、お前! やめろ!」

 カイルは真っ赤な顔でソファーに置いてあるカニの形のクッションをこっちへ投げつけてきた。

「はあ? 兄ちゃんに向かってお前ってなんだよ無礼者がぁ」
 
 そんな風にイジり続けていると、やがてカイルは笑いながらもでかいため息を吐いて「あーもう、今日は帰るよ」と帰る準備をし始めた。
 メシ作ってやろうかと持ちかけるも「砦にちびっ子残してきてるし」と断られた。
 名残惜しそうに周りを飛び回るウィルに「また来るよ」と笑いかけ、そして去っていった。
 
 
 ◇
 
 
 カイルが帰ったあと、オレはまた机に向かっている。闇魔術の歴史、それにエルナさんの手記を見ながら。
 
 ――足りない、足りない、私はずっと足りていない。
 
 アイツは足りないものはないのかな。
 そこは弟とはいえ年上だから、オレが気にかけることじゃないのかもしれないけど。
 
 ――醜い自分はあの人にふさわしくない、だけど欲しい、彼は私のもの。
 
「……醜い自分はふさわしくない。だけど欲しい、彼は私のもの……か」
 
 この一文に、頭をよぎるものは確かにある。

(いやいや、オレのものなんかじゃ全然ねえし……何考えてんだ)

 無謀にも貴族令嬢に告白した。……婚約者がいるとお断りされました、それで終わりだ。
 
 けど再会したあの日、泣きそうな目で縋るように見上げてきたあの顔が忘れられない。
 ちょっと腕をつかんで引き寄せれば自分のものになってしまうんじゃないだろうかと錯覚した。

(ダメだダメだ……ヤバすぎる)

 頭をブンブン振って危険な考えを振り払う。
 
「オレはどうしたいんだろなぁ、ウィル」
 
 ごまかすように傍らのウィルに訊いてみるも、チチチと鳴くだけ。
 
「はぁ……」
 
 でかいため息をひとつ。
 オレは思い通りにならない"何か"のため、またノートを開いて勉強を始めた。
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