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9章 壊れていく日常

◆回想―モノを作るヒト ※暴力・過酷な描写あり

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 身体が、重い。視界が歪む。
 頭の中で車輪が回転しているような錯覚を覚える。三半規管がどうにかなってしまったのか……。

 靴を脱ぎ捨て、ベッドに横になる。
 ――ここは、どこだろう。転移魔法で図書館から戻ってきた。多分ポルト市街のアパートのはずだ。
 一度横になってしまうと瞬時に身体が鉛になってしまったかのように重くなり、動かない。いや、動かす気にならないと言った方が正しいのか。
 ジャミルが闇堕ちしかかった時に聞いた症状と同じだ。
 眠ると過去の出来事の夢を見るとも聞いたから眠りたくない。だが身体は動かず、俺はそのまま強制的に眠りの世界へ引きずり込まれてしまう。
 
 嫌だ、眠りたくない。夢を見たくない。見たくないのに――。
 
 
『ごめんなさい、グレン』

(……?)

 女の声が聞こえる。聞き覚えがある声だ。誰だったか……。
 
『ごめんなさい。私はあなたを愛しているけど、どうしてもあなたのことが理解できない。……疲れたの。ごめんなさい、別れてください……』
『あなたが私を信じてくれていたかどうか、自信がずっと持てなかった。……あなたは誰か信じる人がいる? 私は、あなたはあなた自身すら信じていないと思う』
 
 ――ああ、そうだった。2年前に別れた"彼女"の声だ。
 自分を気遣って色々と相談に乗ってくれようとしていたが、思い出したくない話したくないことが多すぎてほとんど何も語らず、そのうちに軋轢あつれきが生じた。
 それでも歩み寄ってくれていた。俺も応えようとはしたが、そのすり合わせがどうしても出来ずやがて破綻した。
 
『あなたは誰も信じていない、あなた自身すら信じていない』
 
 別れ際の台詞が今も残っている。
 ……信じていないと言われても、よく分からない。
 
 昔、救いを求めて馬鹿みたいに神に祈っていた。
 ある日、あらゆる天災が国を襲って何もかも壊れて消えた。
 救いなど一切ない。あれだけ信じていた神に裏切られて、一体何を信じろと言うんだ――。
 
 
 ◇
 

「いい加減にしろ!!」
「うっ……!」

 「バチン」という音がして、目の前に人が転がる。最近この孤児院に入ってきた「35番」が神父にぶたれたのだ。
 
「口答えばかりをする……35番、君は全く汚い"ヒト"だ」
「"35番"じゃありません! 僕には"イリアス"という名前があります! 囚人のような呼び方はやめてくださいと言ってるだけです!」

 35番がそう叫ぶと、また神父の平手が飛ぶ。

「うう……」

 35番は二度ぶたれた頬を抑えて神父を睨みあげる。目には涙がにじんでいた。
 
「どうも君には特別に指導が必要なようですね……懲罰房へ来なさい」
 
 "懲罰房"の言葉を聞いて、周りで見ていた者が息を呑む。
 話によれば、特別に悪いことをした者がそこに連れて行かれて長時間"指導"を受けるそうだ。
 どんな指導かは分からないが、戻ってきた者は二度と逆らうことがなくなる。
 時には戻ってこない者もいた。
「指導の末に魔法の力を会得したので"光の塾"へ行った」とのことだった。
 
 光の塾――そこへ行けば名前がもらえる。
 名前を持つ者はもうゴミでもない、ヒトでもない。ちゃんとした人間として認められる。
 毎日おいしいものが食べられていいベッドで寝られるし、もう怒られたりぶたれたりしなくていい。
 早くそこへ行きたい。俺は毎日祈っているのにどうして選ばれないんだろう。
 
 夕食の時間になると35番が戻ってきた。
 一言も喋らないが、朝食時は言わなかった「神様、今日もお恵みをありがとうございます」という言葉だけは唱えた。
 神父は「指導の末分かってもらえた」とニコニコしていた。

 しかし、35番はことあるごとに神父の教えを否定した。
 
「モノ作りをしてはいけないのはどうしてか、それならばこの孤児院は誰が建てたのか」
「生命を産み育んではいけないのなら、あなた方はどうやって生まれてきたのか」
「感情は穢れだと言うが、あなた方は毎日怒ってがなり立ててるし、僕たちをぶつときはうれしそうだ。怒りも喜びを作り出しているじゃないか」
「あなたの理屈で言うならあなたもまだヒトではないのか」
 
 そう言う度に神父達は35番を怒鳴りつけ懲罰房へ連れて行く。その繰り返しだった。
 はっきり言って嫌だった。罵声は聞きたくない。耳に響いて頭が痛い。
 35番にイラついた神父達は憂さ晴らしにこっちに罵声を浴びせ殴ってくることもあった。
「君たちの方が年下かもしれないが、ここに先にいるのだからちゃんとここのルールを教えなければ駄目じゃないか」と怒られもした。
 俺達は何もしていないのに、どうして。迷惑だ。35番は言うことをちゃんと聞いてほしい。
 
 
 ◇
 
 
 ある日、35番が木の棒をたくさん集めて組み上げている所に遭遇した。
 
「35番、何してるの」
「35じゃない、イリアスだ! ちゃんと名前を呼べよ!!」

 そう言って彼は俺に木の棒を一本投げつけた。細い木の棒だが、顔に当たるとムチのようで痛かった。
 
「お前の名前は? あるだろ、お前にだってさ!!」
「おれは、21番」
「だから、番号じゃなくって――」
「名前はない」
「え……?」
「親はおれがいらないから、名前をつけずにすてたんだって。ゴミには名前をつけないでしょうって。神父さまが言ってた」
「…………ご、ごめん」
「何してたの」
「することがないから、集めた棒で模型を作ろうと思って」
「つくる? モノをつくっちゃだめだよ。バツがくだるよ。神様がゆるさないよ。神父さまにもおこられるんだ」
「うるさいな。こんなことで罰は下らない……あるのは、子供のやることなすこと気に入らない大人どもの暴力だ。僕は理不尽には絶対に屈しない」
「……」
 
 孤児院ここ以外の世界を知らない子供の俺には、彼――イリアスの言っていることは全く分からなかった。
 今にして思えば、彼はおそらくいい所の子供だったんだろう。年はおそらく11歳とか12歳くらい。俺よりは大分年上に思えた。
 なぜあの孤児院に来たのかは分からない。内乱で親を失ったんだろうか?
 
「接着剤……なんかは、ないよな……」

 彼は慣れた手つきで木の棒を器用に組み上げていく。

「これ、なに?」
「船だよ。僕の父さんは造船所で働いてたんだ。僕も船大工か船の設計をしたくて」
「ふね……?」
「見たことない?」
「ない」
「海って知ってる? 水がたくさんある所。広いんだ。そこに行けばたくさん浮かんでる……ああ、やっぱりこんな小枝じゃあ、キレイな物はできないや」
「うみ……」
 
 海という単語を復唱すると彼は少し笑った。
 モノを作って、笑うのは"ヒト"がすること。罪深いと教わった。
 それはそんなに駄目なものなんだろうか――そう思ったその瞬間だった。
 
「……何を、しているんです」
「「!!」」
 
 ――神父が立っていた。目を細めて顎を震わせ、鼻の穴が膨らんでいる。
 この顔をする時は、怒鳴る時、指導をする時、誰かを懲罰房に連れて行く時。
 
 どうして。俺は何もしていない。どうして、どうして――。
 
「これは何です?」
「!」
 
 神父がイリアスが木の棒で作った小さな船を指さして言うと、イリアスは堂々と「船です、僕が作りました」と言い放った。
 
「モノ作りをしたということですね? モノを作るのは神の――」
「神父様の言う神様ってどこの神様ですか? ミランダ教も聖光神団せいこうしんだんも、モノ作りを禁じてません。どっちも『世界は人間のものだから好きにせよ』と教えています。それに、僕もここのみんなもゴミなんかじゃありません! 人間は法の下に平等のはず――」
 
 言葉の途中でイリアスが吹き飛ぶ――神父が彼の頬を思い切り打ったからだ。
 神父は顔を真っ赤にして、歯をむき出しにして鼻で大きく息をする。
 
「ガキのくせに口ばかり達者で……ヒトに染まりきった汚い子供! 来なさい! お前には特別の罰が必要です!!」
 
 口と鼻から血を出すイリアスの髪を掴み、神父は彼を引きずっていく。
 
「21番! お前も来なさい!」
 
 耳が痛いくらいの大声。そうやって怒鳴られると体が萎縮して、言うとおりにする他なかった。
 
 
 ◇
 
 
「35番、お前はモノ作りをしました! モノ作りは神だけに許された行い……お前は神ですか? 悔い改めなさい!!」
 
 懲罰房の壁にはりつけにされたイリアスが神父に鞭で打たれている。
 俺達はなぜかそこに集められ、その様子を見るように言われていた。モノ作りをすればこうなるという見せしめだったのかもしれない。
 鞭で打たれる度にイリアスは短く悲鳴を上げるが、神父の言うなりにはならなかった。
 
「僕は、悪いことを、してない……」
「まだ言うのか!!」
 
 神父が一際大きく振りかぶり彼を打つと、イリアスはまた悲鳴を上げた。

 ――どうして。どうして35番……イリアスは神父の言うとおりにしないんだろう。
 謝れば、『もうモノ作りをしない』と一言言えば終わるのに。いつまでこれを見ていなければいけないんだろう。
 怖い。怖い。見たくない。もうやめてほしい。
 
「何をやっても分からないようだ……私の与える指導では足りないのかな? ……そうだ、皆にも彼に罰を与えてもらおうか。ほら、右の……7番から順に。これを持って彼を打ちなさい」
 
 神父は一番端に立っていた「7番」に鞭を渡した。傍観者だったのに突然鞭を持たされた7番は震えて首を振るが、「同じ目に遭いたいのか」という恫喝どうかつに屈して渡された鞭を振るった。
 そうして、鞭を持たされた者が順番にイリアスを打つ。打ちたくないからとわざと弱く打った者は酷く怒鳴られたため、以降は皆、自分なりの最大の力で彼を打った。
 打たれたイリアスが悲鳴を上げる。
 
「痛いですか? でも仲間もお前を打ちたくはないんです。彼らの方がもっと辛い! 仲間に苦痛を与えるお前は罪深いヒトだ、悔い改めなさい!!」
 
 一人、また一人とイリアスを鞭で打ち……とうとう最後、俺の番になった。

「…………っ」

 鞭を持つ手が震える。目の前には鎖でつながれてぐったりとしたイリアスがいる。
 意識があるのかないのか、もう目線も合わない。
 
「21番、どうしましたか」
「あ……あ……」
 
 言葉が出ない。身体が少しも動かない。目に涙が浮かぶ。
 ――いやだ。打ちたくない。こんなに打たれたんだからもう十分じゃないか。どうしてこんなことをしないといけないんだ。
 
「21番!! 何をしている!! お前はヒトですか!? 次はお前が磔になりたいか!!」
「――!!」
 
 目をつぶって腕を振り上げ、鞭を振るった。
 ヒュッと風を切る音がしたと思ったら、すぐにビシッという音が響きイリアスが呻き声を上げた。
 肉を打つ感覚が腕に伝わる。頭がグラグラして、喉元まで嫌なものが上がってきていた――吐きそうだった。
 
 イリアスを全員で鞭打った後、大人が複数人懲罰房へやってきて俺達は孤児院へ戻らされた。
 翌日、『彼は神の力に目覚めたので光の塾へ行った』と聞かされた。
 そして昨日イリアスに罰を与えた神父も彼を目覚めさせた功績として光の塾へ行った、と。
 
 彼は、イリアスは本当に光の塾に行ったんだろうか。
 本当は、どこへ行ったんだろう――。
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