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11章 色と名前のない世界

3話 ロゴスと女神(2)

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「……なんとひどい有様でしょうか」
 
 ロゴスは目の前の惨状に驚きつつも笑みを浮かべながら、そう呟いた。
 散らばったリンドウの花、割れた水晶玉に花水晶、引き倒されたテーブルにズタズタのテーブルクロス――まるで強盗にでも入られたかのように"女神"の占いのテントは滅茶苦茶だ。
 その中心で、"女神"がすすり泣いている。
 輝く銀の髪は乱され、ところどころ血がべっとりとついている。何度も打たれた頬は赤く腫れ、口元からは血が一筋。
 
「エリス様」
 
 転移魔法で屋敷に連れ帰り繰り返し呼びかけるも、"女神"の返事はない。ただしくしくとすすり泣く声が聞こえるのみ。
 ロゴスは傷だらけで泣き濡れる"女神"にひざまずくと彼女の頬を両手でふわりと包み、魔法で傷を癒やしてやった。
 涙の溜まった目で自分を見上げる"女神"の頬を撫でながら、彼は自分の中で最上級の微笑みを彼女に向ける。
 そして――……。
 
「弱い」
 
 と、一言告げた。
 それを聞いた女神は目を見開き唇を震わせる。
 
「アルゴスの目を通して見えた、極上の虚無の魂……あれを安全にもぎ取るために、あの者を支える強大な二本柱を折っておきたい……そうお話しましたね?」
「…………」
「貴女には"不和"を司る女神として、彼らの心をかき乱し絆を断ち切っていただきたかった。それが……先の"聖女の加護"を受けた男はともかくとして、まさかあのような少女を御することすらできないとは。……弱い、弱すぎる」
 
 そう言いつつロゴスもまた、数日前断ち切れなかったどころか復活させてしまった"絆"に思いを馳せる。
 どれほど相手が弱く、またどれほど特別で強大な力を行使したとしても、まやかしの糸や術では関係を築けず、本物の絆を断ち切ることはできないらしい。
 自分もエリスも、そしてアーテも、人の繋がりを知らない。
 大切にされることもなく、そして誰も大切にしない自分たちは、知りようもないのだ。
 
 ――それにしても、全く。
 
「……ふふ……」
「……? なに……?」
 
 不意に笑い声を漏らしたロゴスにエリスが怪訝な顔をする。
 
「いえ……僕は不思議なのです。……心に揺さぶりをかけてくれればよかっただけなのに、あの竜騎士の男をモノにしようとしたのはなぜでしょう?」
「…………」
「もう一人の少女にしてもそうです。我々が折りたいのは赤眼の虚無の男の心のはず……それなのに、貴女は少女を苛めて心を積極的に折ろうとしていました。結果相手の怒りを買い、狂気ルナティックは反転……この有様です。どういうおつもりでしたか」
「…………」
 
 エリスは何も答えない。
 そんな彼女のそばにしゃがみこんで顔をのぞき込み、人差し指を口元に立ててロゴスはにこりと微笑んだ。
 
「"テレーゼ"様?」
「!!」
 
 その名を呼んだ瞬間エリスの銀の髪から蒸気が立ち上り、元の色である黒色が斑点のように露出していく。
 
「ぐ……ああっ……!!」
「……いらないことをして失敗したら、次は"降板"ですよ」
「降、板……?」
「はい。女神をやめていただきます」
「私は、私はどうなるの……」
「どうもなりはしませんよ」
「えっ?」
「元の姿に戻るだけです。僕は貴女の命を奪うことはしない……貴女にとっては、"醜いカラス"として生きる方が苦しみでしょうから」
「…………!!」
 
 笑みを浮かべながらロゴスが言うと、エリスは歯噛みしながら灰色と青の混じり合った瞳で彼を睨みあげる。
 
「どうなさいましたか。美しい顔が台無しです」
「私は、私は……こんな、こんな」
「『こんなことをしたくなかった』とでも言うおつもりですか? そんなことはないでしょう。貴女は"エリス"と名乗ることで生まれ変わり、差別をされない"色"と輝くばかりの美貌を手に入れた。そうして貴女がやったことはなんだったでしょう……術と色香で男を惑わせ思いのままに操り、かつて自分を容姿のことで虐げた人間に暴力的な仕返しをして、気に入らない同性は徹底的にいじめぬきました……そう、今日のあの少女のような子です」
「…………」
 
「――貴女は、不幸です。不幸な貴女は、幸せな女の子が嫌いです。何の努力もせずに受け入れられ、幸せを享受する弱い存在……特に、責めると誰か男がかばってくれるような女の子には強烈な嫉妬心を抱いて男を奪いとり、女の方は時に自ら死を選ぶまでにいじめました。それら全てが僕のせいだとでもおっしゃるのでしょうか? 貴女は本来は物静かで質素で心優しい女性でしたが……美貌を手にした貴女はたちまち本来の自分を忘れました。女は苛めて陥れたい、男は身も心も懐柔させて自分を守ってもらいたい……それが、あなたの意識の根底にある願望。"エリス"である貴女がしたことこそ、貴女の本質に他ならないのです。僕は本来の貴女を解放して差し上げただけのこと……感謝をしていただきたいくらいです」
 
「……ロゴス! ロゴス……!!」
「おっと」
 
 怒りにまかせて飛びかかってくるエリスをかわし、ロゴスは口元に手を当て薄く笑う。
 
「どうなさいました……女神よ。それとも、王女とお呼びした方が?」
「くっ……」
「選ばせてさしあげましょうか。さあ、こちらを……」
 
 ロゴスが右手をかざすと、エリスの前に鏡が出現した。
 
「あ……あ……」
 
 鏡に映る自分を見て、彼女は震える。
 銀の髪は月が欠けるように輝きを失い一部を残し闇のように黒くなっており、蒼穹の瞳もまた曇天の灰に支配されつつあった。
 目も鼻も口も変形し、彼女の真の相貌が姿を現す――。
 
「いや……嫌ぁ……っ!!」
「……さあ、どうします?」
「嫌! 嫌よお……っ! お願い、私を、あの姿に、戻して! なんでもするから、お願いよ!!」
「もちろんですとも」
 
 涙ながらに縋り付く哀れな女の頭に手を置いて、ロゴスは微笑む。
 
「……麗しき災いの母、不和の象徴、殺戮と争いの女神……エリス・ディスコルディア様。今一度、我らの元に」
「う……っ」
 
 そう唱えるとロゴスの額が輝く。
 "テレーゼ"は光に包まれ、たちまち銀髪蒼眼の美女――"エリス"に変わっていった。
 立ち上がった彼女の背に向け、ロゴスは「お願いしますよ」と声をかけた。
 
「……私は、エリス……」
「はい」
「私の、成すべきことは……」
「ターゲットの絆を断ち切ることは不可能。……ですので、早急にこちらに連れてきてもらいたい。獲る前に自死などされてもらっては困りますので」
「ここ、へ……」
「ええ。新月または満月の夜であれば良かったですが、時間がありません。失敗すれば……」
「…………」
「『さようなら』です、女神よ。元の姿でどうぞお元気に」
 
 そう告げるとエリスは肩をぶるりと震わせる。
 彼女はノルデン貴族が忌み嫌う黒髪灰眼。そればかりか容姿も決して美しいとは言えなかった。
 平民であればそこまで蔑まれるほどに醜くはなかったが、美しさが特に重要視される王族に於いては罪悪とすらされることだった。
 彼女にとって、美貌が失われるということは死刑宣告に近い。
 
 ――が、別に死ぬわけでもあるまいに。
 その美貌を使って人を引き裂き時には死に追いやり、自分を守るために罪に罪を重ね……なんと愚かで哀れな女だろう。
 
 そう考えながら何の感情も伴わない笑顔を浮かべていると、どこからか鼻歌が聞こえてきた。
 
 アーテだ。
 ロゴスが作りだした屈強な男の姿の土塊ゴーレムを引き連れ、くるくると踊りながらこちらへやってくる。
 
「お姉様、お帰りなさ……! ど、どうなさったの、何を泣いて……」
「なんでもないのよ、アーテ――」
「ロゴス!!」
 
 目上のエリスが話している途中だというのにそれを遮り、アーテはロゴスの頬を打った。
 
「お前、お姉様を苛めたのね!? カラスの分際で!!」
「…………」
 
 頬を抑えながらちらりとエリスを見ると、視線を泳がせ震えていた。
 
「いいこと!? お前達カラスが存在しているのは、私達銀の月の民の恩恵があってこそ! お前達が起こしたつまらない争いに怒った神が罰を下して国は滅びたの。本来なら罪深いお前達は駆逐されて当然なのに、私達が殺さないことでお前達は生き長らえているのよ! 額に紋章があるからといって、下賤げせんの者が主人を苛めるだなんて、あっていいと――」
「……やめ、なさい、アーテ……!」
「でも、でも、お姉様ぁ……」
 
 震える声でエリスがアーテをたしなめると、彼女は"月の民"たる美しい主人に抱きつく。
 抱きつかれたエリスは骨と血管が浮き上がるくらいに両手を握りこみ、その手をなんとか開いてから彼女を抱きしめ頭を撫でた。腕全体に、鳥肌が立っていた。
 その様子を見たロゴスは首を傾けて満面の笑みを浮かべる。
 
「ふふふ……申し訳ありません、エリス様。が、過ぎた口を。どうぞ、お許しください」
「…………っ」
 
「……アーテ。エリス様が狩りに出かける。君も一緒に行くといい」
「狩りですって? ……お前が行きなさいよ! いつも待っているだけで何もしないんだから!!」
「アーテ。相手は男なの……だから、私達でなくては。説得ができなかった時のために、貴女の力も必要だわ。ね、お願い」
「お姉様……分かりましたわ。でも説得ができないなんてありえないでしょう? お姉様の美しさには誰もがひれ伏すわ」
「その通りです。それに相手はノルデン人……話を聞けば、大抵の者は従いますとも。皆、同じ傷を抱えていますから……」
 
 
 ――全ての準備が整い、2人の女神が出発したのは夜のこと。
 夕方から降り始めた雪が薄く積もり、街を白く染めていた。
 
「行ってらっしゃいませ、女神よ……よき収穫を、心待ちにしております」
 
 水晶に映した彼女達の姿を見ながら、ロゴスは笑った。
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